「栗花落さん、RoseHouseの子供たちは皆が、叶大と圭がクローンである事実や、自分たちの出自を承知していますか?」
理玖の質問に栗花落が首を振った。
呼吸を整えて、ゆっくり口を開く。戸惑い唇から、小さな声が零れた。
「俺が……、知ったのは、偶然。書類上は、全員が孤児で、本人も、そう思ってる。音也も、俺と同じ、っす。音也が庇ってくれた、から、RoseHouseは、俺が知っているって、知らな……ひくっ」
栗花落が自分から國好の胸に顔を押し付けた。
息を止めて、促拍な呼吸を整える。
「でも、特別。叶さんと圭は、人として、お手本。優秀な、masterpeaceって、マザーがっ、皆にはな……、はっ……、ぁ……マザー、ぁ……、ぁ、ぁ、ぁ」
國好の服にしがみ付く栗花落の手が震えている。
体が大袈裟なくらいに震え出した。
「ごめん、なさい……、ごめんなさい、マザー、ごめんなさい……。もうしません、命令に逆らったり、しません。RoseHouseは絶対、マザーの言葉は、絶対。RoseHouseに育ててもらった俺たちは、命を懸けて、RoseHouseを守る。RoseHouseは故郷だから、死ぬまでRoseHouseとマザーを愛してる。ちゃんと、覚えます、裏切らない、裏切らないから……」
浅い呼吸を繰り返しながら、栗花落が口の中で呟いた。
震える手が國好の服を握り締めた。
「礼音、礼音! 俺を見ろ、礼音!」
國好が叫んで、栗花落の顔を上向けた。
目の焦点が合っていない。怯え
そのデータにRoseHouseは一切出てこない。 まさに奥井に罪を被せるためのデータだ。改ざんされていると考えた方が自然だ。『部門科長や幹部クラスが管理するクラウドに保存されたデータは、削除した内容も含めて十年、保存される。仮に改ざんがあった場合、不自然な痕跡が見つかれば疑いはかかる。十年分の修正が発覚すれば、それ以前を疑うのは必然だ。奥井のかけた保険だったんだろうが、かえって役に立った。状況から考えて、改ざんはなさそうに思うがな』 改ざんすれば痕跡が残り、余計に疑われるシステムだ。 痕跡さえ見つかれば、RoseHouseを叩く糸口にはなるかもしれないが。安倍千晴が羽生にデータを掴ませようと動いた以上、可能性は低そうだ。「最初から、RoseHouseの干渉を書き込まなかったと考えるべきですね」 Doll発足の十五年前から、理研には暗黙にRoseHouseを庇う姿勢が既にあったのだろう。『……RoseHouseの中に、病院施設があるのを知っているな。あそこに、RoseHouseが行っている実験のデータが保管されている。それに関しては理研にはデータがない。俺の立場でもRoseHouseから持ち出すのは難しいな』 理玖は、はっと気が付いた。 Dollでしていた実験は、あくまで理研の実験だ。 未認可の薬を試したり、人工的にspouseを作ろうとしたり、rulerにspouseを作らせようとする。 それらの実験は、総て実行のリーダーが理研の奥井だった。「RoseHouse内にガサ入れ出来ないと、意味がないんですね」『もう一つのデータにDollからRoseHouseへの寄付金の流れの詳細が載っている。その方面からなら叩けるが、弱いだろうな』 改めて、理研がRoseHouseを守ろうとする姿勢を思い知った
頭の上でアラーム音が鳴って、理玖は目を覚ました。 手探りでベッドサイドを探る。 その手に、スマホが手渡された。「まだ五時過ぎ……、なんで、アラーム……。理玖さん、電話みたいですよ」 理玖を抱いていた晴翔が眠たい目を擦っている。(……あれ? どういう状況? 寝てた……のかな? 確か……) 記憶の糸を手繰り寄せる。 佐藤の秘密を暴露して、栗花落にフェロモンを流し込んで、そのまま眠ってしまった。 理玖は周囲を眺めた。 自分の家の、自分のベッドだ。(運ばれて、そのまま寝ちゃってたのか) 訳が分からないが、とりあえず電話が鳴っているから取った方がいいんだろう。 なり続けるスマホに表示された名前を見付けて、理玖は起き上がった。「羽生部長ですか、おはようございます」『寝ていたか。早朝にすまない。取り急ぎ、伝えたいことがあってな』 羽生の声に緊張感が籠っている。 理玖は咄嗟に電話をスピーカーに切り替えた。 一瞬で、目が覚めた。『例の証拠は掴んだ。共有クラウドにアップしておいたから、確認してくれ。見てもらえばわかるが、期待以上の内容だ』 羽生の言葉に、理玖は息を飲んだ。 普段から、大袈裟な言い回しをしない人だ。その羽生が期待以上というのだから、相当な内容なんだろう。 共有クラウドは理玖以外に、國好、福澤が閲覧可能だ。警察の目にもすぐに入る。「それ以外に、気になることが、あったんですね」
