Masuk良辰は鬼のような形相で、「必ず真相を突き止める」と言い放った。どうやら、彼自身も唐沢家の裏の動きを詳しくは知らないようだった。「もしお前たちが凛の死を利用して、俺を挑発したり、彼女を穢そうとしているなら……」言葉の途中で、彼は手にしていた日本刀を突然振り下ろした。「ザクリ」と鋭い音が響き、横に置かれていた花束が一瞬で真っ二つになった。私は静かにうなずき、真摯な声で答えた。「唐沢さん、どうぞお調べください。ただ、私の知る限り、唐沢家は本日の午後、東市協和病院に対して正式な弁護士チームを送り交渉する予定です。どうかお急ぎください」良辰はじっと私を一瞥し、すぐに背を向けて短く言った。「……客を送り出せ」屋敷を出た後も、胸のざわめきは収まらなかった。一方、浩賢は妙に明るく、冗談めかして笑った。「いやぁ、さっきの水辺先生、なかなか肝が据わってたね。まるで『女傑』って感じだったよ」私は彼の立てた親指を見ながら、凛の件を思い返し、心配になった。「……唐沢さん、どうするつもりなんでしょうね」「もう全部話したし。あとは唐沢夫人が、彼の心の中でどれだけ大きい存在なのか――それ次第だよ」そうね。愛というものは尊くても、時間の試練にはなかなか耐えられない。……私はぎりぎりの時間で麻酔科に戻った。まだ席に着く前から、数人の同僚が掲示板の前でひそひそ話している。その中に、かすかに私の名前が混じって聞こえた。気になって近づくと、掲示板に貼られた一枚の紙が目に入った。――昨夜、豊鬼先生に提出した「反省文」だった。「まだインターン中の身で、もうあんな勝手な行動してるんだってさ。豊岡先生が怒るのも当然よ」「でもあの人、青葉主任に可愛がられてるじゃない。私たちとは違うの」「羨ましいよね。私たちなんて真面目に働いても、結局は何も得しないもん」聞けば聞くほど胸がもやもやし、その反省文を見ると、さらに複雑な気持ちが湧いた。――昨夜玉恵から急かされ、無断欠勤までして本家に帰った私を待っていたのは、医療ミスの責任を負わされることとは。皮肉なもんだ。胸の奥に酸っぱさが広がり、私はそっとオフィスを抜け出して洗面所に向かった。その数分後、外から薔薇子の通るような大きな声が響いてきた。「これが普通のプレゼントじゃないよ。東市で
「部外者は立入禁止です」「唐沢さんに一声お伝えいただけますか、私たちは――」警備員は機械のように同じ言葉を繰り返した。「部外者は立入禁止です」その返答が先ほどよりも鋭く響き、屋内で跪いていた男の肩が僅かに動いた。私たちに気づいた良辰の虚ろな瞳に、一瞬だけ殺意が閃いた。そして、彼はゆっくりと立ち上がり、私たちの方へと歩み寄った。だが、二歩ほど手前の、日本刀の掛け台のところで立ち止まった。「よくも来られたな」掠れた、陰鬱な声。その声音に、胸の奥がひやりと震えた。――殺気を帯びている。浩賢もそれを感じ取ったのだろう。すぐに一歩前へ出て、説明した。「唐沢さん、まずは落ち着いてください。こんなことになって、俺たちも本当に残念に思っています。ですが、関係部署はすでに調査を――」「調査?それで何になる?」良辰は浩賢の言葉を荒々しく遮った。「凛はもう戻ってこない!お前たちみたいなヤブ医者のせいでな!」「シャッ」という鋭い音が響いた。私と浩賢が息をのむ間もなく、良辰は前の刀を抜き放ち、真っ直ぐに突き出してきた。私は思わず一歩踏み出し、浩賢の前に立った。煌めく刃が喉元に迫る。距離、わずか半寸。呼吸が止まり、心臓が喉まで跳ね上がった。良辰の声が冷たく突き刺さった。「無断でここに踏み込んだんだ、強盗罪で通報しても構わないんだぞ」刃先がかすかに揺れ、あと一歩でも近づけば、私の喉を裂くだろう。「……唐沢さんはそんなこと、しないはずです」私は必死に落ち着きを装い、遺影に目をやりながら言った。「唐沢さんは奥様を心から愛していた。彼女を悲しませるようなことは、しないでしょう?」凛の話を聞いた瞬間、良辰の険しい表情がわずかに緩んだ。私はポケットから一枚の紙を取り出し、静かに手を上げた。「唐沢さん。病院で話したこと、私はでたらめを言ったわけじゃありません」良辰は私を不思議そうに見つめ、視線を私の手にある紙切れに移して尋ねた。「それは……何だ?」「奥様の病室のゴミ箱から拾った紙です」私は正直に言った。「唐沢さんの好物や、アレルゲンが書かれていました。おそらく、奥様の手書きです」その話を聞いて、良辰の目に迷いが浮かんだ。信じたいが、信じきれない表情。「ピーナッツ」私は紙を差し出した。「唐沢さんのアレルゲンです」彼は少し驚
