登入F国の冬はまだ明けきっていないが、凛音はもう寒さを恐れてはいなかった。自分だけの温もりが、側にあるのだから。凛音はずっと、自分のスタジオを持ちたいと思っていた。涼太は彼女の実力を認め、Santaのリソースも自由に使わせてくれた。彼は凛音のために奔走し、惜しみなく力を貸してくれた。そうして間もなく、この新進デザイナーは多くの人に支えられながら華々しくデビューを果たした。1か月後、Santaと凛音のスタジオがコラボレーションし、『リンゴの木』をテーマにしたジュエリーを発表。それは世界中を沸かせた。一部のメディアが、凛音の過去の作品に盗作疑惑があると騒ぎ立てた。発表会の場でも鋭い質問が飛んだが、凛音は毅然とした態度で、自分のデザインの意図を穏やかに説明した。この盗作騒動は、実は以前から国内ではすでに覆されていた。凛音は、それが涼太の手によるものだと分かっていた。かつて景子に作品を盗まれたデザイナーは少なくなかった。高木グループの圧力で誰も声を上げられず、すぐに容赦なく潰され、再起の道を断たれていた。しかしSantaが景子の盗作を公然と告発すると、証拠を突きつけられた被害者たちは勇気を持って立ち上がった。一斉に告発の声が上がったのだ。景子の後ろ盾だった高木グループも大きな打撃を受けた。株価は暴落し、ライバル企業から激しく攻め立てられ、絶体絶命の窮地に立たされていた。不思議なのは、海斗と景子の行方がつかめないことだった。誰も二人がどこへ行ったのかを知る者はいない。あの日、健一が現場に駆けつけた時、そこにいたのは全身傷だらけの海斗と、すぐそばで震えている景子の姿だった。海斗は格闘技を習っていた。ただ縛られていたため、二人に何度も刃物で刺された。哲也が海斗の目を潰そうとした。激しい揉み合いの中で、その刃物が海斗の手を縛っていたロープを切り裂き、形勢は一気に逆転した。海斗はハサミを奪い返し、哲也の首元に突き立てた。だが、油断したところを背後から狙われた。景子がレンガを握り、海斗の後頭部に力いっぱい振り下ろしたのだ。激痛の中でも、海斗は彼女を地面に叩きつけたが、力尽きて気を失ってしまった。最終的に哲也は失血死し、海斗は重傷で入院、景子は実刑判決を受けた。しかし、それはもう凛音には関係のない話だった。今の凛音にとって何より
「高木がどこにいるかは知ってる。俺たちで拉致すれば、身代金が手に入る。そうすれば、二人で一緒に暮らせるはずだ。見てみろよ、今のお前を」哲也は優しく景子の額の汗を拭った。「まともな暮らしなんてできてないだろ?これ全部、高木のせいなのに。なんであの男には何の罰も下らない?」景子は震えながら目を閉じた。そうだ。今の惨めな生活は全部海斗のせいだ。なぜ自分が傷つかなければならないの?……ホテルから出た哲也は、カフェにいた海斗に計画がうまくいったことを告げた。「証拠の動画は?」と海斗が聞いた。哲也がメモリーカードを差し出した。海斗が確認しようとした瞬間、哲也がその手を押さえた。「何だ?」海斗が嫌悪感たっぷりに哲也を見ると、哲也は気にもせずこう言った。「プライベートな内容を、こんな場所で見るつもり?」海斗は鼻で笑った。「俺の車は、お前が乗りたいと言って乗れるものじゃない」「乗るつもりはないよ。ただ、早く中身を確認して金を振り込んでほしいだけだ」と哲也は笑った。海斗は一瞥してから、マイバッハの方へと歩いていった。暗がりに差し掛かったとき、潜んでいた景子が抱きついた。すぐに引き剥がそうとした海斗の後ろから、哲也が思い切りレンガを振り下ろした。海斗が目を覚ますと、廃ガレージの中にいた。口には布が詰められている。二人はまだ自分が意識を取り戻したことに気づいていないようだ。「高木家には電話できないわ。もしここを突き止められたら終わりよ……」景子の声が聞こえる。「なら、誰にかける?他にこいつを助ける奴がいるかよ?」と哲也が苛立った声を上げる。景子はしばらく考えてから言った。「凛音にかけてみたら?F国でまた大物を見つけたらしいから、今すごく儲かってるはずよ。海斗を死ぬほど愛してるんだから。放っておけないはずだわ」哲也も賛同した。二人は海斗のスマホを漁り、凛音の連絡先を探し出した。凛音の名前を聞き、海斗は思わず身構えた。凛音は助けに来てくれるのだろうか?通話がつながると、景子が何と言ったかは頭に入らなかった。海斗は相手の返答を待ちわびていたが、受話器の向こうは沈黙していた。「凛音、言っておくわ。脅しじゃないのよ。身代金を振り込まなかったらすぐに始末する。そうすれば、二度と海斗には会えなくなるわよ!」そのと
