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客としてだけじゃ物足りない

last update Last Updated: 2025-07-01 19:00:11

焼け付くような喉の不快感で目を覚ましたおれは、水、水……と、まともに開けられない瞼のまま自分の周りを手探りでペットボトルを探す。いつも寝る前にはベッドサイドに置いておくのだが……

「起きたか」

ふいに部屋に低い声が響く。

がばりと上体を起こすと、ソファに大きい白人の男がいて、「おはよう」なんて挨拶してくる。

「え!?ここどこ!?」

おれは一瞬、学生時代に留学したカナダの寮にいるのかと前後不覚になってしまう。

「透の家じゃないの?」

よく見ると、引越して来たばかりの自分の部屋なのは間違いなく。

そうだ!おれすごく眠くて……

「ヒューゴ!」

「うん」

「連れてきてくれたの?」

「そ。何度か叩き起こしてね、自転車も一緒に」

「ごめんー」

「いいよ、飲ませちゃったのは僕なんだから」

ヒューゴは微笑み、「では、僕はそろそろ帰るけど」とソファから立ち上がり玄関に向かった。

おれは急ぎベッドから這い出し、キッチンにあったペットボトルのミネラルウォーターを流し込みながら後ろを追う。

「ほんとごめん。また飲も?」

引き止めたい自分を押し殺し、靴を履いているヒューゴに声をかけた。土曜はお店も忙しいはずだ。

「じゃあ……今夜もおいで。食事、用意しておくから」

振り返ったヒューゴの目に、窓から差し込む日光が反射してキラリと瞬く。

そういえば、明るいところでヒューゴを見るのは初めてだ。

「いいの?」

「必ず来て。待ってる」

そう言い残して背の高い男はかがむようにドアを潜って帰った。家の玄関にいたヒューゴは余計に大きく見えた。

閉じられたドアを見ながら、おれはついガッツポーズをしてしまった。今夜も美味い飯が喰える。

時計を見るとまだ辛うじて午前中だった。店を出たときは夜明け間際くらいだったと思うから、ある程度は眠れている。

その分、ヒューゴに時間を使わせてしまった。

置いて帰ってくれてもよかったのに、起きるのを待っていてくれた優しさが染みる。

今夜、よく謝らなくちゃ。

おれは二度寝の誘惑を引き剥がして少し熱めの風呂を用意し、とにかく酒を抜くことにした。せっかくの週末だ。

風呂から上がりサイクリング用のウェアに着替える。酒量の割に二日酔いの症状がないのがありがたい。

てっきり玄関先に置かれていると思ったおれの自転車は壁掛けのハンガーに正しく掛けられていた。

それにしても、寝落ちしたおれと自転車をどうやって部屋まで持って帰ってきたんだろ。おれの身体にも車体にも擦り傷一つ無いから、道路を引き摺ってきたわけでもなさそうだ。

7月末の昼間はもう真夏並みの日差しで、ライド時には日焼け止めとサングラスは欠かせない。

サイクリングウェアは吸水発汗性やUV効果が改良されて、半袖よりも長袖を着用している方がずっと楽だ。年々、肌に感じる日差しが強くなってきているのは気のせいではないだろう。

マンションの近くに流れている一級河川には、海まで続くサイクリングロードが並走している。極稀に散歩をしている人もいるから前方とスピードには気をつけなければならないが、それでも道路を走るのとは比べ物にならない快走感を得られる。もちろん信号もない。

なんとなく下流へとペダルを進める。

海まで行くつもりはなく、往復で3時間ほど漕げれば十分だ。

途中にある看板によると、いくつものサイクリングロードが県をまたいで繋がっており、うまくルートを繋げばぐるりと一周できるようだった。

山の方へ伸びているサイクリングロードは看板の途中で切れているものがあり、行き止まりなのか、そこへ行けば追加の道案内があるのかは把握できなかった。

探索の楽しみに胸が踊る。

再びベダルを漕ぎ始めると、停車中に吹き出した汗が、走行中の風で冷えて心地よい。

昨今の自転車ブームで土日はサイクリングロードの混雑も考えられる。もし本格的に山側のサイクリングロードを攻めるなら、体力を考慮してどこかで1泊したほうがいいだろう。キャンプもいいかもしれない。まあ平たく言えば野宿なわけだが、男一人だとなにかと身軽だ。

