「鬼殿。今日で、何日目だ」「何のことでしょう」 「とぼけるのが上手くなったのう。佐加江が鬼殿を呼ばなくなってだ。わかっておろう」「人の暦で、七日目でございます」 「お前は心配ではないのか!」 「七日など、私にとっては瞬き程度のいくばくもない時でございます」 青藍は屋敷の地下回廊を歩いていた。窓ひとつなくひんやりとした回廊は風も吹かず、本来は真っ暗なのだが、そこには幾千、幾億と言う命の灯火が燃えていた。 粛々と燃える物もあれば、回りを巻き込むほどの激しい炎をあげる物もある。そして、静かに消え行くーー。 青藍は一本の灯火の前で足を止める。 その、蝋燭にも似た炎は弱々しく命を燃やしていた。 「人の気持ちは移ろいやすいものです。天狐様もよくご存知でしょう」 「佐加江の気持ちが移ろった事など、一度もなかったわ」「天狐様。鬼は、何もできませぬ。千里眼も読心術も持たぬゆえ……。そんな私は、心の拠り所にもなれなかったのかもしれません」 灯火を撫で、回廊をまた歩き始めた青藍は書斎へと戻り、書架にある台帳を手に取って椅子に掛けた。「佐加江を早くこの世に連れて参れ。最近、稲荷が騒がしい。神事が行われたら大事になるぞ」「本紋を刻むまで、佐加江はこちらで生きてはいけませぬ」「お前が毎晩、精を注いでやればよかろう」 最後に会った晩、なぜ佐加江は紋の事を改めて聞いたのか、青藍はずっと考えていた。単に思い過ごしか、あるいは良からぬ事を考えているのか、青藍には佐加江の胸中を知る術はない。 万が一、大事が起こってしまったら一族の中で大罪となる。が、その罪をかぶる覚悟は、とうにできていた。「ーーたとえば、私があの村で大事が起こることを望んで、呼ばれているのに出て行かぬとしたら」「何を言うておる」「人への積年の怨みを晴らすために人をそそのかし、成就するのを待っているとしたら、天狐様はどうされますか」「お前は、佐加江を何とも思ってないとでも言うのか。あんなに愛おしげに抱いていたではないか」「私は、天狐様とは違いますゆえ」「お前は……、甲を道具として使うな。それでは、あの村の者とやっている事が同じだ」「何とでも」 「解せぬ」 大きな尻尾を翻し、天狐は青藍に一瞥をくれ書斎をあとにした。と、地下へと続く階段を駆け下りてくる息遣いが聞こえる。「おや、死神殿
この時間、青藍は祠の扉をノックされるのを待っているだろうか。 部屋を仕切っている襖は開け放たれていた。浩太に監視されている感じがたまらなく、佐加江はそちらに背中を向け、布団を頭から被っていた。が、背後から襲ってくるかもしれないと思うと、目が冴えてしまって寝付けない。「佐加江さん」 爪を噛み、慌てて目を閉じて寝たふりをする。ずっと布団に潜っているせいか汗が滲んだ佐加江の額には、柔らかな髪が張り付いていた。「うっっ」 「残念だったね」 浩太が脇腹あたりに馬乗りになった。顔に掛かった布団を剥がれ、目の前には例のSNSの画面がある。 時刻は、二十三時五十七分。「こう言うセンシティブな内容は通報されちゃうから、投稿してフォロワー稼いだらさっと消しちゃうのが一番なんだよね」 そこにあったはずの画像は削除され安堵したものの、フォロワーは三桁に満たない数だった。「三十秒前……。十五秒前」 公園のバネの遊具で遊ぶように腰を振りながら、浩太は時間が過ぎるの楽しそうにを待っている。「重い……、浩太さん」 カウントが進むにつれ、浩太の動きが激しくなる。腰骨にゴリゴリと体重をかけられ折れそうで、振り落そうとするが浩太はビクともしない。「さん、に、い~ち!ざんね~ん!」 浩太は楽しそうにスマホをいじり始めた。聞こえてきたのは、昼間のあの言わされたセリフ。佐加江自身、自分のものとは思えないほど甘ったるい声だった。「佐加江さんも見たい? 編集したから良くできてるよ」 零時を過ぎたスマホの画面には剃毛した動画の一部始終が晒されており、刻々と拡散されフォロワーが増えて行く。「やだ! やめて……」 カイボウした同級生も同じような事を言っていたような気がするな、と浩太は思い出し笑いをしていた。「それが、人にお願いする態度なのかな」 浩太の服を引っ張り、スマホを取り上げようとする佐加江の顔は布団で覆われた。浩太がその上へ跨り、佐加江は息が苦しくて手足をばたつかせた。足元の布団は捲れ上がり一発の拳が股間に打ち込まれ、佐加江の動きは止まった。「子宮がある男とか、マジで気持ち悪い。どうせなら、ちんぽ切っちまえよ。男なのか、女なのか意味がわからねぇ」 それから何発も下腹部を殴打された佐加江は、意識を失った。 朝方、目が醒めると尻に違和感を感じた。 冷蔵庫に冷
