LOGIN主人の外出に際し、初めての付き添いを務めることとなったアデーレ。
エスティラの指示に従い辿り着いたのは、ロントゥーサ島にある最も大きな港の埠頭だ。
漁船以外にも客船や輸送船が停泊することを目的としたこの島唯一の港で、国外からの貨物船も寄港する貿易の中継地点として機能している。
しかし、今日はそんな港に、島民には馴染みのない大型軍艦が停泊していた。
船体は鉄製の装甲艦となっており、帆柱はなく煙突を有することから蒸気船だろう。
エスティラ曰く、島に常駐するわずかな衛兵では怪物に対する備えが不十分であることが判明した。
そのため、シシリューア島から共和国軍の一部が派兵されることとなり、この艦はその第一陣である。
そんな兵士たちを、現在島で最も位の高いエスティラが直々に出迎えることとなったのだ。
ちなみに、その提案をしたのは当のエスティラである。
『私の身の安全を任せるのだから、挨拶くらいはしておかないと』
というのが、エスティラの弁だ。
島全体の守備増強が目的だろうという疑問もあったが、アデーレはあえてそれを口にしなかった。
「これはこれは、バルダート家のご令嬢が直々に出迎えてくださるとはっ」
部下達を連れて
彼は埠頭で待っていたエスティラに対し、帽子を脱いで仰々しくお辞儀をする。
その態度から、アデーレの目にも彼がこの船の艦長か、部隊の指揮官だろうと察することが出来た。
畏まるアデーレとロベルトに対し、二人の前に立つエスティラは余裕のある様子で顎に手を当てつつ、軍服の男越しに軍艦を眺める。
「ご苦労様。こちらの船、見慣れませんけど最新のものかしら?」
「おお、さすがの着眼点ですなっ。こちらは工廠で完成した最新の溶鉄鉱式蒸気船でして」
エスティラの反応に気をよくしたのか、帽子を被りなおした男が軍艦の説明を始める。
愛想笑いを浮かべているが、エスティラは興味がないのだろう。明らかに聞き流している様子だ。
(溶鉄鉱?)
傍で待たされているアデーレは、この世界に来て初めて聞く名前に首をかしげる。
その時、彼女の頭の中に聞き慣れた声が割り込んできた。
(熱を帯びた状態で採掘される、この世界の鉱物だよ。種火と一緒に炉に入れると高温を発生させるんだ)
(……急に脳内で語り掛けてくるの、勘弁して欲しいんだけど)
(まぁまぁ、君も暇でしょ? ちなみに溶鉄鉱の元は僕達火竜の身体だよ)
(僕達? 火竜ってそんなたくさんいるの? というか身体って……)
ポケットの中で、アンロックンがわずかに揺れる。
(そうだよ。大昔の戦いで、僕は多くの眷属と一緒に竜として顕現したんだ)
(はぁ……で、身体はこっちに置いてきたって訳?)
