LOGINそれは、交際四ヶ月目のことだった。
ある日、澪が編集部に出社すると、オフィス内が妙にざわついていた。
「見た? 今朝のネットニュース」
「え、何があったの?」
「Stellarの柊蓮、女性とのデート写真が流出したらしいよ」
澪の心臓が凍りついた。
慌ててスマホでニュースサイトを開くと――。
トップページに、見覚えのある写真が掲載されていた。
公園を歩く二人の人物。マスクとサングラスをした男性と、女性。
先週、蓮と散歩した時の写真だ。
記事のタイトル:『Stellar柊蓮、謎の女性と密会!? 交際の可能性も』
澪の手が震えた。
写真は少し遠くから撮られていて、顔は鮮明には写っていない。でも、蓮だと分かる人には分かるだろう。
そして、自分も。
「誰なんだろう、この女性」
「モデルとか女優じゃない?」
「でも、顔が見えないよね」
同僚たちが噂話に花を咲かせている。
澪は席に座り、深呼吸をした。
落ち着け。まだ特定されていない。大丈夫。
その時、スマホが振動した。蓮からのメッセージ。
「見た? ごめん。気をつけてたのに」
澪は返信した。
「大丈夫です。まだ私だとは特定されていません」
「でも、時間の問題だよ。事務所が調査を始めてる」
澪の心臓が激しく鳴った。
昼休み、澪は外に出てカフェで一人考え込んだ。
このままでは、いずれ自分が特定される。
そうなったら、蓮のキャリアに傷がつく。
どうすればいい?
別れる?
その選択肢が頭に浮かんだ瞬間、澪の胸が締め付けられた。
嫌だ。蓮と別れるなんて、考えられない。
でも、このままでは――。
午後、澪が編集部に戻ると、美咲が深刻な顔で待っていた。
「澪ちゃん、ちょっと話がある」
会議
週刊誌の記事が出てから三日後、決定的な瞬間が訪れた。 澪が編集部で仕事をしていると、受付から内線電話がかかってきた。「相沢さん、来客です。Stellar事務所の方が」 澪の心臓が止まりそうになった。「分かりました。すぐ行きます」 会議室に向かうと、スーツを着た中年の男性が二人待っていた。「相沢澪さんですね」 一人が名刺を差し出した。Stellar事務所、マネージメント部長。「はい」「単刀直入にお聞きします。あなたは、柊蓮と交際していますか?」 澪は深呼吸をした。 嘘をつくべきか。でも、もう無理だと分かっていた。「はい」 その言葉が、全てを変えた。「そうですか」 部長が冷たい目で澪を見た。「では、いくつか確認させてください。交際期間は?」「四ヶ月ほどです」「きっかけは?」「取材で知り合って……蓮さんから告白されました」「向こうからですか」 部長がメモを取った。「相沢さん、あなたは元々Stellarのファンだったと聞いていますが」「はい」「それで、意図的に近づいたのではないですか?」 澪は怒りを感じた。「違います。仕事として、真摯に取り組んでいました」「でも、結果的に柊と親密になった」「それは……はい」 部長が立ち上がった。「相沢さん、あなたの行為は、ジャーナリストとしての倫理に反しています。そして、柊のキャリアに深刻な影響を与えています」「分かっています」「分かっているなら、別れてください」 澪の心が引き裂かれそうになった。「今すぐに、柊との関係を断ってください。そうすれば、事務所としても穏便に処理できます」「もし、断ったら?」「法的措置も
それは、交際四ヶ月目のことだった。 ある日、澪が編集部に出社すると、オフィス内が妙にざわついていた。「見た? 今朝のネットニュース」「え、何があったの?」「Stellarの柊蓮、女性とのデート写真が流出したらしいよ」 澪の心臓が凍りついた。 慌ててスマホでニュースサイトを開くと――。 トップページに、見覚えのある写真が掲載されていた。 公園を歩く二人の人物。マスクとサングラスをした男性と、女性。 先週、蓮と散歩した時の写真だ。 記事のタイトル:『Stellar柊蓮、謎の女性と密会!? 交際の可能性も』 澪の手が震えた。 写真は少し遠くから撮られていて、顔は鮮明には写っていない。