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◇遁走 50

Auteur: 設樂理沙
last update Dernière mise à jour: 2025-04-05 03:34:02

50

「それだと今も誰かに素行調査の一環として誰か調査員につけられて

見張られているかもだね」

「そうですね。

 私が就職で良いチャンスを掴んだと思うと内定が取り消しになったり、結婚しよ

うと思っていた矢先に相手の親族から

『素行が悪いので結婚を認めるわけにはいかない』

と言われたり、絶対私を幸せになどするものかという強い意志を感じます。

 当初はたまたまかなとか、今までの心映えの悪さが自分に返ってきてるのかなぁ

~とか思ったりしてたけど、私の素行の悪さを指摘された時にこれは偶然なんかじ

ゃないって確信しました」

「君の話を聞いていて思ったんだけど、一度世間から身を隠して大きな幸せ、

つまり優良企業に勤めるとか玉の輿に乗って結婚するとかを諦めて、どこか

田舎でつつましく生きていくのが最善じゃないかって思うね。

幸せを感じられなくても、苦しかったり辛かったりのない生活で満足でき

ない?」

「幸せはなくて、でも苦しみも不安もない暮らしですか?」

「死のうと思っていたその苦しみがなくなれば、それでよしとしないかい?

 私は今から瀬戸内海のある離島に帰るのだが、家族のいない気楽な独り暮らしで

君ひとりくらいなら泊めてあげられる部屋もある。

 着の身着のまま一緒に行かないか?

 車に私のジャケットがあるからトイレでそれに着替えて少し変装して、

そのまま私の車に乗り込めばなんとか追跡してる人間を撒けるかも

しれないな。

 余計だというなら最寄り駅まで送って行ってあげるよ。

 そしてそこでさよならしよう。どうする?」

「私は島本玲子と言います。

 お言葉に甘えて逃亡することにします」

「私は井出耕造。

 じゃあここで待っていて下さい。

 ジャケットを取りに行ってきますから。

 紙袋に入れて持ってきます。

 そしてそれをあなたに渡しますね。

 私の車のナンバーと色を今から言いますからメモしておいて下さい。

 駐車場はあそこですからね」

と井出は指さした。

「今から私が歩いて行くのを見ていたらだいたいの位置が分かると思います」

 玲子は井出の言う通りに動いた。

          ◇ ◇ ◇ ◇

 私は井出さんの手引きで離島に無事渡ることができた。

 渡ったは渡ったけれど、上手く追跡から逃れら
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    114「えーと、私と一緒に食事して怒ってくる恋人的存在の女性がいたりってことはないですね? あとでトラブルに巻き込まれるのは困るのでここは厳しくチェックさせていただきます」「掛居さん、子持ちなんて俺がどんだけ素敵オーラを纏《まと》っていても誰も本気で相手になんてしないから。そういう心配はないよ」「えーっ、そういうものなのかなぁ~。 私は凛ちゃんみたいな可愛い子、いても気にしませんけど……。 あっ、私ったら余計な一言でした。 恋人になりたいとかっていう意味じゃなくてですねその……」 私はやってしまったかも。 微妙にこの辺のことは発言を控えた方がいいレベルだったと気付いたが時すでに遅し。 本心から別に今、相原さんLoveで恋人になれたらいいのに、なんていう恋心から言ったのではなく、常々凛ちゃん好き好き病でつい、口から零れ落ちてしまったというか、零れ落としてしまったのだけれど、なんか変な誤解を招く一言だったよね。 嫌な冷や汗が流れそうになった。 きゃあ~、絶対勘違いさせちゃったよね。『お願い~相原さん、変に受け取らないでぇ~』「いやぁ~、恋愛抜きでも凛のことそんなふうに思ってもらえるなんてうれしいよ。じゃあ子持ち30代、希望あるかな」 「はい、相原さんならばっちり」「そんなふうに言ってもらってうれしいけど……」「けど?」「なかなか出会いの場がないからねー」「ほんとに。仕事ばかりで出会いないですよねー。 世の男女はどうやって結婚するのかしら?  そうだ、一度結婚したことのある先輩、どうやって出会ったんですか?」「あー、うー、その話はまた今度ってことで」「楽しみぃー!」 なんだかんだ2人で話しているうちに私たちはいつの間にかマンションの前に着いていた。

  • 『特別なひと』― ダーリン❦ダーリン ―❦   ◇デート 113

    113 相原さんとの初デートは音楽と美味しい食事、そして語らえる相手もいて思っていた以上に楽しい時間を過ごすことができた。 こんなに近距離で長時間、洒落た時間を共有したことがなかったので、朗らかに活き活きと話をする相原さんを見ていて不思議な感覚にとらわれた。 私はこれまで交際していない男性と一緒に食事をするという経験がなく、世の中には恋人ではない異性の同僚と一緒に食事をするという経験のある人ってどのくらいいるのだろう? なんて考えたりした。 もちろん相手のことが好きでデートするっていうのは分かるんだけどね。 まだまだ相原さんのことは知らないことだらけだけど、彼と話すのは楽しい。 彼を恋愛対象として見た場合、凛ちゃんのことはさして気にならない……かな。 だけど凛ちゃんママの関係はかなり気にしちゃうかなぁ~などと、少し後からオーダーしたワインをチビチビ飲みながらほろ酔い気分でそんなことを考えたりして、一生懸命話しかけてくれている相原さんの話を途中からスルーしていた。笑って相槌打ってごまかした。『ごめんなさぁ~い』「明日も仕事だから名残惜しいけどお開きとしますか!」「そうですね。今日は心地よい音楽に触れながら美味しいものをいただいて、ふふっ……相原さんのお話も聞けて楽しかったです」「そりゃあ良かった」 支払いを終え、私たちは店の外へ出た。「今日はご馳走さまでした。 でも休日のサポートは仕事なので次があるかは分かりませんけど、もう今日みたいな気遣いはなしでお願いします」「分かった。 休日サポートのお礼は今回だけにするよ。 さてと、家まで送って行くよ」「えっ、でもすぐなので」「一応、夜道で心配だから送らせてよ」「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」「俺たちってさ、お互いの家が近いみたいだし、月に1~2回、週末に食事しようよ。 俺、子持ちで普段飲みに行ったりできないからさ、可愛そうな奴だと思って誘われてやってくれない?」

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