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『逆算からの算段という矛盾』

last update Date de publication: 2025-11-28 18:42:49

「どう? その後、夢乃マイちゃんとは上手くやってるの? まだ抱いたりはしてないよね?」

 白いゴム手袋をはめた左手で、ペンをくるくる回す薪無先生。

 いつもの軽い態度で、ずけずけとセンシティブな事を聞いてくる先生に対して、僕は不機嫌そうに答えた。

「しらを切った割には、彼女と僕の仲に興味があるんですね。彼女が処方された女の子だって、ちゃんと先生が認めたら教えますよ」

 薪無先生は眉間に皺を寄せて、こめかみをぽりぽり掻く。

 その後、肩をすくめて、おどけて見せた。

「あーもう、理由好きはこれだから困る! 悪かったよ! そんな怒るなって! 認めます! 夢乃マイは私が処方したご都合主義です! これでいい?」

 言い終わればすぐに唇を尖らせて、横を向く。

 怒られて不貞腐れる姿はまるで子供だ。

 僕はため息を吐いて、話をした。

「彼女とは、ここに来る日以外ほぼ毎日会ってますよ。呼ばなくてもバイト先に来るんで、強制的にエンカウントします。ここ最近は僕もそれを見越して、午前中のワンオペを増やしてるので支障はありませんが、問題は会っていない時ですね」

 そんな話をしている間にもまた、薪無先生の横に置かれた荷物カゴの中から、僕のスマホの震える音が聞こえていた。

 僕は何も言わずにそれを指を挿すと、薪無先生は僕のカバンからスマホを取り出す。

「何これ。少年のスマホ壊れてんの? さっきからいやらしいくらいに震えてるけど……。ほい」

 先生はスマホを掴んだまま、画面を僕に向けた。

 鏡のようになった真っ暗なスマホの液晶には、自分の顔が映る。

 年の割には童顔なれど、少々疲れた僕の顔は、いつしか先生に言われたように、とても辛気臭くはあった。

 そして、ぼーっと。自分の右目の上にある古傷を思い出すように眺めていたら、突然画面が明るくなってロックが外れ、本体が揺れた。

「お? ロック外れた? さあて、どれどれ〜、見てみようね」

 当たり前とばかりに、スイスイと僕のスマホをいじる薪無先生。

 僕は椅子から立ち上がって大声を上げる。

「いや!! 見てみようね。じゃないですよ! 何勝手に人のスマホ見てるんですか!? マジで最低です!! 返してくださいよ!!」

 そんな風に怒声を浴びせて、薪無先生の手からスマホを奪おうとするが、華麗にひょいひょいとかわされた。

 それもその筈だ。

 これは単なるジェスチャーだった。

 僕はなにも本気でスマホを奪い返そうとはしていなかった。

 何となくだが、薪無先生は意味もなく僕を小馬鹿にするような人ではないと信用している。

 だからむしろ、マイのあの異常なまでの報告を見てもらった方が早いと思ったのだ。

「未読28件。これ、全部マイちゃんからのだよね? うわ! めちゃくちゃ細かく行動報告されてる。え?! ちょっとまって、昨日の深夜の『肯太郎さん、体が熱いです』って、あらあら! これはそういう事なんじゃないの?! ねえ?!」

「いや、めざといなぁ!! 何でそういうところだけすぐ見つけるんですか! そこはどうでもいいでしょう!」

 ちょっとだけ恥ずかしくなった僕は、咄嗟にスマホを掴むと、薪無先生はいともすんなりと離してくれた。

 先生は、見たいものは見たというような満足そうな顔をして、また椅子に背を預ける。

「まあ、多少迷惑な気もするけど。なんだか強烈な愛を感じるじゃないか。何だよ、それが不満なのかい?」

「不満っていうか、不安になりますよ。この連投具合はどう考えても普通じゃない。そしてなにより、一番気になるのはこれです」

 そう言って、僕は画面を薪無先生に見せる。

 否応なしに、五月雨の如く降り注ぐマイのメッセージの中には、普段の下らない行動報告の他に、どうにも意味不明なものが混じっていたのだ。

「ん? 猫の写真? それに『ワタシは生きていますか?』の一言……。前後の文を見るに、なんだか唐突に送られてきてるね」

 そう、送られてくるのは黒猫の写真だった。

 そこに『ワタシは生きていますか?』という、意味深で不穏な問いかけ。

 しかも、これは一度ではなかった。

 必ず毎日。他のメッセージに紛れてこれが入ってくるのだ。

 僕はこれの意味が知りたかった。

「先生はわかりますか?」

 正直、他のメッセージには律儀に返信などしていなかったが、これが送られてくる時だけはちゃんと返答をしてあげていた。

 それは単純に訳が分からず、怖かったからだ。

 すると、薪無先生はわざとらしく考える素ぶりを見せるものの、またすぐに口角を上げた。

「うん。わかる。私にはわかるよ。だけどなぁ〜これを少年に話すのは、まだちょっと早い……というより、この答えには、少年の頭ならいずれ辿り着くんじゃないのかなぁ?」

 なんか。

 奥歯に物が挟まったような言い方だな。

「……なんですかそれ。僕は治療を受けに来てるのであって、謎解きを楽しみに来てるわけじゃないんですけど」

「そう言うなって、ほら、言ったろう? 精神整形外科は、あくまでギプスをはめるだけだって。その後の回復には、患者自身の力が必要なのさ。だからまあ、とりあえず。さっきのを見る限り、これに対して返答はしてるんでしょ? その勘があれば大丈夫。心配しなくていいよ」

