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第5話

Author: ファイブ
それからの数日、琴羽は誰とも関わろうとせず、ただ働くことだけに集中した。

今日のシフトを終えれば、ようやく痛み止めを買うだけのお金が貯まる。そう思うだけで、重かった足取りも少しだけ軽くなる。

琴羽はワインを載せたトレーを持ち、指定された個室へ向かった。注文の品を届け終え、そのまま退出しようとした時、突然、背後から腕を掴まれる。

「どこへ行くんだ?せっかくだし、俺と飲もうぜ」

強引に引き寄せられたせいで、手首に鋭い痛みが走る。琴羽は慌てて身を引こうとした。「申し訳ありません。お客様、私はお酒が飲めませんので……」

だが男は手を離そうとしない。それどころか、さらに身体を引き寄せてくる。「飲めないなら仕方がない。代わりに今夜、俺に付き合えよ」

そう言うなり、遠慮なく身体に触れてくる。

琴羽は凍りついた。この店で働き始めてから、こんな目に遭うのは初めてだ。恐怖で頭が真っ白になる。

「やめてください!」必死に腕を振りほどこうとする。「警察呼びますよ!」

男は鼻で笑った。その目には露骨な欲望が浮かんでいる。

「騒ぐなよ。助けを呼んでも誰も来ないさ。いいか?俺は青森家のお嬢様に頼まれてきたんだ。お前を犯してほしいってな。たっぷり報酬ももらってるんだ。だから今夜はしっかり楽しませてもらうぜ」

琴羽の血の気が引いた。薫なら何をしてもおかしくない。そう思っていたはずなのに、ここまでやるとは想像していなかった。

彼女は必死にもがきながら叫び続ける。その拍子に足が扉へ当たり、勢いよく開く。

ちょうど近くを歩いていた二人が異変に気づき、足を止めた。

まさかの正樹と智則だった。

二人の姿を見た瞬間、琴羽はまるで溺れる人間が最後の浮き輪を見つけたかのように縋りついた。

「正樹さん!智則くん、助けて……!中の人が私に乱暴しようとしてるの!」

二人は目を見張った。だが、それもほんのわずかな時間だった。すぐに見慣れた冷たい表情へ戻る。

「またか。芝居で同情を引こうとするのはもうやめろ、俺たちには通用しない」

「そうだ。こんなことをやってる暇があるなら、もう少し薫に対する態度を改めてくれ。そうすれば僕たちだって優しくしてあげるさ」

そう言って、二人はそのまま背を向けた。

歩き去る二人は、薫にどんな差し入れを買えば喜んでもらえるのか、そんな話をしていた。

琴羽は立ち尽くしたまま、その背中を見送った。胸の奥で何かが崩れていく。崖の縁に立っていた自分が、今度こそ底の見えない闇へ落ちていくようだった。

どうして。

どうして一度も信じてくれないのだろう。

どうして確認すらしないで、自分を罪人だと決めつけるのだろう。

その瞬間、琴羽はようやく理解した。もう誰も助けてくれない、と。

背後では男が再び近づいてきていた。腕を掴まれそうになった瞬間、琴羽は咄嗟に入口脇の花瓶を掴み、全力で振り下ろした。

「ぐあっ!」男は頭を押さえ、その場に崩れ落ちた。

その隙を狙って、琴羽は制服の乱れを掻き合わせるように整え、全力で逃げた。

家へ辿り着いた頃には、全身が震えていた。玄関の前に立っても、すぐには中へ入れない。しばらく扉にもたれながら呼吸を整えてから、ようやく鍵を開ける。

重い足取りでリビングへ向かうと、そこには両親、そして薫の姿があった。

三人はまるで彼女を待ち構えていたかのようにソファへ座っている。

琴羽の姿を見た途端、健志が怒鳴った。

「この恥知らず!薫から聞いたぞ!あんな場所で男遊びに耽るなんて何を考えているんだ?青森家の人間としての自覚はないのか?

今すぐ外へ出ろ!夜が明けるまで庭で跪いていろ!」

外では激しい雨が降っていた。

琴羽は静かに玄関を出て、庭の中で跪く。冷たい雨が容赦なく身体を打った。服はすぐに濡れ、髪から水滴が流れ落ちる。

大きな窓の向こうでは、三人が楽しそうにテレビを見ていた。健志と静子は薫を真ん中に座らせ、優しく笑いかけている。

二人は自分の親で、愛されるのは自分だったはずなのに。

幼い頃、育ての母親から十分な愛情を受けられなかった琴羽は、いつも薫を羨ましく思っていた。

だから自分が青森家の実の娘だと知った時、飛び上がるほど嬉しかった。ようやく愛してもらえると、そう信じていた。

青森家へ戻ってからは必死だった。認めてもらいたくて、親孝行もいっぱいした。けれどどれだけ努力しても、孤立され、惨めになるだけだった。

世の中には本当にいるのだ。実の娘より、血の繋がらない娘を愛する親が。

――でも、もういい。そんな日々も、もうすぐ終わるのだ。

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