Mag-log in食堂の隣には、客人との談話のために用意された応接室がある。
食堂に比べると狭い部屋だが、それでも一般的な家屋の一室に比べれば広い。
内装は食堂よりも豪華で、壁には蔓を模したかのような金の模様が張り巡らされ、室内に置かれたあらゆるものが、高級品で揃えられている。
(どうしてこうなった……)
そんな落ち着かない部屋の端で、アデーレは口を閉ざし自問していた。
中央のテーブルにはティーセットや軽食で彩られたケーキスタンドが置かれている。
傍に設けられた豪華なソファには、綺麗な姿勢で座るエスティラの姿が。
そんな彼女の隣には、黒のモーニングコートにアスコットタイという、誰が見ても執事と分かる壮年の男性が立っていた。
白髪交じりの黒髪に、しわが深く刻まれた穏やかさを感じる顔が印象深い。
女性の下級使用人が男性執事と関わることは少なく、当然新人のアデーレは初対面だ。
故にどうすればいいのか分からない彼女は、閉めた扉の前から動けずにいた。
「何突っ立ってるのよ。これ以上待たせないで」
変わらず不機嫌そうなエスティラが、鋭い横目でアデーレを見る。
そこに割って入るように、執事がそっと口を開く。
「お嬢様、彼女も初対面の者ばかりの場所で緊張しているのでしょう」
年齢を重ねた男性らしい、低く重みを感じさせる落ち着いた声で語り掛ける執事。
その後彼はアデーレの方に向き直り、まるで使用人の見本ともいえる完璧な会釈を行う。
「初めまして。この屋敷の執事を務める、ロベルト・リオーニと申します。以後お見知りおきを」
執事ロベルトの丁寧な様子に圧倒され、無言で会釈をするアデーレ。
そんな様子を、エスティラは小さく息を吐きながら変わらず横目で睨んでくる。
これ以上待たせたら何が起きるか分からないだろう。
結局アデーレは、エスティラの圧に促されるようにテーブルの横に立つ。
「それじゃあ、あなたの腕を私が直々に評価してあげるわ。やってみなさい」
「は、はい。失礼いたします」
圧を感じさせるエスティラの声に押さえつけられるように、ぎこちなく頭を下げるアデーレ。
期待はしていなかったが、一礼をしながらも手本がないことに更なる不安を抱く。
テーブルに置かれた、花柄の模様が施された四角いブリキ製の茶葉ケースを見つめる。
パステル調に彩られた花々は、素直に美しいと感じさせるものだ。
とはいえ、こちらの世界に転生してからこのようなものを扱った記憶がない。
だが良太として生活していた頃ならば、祖父母のために紅茶を用意していた経験がある。
幸いなことに、彼らは日本茶だけでなく紅茶やコーヒーもよく
その頃の記憶を必死にたぐり寄せ、何とか形になる紅茶の淹れ方を思い出す。
用意された茶葉やお湯を使い、白磁のポットに紅茶を作り、カップに注ぐ。
置かれたばかりのカップからは静かに湯気が立ち上り、琥珀色の液体がわずかに揺れる。
「ふぅん」
エスティラの前にカップを置き、改めて会釈をした後に一歩後ずさるアデーレ。
注がれた液体は、どうにかそれらしい物になってくれていた。
完全な素人の手によって淹れられた紅茶。
対するエスティラは嫌がる素振りも見せずにカップを手に取り、躊躇することなく口に運ぶ。
そして一口飲んだ後、再びカップをソーサーに戻した。
「……あなた」
変わらず不機嫌さを隠さないエスティラ。
幼少の頃にはなかった威圧的な雰囲気に、アデーレはわずかに怖気づいてしまう。
しかし、そんなエスティラの固い表情がほんの少しだけ緩んだ気がした。
「まあ、できる方じゃないかしら」
「え? あ……ありがとうございます」
それは、予想外の反応だ。予想外故に頭を下げる動作もあからさまに遅れてしまった。
出されたものをけなす訳でもなく、エスティラはそれなりの評価をアデーレの紅茶に下したのだ。
どんな厳しい反応が来るかと覚悟していたアデーレからすれば、これには思わず気の抜けた返事も出てしまう。
そして心の中で、経験を積ませてくれた祖父母に深く感謝していた。
「ま、この程度で満足されても困るけど。今後も私が指導してあげるから、感謝なさい」
「はい……はい? 指導?」
下げていた頭を慌ててあげつつ、エスティラの方を見つめるアデーレ。
