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第14話:近衛の剣先

Author: fuu
last update Huling Na-update: 2025-09-17 23:00:16

剣の先は、動くたびに光を細く刻んだ。朝の回廊は石が冷たい。近衛たちの靴音が規則正しく続く。ローランは一歩も無駄にしない歩幅で列の前に立った。

「剣先、二枚。前列、半身。右、納骨堂の口」

低い声に、兵が二羽の鳥のように開く。斜めに伸びた刃の向きが、広場から大聖堂へ、そこから地下街の段にまで一本で繋がる図になった。剣の先が触れてはいけない相手を指さず、必要なものだけを守る配置。無駄がない。

「舞踏儀礼の間、鐘の七打。黙礼から半拍遅れで交差。誰も触れるな。触れるのは目だけだ」

「応」

乾いた返答。帝都は騒がしいのに、ここだけ海の底のように静かだった。

皇子は柱の陰からそれを見ていた。衣の裾を手の中で折りたたみながら、息をひとつ置く。細い肩が一度だけ上下した。王子が脇にいた。彼は笑って、ひとさし指を唇にあてる。

「大丈夫。剣は君の方を向いていない」

「わかっている。君がいる」

短い囁きで、胸が少し広くなった。

条約婚は昨夜に成立した。封蝋の匂いがまだ脳裏に残っている。公開の舞踏儀礼が昼にある。皇子は公で前に出る。これは決まっている。私室では王子が支える。それも決めた。言葉ではなく、紙と印で。

二人は前夜、机をはさんで契約を読み合わせた。羊皮紙はしっとりしていた。灯の火が赤くゆらいだ。

「可。不可。合図。アフターケア。順に読もう」

王子が指で項目をなぞる。紙の縁を皇子の爪がかすめる。こすれる音が聞こえた。

「口にするのが必要だ。可は、手首を預けること。不可は……跪かせること、現時点では不可」

「了解。不可に踏み込まない」

「合図は、言葉が『灯台』。言えない時は右肩を三回。もしそれも無理な時は、鈴を鳴らす」

皇子の喉にかかった青い鈴が小さく揺れた。

「アフターケアは、甘い茶、温めた布、言葉を三つ。『良くできた』『ここにいる』『君は選べる』」

王子の声がそこだけ柔らかくなった。

「週に一度、青の曜はスイッチ・デー。公私問わず、判断は君に委ねる。私室では私が従う」

「……ありがとう」

皇子は少し笑った。その笑みは、痛みの跡に貼られた絆創膏みたいだった。剥がれにくいものがいい、と王子は思った。

朝、式次第は二重に詰め込まれていた。若い従者が台帳を抱えて走り込む。息が上がっている。

「殿下、剣舞の稽古がこの後に」

「剣舞踏ではないのか?」

皇子が首を傾げた。王子が目を瞬かせた。従者が固まる。

「……剣舞と、舞踏は別件でして」

「つまり二件重なっている?」

「はい。どちらも……今」

廊下の空気がぴりっとした。ローランがこちらに向く。目だけで「どうする?」と聞いてきた。

王子は肩をすくめた。軽い笑いをひとつ。

「剣はローランに、舞は私に。皇子は前。稽古は実戦。ね?」

「了解」

皇子はすっと前に出る。ローランの剣先がわずかに動いた。「剣先、三枚」とひとこと。近衛が階段へと分かれる。地下街への口も、納骨堂への古い扉も視界に入れる形になった。大聖堂の石は冷たく、鐘は遠い。

儀礼の衣装は重みがある。肩に縫い込まれた金糸が皮膚を押す。王子の手が背から裾へと、癖を直すように滑った。一瞬の圧。それだけで呼吸が揃う。

音楽が始まる。弦が土の匂いをまとっていた。皇子は前に出る。王子は半歩後ろ、左斜め。二重の影のように。

踵が石に触れる音。裾が空気を払う音。剣の金属音が遠くで合図を切った。地下街の方で人がざわめく気配がする。納骨堂の扉の向こう、古い骨の気配が静かに眠っているように感じた。

