Masuk主人の外出に際し、初めての付き添いを務めることとなったアデーレ。
エスティラの指示に従い辿り着いたのは、ロントゥーサ島にある最も大きな港の埠頭だ。
漁船以外にも客船や輸送船が停泊することを目的としたこの島唯一の港で、国外からの貨物船も寄港する貿易の中継地点として機能している。
しかし、今日はそんな港に、島民には馴染みのない大型軍艦が停泊していた。
船体は鉄製の装甲艦となっており、帆柱はなく煙突を有することから蒸気船だろう。
エスティラ曰く、島に常駐するわずかな衛兵では怪物に対する備えが不十分であることが判明した。
そのため、シシリューア島から共和国軍の一部が派兵されることとなり、この艦はその第一陣である。
そんな兵士たちを、現在島で最も位の高いエスティラが直々に出迎えることとなったのだ。
ちなみに、その提案をしたのは当のエスティラである。
『私の身の安全を任せるのだから、挨拶くらいはしておかないと』
というのが、エスティラの弁だ。
島全体の守備増強が目的だろうという疑問もあったが、アデーレはあえてそれを口にしなかった。
「これはこれは、バルダート家のご令嬢が直々に出迎えてくださるとはっ」
部下達を連れて
彼は埠頭で待っていたエスティラに対し、帽子を脱いで仰々しくお辞儀をする。
その態度から、アデーレの目にも彼がこの船の艦長か、部隊の指揮官だろうと察することが出来た。
畏まるアデーレとロベルトに対し、二人の前に立つエスティラは余裕のある様子で顎に手を当てつつ、軍服の男越しに軍艦を眺める。
「ご苦労様。こちらの船、見慣れませんけど最新のものかしら?」
「おお、さすがの着眼点ですなっ。こちらは工廠で完成した最新の溶鉄鉱式蒸気船でして」
エスティラの反応に気をよくしたのか、帽子を被りなおした男が軍艦の説明を始める。
愛想笑いを浮かべているが、エスティラは興味がないのだろう。明らかに聞き流している様子だ。
(溶鉄鉱?)
傍で待たされているアデーレは、この世界に来て初めて聞く名前に首をかしげる。
その時、彼女の頭の中に聞き慣れた声が割り込んできた。
(熱を帯びた状態で採掘される、この世界の鉱物だよ。種火と一緒に炉に入れると高温を発生させるんだ)
(……急に脳内で語り掛けてくるの、勘弁して欲しいんだけど)
(まぁまぁ、君も暇でしょ? ちなみに溶鉄鉱の元は僕達火竜の身体だよ)
(僕達? 火竜ってそんなたくさんいるの? というか身体って……)
ポケットの中で、アンロックンがわずかに揺れる。
(そうだよ。大昔の戦いで、僕は多くの眷属と一緒に竜として顕現したんだ)
(はぁ……で、身体はこっちに置いてきたって訳?)
(その通り。神の世に肉体は必要ないからね)
つまりこの世界の蒸気機関は、火竜の身体をそれとは知らず燃料にしているという事らしい。
石炭がないのか、それとも石炭より有利な点があるのか。それは分からない。
少なくとも、
そんなこと考えていたら、エスティラ達の方も話を終えたのか、二人が並んで町の方へ歩いていく。
「行きましょうか」
促すように、ロベルトがアデーレに声をかける。
この後は、別荘で指揮官を交えての昼食会が予定されている。
今頃屋敷の方では、同僚や料理人たちが慌ただしく準備を進めている頃だろう。
指揮官の方には数名の随伴が付き、会食に無関係の兵士たちは各々船外作業に従事している。
この後の給仕に思いを
直後、轟音と共に海が大きく爆ぜた。
「っ!?」
その場にいた全員が、目を見開きながら音の方に目をやる。
しかし、目に入るのは白波と水柱の跡と思われる泡が海面で揺れているのみ。
その時、埠頭のあちこちに丸い影が差す。
頭上から、何かが降ってくる……。
「エスティラ様っ!」
指揮官の男が、護衛と共にエスティラを飛来するものから庇うように立つ。
身のこなしは軽やかで鋭く、よく訓練されていることが分かる。
その直後、彼らの目の前に巨大な巻貝の殻が落ちて来た。
殻は石の埠頭に落ちたというのに割れることはなく、口から何かがうごめきながら外に出てくる。
それはまるで、二足歩行能力を得たタコかイカのような怪物だ。
背中に巻貝の殻を背負う姿は、特撮に出てくる怪人のようにも見える。
それが十匹……いや、二十匹はいるだろうか。
(まずいね。召喚された魔獣だよ)