「何を呆けてるのよ。どうせ私の傍に付くなら、相応のメイドになるよう努力なさいな」
一切悪びれたり、嘲笑するわけでもなく。
エスティラはさも当然のようにアデーレを見つめ、どこか呆れた様子で短いため息をつく。
しばらく傍にいろという先の言葉を思い出し、アデーレは目の前が暗くなるような感覚に襲われる。
使用人を始めて二日目。
屋敷の主であるお嬢様の傍で仕事をさせられるなど、誰が考えたか。
出来る限り距離を置きたい相手と、更に距離を詰めていくという正反対の状況。
今はせめて、エスティラが過去の出来事を思い出さないことを祈るばかりだ。
◇
エスティラがアフタヌーンティーを終えた後のこと。アデーレは一人、ティーワゴンを押しながら廊下を歩いていた。
がっくりとうなだれたその顔には疲労の色が浮かんでいる。
「お疲れ、アデーレ。大変だったでしょ」
そんな彼女に声をかけたのは、取っ手のついた籠を持ったメリナだった。
ラヴィニア辺りから事情は聞いているのだろう、彼女は心配そうにアデーレの顔を覗き込んだ。
「メリナさん……まぁ、はい」
作り笑いを浮かべるアデーレ。
それが本心からの笑顔でないことは、誰の目からしても明らかだろう。
しかし彼女は嘆息を漏らした後、気を取り直した様子で顔を上げる。
「ただ、お嬢様が思ってた人と違うというか」
「ん、何かあったの?」
「何か、という訳ではないんですけど。むしろ思っていたことにはならなかったというか」
先ほどまでお世話をしたエスティラのことを思い出しながら、アデーレは事の次第をメリナに説明する。
再会した彼女は、ずっと不機嫌な顔を浮かべていた。
紅茶を嗜んでいた時はリラックスもしていたが、それ以外は変わらずだ。
だが、周囲に対し理不尽に当たり散らしたりなどといった行動は起こさない。
紅茶に対する評価をする様子などは、特に冷静なものだ。
過去の様子しか知らないアデーレにとって、そんなエスティラの姿には違和感を覚えた。
「落ち着いた人だなぁって、お嬢様」
それが、アデーレの率直な感想だった。
一通りの話を聞いたメリナは、なるほどと言わんばかりに首を縦に振る。
「ああ、そういうこと。それは旦那様に色々教育を受けてきたからじゃないかな」
「教育?」
「うん、お嬢様は長女だから。バルダート家の後継者として色々、ね」
記憶の中にあるエスティラの父、ドゥランの姿を思い出す。
これだけの家の主人だ。きっとその指導は厳しいものだったに違いない。
エスティラのあの落ち着いた雰囲気も、そういった環境で成長してきた証なのだろう。
そこで、メリナの表情が変わったことに気付く。
「ただ、今のお嬢様はちょっと事情が……ね」
それが困惑なのか、それとも同情なのか。
アデーレには、メリナが何を思っているのかを察することは出来なかった。
「何かあったんですか?」
「ん、まぁー……」
わずかの間、メリナがアデーレから目を逸らす。
「私も詳しい事情までは分からないんだけど」
少しの間を空けて、ため息をつくメリナ。
果たしてその様子は、本当に何も知らない者の反応なのだろうか。
「ここに来ることが決まってからのお嬢様、どうも元気がないのよね」
少なくとも、今のメリナがエスティラの変化を心配していることは間違いない。
彼女は使用人としてそれなりのベテランであり、自然とエスティラと関わることも多い立場にあった。
色々と苦労をかけられてきただろうが、メリナなりにエスティラを思う気持ちはあるということだろう。
ふと、アデーレは紅茶を口にしたエスティラの様子を思い出す。
あの時の落ち着いた物腰のエスティラこそが、アデーレが知らない本来の姿だったのかもしれない。
もちろん、エスティラが過去を思い出したらどうなるか、それは分からない。
だが今の彼女なら、傍に仕えたとしても理不尽な目に遭わないのではないか。
アデーレは、そんな淡い希望を抱いてしまう。
「ロベルトさんなら何かご存じかも知れないけれど……とりあえず、アデーレも気を付けてね」
「それじゃ」と言い、廊下の先へ走っていくメリナ。
その背中を、アデーレは立ち止まって見送っていた。
「気を付けて、か」
メリナの後ろ姿を見送りつつ、思案に暮れるアデーレ。
