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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』III

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-22 21:01:34

ヴィオレタは立ち上がると、瞳を研ぎ澄まし、鋭い眼光でクロヴィスを射抜く。

彼は、わざとらしく弱ったように嘆息してみせると、何も知らない相手ならば、それだけで警戒心を解いてしまうだろう柔らかな笑みを浮かべた。

「やぁ、久しぶりだね。ヴィオレタ・ウルバノヴァ——」

「えぇ、できれば二度と会いたくなかったわ。クロヴィス・リュシアン・オートクレール……」

次の瞬間、一陣の風がヴィオレタの身体を突き抜けた――。

「っ――!?」

背後に気配を感じたときには、既に遅い。

クロヴィスのほっそりとした白い手が、彼女の月明かりを浴びた湖面のような紺青色の髪を一房、掴んでいた。

「ふふふ、そう|睨《にら》まないでほしいなぁ〜。美貌は、君の数少ない取り柄なんだから。まぁ、そうして怒っている顔も、また美しくはあるけどね。君と〝また〟――こうして遊べるのを僕がどれだけ愉しみにしていたかわかるかい?」

|柘榴《ザクロ》を思わせる艶やかな唇で睦言を紡ぐように、彼は囁くと、静かにヴィオレタの髪に口付けた。

「言ってくれるわね……。たしかに、私が銀河を新たな戦火で包み込むほどの絶世の美女であることは、疑いようもない事実だけど」

「いや、そこまでは言ってないけどさぁ……」

ヴィオレタはクロヴィスの手を振り払うと、逆手に杖を出現させ、地を打った――。

「おっと!?」

目を見開いたクロヴィスが飛び退いたその刹那、ヴィオレタの足元に|紫色《ししょく》の魔法陣が浮かび上がり、そこから老木を想起させる節くれだった亡者の腕が生まれた。

見た目に反し、敏捷な動きを見せる腕はクロヴィスの身体を飲み込もうと、獣の顎のように指を広げる。

「物騒だなぁ、本当に――」

クロヴィスが軽やかに右手を振り払うと、軌道に従って空間に一条の光が生まれる。

勢いよく放たれたそれは、一瞬のうちに腕を横に両断した。

「くっ……」

「そんなものが、僕に通じないのは誰よりも君が知っているでしょ? まぁ古い友人との再会なんだ。じっくり愉しみたい気持ちは僕もあるけどね」

苦々しい表情を浮かべるヴィオレタに、高揚感を隠すこともなく瞳を爛々と光らせるクロヴィスは、嗜虐的な笑みを口元に作る。

ヴィオレタは再び屈んでレイフの身体を自身の手で支えると、鋭い視線をクロヴィスへと向けた。

「自分から、ノコノコと出てくるとは良い度胸ね。私の隠居生活の邪魔をした罪は重いわよ……?」

「ふふふ、君って相変わらず偽悪的だよね〜。だけどね……なんで君から逃げ回ってた僕が、こうして目の前に姿を現したのか、それはちゃんと考えたほうが良いかな。それはね、君では既に僕には勝てないからだよ――」