でも、蓮だと分かる人には分かるだろう。 そして、自分も。「誰なんだろう、この女性」「モデルとか女優じゃない?」「でも、顔が見えないよね」 同僚たちが噂話に花を咲かせている。 澪は席に座り、深呼吸をした。 落ち着け。まだ特定されていない。大丈夫。 その時、スマホが振動した。蓮からのメッセージ。「見た? ごめん。気をつけてたのに」 澪は返信した。「大丈夫です。まだ私だとは特定されていません」「でも、時間の問題だよ。事務所が調査を始めてる」 澪の心臓が激しく鳴った。 昼休み、澪は外に出てカフェで一人考え込んだ。 このままでは、いずれ自分が特定される。 そうなったら、蓮のキャリアに傷がつく。 どうすればいい? 別れる? その選択肢が頭に浮かんだ瞬間、澪の胸が締め付けられた。 嫌だ。蓮と別れるなんて、考えられない。 でも、このままでは――。 午後、澪が編集部に戻ると、美咲が深刻な顔で待っていた。「澪ちゃん、ちょっと話がある」 会議
交際三ヶ月目に入った頃、澪は異変に気づき始めた。 最初は小さな違和感だった。 編集部で、同僚たちがStellarの話をしている時。「柊蓮って、本当にかっこいいよね」「でも、近寄りがたい感じがする。完璧すぎて」「そうそう。でも、そのギャップがまたいいんだよね」 澪は黙って聞いていた。心の中で、違う、と叫びながら。 彼は完璧じゃない。夜、一人で泣くこともある。疲れて、弱音を吐くこともある。 でも、それは誰にも言えない。 二重生活の重さが、少しずつ澪の心に重くのしかかってきた。 そして、ある日のこと。 美咲が澪に声をかけてきた。「澪ちゃん、最近どう? なんか疲れてない?」「いえ、大丈夫です」「本当に? クマできてるわよ」 美咲が心配そうに澪の顔を覗き込んだ。「無理してない? 仕事、大変?」「少し、忙しいだけです」 嘘をついた。仕事が忙しいのは事実だが、本当の理由は別にあった。 蓮との時間を作るため、澪は睡眠時間を削っていた。夜遅くまで蓮の家にいて、帰宅は深夜二時過ぎ。朝は七時に起きなければならない。 慢性的な睡眠不足。 でも、蓮と過ごす時間は、何にも代えがたかった。「ちょっと休んだら?」「大丈夫です」 澪は笑顔を作った。美咲は納得していない様子だったが、それ以上は追求しなかった。 その夜、澪は蓮の家を訪れた。 ドアを開けると、蓮が心配そうな顔で澪を見た。「澪、やつれてない?」「そんなことないです」「嘘。顔色悪いよ」 蓮が澪の頬に手を当てた。「最近、ちゃんと寝てる?」「寝てます」「また嘘」 蓮が優しく言った。「僕のせいだね。無理させてる」「そんなことないです」「でも――」
秘密の交際が始まって一ヶ月が経った。 澪の生活は、表面上は何も変わっていなかった。朝早く起き、満員電車に揺られ、編集部で仕事をこなし、夜遅く帰宅する。 でも、その日常の合間に、蓮との時間が織り込まれていた。 週に三回、澪は蓮の家を訪れた。仕事の後、夜九時過ぎ。蓮のスケジュールが空いている日だけ。 マンションのエントランスで、澪はいつも周囲を確認してから中に入った。エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。心臓が高鳴る。 ドアが開くと、蓮が待っていた。「おかえり」「ただいま」 この言葉の交換が、二人の儀式になっていた。 蓮の家では、二人は完全にプライベートな時間を過ごした。 ある夜、蓮は約束通り料理を作ってくれた。和食。鯖の味噌煮、小松菜のお浸し、豆腐とわかめの味噌汁。「すごい。本格的ですね」 澪が驚くと、蓮が照れくさそうに笑った。「母が料理上手で、小さい頃からよく一緒に作ってたんです」「お母様、素敵な方なんですね」「はい。でも、僕がアイドルになってから、あまり会えてなくて」 蓮の表情が、少し曇った。「実家は大阪なんです。年に数回しか帰れない」「寂しいですね」「まあ、これも仕事だから」 蓮はすぐに笑顔を作った。でも、澪には分かった。彼が、家族を恋しく思っていることが。 食事の後、二人はソファに座ってテレビを見た。深夜のバラエティ番組。Stellarも時々出演する番組だ。「あ、これ、先月収録したやつだ」 蓮が画面を指差した。そこには、Stellarのメンバーたちが笑いながらゲームをしている姿が映っていた。「蓮さん、楽しそうですね」「演技ですよ、半分は」 蓮が苦笑した。「バラエティって、求められるキャラを演じなきゃいけないんです。僕はリーダーだから、しっかり者で、真面目な役回り」「でも、実際もそうじゃないですか?」