アンロックンが脳内に語り掛ける。
外見は全く違うが、どうやら数日前の怪鳥と同族らしい。
「な、なによこいつら、気色悪いっ!」
怪物に対し罵声を浴びせるエスティラ。
彼女の声に同意するかのように、周囲にいた兵士たちが銃剣を取り付けた長銃を怪物に向ける。
しかし人が集まるこの状況では、銃を撃つことは出来ないだろう。
「ロベルト殿、あなたはエスティラ様を連れて安全な場所へ!」
「かしこまりました。さあ、アデーレさんも私達と共に」
腰に下げたサーベルを抜きながら、指揮官の男が叫ぶ。
ロベルトはすぐさまエスティラの傍に立ち、彼女の手を取って走り出す。
(できれば別行動の方がいいんだけど……いや、今はお嬢様の傍にいるべきか)
人目の多い場所で変身は出来ない。
アデーレは怪物に挑む人々に背を向け、エスティラとロベルトは倉庫区画の方へ走り出す。
そのすぐ後を追いかけるアデーレ。
遠くからは、兵士たちの怒号が響き渡っている。
(あの程度の魔獣なら、人間でも対処できるよ)
(そ、そういうものなんだ)
アンロックンの声が脳内に届く。
確かに、怪物に対し銃剣を突き立て戦う兵士を去り際に見ることが出来た。
戦闘に長けている彼らならば、あの場を任せても安心だろう。
しかし、エスティラやロベルトは上流階級というだけで身体能力的には一般人だ。
魔獣に襲われた場合、抵抗する間もなく命を奪われかねない。
ならば、変身する力を持つ自分が傍にいることで、彼らの安全を確保できるかもしれない。
問題は、変身するタイミングがあるかどうかだが。
「ちょっ、ちょっと待って……ッ」
息を切らせながら、立ち止まって欲しいと訴えるエスティラ。
やはり
ロベルトに手を引かれて走ってはいるが、今にも脚はもつれそうだ。
ロベルトが立ち止まり、周囲を見渡し警戒する。
怪物の出現した埠頭からそれほど離れていない場所だが、追ってくる気配はない。
「少し休みましょう。ですが出来るだけこの場から離れなければ――」
ロベルトの言葉を、三人の足元に差し込む黒い影が
頭上を見上げるアデーレ。
直後、先ほどより一回り以上大きな巻貝の殻が二つ、倉庫の屋根に激突しながら地面に落ちる。
貝殻は二人とアデーレの間に落ち、互いに分断される形となってしまう。
更に、破壊された屋根の残骸がアデーレの頭上に降り注ぐ。
「危ない!!」
ロベルトの声がアデーレに向けられる。
頭上の様子を既に目視していたアデーレは、両脚に力を込めてその場から大きく飛び退く。
その直後、先ほどまでアデーレのいた場所に大量の瓦礫が降り注いだ。
風圧でアデーレが被っていたキャップが吹き飛ばされ、結っていた長い黒髪がほどけ激しくなびく。
(アデーレっ、大丈夫かいっ?)
(何とか……それより、向こうの方がまずいよ!)
広がる粉塵によって視界は遮られているが、怪物はエスティラとロベルトに迫りつつある。
「くっ……気持ち悪い化け物ッ! こっち来ないでよ!!」
粉塵の向こうから、エスティラの声が響く。
このような事態に備えて、アデーレは二人の傍にいたのだ。
(アンロックン。鍵をお願い)
向こうから見られていない今こそ、変身のチャンスだ。
アデーレの言葉に促されるかのように、彼女の左手の中に鍵が出現する。
(便利でしょ。どこからでも鍵が出せるの)
(それに関しては同意。じゃあ行くよ)
右のポケットから竜紋の錠を取り出し、左手に鍵を構える。
(一度、言ってみたいセリフがあったんだ)
錠前を前に構え、左手の鍵を錠前の穴に差し込む。
「……変身っ」
エスティラ達に聞こえぬよう、小声でつぶやくのはあこがれのセリフ。
セリフと同時に鍵を回し、錠前から噴き出す炎を身にまとう。
アデーレの全身に、力がみなぎる。
そのまま地面を蹴り、炎と赤いオーラを纏ったまま粉塵の向こうへ跳び込む。
赤いオーラがアデーレの体を包み込み、彼女の纏うドレスを変質させていく。
粉塵を抜けたときには、帽子と赤いコート、そして巨大な剣を持つ姿へと変身を果たしていた。
「はぁっ!!」
怪物たちは軟体を露にし、エスティラとロベルトは倉庫の壁へと追いやられている。
アデーレは二人に攻撃が当たらぬよう大剣を薙ぎ、二匹の怪物を空中へと吹き飛ばす。
大剣を振り抜いた姿勢で、エスティラを守るようにアデーレが着地する。
「……へ?」
