LOGIN◇ ドタドタ、と廊下を走る足音が聞こえてきて、私はキッチンからふと顔を覗かせた。 一緒に朝食を作っていたお母様がくすくすと笑いながら告げる。 「ふふ、苓くんが起きたみたいね。話に聞いていた通り、本当に朝に弱いのね」 お母様に振り返り、私は笑いながら頷く。 「ええ、そうなんです。今日は寝坊してしまったみたいですね」 「でもまだ寝坊って時間帯じゃないわ。お父様やお祖父様に比べれば全然早い方よ」 「えっ、お父様やお祖父様も朝が苦手だったんですか?」 いつもお父様はピシッとしていて、朝が苦手なんて知らなかった。 私が驚いて聞くと、お母様はくすくすと笑いつつ頷く。 「ええ、そうよ。茉莉花が産まれてから、大分直ったけど……昔は酷かったんだから。今でも時々寝坊してしまう事もあるのよ?」 「──それはきっと、お母様が目覚められて、安心したからだと思いますよ」 「そうかしら?怠けているだけよ、きっと」 私とお母様が笑いながら話していると、慌てた様子で苓さんが食堂にやって来た。 「す、すみません……!寝過ごしました……!」 髪の毛を乱している苓さんが珍しくて、私が驚いているとお母様が私の背中をトン、と押した。 「後は大丈夫よ。手伝ってくれてありがとう、茉莉花。苓くんにお水を持って行ってあげて」 「ありがとうございます、お母様」 私はお母様からお水の入ったグラスを受け取り、キッチンを出て食堂に向かう。 「苓さん、おはようございます」 「おはようございます、茉莉花」 苓さんにグラスを手渡しつつ、乱れてしまった苓さんの髪の毛を直す。 そのまま苓さんの隣に座ると、喉を潤した苓さんがこそっと耳打ちしてきた。 「──茉莉花、体は?大丈夫ですか?」 「──っ!?」 「昨日は、すみません……。我慢が出来なくて……」 「れっ、苓さん……っ!」 こんな所でやめてください、と言う意味を込めて苓さんを睨む。 すると、苓さんは私の視線を受けてふにゃりと様相を崩した。 「良かった……無理をさせたと思ってたので……」 「も、もういいです、その話は……!」 「さあ、茉莉花に苓くん。朝食が出来たわ、食べましょう」 こそこそと苓さんと言い合っていると、キッチンから出てきたお母様が食事をトレーに乗せて運んでくれる。 私たちは慌てて椅子から立ち上がると、お
◇ 「──ん」 朝、眩しい光がカーテンの隙間から射し込んでいて、私は目を覚ました。 起き上がろうとしたけど、私の体にガッチリと逞しい腕が回っていて、動く事が出来ない。 「──〜っ」 その腕の持ち主が苓さんだと分かった瞬間、私の頭の中に昨夜の出来事が一気に蘇った。 顔がぼわっ、と熱を持ったように熱くなり、私は自分の顔を両手で覆った。 あ、あんな事を……!お風呂で……っ! はしたない!はしたないわ……! 私が1人で悶えていると、私を抱きしめる腕に力が籠った。 「茉莉花……?」 「れっ、苓さん……!?起きたんですか!?」 「──んん、まだ、眠い……。もう少し寝ましょう……」 寝起きだからか、普段より掠れて低い声。 それに、どこか気怠さを含んでいる声はどこか色気を孕んでいて。 昨夜の事を思い出した私のお腹がずくり、と疼く。 「──っ」 昨日は、お風呂場であんな事をした後、それだけでは収まらず、結局このベッドの上で何度も求め合ってしまったのだ。 苓さんの怪我に響くから、だからお風呂場で欲を解消して欲しかったのに。 けれど、苓さんの欲は益々昂ってしまって──。 最後は、意識を失うようにして眠りについたのだ。 だから、私と苓さんは未だに何も衣服を身に付けておらず、素肌のまま。 温かな苓さんの体温が凄く心地よくて。 このまま眠ってしまいたい気持ちになるけれど、いつまでも幸せに浸っている場合じゃない。 私は、朝に弱い苓さんを起こしてしまわないように慎重に腕から抜け出す。 動いた瞬間、体のあちこちがぴきり、と痛んだけどそれには気が付かない振りをして服を身に付けていく。 もしかしたら、今日警察が来るかもしれないのだ。 