まだ彼女がいたころは、そう長くはない交際期間のうち旅行に出かけたこともある。虫が苦手な彼女の意向でキャンプには行けなかったが、強く誘っていれば付いてきたのだろうか。

おれは昔から、自分の意志や希望を通すことに抵抗があった。他人の意向を優先する方が精神的に楽だ、と信じていた。

だが本当は、抑圧され続けた自分の意思は無自覚のストレスとなり、小さな澱みを貯めていっていたんだ。それに気づいたのはずっと後で、小さな澱みは大池となり、生き辛さとしておれの日常に影響してきた。

このまま一生、不気味な違和感や我慢と共に生きていくのかと思うとゾッとしたんだ。いや、そのことに今まで気が付かなったことへの恐怖か。

我慢するのが人生ってものだ、なんて年配者の言に遭遇することがあるけれど、今なら全否定できる。

おれは我慢よりも、世界や自分の変化に寄り添う人生がいい。

結局、自分を優先する生き方に方向転換し、そして一人になった。

今は何もかも好転しているように感じられるし、毎日充実している。

けれど。

過去に植え付けられた性格はまだまだ残っていて、自分を優先することに引け目を感じそうになる瞬間はある。

いつの日か過去を振り返ったときに、この決断を後悔することがあるんだろうか……などと思うこともある。

なんて、詮無い思考に頭を委ねる。

自転車を漕いでいると無意識にどんどん思考が進み、気がつくと知らない場所にたどり着いていることなんてざらだ。

自分にとってこの時間はとても大切なもので『無の時間』と呼んでいる。思考はしているんだけど時間や場所を忘れてしまえる大切な切り替えポイントだ。この時間を週末に取れて初めて休息感を得られるんだ。

すっきりした頭で帰路につき、コンビニに寄って飲み物を数本買う。サイクリングの後は、飲みながら映画鑑賞をするのが週末の楽しみだ。

サブスクリプションサービスをザッピングしておすすめ映画を確認する。AIが抽出したタイトルに新しい発見もあるから侮れない。

でも今日は、ちょっと眠いかな……。今朝このソファにヒューゴがいたことがだいぶ前のことに思える。サイクリングで頭がリフレッシュできたせいかも————

ハッと気付くとすでに窓の外は真っ暗で、急いで時計を見ると19時を回っていた。知らずに寝入ってしまったようだ。さすがに30歳、朝方まで飲んだ日は昼寝しないと持たないか。