景子はついに逃げ出した。海斗の命令で、例の病院にいた景子は、休む間もなく採血と輸血を繰り返されていた。あろうことか景子のために専用の採血装置まで用意され、体内の血量が一定の数値に達するたびに、自動で採血が始まった。固形食は一切許されず、点滴だけで命を繋ぐ日々。景子は狂いそうだった。何より、凛音のために自分をここまで追い込む海斗こそ、正気ではないと感じていた。看護師の交代時間を狙い、体中の管を引き抜くと、景子は自らを閉じ込めていた場所から走り出した。しかしあまりの恐怖に、景子はすぐ近くに停められた黒のマイバッハに気づかなかった。その主は、必死に走る景子の後ろ姿をじっと見つめながら、電話をかけた。哲也はバーにいた。かつて景子に嵌められ、よりを戻そうと嬉々として駆けつけたものの、景子が差し向けた5人の男たちに3日間も暴行され、身も心もぼろぼろになったのだ。「哲也、私といたいって?」男たちに頭を地面へ押しつけられた哲也は、冷笑を浮かべて近づいてくる景子を見上げた。景子の7センチのハイヒールが、哲也の手の平を踏みにじっていた。「あなたごときに」その軽い一言で、哲也の真心は踏み潰された。「目立たないようにやって。殺しさえしなければいいわ」S市にはもういられなくなった哲也は、隣のH市のバーで働き始めていた。そこに海斗からの電話。哲也は嫌な予感を覚えた。「何の用だ?」哲也は、もう二度とあのような狂った人間たちと関わりたくなかった。電話の向こうで長い沈黙が流れる。間違え電話だと思い、「何の嫌がらせだよ」と切り捨てようとしたその時、海斗の掠れた声が聞こえた。「復讐を望まないか?」……路地を抜けた景子が助けを求めると、待ち構えていた男たちが親しげに近づき、彼女を車へ招き入れた。罠だと気づいた時には遅かった。度重なる監禁生活で、景子に抗う力は残っていなかった。体を触られる感覚に景子は目を覚ます。そこはホテルだった。口をテープで塞がれ、そして目の前にいたのは、片目を失った哲也だった。恐怖に震える景子を前に、息を切らせた哲也が怒鳴る。「どうだ?俺を忘れたか?俺の目をどうして見た?お前のせいじゃないか!」あのとき、男たちは哲也を嘲笑った。高木家の女に手を出すなど身の程知らずだ、と。そして無理やり片目を潰した。それ
凛音は今の環境にも慣れ、仕事が落ち着くと涼太と街へ出かけることもあった。二人は付き合い始めた。凛音は涼太に過去のことを何度も聞き、涼太は根気よく一つずつ答えた。涼太がどうしてそんなに過去のことばかり聞くのかと、ふと問いかける。凛音は涼太をなだめた。「これまでの嫌な記憶を上書きしたいから、あなたの優しい記憶をたくさん聞かせて」本当は、昔は海斗に夢中で、自分を見守り続けてくれたリンゴの少年の存在にまったく気づけなかったからだ。もっと涼太のことを知りたかった。涼太は凛音の肩に顔を預け、飼い主に甘える犬のように身を委ねてくる。凛音はその頭を優しく何度も撫でた。「ねえ凛音、もう一回聞かせて。僕がたくさんのリンゴの中から君に見つけ出された時の話をさ」と、涼太は甘えるようにねだった。そんな日々を重ね、涼太の指導で凛音のデザイナーコースも予定より早く終了した。今や凛音は業界でも一目置かれる存在になっていた。凛音には夢があった。過去の自分を卒業し、自分のブランドを立ち上げることだ。これからは、新しい人生が始まる。もちろん涼太も全力で応援し、凛音に思う存分やりたいことをするようにと言った。ときどき、凛音は自分が昔のリンゴの少年を忘れかけていたことを思い出して、胸が痛くなることがあった。「でも今は、こうして二人は一緒にいられるんだから。僕は全然気にしてないよ」二度目のチャンスを与えられた運命と、迷わずに正しい選択をした自分に感謝し、凛音は涼太の瞳を見つめた。そこには心からの優しい愛が満ちていた。涼太は凛音のおでこに優しくキスをした。「これからはずっと、一緒にいられるよね」「もちろん。絶対に」それが二人で誓い合った、永遠の約束だった。
