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第7話

Penulis: 小雨
翌日。

朝菜のスマホに、句美子からのメッセージが届いた。

【姉さんの旦那様、まだ私の上から降りてくれないよ……来る勇気、ある?】

朝菜は、何も返信しなかった。

鋭い刃は、いつだって決定的な瞬間に抜かれる。

そして、狙いを外さず、心臓を貫く。

朝菜が高層ビルにたどり着いた。

ここは、かつて征史が朝菜に初めて告白し、プロポーズした場所。

高層ビルの屋上、A市の夜景を一望できる特別な空間だった。

ふたりだけの秘密基地。

喧嘩した時も、仲直りした時も、自然とここへ足が向いた。

朝菜が辿り着いた時、扉は半開きになっていた。

中は、美しく飾りつけられていた。

頭上には無数の星のようなライト、まわりには無数の氷色のバラが敷き詰められ、まるで氷の宮殿のような光景だった。

その奥から、懐かしいギターの音色が聞こえてきた。

前奏だけで、朝菜には分かった。

――征史が、かつて自分に捧げた、あの告白の歌だ。

桜の下、少年だった征史が、笑顔でギターを奏でながら、こう言った。

「朝菜、俺の彼女になってくれる?」

あの頃の輝きが、胸を締め付ける。

だが今――

この音色の向こうにあるのは、別れの痛みだった。

室内から、句美子の震える声が漏れてきた。

「兄さん、お願い……拒まないで……私、ちゃんといい子にするから。

絶対に、姉さんにはバレないようにするから……」

征史は冷たい口調で言い放った。

視線すら向けずに。

「出て行け……もう決めたんだ。

朝菜とやり直すって、これが最後のチャンスなんだ。

誰にも邪魔はさせない」

「でも、まだ八時まであと三十分あるよ?お姉ちゃんには見つからないって……」

句美子はそっと服をずらし。

中に着ていた、レースの下着がわずかにのぞいた。

「兄さん……これが最後。これが終わったら、もう何も言わない。

お姉ちゃんと幸せになって。

私は……何もなかったことにするから……」

征史の喉が詰まり、言葉を失った。

「お前……」

一瞬の沈黙。

その後、部屋の奥から――

女の、かすれた吐息がこぼれた。

「……声、我慢すんな。あと三十分で、朝菜が来る。それまでに終わらせろ」

屋内では、ベッドが軋む激しい音が響いていた。

その場には、思わぬ来訪者もいた。

征史の両親だ。

こっそり様子を見に来て、思わぬ光景を目にし、顔を見合わせて吹き出していた。

「いやぁ、うちの子も大人になったもんだねぇ。許婚って、やっぱり正解だったわ!」

母親は、周囲の豪華な飾り付けを嬉しそうに眺めながら言った。

「これぞ本物の『金の宮殿で愛を育む』ってやつだねぇ」

父親はふんと鼻を鳴らし、苦笑まじりに言った。

「まったく、最初から句美子を選ばせりゃよかったんだ。あの朝菜なんかにこだわるから、無駄な苦労ばかりして……明日になったら、句美子にグループの5%の株を渡してやる。これでもう、誰にもバカにされないだろう」

「でも……朝菜のこと、どうするの?」

母親は、不安そうに顔を曇らせた。

「ふん、何を心配することがある」

父親は鼻で笑った。

「嫁なんて、元々家のために尽くすために迎えるもんだ。三人も四人も女を抱えるくらい、男として当然だろう?子どもができないのは、あいつ自身のせいだ。句美子に子どもができたら、すぐに離婚させるさ」

朝菜は、冷ややかな目で彼らを見つめていた。

かつて――

征史の父親が病で倒れたとき、誰よりも世話をしたのは自分だった。

彼の母親がうつ病を患ったとき、そばに寄り添い、少しずつ笑顔を取り戻させたのも、自分だった。

けれど今、彼らの口から出るのは、ただ損得と打算だけ。

この何年もの尽力は、何だったのだろう。

朝菜は、静かにその場を後にした。

ビルを降り、朝菜は一台の車に乗り込んだ。

一時間後。

征史は、自分がどんなに残酷な裏切りを犯したかを知る。

そして、彼女が絶望し、交通事故で命を落とす――その事実を。

朝菜は、心の底からそう思っていた。

彼にも、生き地獄を味わわせてやるのだ、と。

運転手は、バックミラー越しに尋ねた。

「……本当に、いいんですか?」

朝菜は、感情を殺したまま、静かにうなずいた。

「……いいんです。行ってください」

その頃、摩天ビルの最上階では――

ギターの弦が、ぷつりと切れた。

征史は、手早く身なりを整え、辺りを軽く片付けた。

「リハーサルはこれで終了だ。

もうすぐ朝菜が来る……句美子、お前は今から国外へ送る」

征史の心が、もう決まっていることくらい。彼女にはわかっていた。

それでも――

その瞳は涙に滲み、声が震えていた。

「兄さん……最後に、もう一度だけ……私を見て」

征史は、無表情のまま句美子の手を冷たく引き剥がした。

そして、ためらうことなく電話をかける。

「こっちは準備完了……彼女を、連れて行ってくれ」

句美子は、絶望の叫び声をあげた。

けれど、征史の心は一ミリも揺るがなかった。

針が、ちょうど八時を指した。

次の瞬間――

摩天ビルの外で、轟音と共に、無数の花火が打ち上がった。

夜空を埋め尽くす光の雨。

星が降り注ぐような、幻想的な景色だった。

東風の夜に、花が千本咲き乱れ、流れ落ちる星屑のように、きらめきながら散っていく。

この壮大な光景は、征史が朝菜のためだけに用意したものだった。

そのために、十億円を惜しみなく費やして。

街の人々は、驚きの声を上げ、こぞってスマホを構え、この奇跡の瞬間を記録していた。

しかし――

誰も気づかなかった。

その華やかな輝きの裏で、暗い道路の隅で、二台の車が激しく衝突したことに。

救急車のサイレンが遠くから響き渡る。

三人の負傷者。

そのうち一人は、妊婦だった。

征史は、摩天ビルの中で朝菜を待っていた。

胸いっぱいの期待を込めて。

彼女が来れば、また昔のように戻れる。

夕暮れの海辺を手をつないで歩き、彼女が疲れたら、おんぶして星空を見上げる。

――そんな未来を、夢見ていた。

八時十分。

彼女は来なかった。

八時三十分。

それでも来なかった。

九時五分。

どれだけ待っても、朝菜の姿はなかった。

空っぽの部屋。

胸に広がる、言いようのない不安。

征史は、何度も何度も電話をかけた。

でも、応答はなかった。

心臓が、ぎゅうっと締め付けられる。

右のまぶたが、ぴくぴくと痙攣し続ける。

――悪い予感がする。

そんな中、携帯が震えた。

慌てて通話ボタンを押す。

「もしもし!?」

受話器の向こうから聞こえてきたのは――

「……もしもし、こちら、救急センターです。

春坂征史さんですね?奥様が……交通事故に遭いました」

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