次の瞬間、強大な|金色《こんじき》の力の|奔流《ほんりゅう》が、クロヴィスを起点として発生した。

彼が上空に手を掲げると、それは巨大な球状の波打つ塊へと変貌する。

「どかーん……なんてね♪」

その光景は、まるで星が墜ちたかのようだった――。

指を銃のような形に変えたクロヴィスが、それを上空へと放つと、光のような速度で球体は落下を始めた。

眩い光の奔流を映したヴィオレタの双眸が閉じられた次の瞬間、それは彼女の身体を押し潰した。

「くっ――!?」

レイフを支えるヴィオレタは、その場に縫い付けられたように動けなくなる。

小刻みに身体が痙攣し、徐々に骨や内臓までもが悲鳴を上げはじめ、桔梗の花弁を思わせる唇から鮮血が舞った。

対するクロヴィスは両手を背で組み、踊るように身体を揺らしながら、涼しい笑顔を見せる。

「……貴方、この力は、まさか……〝|離魂剣《アエテリス》〟――!?」

「あぁ、これのことかい?」

ヴィオレタの発した言葉に、なんでもないことのように応じたクロヴィスは腰から、レイフの身体を貫いた白銀の|剣《つるぎ》を引き抜いた。

クロヴィスの右手に握られた剣より生まれた金色の粒子が、凄絶な勢いの奔流となって彼の身体を包み込んでゆく。

「これだけ〝|喰《た》べさせる〟のには本当に苦労したよー」

「貴方、一体どれだけの人間の魂を……」

「あははっ!! さぁ、忘れたよ。この世界も、僕らの時代とは違って、ずいぶんと人口が増えてきたからね。この子の餌には困らなさそうだ」

|離魂剣《アエテリス》は、クロヴィスが自らの力で|創《つく》り出した剣だ。

それも使い手こそ選ぶが、それひとつで世界の理に大きく干渉することができる力を持つ、〝魔剣〟と呼ばれる類のものだった。

離魂剣の力は他者の魂を奪い、使い手と剣の力を増加させていく危険なもの。

本来は冥界の宝物庫に収められていたはずのものだが、クロヴィスの復活とともに盗み出されていた。

一体、どれだけの人間を贄としたのだろうか。

儚く神秘的な生命の輝きを纏う|剣《つるぎ》を、恍惚とした表情でクロヴィスは見つめる。

その口元には、|魅惑的《みわくてき》な三日月が描かれた。

彼の|面様《おもよう》は、一見すれば天使の彫刻を連想させるほどに美しい。

だが、彼の本質が、戦いと未知の|悦楽《えつらく》を追求するがあまりに、狂い、壊れ、歪み、如何に危ういものであるか――。

それをヴィオレタは、よく理解していた。

それでも、あまりにも優美に超然と微笑む姿は、彼の本質が本来は|清廉《せいれん》な善性の方にあるのではないかと、見る者に錯覚させる眩惑的な魅力があった。

「君との再会を楽しみにしていたのは本当。でも、君はあの頃から変わってないんだね。君なら、僕を満たしてくれるかと思ったのに……残念だよ」

クロヴィスは、ほっそりとした柳眉を下げ、諦観を感じさせる哀しげな微笑みを浮かべる。

「だから、今すぐに君のことも壊してあげても良いんだけどさ。そこの彼のおかげで今宵の僕はとても気分が良いんだ。今は、もう少しだけこの余韻に浸っていたい。そうだ、彼の名を教えてくれないかな?」

彼が視線を向けるのは、ヴィオレタの手の中に横たわるレイフだ。

「彼の名は……レイフ、レイフ・ヘーデンストロームよ――」

「そうか、レイフ……確かに僕の〝|記憶《メモリア》〟に刻んだよ」

赤子のように皺ひとつない右手を胸に当て、慈しむような優しげな視線を彼はレイフに向ける。

それは死者を弔う聖女のようでもあれば、ただ愛する人を想う乙女のようでもあった。

「君の教え子に感謝するんだね。冥界から、できるだけ多くの|死神《リーパー》たちを呼び集めると良いよ。そうだね、決戦は明後日としよう。パーティ会場は〝君の学校〟――」

「なにを勝手な……」

「おっと、僕の気分を変えるようなことは言わない方が得策だよ〜。とにもかくにも残された時間は少ないんだ。今は、その|勇士《レイフ》を最期まで見送ってあげると良いよ」

クロヴィスは、そこで言葉を切り上げると、|剣《つるぎ》を持ち直して、地面へと勢いを乗せて突き立てた。

クロヴィスの足元に金色の光が生み出される。

それは彼と、その周囲へと集まった男たちの姿を呑み込んで、地面の中へと消えていった——。

「それではご機嫌よう、ヴィオレタ・ウルバノヴァ。また、別のところで君に逢えることを楽しみにしているよ――レイフ・ヘーデンストローム」

ヴィオレタは、それをただ歯噛みしながら、見ていることしかできなかった。

そして、そうしている間にも彼女の手に|抱《いだ》かれた少年の命の灯火は、刻一刻と消えつつあった。

「貴方……なんで、こんなバカなことしたのよ……」

「ははっ……目の前で襲われている美女が居て、助けなきゃ男じゃねぇだろ……」

「あのね、下心が見え透いてるのだけど……」

呆れ混じりに嘆息するヴィオレタを見上げ、彼は精一杯、不適に微笑んでみせる。

だが、その笑みに力はなく、口を伝って流れ落ちる血は、どこまでも痛々しい。

彼の命そのものが、|溢《こぼ》れ、流れ、大地へと|還《かえ》っているのだ。

「なんか、わかんねぇけど……あんた、いろいろとヤバいことに関わってるみたいだな」

「えぇ、まぁね」

「でもよ、あんたが何者かなんて関係ねぇ。あんたは、俺たちの歴史教師だ。怠惰で寝てばかりで、生徒を|顎《あご》で、こき使うようなダメ教師だ」

「最後まで失礼な|生徒《ガキ》ね……」

「ははっ……。でも、あんたと過ごした短い時間、嫌いじゃなかったぜ。それに……俺、はじめて学校で仲間って呼べる奴らができたんだ。クソ恥ずかしくて、言いたくなんてねぇけど、これも……まぁ、あんたのおかげだ」

「そういうのは、日曜学校とかで達成しときなさいよ……」

「ははは、だな……。わりぃ、もう、ほとんど目が見えねぇんだ。それにすごく寒い。クソ、死ぬってこういうことかよ……。なぁ、悪いんだけど、向こうに旅立つまで手を握っていてくれないか?」

「えぇ、わかったわ」

レイフが星を掴むように、上空へと|掲《かか》げた右手をヴィオレタは、強く、決して離さないようにと握りしめた。

「意外と、あったけぇんだな。あんたの手……」

「ねぇ、貴方……。〝|死神《リーパー》〟になってみない……?」

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