三日間、澪は答えを出せなかった。 仕事中も、蓮のことばかり考えていた。彼の言葉、彼の表情、彼の手の温もり。全てが澪の心を占領していた。 スマホには、蓮からのメッセージが毎日届いていた。「おはようございます」 「今日も一日、頑張ってください」 「無理に返信しなくていいです。ただ、澪さんのことを考えています」 その優しさが、澪をさらに混乱させた。 そして、三日目の夜。 澪は決心した。 スマホを手に取り、蓮にメッセージを送った。「明日、お時間ありますか? お話ししたいことがあります」 すぐに返信が来た。「あります。どこでも行きます」 翌日の夕方、澪は新宿の静かなカフェで蓮を待っていた。個室のある店。人目を避けるため。 ドアが開き、蓮が入ってきた。黒いキャップに マスク、サングラス。完全な変装。でも、澪にはすぐに分かった。「お待たせしました」 蓮がマスクを外し、微笑んだ。「いえ、私も今来たところです」 二人は向かい合って座った。沈黙。 澪は深呼吸をした。「蓮さん、私……」「はい」「あなたの気持ち、受け取ります」 蓮の瞳が、大きく見開かれた。「でも、条件があります」「何でも聞きます」「まず、私はまだあなたのことをよく知りません。本当の、素のあなたを」 澪は蓮の目を見つめた。「だから、時間をください。ゆっくりと、お互いを知る時間を」「もちろんです」「そして、この関係は秘密にしてください。あなたの仕事に影響が出るのは避けたいから」「分かりました」 蓮が嬉しそうに微笑んだ。「じゃあ、これから僕たち……」「まだ恋人じゃありません」 澪が慌てて付け加えた。「まずは、友達として。そこから始め
Stellar事務所からの提案は、すぐに現実のものとなった。 翌週の月曜日、澪は上司から呼ばれた。「澪、ちょっといいか」 編集長が、珍しく柔らかい表情で澪を見ていた。「はい」「Stellar事務所から、君を指名で映像編集の仕事を依頼したいという話が来ている」「指名、ですか」「ああ。通常の雑誌の仕事とは別に、彼らの公式YouTubeチャンネル用の映像編集をしてほしいらしい。もちろん、報酬も別途出る」 澪の心臓が高鳴った。「柊蓮本人が君の編集を気に入ったそうだ。才能を認められたんだな、澪」 編集長の言葉に、澪は複雑な気持ちになった。嬉しい。でも同時に、罪悪感もあった。 自分は、ただのファンだ。プロとして蓮の仕事を評価されているのに、心の奥底では、彼に会いたいという個人的な感情が渦巻いている。「受けてくれるか?」「はい、喜んで」 答えは、既に決まっていた。 その日の午後、澪は事務所から送られてきた映像素材を確認した。Stellarの最新ライブ映像、リハーサル風景、メンバーたちの日常。膨大な量のデータ。 そして、その多くに蓮が映っていた。 澪は一つ一つの映像を丁寧に見ていった。編集者として、最も効果的なカットを選ぶ。でも同時に、ファンとして、蓮の表情を追ってしまう。 矛盾している。 でも、やめられない。 編集作業は深夜まで続いた。澪は自宅で、ヘッドフォンを耳に当てながら、タイムラインを調整していく。蓮の歌声が、直接脳に響き込んでくる。 そして、ある映像に気づいた。 リハーサルの合間、蓮が一人でスタジオの隅に座っている場面。カメラは彼を捉えていないはずだったが、たまたま広角レンズの端に映り込んでいた。 蓮は顔を両手で覆っていた。 肩が小さく震えている。 泣いている? 澪は映像を一時停止し、拡大した。確認できない。でも、明らかに彼は何かに耐えているように見えた。