簡単に身だしなみを整えて家を出る。

相手の容姿があれだけ良いと、こっちも多少は小綺麗にしていかないと失礼な気がする。少しでも、あの店と、バーテンダーにそぐわしいように。

それにしても手持ちの服が通勤用しかないのは問題だ。……買いに行かなきゃな。

食事を用意してくれると言っていたが、様子を見て、もし混んでいるようならば少しだけ飲んで帰ろう。とにかく、今朝連れて帰ってもらった詫びが目的だ。

ドアを引くと、コロン、と優しく鐘がなり、ヒューゴが振り向く。

「あ、いらっしゃい透」

ヒューゴはカウンターでたくさんのキャンドルに順番に火をともしている。まだカウンター席に客はおらず、テーブル席が1つ埋まっているだけだ。

「今朝、迷惑かけた。ごめん。重かっただろ」

はは、とヒューゴは明るく笑って軽く首を振った。気にするなってことだろう。

「それでボトルでも入れようかと思ってさ」

「ボトル?なんの?」

ヒューゴは火をつける手を一旦止める。

「ほら、よくあるじゃん。常連が行きつけの店に自分専用の酒を1本キープしておくの」

ああ、あれか。と合点がいったようだ。

「常連になってくれるのか?」

「そのつもりだけど……」

「じゃあ、ウォッカかな。透はモスコミュールをよく飲むから」

「なるべく高価なやつな」

「そんな気を使わなくていいんだよ」

困ったような視線でおれを見てくるが、この方法以外に思いつかなかったんだよな。

「楽しかったから。また一緒に飲みたい」

「僕もだ。ね、食事用意してあるんだけど、どう?」

「そのつもりで、お腹空かせてきた」

ヒューゴはまずモスコミュールを出してくれて、それからキッチンへ消えた。

料理ができるまで、店内に据え付けてある本棚を覗いてみる。

床から天井まで、壁一面に作り付けられている大きな本棚の前には、スタンドライトと一人用のソファが2つ、小さいサイドテープルを伴って置かれている。その様子から、おそらくここでも飲んでいいんだろう。

本のラインナップは殆どが洋書で、英語でない本も多くジャンルが分からない。大判のものはおそらく写真集か。本だけでなく様々なデザインのブックエンドが使われているのも面白い。骸骨のような不気味なアンティーク調のものから、座ったアルパカのようなキュートな木彫りまで個々はバラバラだが、不思議と全体的にまとまり感がある。

これもヒューゴのセンスなんだろうか。

どんな本たちなのか推測してみようと端から順にタイトルをじっくり見ていると、「おまたせ」とヒューゴがキッチンから出てくる。

トマトソースの匂いが胃をダイレクトに刺激する。

「はまぐりのペスカトーレ。好きそうだと思ったから」

「うわ、絶対好き。いただきます」

一口目であまりの旨さに悶絶した。濃いめのトマトソースに凝縮された魚介の味、正直、今まで食べたパスタ料理の中で抜群に美味い。

ヒューゴは、カウンターの中に置いてあるスツールを俺の正面に持ってきて座る。

美味い美味いと連発しているとヒューゴははにかむけれど、そこには『当然だろ』と言わんばかりの自信も見えていて。

「作った人を見ながら食べて、直接美味いって伝えられるのって、とてもいいな」

おれがそう言うと、照れたような笑顔が返ってきた。言われ慣れてそうだが、意外な反応だ。

20時をすぎる頃にはカウンターも埋まり始め、ヒューゴはすっかり仕事モードになったようだった。おれには食後のコーヒーを淹れてくれて、各テーブルやカウンター席を移動しながら素早くオーダーをこなしていく。

「今日、あれから眠れた?」

食べ終わった皿を下げにきてくれたから声を掛けると、ヒューゴは立ち止まって「とても」と短く答えて少し思案するように間をおいてから、「店まで戻ってきて、そのまま上で寝て起きたらもう夕方だった」

両手がふさがっているヒューゴは頭と目線で天井の方を指す。

「部屋があるの?」

「うん。あ、ちょっと待って。電話だ」

エプロンのポケットにでも入れているのか、微かに振動音が聞こえた。ヒューゴは急ぎ足で厨房の方へ消えていく。

7席あるカウンターはほとんど埋まり、テーブル席はRiservedの札がある1席を残して埋まっている。

忙しそうだし、そろそろ帰ろうかな、とスツールから降りかけたとき、

「お知り合いですか?」と、ふいに隣に座っている男性客に声を掛けられた。

「あ、いえ、ただの客ですが……?」

まだ数回しか来ていないから、知り合いではないよな。

会話を終わらせるのは相手に申し訳ないと思ったおれは、スツールに腰掛け直して、

「常連さんですか?」と聞き返した。

男性客は会話が続くことに満足したのか軽く笑顔を作り、ウイスキーのロックらしき自分の酒を一口飲んだ。

「土曜日にね、よく来ます」

「そうなんですね」おれは思ったまま口に出した。いままで行きつけのバーなんて無かったから、こういう夜の店のコミュニケーションでは何を話せばいいのかいまいち掴めないな。