「見栄えが悪いから、毛を剃ろうか」 そのためのカミソリだった。浩太はスマホを構え、笑っている。「動画撮るから、いやらしく塗り広げて」 佐加江は首を横へ振るが、彼は全て無視を決め込んでいる。「佐加江さん、約束するよ。フォロワーが今日中に百人超えたら、このアカウント消してあげる。だから、頑張って」 一度、ネット上に出回ってしまった物は簡単に消す事が出来ないことくらい、佐加江だって分かっている。コピーされてしまえば、元を消したって意味がない。 前屈みになってうずくまり、額を畳に擦り付けて嫌だと無言の抵抗をする。 浩太は聞き分けのない子供に呆れる親のような溜め息を吐き、佐加江の机の中を漁り始めた。「やっぱり保育園の先生って、持ってるものが子供っぽいんだ」 園児からもらった手紙や折り紙などが入った引き出し。その中から浩太が手にしたのは、仕事用に買ってあった薄桃色のマスクだった。 それをつけた浩太に佐加江は目を疑った。 マスクをつけ、目を細めて笑った浩太が自分を鏡に写した顔とよく似ているのだ。 浩太は二人が映るようスマホを置き、背中を抱くようにして佐加江を羽交い締めにした。そして、企みとは裏腹に、優しく手をとってクリームを塗り広げ、カミソリをそっと握らせる。「動いたら、危ないからね」 耳元で囁く浩太は、マスク越しの唇で佐加江の耳たぶを噛む。不織布がカサっと鳴り、ゾクッとして身体が跳ねると同時に当てられた刃先に、佐加江は涙を流しながら猿轡を噛んだ。 サリ、サリ……。 薄い毛が刈られる。 カミソリがクリームをこそぐ感触が手元から伝わってくる。小さな、それこそ子供のような陰茎を握られる。逃げようとすれば、膝を長い脚に絡め取られ、佐加江は大股を開き陰部をレンズの前に晒した。「うぅぅ」 抵抗して足をバタつかせる。すると、剃刀を持つ佐加江の手に添えていた手を浩太は横へと滑らせた。 指先を紙で切った時のような、ツッとした痛みと共に恥丘が薄く裂け、血が滲む。 それに構わず、彼は三本の指先で汚物でも扱うように、使い込まれていない小さな性器を上下に扱いた。クリームのせいでクチクチと水音がし、浩太は強引に射精に導こうとしている。意思と反して芯を持ち始め、浩太の手に爪を立てた佐加江の手は背後に持っていかれてしまった。「気持ちいいだろう?」 肌に残るハンド
「佐加江さん、鬼に喰われるんだ」「別に構わない」「純潔を奪われたのに、まだそんな口利けるんだ。強気だねぇ」「浩太さんが、初めてだったわけじゃないもの。僕が純潔を捧げたのは、浩太さんなんかじゃない。あんなんで奪ったとか言われちゃ、堪んない。子供のくせに」 部屋まで付いてきた浩太に背後から腰のあたりを蹴られ、敷きっぱなしだった布団の上へ転んだ。「俺が初めてじゃないって、どういう事だ。せっかく優しくしてやったのに、使い古しかよ」 「あれで優しく?!笑わせないで。僕は、本当に心の優しい人を知ってる」「オメガの分際で」「浩太さんを産んだのは、オメガよ。自分の親にそんな事、言えるの!?」 「黙れ。お前は、鬼に喰われるんだ」 浩太の瞳には佐加江に対する、いや、オメガに対する深い憎しみがあるように見える。何か触れてはいけない部分に触れてしまったような気がしたが、浩太が表情を崩したのは一瞬で、また笑っていた。「そういえば……。さっきの顔射写真、評判いいよ」 浩太に見せられたスマホの画面には、『越乃 佐加江』と実名アカウントのSNSがあった。 そういうものがある事はもちろん知っているが、特に興味も関心もなかった。「なにそれ……」 浩太が指先でスワイプした先には、画像が投稿されていた。浩太が見下ろしたアングルから撮った写真だ。精液に溺れそうになっている顔だけでなく、申し訳程度に生えた陰毛と性器まで写り込んでいる。そんな卑猥な画像が、加工されることなく公開されていたのだ。 刻々とリプライが表示される。 この一時間足らずで、多くの人が目にしているようだった。「ちょっと、そんなおかしな事やめてよ!」「珍しい名前だし、知ってる人が見たらすぐわかりそうだよね。なんなら、住所も公開してみる?」「やめて」 スマホを取り上