事件の事を聞きにくるかもしれない。 それに、谷島さんが涼子の件でやって来るかもしれないから。 その準備をしておかないと。 私は、すやすやと眠る苓さんを起こさないようにそっと部屋を出た。 ◇ 「──んん、茉莉花?」 ふ、と目が覚めた。 隣にいるはずの茉莉花の温もりを求めて腕を動かしたけど、掴んだのは冷たいシーツだ。 「──っ!?」 俺は、一瞬で目が覚めてがばりと起き上がった。 背中にビリッとした痛みが走ったが、そんな事に構っている暇は無い。 「茉莉花……?」 シーツに、茉莉花の体温は残っていない
「れっ、苓さ──」 「ちょっと待って、待ってください茉莉花……っ」 ばくばく、と心臓がけたたましい音を立てている。 それは、私の心臓かそれとも苓さんの心臓か──。 どちらの心臓の音なのか分からないくらい、私たちは近くて。 「お、落ち着き、ます……、だから、お願いですから、動かないでください……っ」 苓さんの切実な声が聞こえる。 私は、そろそろと顔を上げて苓さんを見た。 すると苓さんはぎゅっと目を強く瞑り、真っ赤な顔で何かに耐えるようにぶるぶると震えていた。 私を抱きしめる苓さんの腕の力が強くて、身動ぎが出来ない。 私のお腹にある、苓さんのそれ、が……どくどくと脈打っているのが分かって。 どうしよう、どうしたら、と頭の中にはその言葉だけがぐるぐる巡っている。 ぎゃ、逆に、苓さんに欲を発散してもらった方が落ち着くのではないだろうか。 む、無理に耐えなくても。 私はそう思い、そろそろ、と自分の腕を下げて行く。 私が腕を動かしたからだろうか。 私の手が、苓さんの腰を掠ってしまった。 「──ぅあっ」 「──っ!?」 瞬間、苓さんの体がびくっ、と跳ねる。 苓さんの、掠れた低く、色っぽい声が私の耳元で聞こえた。 そして、抱きしめていた体勢から少しだけ体を離した苓さんが、真っ赤な顔で信じられない、と言うように私を唖然と見つめた。 「な、何を……、」 苓さんが真っ赤な顔のままぱくぱくと口を開けているのを見て、私は頭の中がパニックになりつつ、慌てて口を開いた。 「ちっ、違っ、その……っ、苓さんが無理に耐える必要はないと、思って……!そのっ、えっと……っ、お手伝いをした方がいいかと……!」 パニック状態になっている私の口からは、とんでもない言葉が紡がれてしまって。 私の言葉を聞いた苓さんの顔が益々真っ赤になって、その赤みが体にまで現れている。 唖然としていた苓さんだったけど、私がわたわたと視線を彷徨わせている間に何か吹っ切れたのだろう。 「──分かりました」 そう、低く呟いた苓さんの声が聞こえた。 「──え?……んむっ!?」 私が苓さんの低い声にびっくりしていると、苓さんが私の後頭部をガシっと掴んで強い力で引き寄せた。 驚いた私をそのまま引き寄せ、苓さんの唇が私の唇に重なる。 驚いた拍子に開いていた私の唇の隙間から、苓
私は、入ってきた苓さんを直視しないようそっと視線を外しながら、泡立てたボディーソープをボディタオルにつける。 そして、苓さんにバスチェアに座るように促した。 「苓さん、そこに座ってください。体を洗います」 「わ、分かりました……」 苓さんはぎこちなく歩いてくると、大人しく椅子に座ってくれる。 背中を私に向けて座った。 病院で手当を受けた、防水仕様の傷口を覆うシート。 その部分に触れてしまわないよう、そっと優しく苓さんの背中にボディタオルを当てた。 「力加減大丈夫ですか?」 「ん……大丈夫です」 「傷がある付近は洗わないでおきますね、刺激しちゃうと痛いと思いますから」 「ありがとうございます、茉莉花」 ごしごし、と苓さんの背中を洗う事に集中する。 苓さんの背中は広くて、逞しい。 しなやかな筋肉が隆起していて、私はいつもこの体に抱かれているのか──。 そう、場違いにもそんな事を思い出してしまって。 駄目だ、こんな事を考えていたら。 今は苓さんのお手伝いをしているんだから……! 