少しだけ居心地の悪さを感じて、やっぱり帰ろうと軽く身を乗り出して厨房を覗き込んでみる。厨房にはドアがあるから中は見えないが、隣客に対してのアピールだ。

すると、厨房の跳ねドアを押さえて電話をしているヒューゴと目があった。思ったより通話が長引いているのか、ドアを開けて店の方を気にしていたらしい。

「ん?」

ヒューゴがおれを手招きしている。

「失礼」

一応隣客に断って席を立ち厨房に向かう。なんだなんだ。

「大丈夫だよ。仕事がんばって」

近寄ると、ヒューゴはおれと視線を合わせたまま電話の相手に伝えてから切り、「お願いがあるんだ」と言いながらおれを厨房の中へと引き連れていく。

コンロが6つもある大きなストーブに、いくつもの鍋。想像していたより本格的な厨房をキョロキョロ見ながらヒューゴについていくと、奥に簡素な木の扉があった。

「諒子が仕事で遅くなるみたいなんだ。土曜は店を手伝ってもらっていて。今夜は予約が入ってるから一人じゃ厳しくてね」

扉の向こうはいわゆるパントリーらしく、食材の他にもテーブルクロスのような布類もたくさん置いてある。

「やらせていただきます!」

おれは先回りして答えた。ちょうどいい礼になるんじゃないか。それに、おれにはレストランでのアルバイト経験がある。多少は役に立てるはず。

「こんなこと頼むなんておかしいって分かっているんだけど。透を見たら、つい……呼んでしまった」

弁解しながらヒューゴは袋に入ったままの黒いエプロンと、白いシャツをおれに渡してくれた。

「諒子が来るまで、ドリンク運んでくれるだけでいいから。時給弾むね」

「いや、お給料はいらない。今朝のお礼にぜひ手伝わせてください!」

そう言いながらも、カウンターの中に入って一緒に働けるなんて楽しそうで胸が踊る。

パントリーの奥で着替えると、エプロンの他にジレも入っていた。どちらもLサイズでちょうどよく、おれはシャツの上からジレを着るとサイドのベルトで少し絞る。

アルバイトを何人雇っているのか知らないが制服として用意してあるんだろう。

それにしても懐かしいな。

大学時代にバイトしていたレストランはホテルに入っているそこそこ有名なお店で、まあおれはまかない目当てではあったけれど、厨房にいる多国籍のスタッフとの交流も楽しく卒業間際まで続いた。そんな唯一のバイト経験を活かせる日がくるなんて。

久しぶりのロングエプロンの纏わりと、ジレのタイトなフィット感に身が引き締まる。

念入りに手を洗いカウンターの中に入ると、さっき声をかけてくれた男性客の前に立ち、「急ですが、客からバイトになりました」と一声掛ける。

「やっぱりお知り合いだったんだ」

男性客は訝しげな様子ではあったがすぐに切り替えたようで、「じゃあお替りを」とさっそく注文してくれた。

「似合うよ」

グラスの縁にレモンをなすりつけながらヒューゴが笑いかけてくれ、おれはカウンターの内側に立つ姿はこうなっていたのかとまじまじ見てしまう。

ヒューゴはジレを着ていないが、着てしまうと絵になりすぎて今以上に現実味がないかもな。

それからすぐに予約の6名客が入店し、おれは飲み放題の過酷さを思い知ることになった。

酒豪揃いの女性6名で、とにかくじゃんじゃんオーダーが入った。

一見さんでは無いようだから、ヒューゴはこうなることが分かっていておれを頼ってくれたんだろう。

料理の方は軽食メニューから数品セレクトしたようで、チーズの盛り合わせなど簡単なものばかりだった。どう出すかをいちいちヒューゴに聞くのも悪いし、それに忙しすぎて会話する暇もない。

レストランのバイト時代に飽きるほど見た装飾パターンを思い出しつつ、予約表を見てプレートに盛りつける。念の為ヒューゴに見せてからテーブルへと運ぶが、今の所おかしなことはしていないだろう。

軽食はそれで良さそうだったが、6名客は誕生日パーティのようで、パントリーには四角いチョコレートケーキが人数分用意されていた。おそらくガトーショコラで、その大きさから察するにデザートをメインに据えているんだろう。こちらはヒューゴに仕上げてもらうしかなさそうだ。

