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第8話

Author: 年々
彩花はおびえながらも頷いた。「わかりました」

女は医療キットから注射器を取り出すと、淡い青色の液体がゆっくりと彩花の血管に注入された。

彩花は、心臓の鼓動がだんだん遅くなって、呼吸も浅くなっていくのをはっきりと感じた。

体の力は抜けていくのに、意識だけは妙にはっきりしていて、周りで起きていることのすべてを感じていた。

女は男性看護師を隅っこまで引きずっていくと、病室のナースコールを押した。

「誰か来て、302号室の患者さんが急変して、もう危ないんです!」

遠くから、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。

白衣を着た医師と看護師が駆け込んできた。「自発呼吸なし!脈拍消失!

急いで!ストレッチャーに乗せろ!救急治療室へ!心肺蘇生の準備!」

彩花は救急治療室に運ばれ、冷たい電極パッドが胸に貼られると、ピリッとした痛みが走った。

「アドレナリン、静注!

除細動器、充電!200ジュール!」

反応はなかった。

「血圧測定不能、血中酸素濃度も低下!

瞳孔が開いてる!光に反応しません!」

そして、ついに――

ざらっとした白い布が、そっと彩花の顔にかぶせられた。

疲れきって感情のこもらない医師の声が、彼女の頭上で響いた。「午前3時17分、死亡確認」

午前3時過ぎ、吉田家の屋敷に、甲高い電話のベルが鳴り響いた。

ジリリリリン――

健太ははっと目を開けた。わけもなく胸騒ぎがして、心がずしりと重くなった。

腕の中から、美羽が不満そうに呟く声がした。「だれよ……こんな真夜中に……」

健太が布団をめくって電話に出ようとしたが、美羽が一足先に駆け寄って受話器を取った。

「もしもし?」

電話の向こうから、感情のこもらない事務的な男性の声が聞こえた。「吉田彩花さんは午前3時17分に死亡が確認されました。ご遺体の処置について、ご家族のご指示をいただけますか」

健太はズキズキと痛むこめかみを押さえながら尋ねた。「美羽、誰からだ?」

美羽は健太に背を向けたまま、受話器を握る指に力が入り、関節が白くなっていた。

彼女は込み上げてくる興奮と喜びを必死に抑え、少し不満そうな声で言った。

「もう、うるさいわね!ただのいたずら電話よ」

美羽はイライラした様子で受話器に向かって呆れた顔を見せた。「はいはい、わかりました。そちらで好きに処理して、もうかけてこないでください!」

そう言って、彼女はガチャリと電話を切った。

美羽は長いため息をつくと、軽い足取りで健太の元へ戻ってきた。

「もう大丈夫よ、健太さん。さ、お休み」

その頃、精神リハビリセンターの冷たい霊安室では、「好きに処理して」という一言が、彩花の仮死計画を後押しすることになった。

面倒な家族の確認も、詳しい死因の再調査もなかった。

一枚の冷たい死亡診断書がすぐに発行され、引き取り手のない女性患者の遺体として、慌ただしく火葬炉へと送られた。

数時間後、安っぽい真っ白な骨壷が、隅の目立たない棚に置かれた。

骨壷にはラベルが貼られていて、そこには冷たい文字が印字されていた。

「吉田彩花」

夜が明ける前の一番暗い時間、一台の黒いワゴンが精神リハビリセンターの裏口から出て、埠頭へと向かった。

車内では、彩花が蒼白な顔で、静かに目を閉じていた。

彼女はそっと船室に運び込まれ、船は静かに出航した。

船は広大な海原を、丸一日かけて航行した。

朝、最初の日の光が船室の小さな窓から差し込み、彩花の静かな寝顔を照らした。

長いまつげが、かすかにぴくりと震えた。

彼女はゆっくりと目を開いた。「彩花、あなたは、逃げ切ったんだわ」
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