背中を洗い終え、傷口に水が掛かってしまわないように気をつけながらシャワーで流す。 ボディーソープをタオルに足して、次は前を洗おうと、私は苓さんの前に回り込んだ。 「次は全面です、洗いますね」 「──えっ!?ちょ、ちょっと待ってください茉莉花……!前は自分で洗います……っ!」 苓さんが慌てたように声を上げ、私の手首を掴む。 だけど、私の手首は今しがた泡立てたボディーソープがついていて、苓さんが手首を掴んだ瞬間、ぬるりと滑った。 「──えっ、あっ、きゃあっ!」 「えっ、うわっ!」 苓さんに手首を掴まれたと同時に、引っ張られてしまった私は、足元のボディーソープに足を取られ、滑ってしまった。 私がバランスを崩した事に気が付いたのだろう。 苓さんが腕を広げ、私を抱き留めてくれた。 その瞬間、苓さんの素肌と、私の体が密着してしまう。 私の体には、タオルを巻いていたけれど、それも今の衝撃で外れてしまって──。 「──っ」 水分を吸ったタオルが、べちゃりと音を立てて床に落ちてしまった。 私の体が顕になり、それを至近距離で見てしまった苓さんの体がぎちり、と固まった。 「ごっ、ごめんなさ……っ、すぐに拾いますっ」 私はわたわたと床に落ちたタオル
私が苓さんの着ているワイシャツのボタンを外していると、そこでようやく苓さんが硬直から解けた。 はっとすると、真っ赤な顔のまま私の両手をがしっと掴んで静止してきた。 「──まっ、待ってください茉莉花……!」 「えっ」 「なっ、何を……っ、こんな……っ」 真っ赤になった苓さんに、私は何故そんなに拒むんだろうか、と首を傾げる。 「だって、お風呂に入るなら服を脱がなきゃいけませんし……傷が痛いですよね?脱ぐのも大変じゃないですか?」 「た、多少痛みはするけど……、そんな……自分で出来ますから……」 だから、茉莉花は部屋でゆっくりしてて。 ぎこちなく笑みを浮かべた苓さん。 私はそんな苓さんに首を横に振った。 「嫌です。苓さんが我慢してしまう人だって……、無理をしてしまう人だって分かっているからこそ、私に出来る事は何だってしたいんです!だから、お風呂だってお手伝いをします!」 「ま、茉莉花──……っ」 「だから、一緒に入ります!」 私は、もう1度苓さんのワイシャツのボタンに手をかけ、外して行く。 次第に顕になって行く苓さんの体に、私は一瞬だけ手が止まってしまった。 「──〜っ」 今更だけど、凄い事をしているのだ、と羞恥がじわじわと込み上げてくる。 苓さんに無理をして欲しくないのは本当。 苓さんが我慢強い人だから、頼って欲しいのも本当。 だけど、一緒にお風呂に入るって事は。 その先を考えて、私は恥ずかしさに顔を赤くしてしまいそうだったけど、恥ずかしいと思っているのが顔に出ないように必死に隠す。 私が恥ずかしがっている、と苓さんが気付けば、1人で入ると言われてしまうから。 「し、下も……脱がします、ね……」 「──ちょっ」 私が苓さんのベルトに手をかけた時。 苓さんが先程の非ではないくらい顔を真っ赤にして私の手を掴んだ。 「わ、分かりました……!茉莉花と一緒に入る、入ります、から……!下は自分で脱ぎます……!」 「えっ、でも……」 「それくらいは自分で出来ますから……!その、先に入っていてください。……逃げたり、しませんから」 苓さんが私から視線を逸らし、そう言う。 ここまで来て、苓さんは逃げないだろう。 私はこくり、と頷くと苓さんに背中を向けて自分の服を脱ぎ始める。 ここで恥ずかしがっちゃ駄目。 普通に、普通