景子はわけもわからぬまま海斗に引きずり出された。路肩に立たされ、彼はしきりにスマホをチェックしている。そして景子をそこに残し、少し離れた場所に車を停めた。何が何だかわからなかったが、景子は言われた通りにした。バッグの中でスマホが震えた。海斗からのメッセージだ。開くと、そこには一枚の画像があった。新聞の切り抜きだった――xxxx年x月x日、S高校のある生徒の保護者による路上駐車が原因の追突事故……景子の耳が鳴った。これが何を意味するか分かったからだ。震える指で海斗に電話をかけようとしたその時、着信音に混じって車の音が近づいてきた。絶望して顔を上げると、真っ赤な車が目の前で急停車した。恐怖に膝から力が抜け、景子は地面に崩れ落ちた。海斗はすべてを知っていたのだ。「今、お前を死なせるなんて生ぬるい」海斗は車から降りてくると、見下ろすように景子を見据えた。「以前、お前が凛音にしたことは、全て倍にして返してやるからな」海斗の車はあちこち曲がりながら走っていたため、景子は、どこに行くのかはもうどうでもよかった。海斗が今、自分を傍に置いてくれる理由は、ただ凛音への復讐のためだけだと分かっていたからだ。今回は随分と走った。景子が寝入ってしまいそうなほどだ。意識がぼんやりする中で、海斗が車から降りて、誰かと話し込んでいるのが見えた。午後のショックがあまりに大きく、回復しきれていなかった景子の耳に、外から声の断片だけが入り込んできた。うとうとしながら聞いていた景子だが、「血液凝固障害」、「血を抜く」という言葉が聞こえた瞬間、はっと我に返った。後先を考えずにドアを開けて外に飛び出した。景子が出てきたのを見て、ドアの外にいた医師は海斗と視線を交わした。海斗は景子を一瞥し、医師に頷いた。「始めろ」看護師数人が駆け寄り、景子の手首を力任せに押さえつけた。叫ぶ間もなく首に針が刺さり、景子の体は糸が切れたようにぐったりと脱力した。意識が途切れる直前、海斗の声が響いてきた。「凛音に償うんだな」地獄の底から響いてくるような、凍りつくほど冷たい声だった。償い?どんな罪を?凛音に対して、一体何が罪なの?罪があるのは凛音の方でしょ?凛音さえいなければ、自分はこんな惨めな人生にならなかった。この人生、こうなるはずじゃなかったのに。
帰国後、海斗は霞の墓を訪れた。碑についた埃を優しく払い、力なく傍らに腰を下ろした。「あなたの性格はわかっているよ。いい、二度と凛音を追い回すのはおやめ。あの子にはあの子の生活があるはずだわ。もうあの子を追い詰めないで。お母さんの願いを、最後に応えてちょうだい……」霞は息を引き取る直前、海斗の手を強く握り締め、凛音を探さないよう懇願した。「ごめん、母さん。俺……やっぱり探しちゃったんだ。最低な男だって自分でもわかっているけれど、どうしても凛音が忘れられないんだ……でも、凛音はもう、俺を必要としていないんだね……俺は取り返しのつかないことをした。どうすれば、この罪を償えるんだろうか?」……どんよりとした空模様を見上げた海斗の頬を、ぽつり、ぽつりと雨粒が伝い始めた。雨が降る懐かしい日の光景がフラッシュバックした。景子を喜ばせようと、自分は凛音の卒業制作をあえて雨ざらしにさせたのだ。景子は鼻で笑うように言った。「凛音、このデザインのテーマは『命』なのに、枯れた薔薇じゃダメでしょ?水をやって息を吹き返してこそ、『命』と言えるんじゃない?」その時、凛音は何と言っただろうか?海斗は懸命に記憶をたぐり寄せた。だが思い出せるのは、豪雨に打たれ、びしょ濡れになって耳にへばりつく凛音の髪と、鼻筋を伝う雨水、そして固く引き結ばれた唇だけだった。ただ雨の中に立ち尽くし、黙って自分の作品が無残に壊れていくのを見守るしかなかった凛音。そう、ずっと黙っていた。凛音は一言も、弱音を吐かなかった。海斗はふと、凛音はもう随分長いこと、自分と口をきいていないことに思い至った。……霊園を出て、腑抜けのようになった海斗は車へ戻った。ドアを開けた瞬間、助手席に座る人影に息を呑む。そこには、戸籍謄本を握りしめた景子が座っていた。車の音に、彼女は振り返る。海斗は景子の髪を掴んで車から引きずり下ろした。「ここがどこかわかっているのか?どの面下げてここまで追ってきた」景子は痛みで顔を歪ませたが、必死に食らいつく。「あなたのお母さんのこと、私のせいじゃないわ!悪いのは哲也なのよ!一度、冷静に話を聞いて!」海斗は冷たく鼻で笑った。「あいつだと?お前ら二人が裏で何を企んでいたか、責任を問わないとでも思っているのか?よくもぬけぬけとここまで来れたも