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第3話

Author: 福満
母は冷たい目を向けた。

「あんたが私の娘だから、ここまでしてやってるんでしょうが。

あんたのその可愛げのなさ、ろくでもない父親と、あの性悪な婆さんにそっくりよ。征司さんじゃなかったら、誰があんたと一緒になろうなんて思うの?」

そんなことは、もう聞き飽きるほど言われてきた。

母は父と離婚するとき、財産は何も受け取らず、私の親権だけは手放さなかった。

そのくせ、祖母にそっくりな私の顔を嫌い、少しでも気に入らないことがあれば、すぐに手を上げてひどい言葉を浴びせた。

母方の祖父母も、叔父も叔母も、母は苦労してきた人だから、本当は私を愛しているんだと繰り返した。

でも、これが愛だと言われても、私にはどうしてもそうは思えなかった。

言い返したいことはいくらでもあった。

そのとき、またスマホが震えた。5年後の佳澄からだった。

【冬香、おばさんに何を言っても無駄だよ】

【この先5年、おばさんは私のことであなたに腹を立てるたび、あなたの息子にまで何度も手を上げるの】

【息子を亡くしたあと、あなたが何度も自殺を図って救急搬送されても、おばさんは全部、大げさに騒いでるだけだと思ってた】

【あなたが本当に死んでから、やっと後悔したの】

いつか一度くらい、母に愛してもらえる日が来るんじゃないか。

ずっとそう思っていた。

まさかそれが、私が死んだあとだなんて。

私が黙ったままでいると、母はしびれを切らした。

「佳澄ちゃんの言うことを聞くのか聞かないのか、はっきりしなさい!嫌だって言うなら、この子には二度と会わせないからね!」

母はそう言って、赤ん坊を高く持ち上げた。

そのとき、佳澄が血相を変えて飛び込んできた。

「おばさん、私が悪いんです。お願いですから、私のせいで冬香と喧嘩しないでください」

佳澄は悠生を引き寄せると、いきなり腹を蹴った。さらに頬を何度も平手で叩くと、そこはみるみる赤く腫れ上がった。

「小さい頃からずっと面倒を見てもらったのに、どうして突き飛ばしたの!ちゃんと謝りなさい!」

悠生が火がついたように泣き叫ぶと、征司はすぐに抱き上げ、そのまま冷たい目を私に向けた。

「冬香、悠生までこんな目に遭わせて、これで満足か?」

母は泣き叫ぶ悠生を見て、涙まで流していた。

「冬香は別に大したことなかったんでしょ?佳澄ちゃん、自分の子をそこまで叩かなくてもいいじゃない!」

佳澄は泣きながら首を振った。

「だって、冬香は私にとって一番大事な人なんです!」

そう言うと、恐る恐るこちらを見た。

「冬香……許してくれる?」

征司も母も、冷たい目で私を見ていた。

怒鳴りつけて、殴って、この怒りを全部ぶつけてやりたかった。

傷つけられたのは私のほうなのに、みんな私を責め、私にばかり我慢させようとしていた。

でも、母が高く抱き上げた赤ん坊を見た瞬間、さっきまでの怒りが一気にしぼんだ。

この子を取り戻すには、今は私が折れるしかなかった。

「……わかった」

私がそう答えると、佳澄はようやく表情を緩め、征司と母もほっとした様子を見せた。

赤ん坊を取り戻し、ぼんやりしたまま家へ戻った。

家に着いて間もなく、またスマホが震えた。

【この先、あなたも一度だけ、今みたいに折れてしまうの】

【そのあと征司は、私に会いに来るためにあなたたちの子を物置に閉じ込めたまま、2日2晩も忘れてた】

【おばさんも、あなたを私の言いなりにしようとして、あなたと征司のプライベートな写真まで持ち出して脅した】

【お願い、冬香。もうこれ以上、私たちに傷つけられないで。私はただ、あなたに生きていてほしいの】

けれど、本気で許したわけではなかった。

赤ん坊を取り戻すため、あの場ではそう答えるしかなかったのだ。

佳澄は家に戻るとすぐ台所に立ち、産後の体にいいからと、消化のいい料理や温かい汁物を次々と作ってくれた。

征司も佳澄に言われてマッサージを覚え、産後に開いた腹筋を戻すためだと言って、私の腹まわりをほぐしていた。

母は悠生を抱きしめ、頬ずりしながら何度も可愛いと声をかけていた。なのに、私を見る目だけは冷たかった。

「佳澄ちゃんは優しいし、気も利くし、家のことだってちゃんとしてる。それに比べてあんたは、意地っ張りで、口を開けば憎まれ口ばっかり……

征司さんが佳澄ちゃんに気持ちが傾いたのだって、あんたにも悪いところがあったんじゃないの?人のことばっかり責めてないで、少しは自分のことも考えなさいよ」

前にも、職場の人の娘が夫に浮気されたと聞いたとき、母は同じことを言っていた。

そのとき私が、「じゃあ、お父さんが浮気したのも、お母さんが悪かったってこと?」と言い返すと、頬を叩かれ、口答えばかりするなと怒鳴られた。

だから今回は、何も言わず黙っていた。

すると母は、今度は黙っていることにまで文句をつけた。

「今度はだんまり?また腹の中で何考えてるんだか」

そう言うと、母は征司と佳澄のところへ行き、私にはこうしておけばいいと、あれこれ教え始めた。

「冬香は離婚するなんて騒いでるけど、本当にできると思う?