一度、王子が皇子の手首を取る。圧は軽い。合意の範囲内。皇子の呼吸は落ち着いている。彼は合図を試す。短い間を狙って、囁いた。

「灯台」

音は音楽に溶けるはずなのに、王子は即座に動きを弱めた。手を離し、指先で「見ている」と示す。近衛の列が、さざ波のように剣先を少し外へ向ける。一拍の停止が生まれる。観客席から「演出だ」と小声が漏れる。ほっとする笑い。間違いも、遊びに見せることができる。コメディは味方だ。

儀礼を終えると、権力の場が待っていた。大聖堂の高い席。地下街の頭目が腕を組む。納骨堂を預かる老女の瞳は乾いている。三者は黙って皇子を見た。

王子は椅子の背に手を置く。彼は前に出ない。今日、公では皇子が前なのだ。

「道は一本にしない。三つの口を開け、互いが互いを見通せるようにする。近衛は剣先で境を示すが、剣は降ろしたまま。触れない。目だけが働く。取り決めはここで交わす」

皇子の声は低かった。地下街の頭目が鼻で笑う。

「見透かされるのはごめんだね。商売は影でやる」

「影は必要だ。影があるから光が見える。だから影の境を、私が決める。地下街は露店を二割増やせ。しかし通路は塞がない。納骨堂へ行く路は開ける。大聖堂の階段では物売りをしない。その代わりに、儀礼の終わりには鐘の下で市を開く。祈りの後にパンの匂いがするのはいい」

老女が目を細めた。

「骨を踏むな。それだけ守るなら、わたしは文句を言わない」

大聖堂の司祭が袖を正した。

「聖別の時、雑音は……」

「鐘が七つ鳴った後に始める。聖別には石だけが聞く。市は七つの後だ」

王子がわずかに笑った。皇子は続ける。

「この三者と近衛で、月札を回す。監督は週ごとに交代。記録は公開する。剣が口になる。剣先は示すだけで、命じない。命令するのは、私だ」

地下街の頭目が肩を上げた。退屈そうに。

「やってみな。見物させてもらうよ」

ローランは剣先を一度だけ下げた。了承の合図のように見えた。

会議が終わると、私室の扉が重く閉まる。王子は扉に鍵を掛けず、ただ開けたままにしておく。逃げ道はいつもある、という約束。

「上出来」

「君が背中で支えた」

「支えただけ。立っているのは君だ」

王子は皇子の足首から鎖飾りを外す。金の糸を外して、肌に残った跡を指で温める。湯の湯気が甘い。薄荷の葉をつぶした香りがする。茶は少しだけ砂糖が多い。

「言葉を三つ」

皇子が目を伏せる。王子は迷わずに言う。

「良くできた。ここにいる。君は選べる」

喉元の鈴が小さく鳴った。音が胸の中まで降りてくる。呼吸が深く整った。

「青の曜のことだがな」

「スイッチ・デーだ」

「今日は青の曜ではないが、君に任せたい。明日の地図はどうする?」

皇子は地図を取り出して机に広げた。大聖堂、地下街、納骨堂。三つの輪が重なる辺りに、ローランの剣先の印。そこに小さな青い点を置く。

「ここに立つ。公では私が前。私室では……」

「私が従う」

笑いがひとつ混じる。従者が控えの帳の向こうでくしゃみをした。二人は顔を見合わせた。王子が小声で言う。

「次は青の曜にちゃんと重ねような。台帳の人には菓子を」

「了解」

午後、帝都の風は甘いものと鉄の匂いが混ざっていた。ローランの近衛は剣先で静かに境を示している。人びとは怖がらず、線のこちら側と向こう側を選ぶ。選べる線は争いにならない。皇子の姿は人に見える場所へ、王子の手は見えない背へ。

剣の先は彼らの約束に似ていた。触れず、示し、支える。感情にも策略にも、刃の厚みがあった。

次回、第15話:囮の祝宴

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