ユラユラと揺れるタバコの煙をジーッと見つめながら、私は煙越しに課長を見ていた。 「瑞紀もイヤだろ?……こんなセックスするだけの、関係なんてさ」「……それはまあ、そうですけど」 確かに、そろそろハッキリとした関係になりたい。 曖昧じゃなくて、ちゃんとした関係に。 「じゃあ俺と付き合わないか?瑞紀。 俺が瑞紀を、幸せにする。……ちゃんと恋人になろう」「……でも」「でも……なんだ?」 タバコの火を揉み消した課長が、私に視線を向ける。「もしみんなに、私たちのことがバレたり、したら……」 私がそう伝えると、課長は私の頭を撫でながら「その時はハッキリ堂々と言ってやればいいさ。俺たちは"恋人同士"だって」と、優しい目で伝えてくれる。「俺たちははお互いに好き同士だろ?なら何も怖いことなんてないし、問題もない。……そうだろ?瑞紀」 課長の目は、真剣な目だった。だから私その時、課長は本気なんだと悟った。「……はい」 だから私も課長の目を見つめ返した。 それは私とっても、本気だって証拠だった。 そうだ、課長の言うとおりだ。 私たちはもう完全に好き同士。 何回も身体を重ねてるってことは、それだけお互いのことを愛してるってことだよね。 だから課長の言うとおり、私たちにもう怖いものなんて何もない気がしている。 もし課長との関係がバレたとしても、今なら堂々と"恋人同士"だって胸を張って言える気がする。 課長が一緒だからこそ、自信が持てる。私はもう、後悔なんてしないと決めたんだ。 今はもう、課長とだけ幸せになりたい。課長の全てを、私は受け入れていきたい。「……恭平さん、私はこれからもあなたに愛されたいです。心も身体も、全部あなただけに愛されたい」 私が課長にそう伝えると、課長の胸に身体をピタリとくっつけた。「当たり前だろ。俺は瑞紀を二度と離さないし、そばにいると誓ったんだ。……なにがあっても、君のことは離さない」「……嬉しいです」 課長にそう言ってもらえるだけで、私は嬉しいし、幸せだ。 課長を愛してるからこそ、これからもずっとそばにいてほしいと思ってしまう。 そうだ、きっと課長なら大丈夫だ。 課長ならきっと私を幸せにしてくれるはずだ。 ーーー私はこの頃から、課長を心の底から愛し始めていたんだ。「恭平さん……私、ちゃんとあなたと
✱ ✱ ✱「……か、課長!」「どうした?」 ある日の会議終わり、私は課長を呼び止めた。「あのっ……」 私が口を開いたと同時に、課長のスマホが鳴り響いた。「……悪い。ちょっと待っててくれ」「はい」 ディスプレイを見た課長はそう言い残して、会議室を出て行ってしまった。「なんだ。もう二度とかけてくるなって言っただろ」 扉の向こうから聞こえてきた声は、少し怒りがこもっていた。 その怒りを、私は前にも見たことがある。……そう、その状況は今まさに"あの人"の時と同じなのだ。「君と話をすることなんて、もう何もない。迷惑だからかけてくるな」 やはり予想は、的中した。 課長の電話の相手は間違いなく、"藤堂さん"だ。 確か課長は、"静香"と呼んでいた。 藤堂さんは、課長の元奥さんだった人だ。 課長とニ年前に離婚した人。 なのにまた課長との接触を図ろうとしている。 静香さんは課長がまだ好きだから。「いい加減にしないか。俺はもうお前の旦那じゃない。……忙しいから切るぞ」 課長はそう言い残し、おもむろに電話を切った。「……悪いな」 課長は申し訳なさそうな顔をしていた。「いえ、大丈夫です」 本当は大丈夫じゃないけど、課長に心配をかけないように努力してる。「静香も悪気はないと思うんだ。……ただ、まだ俺への気持ちが強すぎるだけなんだと思う」「……いいんです。課長は何も悪くないですから」 課長を目の前にして、そう伝えるのが精一杯だった。「ありがとう瑞紀。……ごめんな」「謝らないでください」 私だって課長のことを責めたい訳じゃないけど、課長の静香さんに対する気持ちが曖昧すぎて、よ分からないから、ちょっとだけ辛い。 私は課長が好き。ずっと一緒にいたいし、もう離れたくない。「……瑞紀、今夜も部屋に来るか?」「え?」 私の身体は、もう課長に支配されてる。 だから課長にだけ抱かれたい、だなんてずるい考えをしてしまう。「どうする、瑞紀?」「……行きたいです」「ん。よく出来ました」 でもそれ以上に課長は、もっとずるい。 私が断れないのを知っていて、わざとそう聞いてくるのだから。 課長は私のことをよく知っている。 だから私が課長だけにしか、抱かれることが出来ないのを知ってる。 そして私もまた、ベッドの中で課長をいつも求めてしまうのだ