口ではああやって騒ぐけど、結局はあんたたちに宥めてもらいたいだけなのよ。あの子、すぐ人を試すようなことするから」

私は聞こえないふりをして、ただ黙々と赤ん坊にミルクを飲ませた。

いろいろありすぎたせいか、母乳はすっかり出なくなっていて、粉ミルクに頼るしかなかった。

赤ん坊が眠ると、母は最後までぶつぶつ文句を言いながら、佳澄に腕を引かれるようにして帰っていった。

帰る前に、佳澄が私に声をかけた。

「冬香、心配しないで。征司には、ちゃんと冬香を大事にするように話しておくから。

生活費もきちんと入れてもらうし、夫婦生活だって疎かにさせない。あの人、私の頼みなら断らないから」

ようやく佳澄たちが帰り、家には私と征司だけが残った。

征司は私をベッドに寝かせると、下着を脱いで膝を立てるように言い、会陰切開の傷に赤外線ランプを当てた。

さっき倒れた拍子に縫合した部分が一部開き、傷は腫れ上がって、じっとしていてもずきずきと痛んだ。

黙って傷の手当てをする征司を見ていると、今さら何をしてるんだろうと思って、笑いたくなった。

「佳澄のことが好きなのに、私の世話までしなきゃいけないなんて大変だね」

征司は顔をこわばらせた。

「お前はどうして、いちいちそういう言い方するんだ」

「それで佳澄を好きになったの?」

「最初は、お前と喧嘩するたびしんどくて、佳澄に愚痴を聞いてもらってただけだ」

「話を聞いてもらう相手なら他にもいたでしょ。なんでよりによって佳澄なの?それで、いつの間にか寝る仲になったってこと?」

私と付き合っていた8年のあいだも、征司と佳澄の関係はずっと続いていた。

何も知らなかった私は、征司が夫で、佳澄が親友でよかったと、本気で思っていた。

征司は眉間にしわを寄せた。

「もういい。お前と話してると、また喧嘩になるだけだ」

そう言って、征司はそのまま部屋を出ていこうとした。

「……こうやって言い合いをやめるのも、佳澄に言われたから?」

征司は何も答えなかった。その沈黙だけで、答えは十分だった。さっきまであれほど腹が立っていたのに、急に何も言う気がなくなった。

こんな夫と親友に出会うなんて、私はよほど運が悪かったんだろう。

2人の関係が私にバレてからは、征司も佳澄も、もう嘘をついて取り繕おうとすらしなくなった。

昼食のあと、佳澄が言いにくそうに話を切り出した。

「冬香、今日ね、みんなで家族写真を撮りに行くの。悪いんだけど、冬香も一緒に行くのはちょっと……」

佳澄は隣にいた征司の肘を軽くつついた。

征司は小さくため息をついた。

「別に変な意味じゃないからな。佳澄にもちゃんと約束したんだ。妻はお前だけだって」

2人は私の返事を待つ気もなく、もう決めたことを伝えに来ただけだった。

言いたいことだけ言うと、征司と佳澄は悠生と母を連れ、楽しそうに出かけていった。

玄関の向こうから、母の声が聞こえてきた。

「なんで冬香のご機嫌なんて取るのよ。あの子が本気で離婚なんてできるわけないじゃない。佳澄ちゃんと縁を切るなんて、それこそ無理よ。私たち以外、誰があの子の相手するのよ」

征司も母の言葉に続いた。

「そうなんですよ。冬香って、口ではああ言うけど、こっちが少しなだめれば、結局それで収まるんです」

やがて2人の話し声も遠のき、何も聞こえなくなった。

あそこまで言われて、かえって踏ん切りがついた。もう、ここに残る理由はなかった。

赤ん坊を抱いて出生届を出し、必要な手続きも済ませた。そのまま弁護士に離婚のことを任せ、私は赤ん坊と一緒に、遠く離れた街へ向かう飛行機に乗った。

夫にも親友にも裏切られ、母にはずっと傷つけられてきた。

もう3人の顔を見るのも嫌だった。何を言われても、戻るつもりはなかった。

これからは、この子と2人で生きていく。

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