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第3話

작가: 鋭子
二年目。私は彼のマンションへと引っ越した。

プロポーズの言葉も、特別な儀式もなかった。ただ、「俺の家へ越して来い。飯や洗濯を任せられるからな」という一言だけがあった。

一緒に暮らすこと自体が、彼に受け入れられた証なのだと思った。

母から電話があり、「いつ挨拶に来るのか」と尋ねられた。私はとっさに、いくつもの言い訳をひねり出した。忙しいから、出張中だから、プロジェクトが佳境だから、と。

「私に会う時間さえ作れないの?」と母は言った。

「お母さん、彼は本当に忙しいのよ」と私は答えた。

電話を切ったとき、言司はソファに寝転がったままゲームに興じていた。

こうした瞬間に胸をよぎる違和感を、私はいつも手早く飲み込んできた。

「愛していないわけじゃない。ただ、愛情表現が不器用なだけなんだ」と自分に言い聞かせて。

三年目。彼の母親がマンションの掃除が行き届いているかチェックしに訪れ、、私が選んだカーテンを指差して「安っぽくて恥ずかしい」と吐き捨てた。

彼女の気に入るものに買い換えた。七万円近い、高級なカーテンだった。

その月、私は二十日間もカップ麺だけをすすって過ごした。

四年目。社内表彰が行われ、私の影の業績は全部署の中でトップだった。

しかし、優秀社員として壇上に名前を呼ばれたのは、言司だった。

その輝かしい業績は最初から、すべて彼の名前で積み上げてきたものだったからだ。

五年目。ヘッドハンターから連絡が入った。新設された投資銀行が、パートナーとして私を招きたいという打診だった。

一晩中迷い抜いた末、最後に言司へそっと打ち明けた。

スマホを置き、私を見つめた彼は言った。「お前が行ったら、誰が俺を助けるんだ」

私はそのオファーを断った。

六年目。彼の母親が、一枚の合意書を私の目の前に突きつけた。

【第一条:白瀬詩音は久我言司との間に婚姻関係が存在しないことを確認し、本同居は自発的なものであり、いかなる法的拘束力も生じないことを認める。

第二条:関係解消後、白瀬詩音は久我家に対していかなる金銭的補償、慰謝料、財産分与も請求しない】

言司は隣に立ったまま、ただの一言も発しなかった。

サインを済ませて廊下に出た私は、階段の踊り場にしゃがみ込んだまま、三十分ものあいだ動けなかった。

やがて涙を拭い、キッチンへと戻り、彼の大好きな肉じゃがを作った。

七年目、そして八年目。気がつけば、私は本来どんな人間であったのかすら、すっかり忘れてしまっていた。

朝六時に起きて食事を作り、昼は秘書として書類を書き、夜は彼の帰りを待ちわびて、深夜には彼のスケジュールを細かく確認する。

すべての時間を、「久我言司」という存在で埋め尽くしてきたのだ。

いつの間にか、「白瀬詩音」が誰なのかさえ、わからなくなりかけていた。

……

私は静かに立ち上がり、クローゼットの前へと歩み寄る。クローゼットの奥底から、カバーの掛かった古い黒のスーツを引っ張り出した。

八年前、入社初日に買った最初の正装だ。

あの頃の私は経済学部でトップの成績を収め、書いた分析レポートは教授によって模範解答として学科の掲示板に貼り出されるほどだった。

スーツを引きずり出し、丁寧に埃を払う。

サイズはまだぴったりと合っていた。ほんの少し、古いだけで。

会社に着くと、社長室のドアの前に人だかりができていた。

白い花柄のワンピースを着た小林七海(こばやし ななみ)が、淹れたてのドリップコーヒーを手に持っている。

彼女は私の姿を見つけると、ぱっと目を輝かせ、甘ったるい笑みを浮かべた。

「詩音さん、おはようございます」

そして、わざとらしくコーヒーのカップを私の目の前で揺らしてみせる。

「これ、久我社長専用の豆で淹れたの。私の淹れ方が一番お口に合うって言ってくださって。外で買ったものじゃ、もう物足りないって」

少し間を置いて、彼女はあざとく首を傾げた。

「あ、そうだ詩音さん。彼、もうオフィスのコーヒーメーカーのコーヒーは飲まないって言ってたよ。もったいないから、もう買わなくていいそうよ」

周りを囲む同僚たちが、静かに視線を交わし合う。同情する顔、野次馬根性丸出しの顔、そして嘲笑する顔。

私はちらりと、七海のトートバッグから半分覗いているランチバッグに目を落とした。

ピンク地に、小花柄のリボン。

昨夜、清掃カートの上に乗せられていたものと、まったく同じデザインだった。

私は手に持っていたタスクリストを、七海の胸元へぱっと押しつけた。

「そんなに甲斐甲斐しくお世話ができるなら、久我社長の身の回りのことは全部、あなたにお任せするわ」

七海が、その場で固まった。

彼女が何かを言いかけたそのとき、社長室のドアが内側から開いた。

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