突然現れた女剣士風の人物を前に、目を丸くし素っ頓狂な声を上げるエスティラ。
髪の色以外の容姿は変化していないのだが、それでも正体がばれないのはこの手のお約束という事だろうか。
だが今は、そんなことを気にしている場合ではない。
アデーレは空を見上げ、宙を舞う二匹の怪物を睨みつける。
「早く、安全なところに」
それだけを二人に告げると、アデーレは宙を舞う怪物を追って跳躍。
一回の跳躍で怪物たちと同じ高度に達したアデーレは、再び剣を構え、振り抜く。
噴出する炎によって限界まで加速された大剣は、強固な殻を有する怪物をいともたやすく両断してみせた。
上空で、二匹の怪物が爆散する。 アデーレは爆炎の中から飛び出し、そのまま埠頭近くの倉庫の屋根に着地した。 埠頭の方を見ると、怪物達に囲まれた兵隊たちが苦戦を強いられているようだ。「数が、増えてる?」 最初は二十匹ほどだったはずの怪物は、四十近くまでに増加している。 一体どこから現れたのか。アデーレが港の周囲を見渡す。「アデーレ、海だ!」 アンロックンの言葉に促され、アデーレが埠頭から沖の方へと視線を向ける。 港から百メートルほど離れた位置にある深場だろうか。 青黒い海面を更に黒く染める、長く巨大な影が海中を潜行しているようだ。 茂る海藻を見間違えたかとアデーレが目を凝らすが、それは間違いなく港に向けて少しずつ移動している。「あれは……」 影の正体を見極めようとアデーレが目を細める。 その瞬間、影の上部から水柱が立ち、空中に巻貝らしきものが射出される。 数は五つ。殻は放物線を描きながら、港の方へと飛んでくる。「まずいっ」 屋根を蹴り、飛来する殻めがけて再び跳躍するアデーレ。 構えた大剣の刃が、赤く燃え盛る炎を纏う。 炎の光は軌跡となり、アデーレと貝殻の距離が一気に縮まっていく。 その瞬
主人の外出に際し、初めての付き添いを務めることとなったアデーレ。 エスティラの指示に従い辿り着いたのは、ロントゥーサ島にある最も大きな港の埠頭だ。 漁船以外にも客船や輸送船が停泊することを目的としたこの島唯一の港で、国外からの貨物船も寄港する貿易の中継地点として機能している。 しかし、今日はそんな港に、島民には馴染みのない大型軍艦が停泊していた。 船体は鉄製の装甲艦となっており、帆柱はなく煙突を有することから蒸気船だろう。 エスティラ曰く、島に常駐するわずかな衛兵では怪物に対する備えが不十分であることが判明した。 そのため、シシリューア島から共和国軍の一部が派兵されることとなり、この艦はその第一陣である。 そんな兵士たちを、現在島で最も位の高いエスティラが直々に出迎えることとなったのだ。 ちなみに、その提案をしたのは当のエスティラである。 『私の身の安全を任せるのだから、挨拶くらいはしておかないと』 というのが、エスティラの弁だ。 島全体の守備増強が目的だろうという疑問もあったが、アデーレはあえてそれを口にしなかった。 「これはこれは、バルダート家のご令嬢が直々に出迎えてくださるとはっ」 部下達を連れて颯爽と埠頭に降り立ったのは、三角帽がトレードマークの青い軍服姿の男。 彼は埠頭で待っていたエスティラに対し、帽子を脱いで仰々しくお辞儀をする。 その態度から、アデーレの目にも彼がこの船の艦長か、部隊の指揮官だろうと察することが出来た
夜のあぜ道を、私服姿のアデーレがとぼとぼと歩く。 空には三日月。 見慣れた故郷の夜空は、日本では見ることも難しくなった満天の星空だ。 ぼんやりと空を眺めていると、ポケットの中から何かが飛び出す。「お疲れ様だね、アデーレ」 目の前に現れたのは錠前……ヴェスタだ。 結局仕事中に喋ることはなく、アデーレも忙しさからその存在を忘れつつあった。「うん……ヴェスタ様はずっとポケットの中で窮屈じゃなかったの?」「はは。別にこれが僕の本体って訳じゃないから」 それもそうだとうなずくアデーレ。 だが、錠前越しにこちらを眺めているヴェスタの姿を思うと、のん気な神様だと呆れてしまう。「あ、今僕が神の世でのんびり観客決め込んでるって考えたね」「カンガエテマセン。ヴェスタサマ」「神に嘘吐きとは感心できないね。まぁいいけど」 人の考えることなどお見通しとは、さすが神様といったところか。 しかし、これではうかつなことは考えられない。 仕事と錠前によってプライベートが奪われていくことに、ため息を漏らす。 それもお見通しなのだろう。 錠前は笑っているかのようにカチャカチャと音を立て揺れる。「
