Masuk苓さんと一緒に、お母様の病室に向かう。 病院内を進む苓さんは、記憶がないからだろう。 通い慣れたお母様の病室までの道を、物珍しそうに見ていた。 きょろきょろと周囲を確認する苓さんの前方を歩き、別館に向かった私達は、お母様の病室にようやく着いた。 病室の前と、中には医師や看護師がいるのが見えた。 「──先生!」 私は、病室に駆け寄りつつ声を上げる。 すると、私が来た事に気が付いたのだろう。主治医の先生が私の顔を見て安堵の表情を浮かべた。 「藤堂さん……!良かった、戻られたのですね」 「は、はい……!母の意識が戻った、と……!」 「ええ、驚く事に……。とても喜ばしい事です。先程、指先が動きました。その後、目を覚まされましたよ」 「──っ!本当に、本当に!?奇跡のようです……っ」 「ええ、今はまた眠ってしまっておりますが、意識は戻りましたのでご安心ください。明日、精密検査をしましょう」 「はいっ、はい……!よろしくお願いします!」 お母様の状態を一通り確認し終えたのだろう。 主治医の先生は病室を出て行き、看護師さん達が「何かあればお声かけくださいね」と柔らかい表情で去って行った。 私は、お母様の意識が戻った事が嬉しくて嬉しくて。 私は、ふらふらとしつつ病室の扉に手をかける。 「藤堂さん、危ないです。俺が開けますよ……」 「──あっ、ありがとうございます、小鳥遊さん……」 私を気遣ってくれたのだろう。 苓さんは、私に触れるか触れないかの距離まで近付くと、私の代わりに病室の扉を開けて中に入るよう促してくれた。 「その……、危ないので手を……」 「何から何まで、すみません……」 苓さんが躊躇いがちに手を差し出してくれる。 私は、その心遣いを有難く受け、手のひらを差し出してくれた苓さんに自分の手を重ねた。 苓さんは、重ねられた私の手を見てぎゅっと強く握ると、私の背中に手を添えて支えながら入室した。 「──お母、様」 私がお母様の眠るベッドの横に辿り着いた瞬間、かくんと足から力が抜けてしまった。 「──危ない!」 「ご、ごめんなさい……、小鳥遊さん……」 その場に膝を着いてしまいそうになった私を、苓さんは慌てて支えると、丸椅子に座らせてくれた。 そして、苓さんも眠るお母様をじっと見つめている。 お母様には、今まで
──待って、今苓さんはなんて言ったの。 私の手を引き、前方を走る苓さんを唖然と見つめながら、私は足を動かし続ける。 道路を駆け、病院に戻ってきた苓さんは、驚いたままでいる私に振り向き、事情を話した。 「警備会社から、俺の所に連絡が来たんです。藤堂さんに連絡が繋がらなくって、俺の所に……!」 「え、え……」 「藤堂さんがお母様の病室を出て暫くして、お母様の指が動いた、そうです。病室内の様子を確認するために時間を決めて、毎回窓から中を確認しているようで……その時、警備員が確認した時にちょうど──」 「お母様の指が動いた、と……?」 私の言葉に、苓さんは強く頷いた。 苓さんが、焦って私を探しに来てくれた理由はこれで分かった。 だから私は、腕を掴んでいる苓さんの手に自分の手を重ね、離してもらうようにぐっと力を入れた。 「ありがとうございます、小鳥遊さん。……すぐに教えていただき、助かりました。谷島さんとお話をしていたから、電話に気づかなくて。……ご迷惑をかけてしまいましたね」 困ったように眉を下げ、私がそう口にすると。 苓さんは何とも言えない、何かを言いたそうな表情で私を見た。 だけど、今の私には苓さんが何を口にしたいのか──。 全く分からない。 私の手を離してもらおう、と力を込める。 すると、私の行動の意を汲んでくれた苓さんは、ゆっくりと手を離した。 「ありがとうございました、小鳥遊さん。……では、私はお母様の所へ向かいま」 「──あのっ、俺もご一緒してもいいでしょうか?」 私がその場を離れようとした時、それまで悩むような顔をしていた苓さんが、意を決したように声を発した。 「え……、どうして、小鳥遊さんが……」 「その……、間違っていたらすみません。だけど、このスケジュールアプリに書かれている茉莉花さんって、……藤堂さんの事ですよね?」 茉莉花さん。 苓さんの口から、凄く久しぶりに私の名前が呼ばれて。 私の視界は瞬時にぶわり、と涙で滲んだ。 そんなに長い期間じゃなかったのに。 苓さんに「茉莉花」と名前で呼ばれなくなった事が、とても寂しかったんだ、と実感する。 苓さんに名前を呼ばれただけで、懐かしく感じて、凄く嬉しくて。 涙が溢れてくるなんて。 「と、藤堂さん……?」 苓さんは、突然涙ぐんだ私に驚き、戸惑ってい