 薪無先生が隠すって事は、やっぱりマイはマイで問題を抱えているという事だよな。

 ──暗いトンネル。

 彼女の言うそれは、一体何なのだろうか。

 僕は、僕の抱えたものとはまた違う匂いがするその問題が少しずつ浮き彫りになるのを感じて、力が抜けた。

「なら、ヒントをあげよう。ついこの前、私は仕事をサボって公園で棒アイスをぺろぺろと舐めていたんだ。ほら、もう7月に入って暑いからね。その時、そこに一人の小学生の男子がふらふらとやって来て、そこいらでカブトムシが捕れるかと私に聞いて来たんだ」

 

 え……?

 なんだその話。

 これ聞かなきゃならないのか?

 僕はヒントと言うにはあまりにもかけ離れたその導入に困惑するも、無駄だと判断するのは早計だと思い、致し方なく話の続きを聞いた。

「その質問に対して私は、まだ初夏だし早いんじゃないのか? なんて答えた。すると、彼は驚く事を言ったんだ。早くはないはずだ。何故なら、去年ここで捕ったカブトムシを、今もまだ飼ってるんだから。とね」

「は? なんですかそれ、おかしくないですか? だって、カブトムシの成虫って一夏で死にますよね?」

「そう。だから僕も笑いながら言った。そんな訳ないだろ、証拠を見せてくれよ。って。そうしたら彼は、それは見せられないけど、生きてるって、言い張るんだ。そして、そのまま彼は続けた……」

 先生は顔を寄せて、人差し指を立てた。

「……ボクは去年から虫籠の·······が、ボクのとったカブトムシ達は、きっと今もあの中で戦い続けてるんだ……。ってね」

 自信満々に眉尻を上げて、白い歯を見せる薪無先生。

 だが、はっきり言って。

 その話の意味が、僕にはさっぱりわからなかった。

「はぁ……。なんかドヤ顔向けて来てますが、それがヒントなんですか?」

 やっぱり聞くだけ無駄だったかもしれない。

 変な与太話に付き合わされた気分になった僕は、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

「ヒントなんてものは、大体得てしてこんなもんだよ。本人が気が付いて、これが答えだ!と思えないものは、いつまで経っても答えじゃないんだからね」

 そう言うと、薪無先生は笑いながら僕の肩を二回、ポンポンと叩く。

「今週末。マイちゃんとデートなんでしょ? 記念すべき初デートだ。前日の夜に張り切って、空回るなんていうベタな展開は頂けないぜ」

 え……。なんだよ。

 結局マイから全部聞いてるんじゃないか。

 それを聞いて、途端にもやもやとした感情が沸き上がり、少々腹を立てた僕は、何も言わずに椅子から立ち上がって、出入り口の方へと身を翻す。

 挨拶もなく診察室を出ようとする僕に、薪無先生は言った。

「マイちゃんはさ、ちゃんと君のご都合主義なんだよ。だから何かして欲しい事があれば、遠慮なく彼女に伝えたらいいからね。そこからが本当の治療なんだから」

* * *

 マキナ医院を出た僕は、スマホを覗いてため息を吐く。

 そのため息は、マイの事ではない。

 実はマイのメッセージの他に、僕には心配事がもう一つあったのだ。

「やっぱり、もつまる先生は今日もSNS更新してないな。…000なんでだろう。もう何ヶ月も生存報告ないから心配になるよ」

 別名義で原作を手がけた漫画を出すという、数ヶ月前の記事から、全く動向がわからなくなってしまった、もつまる先生。

 その現状に僕は不安になったが、これは僕が考えてもどうしようもない。

 頭をぷるぷると横に張って、意識を切り替える。

 駅の方へと向かいながら、次に僕は、刻々と迫ってくるマイとの上野デートの事を考える。

 普段過ごしている秋葉原に比べると、だいぶ田舎である星葉町の空気は、都会よりも早く、蝉がまだ鳴かない程度の初夏を感じた。

 湿気を含んだ風の匂いを嗅ぎながら、とぼとぼと歩く僕は、その中でどうしようもなく思い出した事があった。

 滴る汗。青い絵の具。美術館の前。

 黒い翼。金色の鳥。オスとメス。

 そして、“あの娘“の笑顔。

 そうだった──

 あれもこんな時期の事だった。

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