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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』Ⅳ

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-23 20:09:02

「|死神《リーパー》……?」

それは先ほど、ヴィオレタが男性たちと話している中で、登場した|単語《キーワード》だ。

「えぇ、肉体という檻から解放された魂が辿り着く世界——〝|冥界《オルクス》〟を守護する者たちの呼称よ……」

なんとか彼女の話を理解しようとするも、脳が既にまともに機能してくれていない。

レイフは、どんどんと自分の意識が、この世界から遠のいていくのを感じていた。

視線の先にあるヴィオレタの顔も、王都が誇る美しき夜の街と星空も、今はそのほとんどが|霞《かす》んで見える。

その中でヴィオレタの抑揚がない気怠げな声だけが、|明瞭《めいりょう》にレイフの|鼓膜《こまく》を揺らす。

|日の出前の夜空《ブルーアワー》の色を映したかのようなヴィオレタの髪が、顔にかかると、ひんやりとした心地良さと、柑橘系の凛とした香りが身体を突き抜けてゆく。

ここがどこか遠い、星明かりに照らされた湖のほとりなのではないかという錯覚に陥り、意識を自ら手放してしまいそうになる。

だが、憂いを帯びたヴィオレタの切なげな瞳が、レイフに視線を逸らすことを許さなかった。

彼女の瞳に浮かぶ孤独な気配はどこか、今も夜空をたゆたう蒼月と似ていた。

彼女の語る話はあまりにも荒唐無稽だ。

とてもじゃないが、簡単に信じて受け入れることようなものではない。

それでも――。

|憂愁《ゆうしゅう》の色を|表情《かお》に浮かべるヴィオレタは、まるで悔恨という名の檻に囚われた囚人のようだった。

今ここで彼女を一人にして眠ることなど、できるものか。

彼女のおかげでほんの少しの間だが、姉以外の人の温かさに触れることができた。

レイフの脳裏に彼女が学院に来てからの記憶が、無数の宝石のように極彩色を纏って甦る。

はじめは彼女の身勝手さに振り回されているだけだった。

学校一、いや、街で最も有名な不良が新人教師にパシリのように扱われていることに、最初は周りも笑っていただけだった。

だが、彼らの見方も徐々に変化してゆく。

勉強を教えた後にクラスメイトから、お礼を言われることが増えた。

最初は怖かっただけだろかも知れない。

だが、段々と〝ありがとう〟と伝える彼らの顔には、まぶしい笑顔が浮かぶようになった。

それはときに、照れたようなものだったり、どこか気まずげで申し訳なさそうなものだったりした。

だが、彼らの表情の奥底には真っ直ぐな好意を示すようなものだったりもした。

口にしてしまえば、たったひとつの取るに足らない言葉でしかない。

その一言だけで、こんなにも嬉しい気持ちになるなんて、こんなにも相手を身近に感じるようになるなんて、少し前ならば想像することさえもできなかった。

――だから今度は、自分が彼女にもらったものを返す番だ。

それが身勝手な〝|独善《エゴ》〟でもなんでもいい。

この根暗女を何がなんでも、自分の手で笑顔にしてやる。

一方的にもらったままでなんか、終われるものか。

「ったく、そんな顔してる女を放っておいて眠れるかよ……。いいぜ、あんたと居れるなら死神でも悪魔にでも、何にでもなってやるよ」

「——(ごめんなさい、ありがとう)」

精一杯の不適な笑みを浮かべたつもりだが、それができていたかは自信がない。

ヴィオレタの表情は読み取ることができず、桔梗の花弁のような唇から何か|言の葉《ことば》が発せられたような気がしたが、それも聞き取ることは叶わなかった。

「そう……。それでは早速、契約へと移りましょう……」

彼女は、そっと、静かにレイフの頭部を地面へと下ろした。

立ち上がった彼女の足元を起点として、幽玄な|紫色《ししょく》の光が生まれる。

光は渦を巻いて彼女の身体を包み込んでゆき、その奔流の中で、彼女の身に纏う服はスーツから漆黒の|燕尾服《テイルコート》へと変化してゆく。

さらに、彼女が右手を前方へと差し出せば、光の中から先端に紫色の宝石をあしらった漆黒の杖が出現した。

彼女が杖を手にした|後《のち》に、役目は終えたと言わんばかりに光は夜闇へと霧散してゆく。

ヴィオレタが杖を振り下ろすと、それは静かに地を打った——。

澄み切った清麗な|音《ね》が、波紋のように広がってゆく。

一瞬の|後《のち》、横たわるレイフの身体を起点として、漆黒の六芒星が描かれた魔法陣が出現した。

突如として大地が揺れ動く――。

|惑星《ほし》が悲鳴をあげているかのようなそれは、さながら掠れた声音で奏られる|合唱《コーラス》。

次の瞬間、|黒瑪瑙《オニキス》に酷似した鉱物で作られた巨大な六本の|燭台《しょくだい》が、魔法陣の隅へと出現する。

そこに昏く、禍々しい|紫色《ししょく》の|焔《ほのお》が灯った。

桔梗の花弁を想起させるヴィオレタの唇より、幽艶なる旋律が紡がれる。

〝|孤独な月を見上げて ただ一人彷徨う《Sub Luna Solitaria, In Caelum Tacite Aspicio Errans Solus Per Umbrae Silentes》