(その通り。神の世に肉体は必要ないからね)
つまりこの世界の蒸気機関は、火竜の身体をそれとは知らず燃料にしているという事らしい。
石炭がないのか、それとも石炭より有利な点があるのか。それは分からない。
少なくとも、
そんなこと考えていたら、エスティラ達の方も話を終えたのか、二人が並んで町の方へ歩いていく。
「行きましょうか」
促すように、ロベルトがアデーレに声をかける。
この後は、別荘で指揮官を交えての昼食会が予定されている。
今頃屋敷の方では、同僚や料理人たちが慌ただしく準備を進めている頃だろう。
指揮官の方には数名の随伴が付き、会食に無関係の兵士たちは各々船外作業に従事している。
この後の給仕に思いを
直後、轟音と共に海が大きく爆ぜた。
「っ!?」
その場にいた全員が、目を見開きながら音の方に目をやる。
しかし、目に入るのは白波と水柱の跡と思われる泡が海面で揺れているのみ。
その時、埠頭のあちこちに丸い影が差す。
頭上から、何かが降ってくる……。
「エスティラ様っ!」
指揮官の男が、護衛と共にエスティラを飛来するものから庇うように立つ。
身のこなしは軽やかで鋭く、よく訓練されていることが分かる。
その直後、彼らの目の前に巨大な巻貝の殻が落ちて来た。
殻は石の埠頭に落ちたというのに割れることはなく、口から何かがうごめきながら外に出てくる。
それはまるで、二足歩行能力を得たタコかイカのような怪物だ。
背中に巻貝の殻を背負う姿は、特撮に出てくる怪人のようにも見える。
それが十匹……いや、二十匹はいるだろうか。
(まずいね。召喚された魔獣だよ)
アンロックンが脳内に語り掛ける。
外見は全く違うが、どうやら数日前の怪鳥と同族らしい。
「な、なによこいつら、気色悪いっ!」
怪物に対し罵声を浴びせるエスティラ。
彼女の声に同意するかのように、周囲にいた兵士たちが銃剣を取り付けた長銃を怪物に向ける。
しかし人が集まるこの状況では、銃を撃つことは出来ないだろう。
「ロベルト殿、あなたはエスティラ様を連れて安全な場所へ!」
「かしこまりました。さあ、アデーレさんも私達と共に」
腰に下げたサーベルを抜きながら、指揮官の男が叫ぶ。
ロベルトはすぐさまエスティラの傍に立ち、彼女の手を取って走り出す。
(できれば別行動の方がいいんだけど……いや、今はお嬢様の傍にいるべきか)
人目の多い場所で変身は出来ない。
アデーレは怪物に挑む人々に背を向け、エスティラとロベルトは倉庫区画の方へ走り出す。
そのすぐ後を追いかけるアデーレ。
遠くからは、兵士たちの怒号が響き渡っている。
(あの程度の魔獣なら、人間でも対処できるよ)
(そ、そういうものなんだ)
アンロックンの声が脳内に届く。
確かに、怪物に対し銃剣を突き立て戦う兵士を去り際に見ることが出来た。
戦闘に長けている彼らならば、あの場を任せても安心だろう。
しかし、エスティラやロベルトは上流階級というだけで身体能力的には一般人だ。
魔獣に襲われた場合、抵抗する間もなく命を奪われかねない。
ならば、変身する力を持つ自分が傍にいることで、彼らの安全を確保できるかもしれない。
問題は、変身するタイミングがあるかどうかだが。
「ちょっ、ちょっと待って……ッ」
息を切らせながら、立ち止まって欲しいと訴えるエスティラ。
やはり
ロベルトに手を引かれて走ってはいるが、今にも脚はもつれそうだ。
ロベルトが立ち止まり、周囲を見渡し警戒する。
怪物の出現した埠頭からそれほど離れていない場所だが、追ってくる気配はない。
「少し休みましょう。ですが出来るだけこの場から離れなければ――」
ロベルトの言葉を、三人の足元に差し込む黒い影が
頭上を見上げるアデーレ。
直後、先ほどより一回り以上大きな巻貝の殻が二つ、倉庫の屋根に激突しながら地面に落ちる。
貝殻は二人とアデーレの間に落ち、互いに分断される形となってしまう。
更に、破壊された屋根の残骸がアデーレの頭上に降り注ぐ。
「危ない!!」
ロベルトの声がアデーレに向けられる。
頭上の様子を既に目視していたアデーレは、両脚に力を込めてその場から大きく飛び退く。
その直後、先ほどまでアデーレのいた場所に大量の瓦礫が降り注いだ。
風圧でアデーレが被っていたキャップが吹き飛ばされ、結っていた長い黒髪がほどけ激しくなびく。
(アデーレっ、大丈夫かいっ?)
(何とか……それより、向こうの方がまずいよ!)
