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3-5【変わりゆく日々の予兆】

Auteur: 蕪菁
last update Date de publication: 2025-12-18 15:50:54

 夜のあぜ道を、私服姿のアデーレがとぼとぼと歩く。

 空には三日月。

 見慣れた故郷の夜空は、日本では見ることも難しくなった満天の星空だ。

 ぼんやりと空を眺めていると、ポケットの中から何かが飛び出す。

「お疲れ様だね、アデーレ」

 目の前に現れたのは錠前……ヴェスタだ。

 結局仕事中に喋ることはなく、アデーレも忙しさからその存在を忘れつつあった。

「うん……ヴェスタ様はずっとポケットの中で窮屈きゅうくつじゃなかったの?」

「はは。別にこれが僕の本体って訳じゃないから」

 それもそうだとうなずくアデーレ。

 だが、錠前越しにこちらを眺めているヴェスタの姿を思うと、のん気な神様だと呆れてしまう。

「あ、今僕が神の世でのんびり観客決め込んでるって考えたね」

「カンガエテマセン。ヴェスタサマ」

「神に嘘吐きとは感心できないね。まぁいいけど」

 人の考えることなどお見通しとは、さすが神様といったところか。

 しかし、これではうかつなことは考えられない。

 仕事と錠前によってプライベートが奪われていくことに、ため息を漏らす。

 それもお見通しなのだろう。

 錠前は笑っているかのようにカチャカチャと音を立て揺れる。

「ああそうだ、君が仕事をしている間に少し考えたんだけどね」

 錠前がアデーレの顔の横に浮かぶ。

「君が僕をヴェスタって呼ぶの、何か堅苦しくてよくないと思うんだ」

「はぁ……でもあなたはヴェスタ様な訳でして」

「そりゃあそうだけど。でも君らにとってヴェスタは火竜で、今の僕はただの錠前さ。何より今の僕と君は相棒だろう?」

 ただの錠前が喋ったり変身させたりするわけがないだろと、アデーレが心の中でツッコミを入れる。

 更に神を相手に相棒呼ばわりするのも畏れ多く、アデーレの表情は複雑そのものだ。

「という訳で、君に新しい名前を付けてもらって、今後はお互いフランクに行こうと思うんだ」

「名前? 私が?」

 名前を変えたところでフランクな関係になるとは思えない。

 だがヴェスタ自身は大真面目にそう思っているようだ。

 それに、堅苦しさが緩和されるというのは分からないでもない。

 元来神の名前とは、それだけで深い意味を持つものだ。

「どうせなら、君の元いた世界にちなんだ名前がいいな」

「また変なリクエストを。じゃあ……」

 目の前に浮かぶ錠前を眺めながら、過去の記憶に思いを巡らせる。

(錠前……鍵……ロック…………)