◇ 病院からほど近いカフェに移動した私と谷島さん。 飲み物を頼み、それを待っている間は谷島さんと世間話をして時間を潰す。 お互い注文をした飲み物が来て、私達は席に着いた。 カフェ店内は、落ち着いた雰囲気で、店内にもお客さんはぽつりぽつりと居る程度。 病院に近いカフェだからか、利用客は病院に用があって、来ている人達ばかりのような気がする。 穏やかな空気が流れる店内で、私と谷島さんは飲み物を一口飲み込んでから顔を見合わせた。 「……はは、そんなに緊張しないでください、藤堂さん」 「すみません……これから話す内容に緊張してしまって……」 「そうですよね……。我々のような仕事をしていないと、中々耳にする機会が少ないでしょうし……」 困ったように眉を下げて笑う谷島さん。 そんな彼に、私も苦笑いを返した。 「先程、病院で話した内容ですが……汚れ仕事を専門的に扱う組織がいる、と言ったでしょう?」 「──はい」 「そういった組織は、実際に存在しているんですよ。……金さえ積めば、何でもやる非人道的な組織があるにはあります」 「──っ、なんてこと……」 「ただ、藤堂さんが口にしていた、速水家との関わり……。そこは、はっきり言って盲点でした。……正直に言ってしまえば、古くから続くお家や、大企業には、そういった組織と通じている場合もあります」 まさか、そんな事があるなんて。 だけど谷島さんは警察関係者だ。 そんな人が、嘘を言う訳がない。 「古くから、国の中核を担う方々にはそんな組織と繋がっている事も珍しくはありません。悲しいけど、これは世界のどの国でも有り得る事なんです、我が国だけではなく……」 「……必要悪、があると言う事ですね」 「ええ、悲しいけどこれが現実ですから……」 谷島さんは目を伏せた後、迷うように視線を彷徨わせた後、改めて口を開いた。 「速水家が、そんな組織と繋がっている可能性はない、と無意識に除外していました。……今後は、その線も見越して捜査しますね」 「──は」 はい、と私が言おうとした瞬間。 「藤堂さん!」 カフェの店内に、慌てたような苓さんの声が響いた。 「──え、……小鳥遊、さん……?」 「良かった、見つけた!」 息を乱し、肩で息をしている苓さんが私と谷島さんに近付いてくる。 突然の苓さんの登場に呆
歩いて行く後ろ姿。 小さくなっていく藤堂さんの後ろ姿を見て、俺はその場から暫く動く事ができなかった。 藤堂さんが時折隣を歩いている谷島に話しかけられ、笑顔で言葉を返しているのが見える。 そんな藤堂さんを見て、俺の胸にはもやもやとした形容しがたい感情が溢れてくる。 「……くそっ。こんな気持ちになりたくないからあの人と距離を取っていたのに」 あの人の隣にいるのが、谷島なのが気に入らない。 どうして、藤堂さんは谷島と楽しそうにしているんだ。 藤堂さんの隣にいていいのは俺だけなのに──。 そんな事を考えてしまっていた俺は、ハッとする。 「何で……俺は、藤堂さんを知らないのに……」 どうしてこんな気持ちになるのか。 知らないのに、知っているような。 記憶なんてないのに、俺は藤堂さんの笑顔を知っている。 あんな風に藤堂さんに笑顔を向けられるのは、俺だけだったのに。 「──は?俺は、何を……」 俺だけが笑顔を向けられていたって何だ? どうしてそんな事を思うんだ。 俺は、藤堂さんを何も知らないのに──。 俺は、本来ここに来た理由が入っているスマホを入れているポケットに視線を向けた。 どうしてあの時、俺は藤堂さんに聞かなかったのだろうか、と後悔の念が込み上げてくる。 