「怪我をしているのに、苓さんにやらせてしまってごめんなさい」 「気にしないでください。それに、怪我だってそこまで酷くはないですから。背中さえ気を付けていれば大丈夫です」 苓さんが優しく微笑み、そう言ってくれる。 きっと私がさっきの話で落ち込んでいるのは苓さんにお見通しなのだろう。 苓さんから気遣うような感情が感じられる。 怪我をして、大変な目に遭ったのは苓さんなのに、苓さんに気遣わしてしまったら駄目だ。 週明け、誰が情報を流しているのか。 本当にそんな人はいるのか。 それを私がしっかりと調べないと。 私は、そう心に決めた。 夜。 食事も終わり、後はお風呂に入って眠るだけ。 今は苓さんとソファに並んでテレビを見ていたけど、そろそろお風呂に入った方がいいだろう。 私はちらり、と時計を見た後、苓さんに顔を向けた。 「苓さん、お風呂に入っちゃいましょう」 「──そうですね、もうこんな時間か」 分かりました、とソファから立ち上がる苓さんに続いて、私も立ち上がる。 すると、苓さんが私が立ち上がった事に不思議そうな顔をした。 「どうしたんですか、茉莉花?」 「苓さん、怪我をしているからお風呂入るのが大変ですよね?私も一緒に入ります」 「──え?」 まさか私がそんな事を言うとは思わなかったのだろう。 苓さんは呆気に取られたようにぽかん、と口を開けたまま固まってしまっている。 私は気にせず、お風呂道具を用意し始めた。 「ま、待って、待ってください茉莉花……!」 「──え?」 私がテキパキと準備をしていると、それまで固まっていた苓さんが、慌てて私を引き止める。 びっくりして振り向くと、苓さんの顔は真っ赤に染まっていた。 「じ、自分1人で大丈夫です……!1人で洗えますから、茉莉花は気にしないでください……!」 「そんな事出来ません……!背中を切っているんですよ?1人で入ったら、どこが傷口か分からないし、濡れちゃうかもしれないじゃないですか。私も一緒に入って、手伝います!」 「だ、だけど……っ」 「ほら、行きましょう苓さん……!」 私は戸惑う苓さんの手を掴み、部屋にあるお風呂へ向かった。 普段は、部屋にあるお風呂じゃなくて、家の中にあるお風呂を使う。 そっちの方が広々としていて、のびのびとお風呂に入れるから。 だけど
スマホの向こうから、苓さんの低くて艶のある声が耳に届いた。 「こんばんは、苓さん」 軽くカーディガンを羽織り、窓際まで歩いて行く。 窓からは雲がかかり、朧月が幻想的で、ついつい私は窓に手を添えた。 もしかしたら、苓さんも今空を見ているかもしれない──。 同じように、こんな風景を見ていたら、と考える。 私がそんな事を考えていると、苓さんがふと言葉を発した。
ミーティングに参加してくれていたチームの皆が資料を食い入るように見てくれていたけど、その中でも志木チーム長と、矢田主任は熟読しているようで、私の説明が終わった後も、書類にじっと視線を落としていた。 「矢田主任に、代替案のメリット、デメリットの取りまとめをお願いしてもいい?皆の意見を纏めて欲しいの。市場調査データの修正と、施策の強化については、また皆で意見を出し合い、纏めましょう?」 私がそう言葉に出すと、資料に落としていた視線を上げた矢田主任とぱちり、と目が合う。 何だか、矢田主任の目がとても輝いているように見えた。 「かしこまりました、本部長!今日中に纏め、明日には提出い
◇ 温かくて、柔らかくて、ふわふわする──。 微睡みの中で、俺は目の前の柔らかな物に擦り寄った。 いつまでも触っていたくなるような、そんな感触。 何かが邪魔をしていて、俺は無意識のうちに手を動かした。 手のひらに吸い付くようなしっとりとした手触りが気持ちよくて、力を込めてしまう。 瞬間。 「──んぅ」 「……っ!?」 頭上
私が声を漏らしてしまった瞬間、靴を脱がしてくれていた小鳥遊さんの動きがぴたり、と止まった。 「す、すみません…っ、こそばゆくて……」 「いえ……俺こそ、すみません……」 「た、小鳥遊さん…?えっと、下ろしてください……?」 「すみません、ちょっと……少し待っててください」 ぎゅうーっ、と小鳥遊さんに抱き込まれてしまう。 何かを耐えるような小鳥遊さんの表情に、私は首を傾げてしまう。 苦しそうに歯を食いしばる様子が見えて、彼に何があったのか──。 確認したいけど、彼の膝に乗ったまま、ぎゅうぎゅうと抱きしめられている今、確かめる事も出来ない。 何度か深呼吸をし