 我ながらイメージが貧困だと思うアデーレ。

 とはいえ、わざわざ凝った名前を付けるのも面倒だ。

 仰々しい名前では、フランクな関係とは程遠いだろう。

「今、面倒だと考えたね」

「仕方ないじゃないですか。実際にそうなんだし」

「あ、今度は結構はっきり言うね。いいよいいよそういうの」

 相も変わらずカチャカチャ揺れる錠前。

 更には不敬な態度に機嫌を良くするとなれば、ヴェスタが神としての自覚を持っているのか疑問すら抱いてしまう。

 そんなことを思い、アデーレは必死に考えている自分が少しだけ馬鹿らしく思えてしまった。

「はぁ……それじゃあ」

 少しだけ苛立ちを覚えつつ、少し乱暴に錠前をつかむ。

 そして自分の顔から離し、月明りに照らしながら錠前を眺める。

「ロックン……いや、アンロックンで。どう?」

 鍵、イコールロックからの、アンロック。

 割れながら安直だと、乾いた笑いを浮かべるアデーレ。

 ロックンとしたのはアデーレなりの愛嬌だ。

「アンロックンか。なるほど、いいじゃないか。響きが気に入った」

 どうやら神様ヴェスタは納得したようだ。

 アデーレの手の中で、カチャカチャと音を立てている。

「それじゃあ、今日から僕はアンロックンだ。改めてよろしく、アデーレ」

「うん、よろしく。お互いあんまり出番がないことを祈りたいところだけど」

「それもそうだっ」

 そう言って笑う、喋る錠前アンロックン。

 変わらぬその言動には、それなりの癒しがあるようにも感じられる。

 慣れぬ仕事で疲労困憊のアデーレ。

 明日もあのお嬢様の傍で仕事かと思うと、それだけで気苦労が尽きない。

 だから今は、新たに出来た相棒とひと時の談笑を楽しむ事にしようではないか。

          ◇

 アデーレがエスティラの傍に控えるようになって数日。

 肉体的にも精神的にも過酷な仕事を続けたアデーレは、いつもに増してクールというか、不愛想になっていた。

「ちょっとあなた、いつまでそんな顔してるのよ。シャキッとなさい」

 ソファに座るエスティラが、向かいの壁際に立つアデーレをジト目で睨む。

 隣に立つロベルトが背筋を伸ばして立っていると、アデーレの不甲斐ない姿がより際立っている。

 自身の腑抜けた姿に気づいたアデーレは慌てて背筋を伸ばすも、その姿を眺めていたエスティラは呆れ調子で嘆息を漏らす。

 だが家主の傍にいるとはいえ、アデーレはこの仕事を始めて日の浅い新人だ。

 主人の前では隙を見せないというお付きの鉄則。

 新人がこれを貫くというのは、なかなかに酷な話である。

 もちろん、アデーレも主人の傍に仕える使用人として、自分相応の心構えでいるつもりだ。

 だが慣れない仕事によって溜まった蓄積は、彼女の集中力を確実にむしばんでいた。

「そういえばロベルト、この間の怪物騒ぎで話があるって言ってたわよね?」

「はい、こちらの被害報告に目を通して頂きたく」

 ソファの隣へと移動し、テーブルにそっと数枚の書類を置くロベルト。

 目の前に置かれたそれをエスティラは片手で取り、目を細めながら内容に目を通していく。

「数軒の店舗と家屋が半壊。それと避難の際に怪我人が数名確認されています」

 それは、紅蓮の剣士となったアデーレが怪鳥と戦っている裏で発生していた被害内容だ。

 使者がいなかったことに内心安堵しつつも、無傷というわけにはいかなかったことには若干の口惜しさをを覚える。

 そんな思いを得意の仏頂面の裏に隠しつつ、ロベルトの報告を聞くエスティラの姿を見つめる。

 失礼な考え方だろうが、エスティラが書類に目を通す姿というのは華やかな見た目からは想像しにくいものがある。

 果たしてこの状況を、ロントゥーサ島の外の人間であるエスティラはどう見ているのか。

 若干の興味を抱きつつエスティラの様子を観察していると……。

「被害者の支援はあなたの裁量に任せるわ」

「かしこまりました。では早急に手配を進めてまいります」

「ええ。ところでロベルト、鳥の化け物を倒した剣士がいるって噂を聞いたんだけど」

 アデーレの肩がかすかに震える。

 曲がりかけていた背筋が再び真っ直ぐに伸び、気の抜けた表情が一瞬でこわばる。

「はい、存じております。赤い装束を身に纏い、巨大な剣を携えた者が現場に現れたとのことで」

「何それ、妙な格好ね。誰か名乗り出たりはしたの?」

 「残念ながら」と、首を横に振るロベルト。

「妙な輩じゃなければいいんだけど……そういえば、あなたも怪物に出くわしたんじゃなかったかしら?」

「えっ? あ、ああはい。すぐにその場から逃げ出しましたけど」

 自身の話題を唐突に振られ、アデーレは慌ててそ知らぬふりを通す。

「ふぅん。ま、それが普通よね」

 アデーレを一瞥いちべつした後、再び書類の方へと視線を落とすエスティラ。

 書類を読む彼女の表情は真剣そのもので、自身と年の近い少女とは思えない貫禄のようなものをアデーレに思い抱かせる。

 ふと、メリナがアデーレに語っていたことを思い出す。

(旦那様の指導、か)

 家庭の事情でこの場所に送られてきたエスティラが、島の内情に対し真剣に向き合う姿勢を見せる。

 自身の知るワガママお嬢様というイメージがことごとく破られるその姿に困惑を覚えつつも、その様子にアデーレはどことなく安心感を覚えてしまう。

 今のエスティラは、かつての使用人に暴力を振るような人物ではない。

 自分が住む島の現状に意識を向け、島民への配慮も行える一人の貴族なのだろう。

 もはや過去の事について怯える必要はない。そんな確信すらアデーレに抱かせる。

 感慨深げにアデーレが様子をうかがいると、書類から目を離さずにエスティラが口を開く。

「ああ、私この後港に用があるから」

「えっ?」

 唐突な指示にアデーレは目を丸くする。

 そんな彼女を、やや上目遣いにエスティラが見つめる。

「あなたも準備しておきなさいよね。軍の船を出迎えに行くんだから」

 軍の船という物騒な言葉に、内心困惑を抱くアデーレ。

 戦争とは縁のないこの島に、共和国の軍隊が関わることなどめったにない。

 だが、魔女の召喚した魔獣が現れたという事実があれば、それもある程度は納得できることだ。

 故郷の島が、平和から遠ざかっていく。

 エスティラへの不安が和らいだ今、アデーレが抱くのはこの島が受ける未来の被害だ。

 果たしてこの先も、怪我人だけで事なきを得ることが出来るのか。

 改めて、力を得たことによる責任を自身の双肩に感じるアデーレだった。

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