|脆く儚いこの心は 氷柱のよう《Cor Meum Fragile Est, Instar Glaciei Translucidae》

|悔恨は陰のように 私を縛り離さない《Poenitentia Velut Umbra Me Tenet, Nec Me Dimitit》

|朽ちた翼に抱かれた天使よ《O Angelus Ab Alis Putridis Amplexus》

|さぁ 裁きの鐘を鳴らせ《Nunc, Pulsa Campanam Iudicii》

|幽暗なる海の先 天の最果てまで響かせよ《Usque Ad Fines Caeli Ultra Mare Tenebricosum Resonetur》

|壊れた歯車のように《Instar Rotarum Fractarum》

|あの日から私の刻は動かない《Tempus Meum Ex Illa Die Immobilis Mansit》

|救済があるならば その鐘を響かせて《Si Est Salus, Pulsa Illam Campanam》

|彼方まで《Ad Loca Ultra Finem》

|貴方は私の待ち人ではない《Non Es Ille Quem Nocte Longā Solitarius Exspectavi》

|壊れた鐘の残響のように 私の心を掻き乱す《Velut Resonantia Campanae Fractae, Cor Meum Turbat》

|不規則な音が まだ私をここに縛りつける《Sonus Incompositus Adhuc Me Vincit Et Retinet》

|胸を焦がす 孤独も哀しみも捨て去った《Solitudinem Et Tristitiam Exuri Et Abieci》

|なのに甦る 温かな鼓動《Et Tamen Reverberat Pulsatio Calida》

|淡く哀しげな月明かりよ《O Lumen Lunae Pallidum Et Maestum》

|なぜ私をここに縛りつけた《Cur Me In Hoc Silentio Tenebroso Vinculis Invisis Ligavisti》

|もしもまた失うというならば 知りたくもなかった《Si Amissio Iterum Veniret, Nescire Malebam》

|この醜悪な想い《Hic Affectus Deformis Et Obscurus》

|こんな夜に 冷たい星の光が 頬を撫でる《Sub Nocte Tali, Frigidus Lumen Stellarum Genas Meas Tangit》

|ひっそりと 静かに 貴方からそれを隠す《Tacite et Leniter, Illud Sub Tenui Umbrā A Te Abscondo》

|貴方は 私を赦さなくていい《Non Oportet Ut Me Ignoscas》

|ただ もう一度 見せて《Tamen Iterum Ostende Mihi》

|その瞳の輝きを《Illum Splendorem Oculorum Tuorum》 〟

漆黒の燭台が一斉に倒れ、|紫色《ししょく》の焔が四方より、魔法陣の中心に眠るレイフの身体へと向けて駆ける。

彼の身体を包み込んだ黒焔は渦を巻き、その勢いを、いっそうと増してゆく。

宙を駆け抜ける熱風に、ヴィオレタが気怠げに額にかかる髪を払えば、夜空に紺青色の閃光が帯のように流れ瞬いた。

焔は、その姿を収束させていくと、紫色の光へと姿を変える。

それは天を割く弓矢が如く、王都に立ち並ぶ巨大な邸宅の屋根や教会の尖塔をも超えて、夜空へと射上がってゆく。

光が消えた|後《のち》、ヴィオレタの見つめる視線の先には漆黒の|燕尾服《テイルコート》に身を包んだレイフが立っていた。

その身体から傷は、もうすっかりと消えていた。

「マジか、これ……」

動揺した様子のレイフは自身の手や足を軽く振ったりとしながら、身体に支障がないか探っている。

「へぇ、なかなか様になってるじゃない」

「おわ!?」

気がつけば、レイフの顔の真下に陰が這いよるように移動してきたヴィオレタの|灰簾石《タンザナイト》を想起させる瞳があった。

「脅かすんじゃねぇ!!」

「ふっ――その|初心《うぶ》な反応、やっぱりね」

「おい! やっぱりってなんだ!?」

思わず間抜けな声を出してしまったレイフを見あげる、ヴィオレタの桔梗の花弁を思わせる唇が、小さな弧を描いた。

間違いない。

これは〝嘲笑〟しているときの顔だ。

わずかな間だが、無駄に濃密な時間を過ごしてきたせいで、レイフには彼女の小さな表情の変化さえも理解できるという、まったく欠片もありがたくない|能力《スキル》が備わっていた。

――まぁ、腹立たしいこともあるが、俺とこの根暗ニート教師の関係性は、これからも変わらなさそうだな。

「おい、〝ヴィオレタ先生〟――生き返らせてくれてありがとな。これからもよろしく頼む」

これが今、自分に伝えられる精一杯の感謝だ。

頬をわずかに朱に染め、髪をかきながら、レイフはそっと、伺うようにヴィオレタの顔へと視線を向けた。

すると、嫌悪感を隠さずに露骨に歪んだ彼女の顔が目に入った。

「なに、貴方……|不良《ヤンキー》がそういうのやれば、簡単に相手がコロッと行くとでも思ってんの? マジで、そういう似合わないこと、やめたほうが良いわよ?」

「全部台無しだわ! 一瞬でも感謝した俺の気持ちを返せ!!」

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