食堂の隣には、客人との談話のために用意された応接室がある。 食堂に比べると狭い部屋だが、それでも一般的な家屋の一室に比べれば広い。 内装は食堂よりも豪華で、壁には蔓を模したかのような金の模様が張り巡らされ、室内に置かれたあらゆるものが、高級品で揃えられている。(どうしてこうなった……) そんな落ち着かない部屋の端で、アデーレは口を閉ざし自問していた。 中央のテーブルにはティーセットや軽食で彩られたケーキスタンドが置かれている。 傍に設けられた豪華なソファには、綺麗な姿勢で座るエスティラの姿が。 そんな彼女の隣には、黒のモーニングコートにアスコットタイという、誰が見ても執事と分かる壮年の男性が立っていた。 白髪交じりの黒髪に、しわが深く刻まれた穏やかさを感じる顔が印象深い。 女性の下級使用人が男性執事と関わることは少なく、当然新人のアデーレは初対面だ。 故にどうすればいいのか分からない彼女は、閉めた扉の前から動けずにいた。「何突っ立ってるのよ。これ以上待たせないで」 変わらず不機嫌そうなエスティラが、鋭い横目でアデーレを見る。 そこに割って入るように、執事がそっと口を開く。「お嬢様、彼女も初対面の者ばかりの場所で緊張しているのでしょう」 年齢を重ねた男性らしい、低く重みを感じさせる落ち着いた声で語り掛ける執事。 その後彼はアデーレの方に向き直り
午後の仕事は、主人たちの生活スペースで行われる雑務が多い。 これは主人の目につく場所での仕事になるし、来客と対面することも頻繁にある。 そのため、午後は身だしなみも整えるため、午前の服とは別に主人が用意した制服を着用することが義務付けられている。 黒い長袖ドレスに、フリル付きの白いキャップとエプロン。 これが、バルダート家の使用人に用意された基本的な制服である。 前日は主に階下の仕事が中心だったため、アデーレはここで初めて制服に袖を通すこととなった。 「なるほど……」 いわゆるメイド服というものに初めて袖を通したアデーレ。 その完成度の高さに、思わず感嘆の声を上げた。 デザインだけ見れば、煌びやかさは微塵も存在しない地味な衣装だ。 しかし自前で用意した仕事着よりも、生地の材質や縫製の精度が優れたドレス。 ロングスカートながらも動きやすく、なおかつ形が崩れない工夫が随所に施されている。 何より、控えめだからこそ醸し出される気品を受け、アデーレの背筋は自然と伸びる。 国の執政にも関わる貴族の家ならば、使用人の制服にも相応の金と手間が掛けられているということだろう。 今さらながら、アデーレは自分が高位の家に務めているということを実感していた。 「それでは、本日はこちらで調度品の手入れをして頂きます」 先導するアメリアによって、数名のメイドと共に案内されてきたのは二階にある広い食堂だ。 中央には
アデーレがバルダート別邸に到着した時、使用人たちの間では既に怪鳥の話題で持ちきりだった。 使用人たちが集まる、屋敷一階の使用人控室。 主人らが使う部屋とは違い、シックな家具でまとめられた絢爛から程遠い部屋である。 しかしそこは名だたる名家、天下のバルダート家だ。 たとえ使用人が使う家具だろうとも、庶民が一年休まず働いても買うことのできないものばかりである。「アデーレ、本当に何ともないの?」「はい、大丈夫です」 エプロン姿にすまし顔のアデーレを前に、メリナは困惑の表情を浮かべる。 騒動を受けてもなお屋敷にやってきたアデーレには、彼女だけではなく他の使用人たちも驚いていた。 「さすがにあんなことがあったら休んでも大丈夫なのに。真面目だねぇ」 話を聞いていた先輩の使用人も、真面目なアデーレを前に苦笑を浮かべている。 「でもねアデーレ、私はあなたの身に何かあったら嫌だから。こういう時は真っ先に自分の身を守らないとダメだよ」 使用人になるのを提案したこともあってか、特にメリナはアデーレの身を案じているようだ。 こうなると、自分が騒動の渦中で、しかもそれを解決したなどとは口が裂けても言えないだろう。 少年にも秘密にするよう言った手前、このことは隠し続けなければならない。