おれはケーキを全てのプレート載せて、近くにあったフルーツを添え、厨房の作業台に並べる。たぶん他の菓子も載るはずだ。

厨房のドアを少し開き、目線でヒューゴを呼んで、湯煎しておいたアイシングペンを手渡す。

ヒューゴはわざと横目でおれを見ながら、チッチッチッと短く舌打ちし、「キミ、経験者でしょう?」と聞いてきた。

おれが知る限りだが、この舌打ちはヨーロッパの人がよくやる習慣で決して否定ではなく、感嘆の表現らしい。前職場のグローバル会議で、日本の運用プロセス資料が出た時に舌打ちが聞こえて驚いたが、後から聞くとそういうことだった。

フィンランドやドイツの会社との会議でも同様なことが起こったがアメリカでは聞いたことがなく、ヨーロッパ独特なのかもしれない。

日本語が自然すぎてついヒューゴが北欧人なことを忘れてしまうが、やっぱり身についた癖はそのままなんだな。

「昔ちょっとバイトしてただけだよ」

「思うに、かなりいいレストランだ」

そういいながら、長い指で器用にアイシングペンを摘み、皿の縁に筆記体でなにか書いていく。ハッピーバースデー的なやつだろう。

「それスウェーデン語?」

「そう。あのグループはスカンジナビアに住んだことがある人の集まりで、よくうちに来てくれるんだ。北欧のビールが置いてある店は少ないから」

なるほどな。ま、酒もそうだが、この北欧の代表みたいな外見をしているオーナーがいることも大きいだろうな。

ヒューゴは冷蔵庫からクリームが入った容器を出すと、たっぷりとガトーショコラの横に添え、さらにピンクと若草色のマカロンをいくつも載せた。コントラストが美しいし、なにより豪華だ。

おれも誕生日にこれやってもらおうかな。

「3枚、持てるでしょ」

返事を待たず、ヒューゴは仕上げを終えたデザートプレートをおれの腕に乗せる。

「こんなの余裕ですよ」と冗談めかすと、「時給、期待してて」と言いながらおれの口元に飾り付けで余ったラズベリーを持ってきた。

パクリと口に入れると、甘酸っぱく溶ける。新鮮なラズベリーなんてなかなか食べられないもんな。時給より、おれ、こっちの方がいいかも。

諒子さんは仕事が終わらなかったらしく、その夜は店に現れなかった。

ヒューゴに申し訳無さそうな顔をさせるつもりはなかったが、提示された時給は固辞した。

今朝の迷惑料に少しでも役立てたなら十分だ。それに本当に楽しかったんだ。

「あのさ、またバイトさせてほしい」

「もちろん!」

オーナーはおれの無謀な要望に即答してくれた。

「諒子が喜ぶよ、店に間に合わない日は、残業していても気が散るって言っていたから。だけど次はお給料受け取ってもらうからね。では、改めてよろしく」

「よろしく。客ときどきバイトってことで」

おれたちは合意の握手をした。契約成立だな。

普段、デスクワークで一日中PCに向かっているのと、ウェイターとしての立ち仕事は正反対に位置するように思う。その両方が経験できるなんてとても贅沢なことだ。

パントリーで着替えを済まして出てきたおれに「今夜はどうする?」とすでにエプロンを外したヒューゴが尋ねてくれた。

「1杯だけ飲んで帰るよ。おまかせしていい?」

「了解」ヒューゴは手早くエプロスパイスが香る琥珀色のカクテルを作ってくれた。初日飲んだものと同じものだろう。

「手伝ってくれてありがとう」

「こちらこそ、バイト、すごく楽しかったよ」

ヒューゴはショットグラスを煽り、おれはカクテルを一口飲み込んで、同時に深くため息をついた。

肉体労働後の一杯は言わずもがな、格別に美味い。

それをヒューゴと共有していることに、ものすごい充足感を感じていた。

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