たぶん――八雲は、私と浩賢の会話を聞いていたのだと思う。誤解されたら困る。そう思って、私は慌てて口を開いた。「仕事のことよ。唐沢――」「どんな『仕事』だ?麻酔科のインターンが、朝っぱらから神経外科の医者に会いに行くような仕事があるのか?」彼は荒々しく私の言葉を遮った。「言い訳をするなら、もう少しマシなのにしたらどうだ」その言い方に、私は一瞬息を呑んだ。少し沈黙したあと、逆に問い返す。「じゃあ、紀戸先生は……どういう理由だと思う?」八雲は、言葉を詰まらせた。ただ、黙ったまま私を見つめている。彼は昨夜と同じ白いシャツを着ていた。襟元のボタンが二つ外れ、ネクタイはだらりと首にかかっている。どこか疲れ切ったような、崩れた姿。それでも、その目だけは鋭く、容赦がなかった。まだ浩賢が待っていると思うと、これ以上、言い争っている暇はない。壁の時計に視線をやると――「水辺先生、ずいぶん急いでるようだな?」私の動きを察したのか、彼は皮肉っぽく言った。「紀戸先生に用がないなら、私はもう出るよ」率直に告げて、玄関へ向かった。だが一歩踏み出したところで、彼の腕が行く手を遮った。彼の体からはまだ酒の残り香が漂い、それが鼻をつくように押し寄せてくる。「行くな」命令のような低い声が耳元に落ち、私は驚いて目の前の男を見上げた。続けざまに、彼は冷たく言い放った。「言ったはずだ。浩賢には近づくな」「仕事だって言ったでしょう」押さえ込んでいた怒りが喉の奥までこみ上げる。拳を握りしめ、なんとか冷静を装って答えた。八雲は見下ろすように私を見据え、強硬な口調のまま言った。「仕事でも、ダメだ」その横顔を見つめながら、私は息を呑んだ。八雲は、まるで理屈の通らない子どものように、私の言葉を封じようとしていた。けれど、私ももう退くつもりはなかった。「たとえ普通の夫婦でも、紀戸先生には私の自由を縛る権利なんてない。それに……私たち、あと一か月で離婚でしょう?」そう――今日で、私と八雲の婚前契約が切れるまで、ちょうど残り一か月だった。「水辺先生の記憶力はさすがだな、と褒めるべきか?」八雲はまるで火がついたように声を荒げ、黒曜石のような瞳を私に向けた。「そこまで待ち焦がれていたか?一日でも早く契約が終わるのを?」そう言いながら一歩踏み
加藤さんは、私の頬を打った。記憶の中でも、これが初めてではない。けれど、今度の一撃は、これまでよりもずっと強かった。涙が出るかと思った。でも、出なかった。この一日、まるでジェットコースターのように感情が上下して、何度も、もう限界だと思った。誰かに優しくしてほしかった。けれど、私が心から気にしている人たちは、みんな競うようにして私の心を刺してくる。……もう、泣く力さえ残っていなかった。「……あんた、本当に生意気になったのね!」加藤さんが怒鳴った。私はその視線を真っ直ぐに受け止め、むしろ自分の決意が固まっていくのを感じた。「もしこのことが一ヶ月前に起きていたなら、私は八雲のために責任をかぶっていたかも。でも今は違う。私、水辺優月はもう、価値のない男のために自分の未来を壊したりはしない。今も、これからも」その言葉に、加藤さんは一瞬、息を呑んだ。しばらくして我に返ると、驚いたような目で私の背後を見た。次の瞬間、彼女の声が震えた。「八雲くん……いつ帰ってきたの?あ、あのね、優月の言ってること、気にしないで……ちょっと混乱してるだけで……」舌がもつれるほどの焦りようだった。「もう遅いから」八雲の声には疲労の色がにじんでいた。「運転手に送ってもらおう」追い出しの意図を察した加藤さんは、私にちらりと視線を送り、「いいの、いいの。自分で帰るわ。二人でゆっくり話してね」そう言い残して、そそくさと家を出ていった。広いリビングには、私と八雲、二人だけ。彼の足音が近づいてくる。玄関を回り込み、冷蔵庫を開け、また閉め、そして私の目の前のソファに腰を下ろした。距離が縮まると、ふわりとアルコールの匂いが漂ってきた。――まさか八雲が、お酒を飲んだとは。「座って」彼は隣の席を指差し、短く言った。私も、話すべきことはあると思って、素直に隣に座った。ところが次の瞬間、彼の手が突然こちらに伸びた。熱と冷たさがぶつかり合うような感覚。頬にひんやりとした感触が走り、思わず身体を引いた。――彼はなんと私のために、氷嚢を持ってきてくれたのだ。不意を突かれ、慌ててそれを受け取ろうとした瞬間、指先が彼の長い指に触れた。ビクリとした。触れたのは一瞬なのに、全身に電流が走るようだ。そんな私の戸惑いをよそに、彼の低く掠れた