スマホにスケジュールされた、ある予定。 その予定に、どうして藤堂さんの名前が書かれていたのだろうか。 どうして、俺はその名前を見ただけで彼女だと、藤堂さんだと思ったのか──。 スマホのスケジュール。 今日の日付には、しっかりと書かれていた。 「茉莉花さんと病院」と。 「茉莉花さん──」 どうして、しっくりとくるんだろうか。 それに、どうして茉莉花と言う名前が藤堂さんだとすぐに分かったのか。 どうして、懐かしい気持ちになるのか──。 「……くそっ」 何が何だか分からなくて。 もう1度藤堂さんに会ったら、何かが分かるだろうか。 谷島と、どこに行った──? 俺はあの2人を探し出そうと思い、駆け出そうとした。 その瞬間。 ポケットに入れていたスマホが、着信を知らせた。 ぶるぶると震えるスマホに、ハッとして俺はスマホを取り出す。 すると、そこには──。 「警備会社……?どうして、俺に……?」 どうして俺に警備会社からの電話が? そう思ったが、何か
「──谷島?どうして、藤堂さんと……」 「あれ、小鳥遊?どうしてここに?」 苓さんの言葉は、谷島さんが驚いた時に上げた大きな声でかき消されてしまって。 すぐ近くに居たはずだけど、私の耳に苓さんの言葉は上手く届かなかった。 私が苓さんに顔を向けてもう1度話してもらおうと思ったけど、苓さんの表情は険しい顔に変化していて──。 まるで怒っているようにも見えるそんな苓さんの表情──。 私は、こんな風に怖い顔をしている苓さんを殆ど見た事がなくて、びくりと肩を跳ねさせてしまった。 そんな私の様子に、谷島さんが気遣うような視線を向けてくれた。 「藤堂さん、大丈夫ですか?移動できますか?」 「──あっ、そう、ですね……。お話を聞きたいですから」 移動しましょうか。と、私が告げようとした瞬間。 苓さんが視界の端で動いたのが分かった。 「──藤堂さん!」 「──えっ」 苓さんの焦った声が聞こえ、私の腕を苓さんに掴まれる。 久しぶりに感じた、苓さんの体温──。 苓さんの手のひらの温かさに、私はじわりと視界が滲んでしまった。 私の手を掴んだ苓さんが、そんな私に動揺しているように見えた。 慌てて私から手を離そうとしたけど、結局苓さんの手が私から離れる事はなくて。 「その、小鳥遊さん……?どうしましたか……?」 ここ最近は、苓さんと会う機会が殆ど無かった。 現場視察にも、苓さんはあまり同行しなかった。そんな苓さんの様子から、もしかしたら私との接触を避けているのかも──。 そんな風に思っていたりもしたけど、苓さんの手は今、私の手を掴んでいる。 それに、掴んだ手を離そうとしていなくて。 (もしかしたら、苓さんの記憶が戻りつつあるの……?そんな風に、期待してもいいの……?) 私が微かな希望を胸に抱いた瞬間、苓さんは私の手をぱっと離してしまった。 「急に触れてしまい、すみません」 「いえ、大丈夫ですよ……。お気になさらないでください。えっと、そろそろ……大丈夫ですかね?」 「谷島と、約束をされているんですか?」 私の言葉に、苓さんがちらりと谷島さんを見やりつつ、そう問いかけてくる。 特に隠す事もないだろう。 だから私は頷いて答えた。 「ええ、谷島さんとお話があって」 「ああ、今回の事件に関わる事だから、小鳥遊、お前にはあまり詳しく話
お母様の病室の前には、苓さんが手配してくれた護衛の人達が変わらず立ってくれていた。 その人達に「ご苦労さまです」と声をかけてから入室する。 病室に入ると、お母様は変わらずベッドに横になったままの姿が視界に入る。 本当に、ただただ静かに眠っているだけのような姿に、お母様は今にも目を覚ましそうな気がいつもしていた。 今日こそは、といつも思って。 そして、いつも目覚めないお母様を置いて私は家に帰る。 その時の切なさや寂しさはかなりのものだ。 「きっと、今日もお母様の病室を出る時は寂しくなってしまいますね」 私は小さく笑みを零すと、真っ白で細いお母様の手を取り、マッサージをする。 