広がる粉塵によって視界は遮られているが、怪物はエスティラとロベルトに迫りつつある。
「くっ……気持ち悪い化け物ッ! こっち来ないでよ!!」
粉塵の向こうから、エスティラの声が響く。
このような事態に備えて、アデーレは二人の傍にいたのだ。
(アンロックン。鍵をお願い)
向こうから見られていない今こそ、変身のチャンスだ。
アデーレの言葉に促されるかのように、彼女の左手の中に鍵が出現する。
(便利でしょ。どこからでも鍵が出せるの)
(それに関しては同意。じゃあ行くよ)
右のポケットから竜紋の錠を取り出し、左手に鍵を構える。
(一度、言ってみたいセリフがあったんだ)
錠前を前に構え、左手の鍵を錠前の穴に差し込む。
「……変身っ」
エスティラ達に聞こえぬよう、小声でつぶやくのはあこがれのセリフ。
セリフと同時に鍵を回し、錠前から噴き出す炎を身にまとう。
アデーレの全身に、力がみなぎる。
そのまま地面を蹴り、炎と赤いオーラを纏ったまま粉塵の向こうへ跳び込む。
赤いオーラがアデーレの体を包み込み、彼女の纏うドレスを変質させていく。
粉塵を抜けたときには、帽子と赤いコート、そして巨大な剣を持つ姿へと変身を果たしていた。
「はぁっ!!」
怪物たちは軟体を露にし、エスティラとロベルトは倉庫の壁へと追いやられている。
アデーレは二人に攻撃が当たらぬよう大剣を薙ぎ、二匹の怪物を空中へと吹き飛ばす。
大剣を振り抜いた姿勢で、エスティラを守るようにアデーレが着地する。
「……へ?」
突然現れた女剣士風の人物を前に、目を丸くし素っ頓狂な声を上げるエスティラ。
髪の色以外の容姿は変化していないのだが、それでも正体がばれないのはこの手のお約束という事だろうか。
だが今は、そんなことを気にしている場合ではない。
アデーレは空を見上げ、宙を舞う二匹の怪物を睨みつける。
「早く、安全なところに」
それだけを二人に告げると、アデーレは宙を舞う怪物を追って跳躍。
一回の跳躍で怪物たちと同じ高度に達したアデーレは、再び剣を構え、振り抜く。
噴出する炎によって限界まで加速された大剣は、強固な殻を有する怪物をいともたやすく両断してみせた。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
「それで、あなたは一体何なの?」 少年が家族のいる場所へと駆け出していった後。 アデーレは破壊された大通りを離れ、人目を避けられる裏路地に移動していた。 この場にアデーレ以外に人の姿はなく、傍には彼女の後についてきたあの錠前が浮いていた。 緩やかに揺れる錠前からは、金属がぶつかり合うような音がかすかに聞こえる。
普段ならば多くの人で賑わう大通り。 だが、怪鳥の出現によって人々は逃げ出し、アデーレの手によって怪鳥が倒された後は、周囲を静寂が包み込んでいた。「そういえば、これってどうやれば戻れるんだろ」 自身の髪を手にし、それを見つめるアデーレ。 いくら確認してみても、見慣れぬルビー色の髪が目に映る。
空気が焼けたかのような熱気が、アデーレの全身にまとわりついていた。 呆然と自分が伸ばした手の先を見つめるアデーレ。 手からは白い蒸気が昇り、その先には倒れ込む怪鳥の姿があった。 子供は最初と変わらず、自身の身を抱きながらその場でうずくまっていた。 「……え?」 アデー
礼拝堂を後にしたアデーレは、一人バルダート家の屋敷に続く坂道を上っていた。 この道は港から続く大通りで、馬車も通れるよう頑丈な石畳によって舗装されている。 バルダートのお嬢様と最悪の出会いを果たしたのも、この場所だった。 バルダート家がこの地に別邸を持ったのは、避暑のためである。 シシリューア島は周囲の島々に比べると、地熱の影響によ