気づいたときには、もう口を滑らせていた。普通の噂話なら、まだ誤魔化す理由もあっただろう。けれど、紀戸家と唐沢家の土地争いなんて極秘の話、そんなのがただの風の噂で聞けるはずがない。どう説明すればいいのか分からず、言葉を失った。浩賢は、私の困惑を察したように、申し訳なさそうに微笑んだ。「悪かったね。聞いちゃいけないことを聞いた。ちょっとおしゃべりが過ぎたみたいだ」そんなふうに言われると、かえって胸の奥に罪悪感が広がった。少しためらってから、私は小声で答えた。「ごめん、藤原先生……私にも事情があるの」「分かってるよ」浩賢はいつものおおらかな調子で笑い、励ますように言った。「水辺先生のことは信じてるし、正義はきっと俺たちの味方だ」そう言って、彼は右手を差し出した。ハイタッチを求める仕草。私は宙に浮いたその手を見つめ、そして彼の真っ直ぐな眼差しを見た瞬間、心の中に小さな火がともったような気がした。ゆっくりと手を伸ばし、彼と掌を打ち合わせた。浩賢と別れたあと、私は自宅に戻った。だが玄関を開けた途端、リビングのソファに座る加藤さんの姿が目に入った。私たちはしばし見つめ合い、次の瞬間、彼女は立ち上がり、焦ったように訊いてきた。「どうだったの?あんなに長く藤原先生と話して、何かいい方法は見つかったの?」あまりにも当然のようなその口調に、私は眉をひそめた。「早く言いなさいよ、藤原先生は本当に何とかできるの?」と彼女は畳みかけた。私は驚いて彼女を見つめ、不快感を隠さずに言った。「お母さん、藤原先生はお母さんを尊敬して、私を友人として見てくれてるから信じてくれただけ。お母さん、そんなことして本当にいいと思ってるの?」「どういう意味よ?私はあんたのためを思ってやってるの!」加藤さんは声を荒げ、怒ったように言い放った。「つまり、藤原先生にはどうにもできなかったってことでしょ?」私は良辰の件を思い出し、彼女の口ぶりにうんざりして答えた。「もう少し様子を見るって」「そんなの口実に決まってるでしょ」彼女はまるで見抜いたように鼻で笑い、何かを決意したように言い出した。「だったら、元の計画どおりにしましょ。今すぐお義母さんに電話して、『私、同意します』って――」「同意しないわ」私は彼女の言葉を遮った。浩賢とハイタッチしたとき
「温かい飲み物でもどう?」浩賢の提案に、私は小さくうなずいた。「ごちそうするわ」食堂の外にあるカフェで、私たちは向かい合って座っていた。立ちのぼる湯気が二人のあいだに漂い、ふんわりとした温もりをまとっている。マグカップに触れた指先に、ようやく少しだけ感覚が戻ってくる。その瞬間、彼の視線がずっとこちらに注がれていることに気づき、私はわずかにまつげを持ち上げて、浩賢と目を合わせた。「どうしたの?」「水辺先生は、俺に言いたいことがあるんじゃない?」胸の奥が「ドクン」と跳ねた。さっきの加藤さんとの会話を思い返し、心がきゅっと締めつけられた。――彼が、どこまで聞いていたのか。婚前契約がある以上、守らなければならない秘密はまだ口にできない。「藤原先生は、何を聞きたい?」私は話題をずらすように尋ねた。「母は……藤原先生に何か言ったの?」彼はうなずき、カップを軽く傾けてから、冗談めかした口調で言った。「秘密を一つ、教えてもらったよ」喉にコーヒーが引っかかり、思わず咳き込みそうになった。驚いた私は、言葉を失って彼を見つめた。加藤さんは頭の回転が速い人だが、ときどき口が滑ることがある。しかもさっき階下で「紀戸家」という名前を何度か出していた――浩賢のような賢い人なら、水辺家と紀戸家の間にただならぬ関係があることくらい、もう察しているかもしれない。もしそうなら――私と八雲の「隠されている結婚事実」は、もう隠し通せないのでは……?そう思うと、私はカップの取っ手を強く握りしめ、息まで重くなった。「本当は、君の口から聞きたかったんだ」浩賢の穏やかな声が、耳の奥に落ちてくる。「でも――この件、解決できないことじゃない」「……この件って?」私は彼を見つめ、混乱しながら問い返した。「唐沢夫人のことだよ」彼はすぐに答えた。「お母さんから全部聞いた」――そういうことだったのか。私が豊鬼先生のところへ行っていた間に、加藤さんが私の状況を「上司のプレッシャーが強い」とぼかして話していたらしい。紀戸家と水辺家の因縁は伏せたまま。胸の奥にざらりとした不快感が広がった。「それなら大丈夫よ。私がなんとかするから、藤原先生は巻き込まないで欲しい」話を続けていた彼は、ふいに顔を上げ、不満げに言った。「水辺先生、もう忘れたの?この