「青藍……」 ーー鬼治稲荷へ行こう。 佐加江は唇を噛む。服を着て部屋へ行き、昨日、帰ってきて押し入れに隠した白いスニーカーを持って窓を開けた。 と、煙草の匂いがする。 「そうそう。え? あれ、男だよ。ヤバいだろ」 スマホで話しながら、くわえ煙草をふかす浩太は乾いた笑みを浮かべ、佐加江の手からスニーカーを奪った。 「ネット配信とか出来るかな。ここ田舎だから、めちゃくちゃ電波悪いんだよね。またあとで連絡するわ」 火を靴裏で消した浩太は、吸い殻を指先で庭へ弾き飛ばし、佐加江を押し戻して部屋へと上がって来る。 「佐加江さん、 髪が濡れたままどこへ行くつもりなの」 ならば、と佐加江は土間へ向かった。その気などさらさらない癖に、気遣う言葉を浩太は羅列する。わざとらしい大きな声に気づいたのか、診療所から顔を出した越乃に見つかってしまった。 「佐加江、ちょっとおいで。髪を乾かしてからでいいから」 まるで軟禁だった。あっけなく逃亡は阻止され、佐加江は振り返らずに越乃の元へと逃げ込んだ。 たまにカルテの片付けを手伝う診療所の壁紙は、柔らかい雰囲気になるよう越乃と選んだものだ。パステルクリームを基調にした小花模様で、通り抜けた待合室は穏やかな陽射しが差し込んでいた。が、ここが診療所であることを主張するようにクレゾールの独特な匂いが漂っている。 診察室のカーテンを覗くと、普段着の越乃がデスクで書き物をしていた。 「髪はいいのか? いつも気にしてるオシャレさんが」 いつ青藍に逢うことになるか分からなかったから、佐加江はいつも身だしなみだけは気を配っていた。 「うん……」 書いていた紙を足元の金庫へしまった越乃が、診察室にあるタオルを取って髪を拭いてくれる。 「風邪をひいたら、大変だ」 「そうだね」 「少し身体を見ておこうな。調子はどうだ」 「あまり……」 ついさっき浩太に弄ばれた身体。佐加江はシャツの裾を躊躇しながらたくし上げ、越乃に胸を晒した。聴診器を手のひらで温めてから、真剣な顔で診察する越乃は、浩太につねりあげられた跡が残る腫れた乳首を見て、ふっと笑った。 「発情あとだし、ほどほどにな。DVDがそのままになってたぞ」 「あ……」 「脈が早くなってる」 聴診器を外した越乃が、笑いながら何も書かれていない
佐加江を風呂へ放置し、診療所内を物色していた浩太は越乃が診察の際に使っている椅子に腰かけ、考え事をしていた。 初等部の頃、浩太は友達と運動会のスターターピストルの火薬を盗んだ。ただ派手な音を鳴らすだけではつまらない。浩太は庭の排水溝を開け、そこを住処とする可愛がっているガマガエルを手に乗せた。 いつもそこに隠れている事を、もう何年も前から知っている。 冬眠のたびに大きくなるガマガエルは見た目よりもズッシリと重く、太陽の下で目玉がシュッと横に細くなった。 (かわいい……) 尻に火薬をめいっぱい詰めるが案外、抵抗しない。急につまらなくなった浩太は何を思ったのか、真っ白な家の外壁に向かってガマガエルを投げつけた。 パーン、と閑静な住宅街に鳴り響いた火薬の破裂音。 運動会の時よりも湿り気を帯び、くぐもった音に聞こえた。母親が驚いた顔でカーテンを開け、浩太の事を嫌悪した目で見ていた。思えば、物心ついてから母親と目が合ったのは、それが初めてだったかもしれない。 それに満足したかのように、浩太は笑みを漏らす。 対象は少しづつ大きな物に変わって行き、中等部になると、最後まで親友と信じてくれていた同級生のKをカイボウして遊んだ。 その頃は、彼が浩太にとってのガマガエルーー。 どんなに頭の良い学校でもガラの悪い連中はいる。そんな高等部の奴らとつるみ、浩太はKと一緒にいるところで絡まれるふりをした。どんな因縁をつけられたかは忘れたが、Kが制服を脱がされるのを腹のなかで笑いながら、浩太は「やめろ!」と涙ながらに訴えていた。 それは、どれくらい続いただろうか。 金銭も身体も搾取され、ボロボロになったKがやっと浩太の望む事をしてくれた。 『浩太君、もうやめよう……』 Kは最期まで浩太を親友だと信じていた、と思う。 もうあれから一年以上経った今年の夏休み、卒業した中等部から呼び出しを食らった。 外部高校の受験を苦にした同級生の自殺が蒸し返され、遺書もそれっぽいものを一緒に書いてやったと言うのに、どこからかカイボウの件がバレた。 浩太は反論するどころか、自分がした事を知らしめたかったのかあっさりと認め、親が金銭で解決したものの表向きは留学準備のための退学として、学校は辞めさせられた。 小さい頃から、なかなか治らない素行。父