「じゃあ俺、会議があるからもう行くな」 課長は私の頭を軽く撫でると、会議室へと歩いていった。 課長がいなくなった後の室内は、とても静まり返っていた。 私も、課長のことを誰よりも愛してる。 課長のそばにいてもいいのかなって、思ってしまうけど、その気持ちは止められない。「……ダメダメッ」 そんなことを考えたら、また課長を困らせちゃう……。 もう、なんで私ってこんなに不安になるんだろう。心配なんて、しなくてもいいのに……。「おはよう瑞紀」「あ、沙織……おはよう」「どうしたの?なんかやけに暗い顔してるじゃない」「ううん、なんでもないよ。 ただ毎日仕事してると、なんか憂鬱になっちゃってさ」 沙織にあまり心配を掛けたくなくて、私はつい沙織にそう言ってしのいだ。「ああ、分かるわそれ。毎日なんて、仕事したくないわよね」「うん……本当に憂鬱」「でもしょうがないわよね〜。仕事しないとさ、生活できないし」「うん、そうなんだよね」 どんなに辛くても、仕事は頑張らないといけないんだ。働かないと。「はぁ……早く仕事休みにならないかなぁ。バカンスとか行きたい」「沙織ったら、バカンスにしか興味がないの?」「そういう訳じゃないわよ?」 「えっ。てっきりバカンスにしか興味ないのかと思った」 沙織はバカンスとか旅行とか大好きだし。 結構旅行とか行ってるイメージはあるかもしれない。「失礼ね。私だってバカンス以外のことだってちゃんと、興味あるわよ」「例えば?」 沙織は少し「例えば? そうねえ」と考えこむと、「やっぱり結婚とかかな」と答える。「結婚?」 沙織が結婚……?「え? なによ?」「まさか沙織の口から、結婚って言葉が出てくるとは……」 沙織って結構男勝りなところがあるから、あんまり結婚とかに興味なさそうなのに、まさか結婚に興味があるとは……意外だ。「当たり前じゃないの。私だってもうすぐ二十六なのよ? もちろん、結婚くらいしたいわよ」「……ふーん」 そうだよね。 やっぱり女は、結婚したいよね。「そういうアンタは、どうなのよ?」「えっ?」 沙織に「結婚よ、結婚」と言われ、「……結婚ね」と考えてみる。 私もいつかは、結婚できればいいなとは、思うけど。「なによ。したくないの?」「違うの。そういう訳じゃないんだ。……ただ私もいつかは、
✱ ✱ ✱「お、おはようございます」 朝仕事に出勤すると、仕事場には課長しかいなかった。「おはよう、瑞紀」 なんで……? なんで課長がいるの……。 今日は目覚ましをかけて、いつもの時間より早く目が覚めたため、朝一番にと思って出勤してきたのに……。 なのになんで、課長がいるの……?「……課長、今日は早いんですね」「ああ。今日は朝一で会議が入ってるんだ。 会議の前の準備しとこうと思って」「そうなんですか」 なんだか課長といると気まずくなってしまう。 あの日から私は、課長のことばかり考えてしまっている。 仕事中でも、気づいたら課長のことを考えてしまう。 仕事に集中しなきゃならないってことは、分かっているのに、気づいたら課長にばかり視線が向いてしまう。 私は、本当に欲張りな女だと自分でも思う。 私は課長が好きで、部長も私を好きでいてくれてるって分かってのに、どうしても不安になってしまう。 課長との関係は少し距離があって、でも誰よりも近づいていて……。 課長に抱かれている時は、なにもイヤなことを考えずに済むのに、いざこういう時になると不安になってしまうのが私のイヤなところだ。 不安になるなと、課長は言うけれど。 それでも課長を誰にも取られたくって想いが強くなって、私はつい欲張りになってしまう。 私は課長が好き。でも課長のそばにいるのが、怖い。 いつか課長が私そばから離れてしまうんじゃないかって、そんな気持ちになる。「あの、課長……」「……ん?」「私たちの関係って……なんなんですかね」 私たちって、恋人って呼べるの……?「え……?」「私、不安なんです。……課長がいつか私のそばから離れてしまうんじゃないかって、不安でたまらないんです」「……瑞紀」「私と課長の距離は遠くて、でも私たちの関係は、一番近いはずなのに……」 誰よりも近いはずなのに……。「……そうだな」「でも一番近い関係でも、所詮身体だけでしか繋がってない。……そう思うと、すごく不安でたまらなくて、課長のことを考える度に辛くなります」 私はあまりにも自分が情けなくて、課長の顔が見られなかった。 こんなことでしか課長のそばにいられない自分が、恥ずかしいと思ってしまった。 私はやっぱり、課長のそばにいる資格なんて、ないのかな……。そう思う度に、不安が募ってしまう。