書類を仕舞って箪笥を元に戻すと、同じように鍵を掛けた。 指輪の鍵と木札を小物入れに仕舞い、國好に渡す。「このアンティーク調の鍵は僕が責任もって保管します」「お願いします。……向井先生、礼音の件ですが」 國好が悔しそうに唇を噛んだ。「今回の捜査から外す方向で検討します。礼音自身も心配ですが、それ以上に、ここから先は礼音の存在が足枷になります。必要な情報は既に得た。礼音がいない方がスムーズです」 栗花落の気持ちを考えれば、苦渋の決断なのだろう。「そうですか。國好さんがそう判断されるなら、異論はありません。ただ、栗花落さんはonlyです。rulerの僕の側に居た方がある意味で安全であるとも、伝えておきます」 國好が不思議そうに顔を上げた。「栗花落さんは臥龍岡先生が自分を覚えていないと話していましたが。秋風君とは仲が良かった様子だし、既に調べているでしょう。RoseHouse出身の警察官は、そう多くないでしょうし、僕の警護に付いているのも把握されていると考えた方がいい。栗花落さん自身が狙われる可能性もなくはない」 國好が蒼白な顔で息を飲んだ。「一番、怖いのは臥龍岡叶大と鈴木圭の得体のしれないフェロモンです。積木君の話や佐藤さんの日記を読む限り、短時間の洗脳効果があり、定期的に接触することで効果を持続できる。依存性もありそうだ」「だとしたら余計に、これ以上、礼音を関わらせるわけにはいきません。確実に狙われて、捜査の弊害になる」 國好の表情が深刻さを増している。 理玖は、不意に思い付いた可能性について、考え込んだ。「ちょっと……、試してみたいことがあるんですが、良いですか?」
理玖が実験経過と躾マニュアルを凡そ読み終わった頃。「やっと開いた……」 隣で寄木細工の秘密箱を開けるため苦戦していた晴翔が零した。「細かくて難しかったです」 そう言いながら、蓋を開ける。 理玖は晴翔と中を覗き込んだ。「なにもないね」 中には綿のようなものが敷き詰めてあるだけで、何も入っていない。 晴翔が綿を掴んで取り出した。 ひらり、と紙切れが綿の下から落ちた。「なんだろう」 二つ折りの紙を拾い上げる。それは紙切れではなく写真だった。 広げた写真を見詰めて、理玖は息を飲んだ。 セピア色の写真には、五人の人間が映っている。 写真の下に走り書きがしてあった。『2014.1.13 叶 成人式。庭先にて』 理玖と同じように息を飲んで、晴翔が写真を見詰めていた。「この、袴を着ている男性が、臥龍岡先生なんでしょうか」 信じられないような晴翔の声音には、理玖も頷けた。 今現在、理玖たちが知っている臥龍岡叶大とは顔がまるで別人だ。「袴を着ているし、成人した叶は、この人物なんだろうけど……」 理玖は映っている他の人物を見比べた。 女性が二人に、男性が三人、そのうち一人が紋付袴を着た『叶』だろう。「ここに映っている叶が臥龍岡先生なら、隣に映っている少年は鈴木圭君だね」 理玖は少年
「USBですよね。在りそうな場所は……」 晴翔が箪笥の下から二番目の長い抽斗を一つ、抜き出した。 奥の方に手を突っ込む。「あった」 晴翔が手を入れた先を理玖は覗き込んだ。 下側の板に穴が開いて蓋のようになっている。その蓋を晴翔が外して、中に手を入れた。「何もなさそうですね。ここじゃないのか」「まだ仕掛けがあるの?」 既に三つも凝った仕掛けがあるのに、まだあるのだろうか。「思いつくのは、あと一個ですね」 晴翔が上から三段目、左側の抽斗に手を掛ける。 カツカツと、突っかかる音がして開かない。「うん、これっぽい」 すぐ隣の扉を開き、中の抽斗を取り出す。 さっき二段底になっていた引き出しだ。 抽斗を取り出した左側にくぼみがあった。「このくぼみに埋まっている突起をスライドさせます」 突起を右側にスライドしてから、晴翔がさっき開かなかった三段目の抽斗を引く。「動いた!」「隠れた場所にロックがあるんです。鍵みたいな感じです」 抽斗を開けると中には小箱が入っていた。「また、からくりだね。寄木細工の秘密箱だ」「如何にもUSBみたいな小物が入っていそうですね」 長方形の秘密箱は15×10程度の、両手で持ってちょうどいいくらいのサイズ感だ。「これ開けるのも得意なので、俺が開けますよ」
「栗花落さん、RoseHouseの子供たちは皆が、叶大と圭がクローンである事実や、自分たちの出自を承知していますか?」 理玖の質問に栗花落が首を振った。 呼吸を整えて、ゆっくり口を開く。戸惑い唇から、小さな声が零れた。「俺が……、知ったのは、偶然。書類上は、全員が孤児で、本人も、そう思ってる。音也も、俺と同じ、っす。音也が庇ってくれた、から、RoseHouseは、俺が知っているって、知らな……ひくっ」 栗花落が自分から國好の胸に顔を押し付けた。 息を止めて、促拍な呼吸を整える。「でも、特別。叶さんと圭は、人として、お手本。優秀な、masterpeaceって、マザーがっ、皆にはな……、はっ……、ぁ……マザー、ぁ……、ぁ、ぁ、ぁ」 國好の服にしがみ付く栗花落の手が震えている。 体が大袈裟なくらいに震え出した。「ごめん、なさい……、ごめんなさい、マザー、ごめんなさい……。もうしません、命令に逆らったり、しません。RoseHouseは絶対、マザーの言葉は、絶対。RoseHouseに育ててもらった俺たちは、命を懸けて、RoseHouseを守る。RoseHouseは故郷だから、死ぬまでRoseHouseとマザーを愛してる。ちゃんと、覚えます、裏切らない、裏切らないから……」 浅い呼吸を繰り返しながら、栗花落が口の中で呟いた。 震える手が國好の服を握り締めた。「礼音、礼音! 俺を見ろ、礼音!」 國好が叫んで、栗花落の顔を上向けた。 目の焦点が合っていない。怯え