眠るお母様に話しかけつつ、マッサージをし続けていると、あっという間に時間が経った。 もうそろそろ谷島さんと約束している時間になる。 私は、病室にかけられている壁掛け時計に顔を向けた時間を確認したあと、お母様に顔を戻した。 「お母様、そろそろ私はお暇しますね。また近い内に来ます」 そう声をかけると、私は丸椅子から立ち上がった。 名残惜しい気持ちを何とか耐えて、鞄を持ち上げて病室の扉へ向かう。 部屋を出る前に、私はお母様をもう1度振り返ってから扉を開けて病室を後にした。 ◇ 茉莉花が出て行った部屋の中。 沢山の管に繋がれた茉莉花の母・羽累(はる)の指先が、ぴくりと微かに震えた。 ◇ 私は谷島さんと待ち合わせをしている病院の正面入口に向かって歩いていた。 すると、私の背後から声がかけられた。 「──藤堂、さん……?」 「え……」 どうして、ここに──。 何で、今日、この場所で苓さんの声が聞こえるの──。 私は、驚きつつ声が聞こえた背後を振り返った。 「小鳥遊、さん?」 振り向いた先に居たのは、やっぱり苓さんで。 苓さんが恋しいあまり、聞こえてしまった幻聴ではなかった。 だけど、どうして今日ここに苓さんが居るのか──。 私が不思議に思っていると、私のその様子が伝わったのだろう。 苓さんは声をかけてしまった以上、立ち止まった私を無視する事はできなくて、そのまま近付いてきてくれた。 「……藤堂さん、お体の調子が悪いんですか?」 「いえ、違いますよ。それより、小鳥遊さんこそどうされたんですか?小鳥遊さんこそ、体調不良で病院の受診を……?」
お店に着いた私たちは、店員に案内されて席に着く。 お昼時を外した中途半端な時間と、車がないと繁華街から離れた場所にあるからか、店内はそこまで混みあっておらず、すんなりと中に入れた。 席に着いて、メニューをいくつか注文したあと、私は苓さんに話しかける。 「やっぱり、庭園があるとアクセスの良い都内だと難しいんですね。広い土地が無いと日本庭園を付加したカフェが作れません」 「……そう、ですね。そうするとやっぱり郊外か、都外になってしまいますね……都内に住んでいる人の多くは車が無くても不便じゃないですし、庭園カフェには中々来る事が出来ないかも……」 口元に手を当て、考える苓さんに私も頷く
苓さんは、少し恥ずかしそうに自分の口元を手で覆いながらまるで懺悔をするように告げる。 「それに……深いキスをしたら、我慢できなくなって茉莉花さんを襲ってしまうかもしれません……。俺の忍耐力なんて、茉莉花さんの可愛らしさの前では簡単に吹き飛んでしまうんです」 「──っ」 お、襲う……!? まさか苓さんの口からそんな衝撃的な言葉が出てくるとは思わず、私まで顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。 ちらり、と苓さんは私を見あげ、そして周囲を
譲ってください、ならまだしも「譲ってくれますよね?」とそれが当然と言うように宣う涼子に、空いた口が塞がらない。 本気で呆れると、言葉も出てこないのね、と私は新しい発見に感動すら覚えてしまう。 だけど、涼子自身は私がうんともすんとも言わないのが気に食わなかったのか、少しばかりむっと眉を寄せ、頬を膨らませた。 そして少し離れた場所にいた御影さんに助けを求めるように話しかける。 「ど、どうしよう直寛……。藤堂さんが私を無視するわ……酷い……」 御影さんは、はぁと小さく溜息をつくと私と苓さんに向かって足を踏み出した。 近付いてくる御影さんに、苓さんがさっと私の前に体を割り込ませ、立ち塞
翌日。 会社に出社した私の下に、志木チーム長が気まずそうにやって来た。 本部長室の扉を開け、入室して私の顔をみるなり、志木チーム長の顔色が一段と悪くなった。 「昨日は……大変なご迷惑を」 深々と頭を下げる志木チーム長に、私は苦笑い混じりに答える。 「頭を上げてください、志木チーム長。気にしていませんので、大丈夫ですよ。それより、体調は大丈夫ですか?」 「体調は、大丈夫です……その、昨日のタクシー代……」