「はい。ちょっと仕事のことで、相談が……」 ……ほら、やっぱりね。「そうだと思った。 なんなの?なんかトラブルでも起きた?」「……あの、実はですね」 英二困惑したような顔で口を開く。「なによ? 早く言いなさいよ」「……実は、僕が取引してる会社が、突然契約を取り下げたいって言ってきたんです」「ええっ!? ちょっと、どういうことよそれっ!」 なんで突然、そんなことに……!?「実は、取引内容が、あまりにも条件が悪すぎると言われまして……」「ええ?あれのどこが条件悪いって!? どこの会社よりも条件はいいじゃないの!……なのになんで、そうなった訳?」 急に考えを変えてくるなんて、ありえない!「僕にもそれは、分かりません。……ただ、もっとサービスがほしいという要求が、ありました」「なにふざけたこと言ってるの!?うちの会社は、一応トップの業績なのよ? それなりのサービスはしてるつもりだけど?」 ちょっと、ありえない。あれで条件が悪いですって……?「でもサービスが足りないって言われた以上、これ以上は僕にも、どうすることも出来ません」「なに言ってんの。アンタが弱気になってどうするの!これはアンタの取引が初めて上手く行くチャンスなのよ!? 名誉がかかってるの」 一体、どうしたらいいのかしら……。「でも僕、もう自信がありません。……どうしたらいいのか、分からなくて」「寝ぼけたこと言わない!なにがなんでも、成功させるのよ!」「……先輩?」 困惑した英二に向かって、私は「いい?せっかくアンタに、チャンスが回ってきたのよ? このチャンスを逃してもいいの?」と問いかける。「……それは」「アンタ、私に憧れてあの会社に入ってきたんでしょ? なのにもう、弱音を吐く気?」「……でも、自信がなくて」 弱気な英二に、私「いい?英二、よく聞いて」と英二を見る。「私だって会社に入った頃は、まともに仕事させてもらってなかったのよ。 毎日ずーっと雑用ばっかり、押し付けられてただけだったんだ」 こんな会社、くそくらえと何度思ったことか。「でも自分が入りたいと思ったから、雑用でも頑張ったの。 そしたら、私も仕事がもらえるようになって、任せてもらえるようになったの」「……そうなんですか?」「そうよ。だから仕事するってことのありがたみが、分かるの。……それが
* * *「……んっ」 翌朝朝ゆっくりと目を覚ますと、昨日まで隣にいた課長の姿はなかった。 その代わり、書き置きしてあるメモが置いてあった。《瑞紀へ瑞紀は今日仕事休みだよな。俺は今日大事な仕事があるので、もう仕事に行きます。気をつけて帰れよ》「……課長」 疲れてるのに、心配してくれてるんだ。 課長、私はずっと、課長のそばにいますからね。 課長に"愛してる"って言われると、なんだか恥ずかしい。 でもその言葉、すごく嬉しいんだ。 その後私も、ホテルをチェックアウトして家に帰った。「ただいま」 家に帰ると、留守電が入っていた。「あれっ……留守電?」 誰だろう。……もしかして、課長かな? 私は、スーツの上着を脱ぎながら留守電を再生した。「もしもし瑞紀?お母さんだけど。アンタ最近全然連絡よこさないけど、元気にやってるの? ちゃんと食べてるの?それと、あんまりムリはしちゃダメよ。たまには、連絡よこしなさいよ」 なんだ、お母さんか……。でもお母さんにも色々迷惑かけちゃってるんだな、私。 ごめん、お母さん……。 私はお母さんの留守電を聞いた後、お母さんに電話をかけた。「もしもし瑞紀?」「あ、お母さん? 留守電聞いたよ。心配してくれてありがとね」「それはそうと、アンタちゃんと食べてるの? ちゃんと寝れてるの?」「大丈夫。ちゃんと食べてるし、ちゃんと眠れてるから」 お母さんは電話越しに、「そう?ならいいんだけど」と心配してくれる。「ありがとう、お母さん」「え?どうしたのよ、いきなり」「なんか、いつも心配ばかりかけちゃって、悪いなって」「なに言ってるのよ。いいのよ、そんなこと」 お母さんの存在が、今になって本当にありがたいと感じる。「……私今まで、お母さんは私の心配なんてしてないんだと思ってたよ」「なに言ってるのよ。そんな訳がないでしょ」「ほらお母さんはさ、私が一人暮らししたいって言っても、反対はしなかったでしょ。自分のやりたいことをしなさいって、言ってくれたし」 お母さんは本当に、心強い存在でしかない。「それはアンタのためを思って、言ったことよ。アンタがお母さんに初めて、自分のしたいと思うことを話してくれたんだから」「……お母さん」 お母さんがいてくれるおかけで、私は頑張れる気がする。「アンタなら一人でも