何を気を付ければいいのかは分からないが、今は怒らせないことが得策だろう。
このまま穏便に仕事が続けられるなら、それはアデーレの望むところだ。
(……紅茶の淹れ方、ちょっと練習してみようか)
今ある日常を守るため。
少しだけ前向きに、使用人の仕事に向き合うことにしたアデーレだった。
結晶魔獣との決戦から数日後。 名目上の休暇を終え仕事に戻ったアデーレは、貯蔵室で待つメリナと落ち合っていた。 だが、勝者であるはずの二人の顔に笑顔はなく、揃って眉をひそめ向かい合う。「やっぱりアデーレの懸念通りだったよ」「そうでしたか……」 大きな戦いを終えた後とは思えないほどに、アデーレは憂鬱なため息を漏らす。「海の底も調べたみたいだけど、あの入り江に停泊してたダニエレ教授の船は見つからなかったって」 メリナの話に対し、アデーレは驚くわけでもなく静かに相槌を打つ。 人気の少ない入り江に停泊していた、ダニエレがこの島に来るために用いた大型帆船。 大学の所有物であるこの船が、件の戦いの後から行方不明になっているのだ。 エヴァが船を悪事に利用していたことは、既にメリナから説明を受けている。 それ故に、あの戦いの直後に見た沖の船に強い懸念を抱いていた。「アデーレは、船を盗んだのはダニエレ教授の助手だって考えてるんだよね」「はい……。その場合、出港の準備を配下の眷属に進ませていたってことになるけど、眷属だけで船を動かしてるってことなのかな?」「それは少し難しいかもね。ムトゥラの眷属は指示に対し忠実な分、自発的に動くことはまずあり得ないから」 傍らに浮かぶアンロックンの言葉を受け、表情を曇らせるアデーレ。 彼女が最も懸念していたことは、銀のムトゥラと化したエヴァ・アソニティスが生存していることだ。 アデーレはあの丘の頂上での戦いで、エヴァに対し致命傷といえる傷を負わせることができた。 それでも倒したという確信が持てず、その不安は小さなトゲのようにアデーレの心で残り続けていた。「つまり、銀のムトゥラは自らが戦いに赴くことで囮になって、その間眷属には船を出港させるための準備を進めていた……かもしれないわけか」 俯き気味のメリナが腕を組み、重苦しいため息をつく。 アデーレは言葉を返すことなく、静かにうなずきながら彼女の様子をうかがう。「万が一、船の奪取こそがムトゥラの目的だとしたら、今回の戦い自体僕らの目を船から遠ざけるためのものだったかもね」 すっかり反省した様子のプルトも会話に加わり、それぞれが魔女の力を得たエヴァの動向に思考を巡らせる。 島に危害を加えることが主目的でなかったという事実は、アデーレにとって衝撃的なものだ。 そ
夜の闇が辺りを包み、三日月のわずかな光が荒野を照らす。 丘の麓にはかつて結晶魔獣だったものの破片が散らばり、破壊の寸前まで追い詰められていた最後の防壁が静かに佇む。 その上に立つアデーレが、静寂に包まれた戦場を見下ろす。 動く者は何もなく、二人の戦士が全ての魔獣を撃破したことを物語っている。 彼女が軽くため息を漏らしたところで、地上で戦っていたメリナが防壁に飛び乗ってくる。「お疲れ様」「あ、はい。終わりましたね」 二人で並び、自分たちの成果を改めて確認する。 前方には戦いによって荒れた土地。 後方には無傷の港町。 暗い町から人気は消えているが、港の方に目をやると何隻もの船が明かりを灯し、沖に出ているのが確認できる。 島民全員が脱出できたというわけではないだろうが、しばらくすれば魔獣が倒されたことに気づいた人々が戻ることだろう。 彼女たちは、島の人々を守るという大切な使命をやり遂げた。 群体で攻め入った魔獣を全て倒すという困難な戦いを乗り越え、この島の平穏を取り戻したのだ。 そんな達成感を噛みしめつつ、アデーレが赤い髪をなびかせつつ、わずかに紅潮したメリナの顔を見る。 わずかに目を潤ませ遠くの海を眺めている彼女もまた、自らの戦いの成果を実感していることだろう。 アデーレがもう一度町へと視線を戻そうとしたその時。「ありがとう」 消え入りそうな声で、メリナがつぶやく。「私なんかを信じてくれて、本当に……」 静かな町を見つめたまま、彼女は再び涙をこぼす。 涙はすぐに氷の粒へと変わり、吹き付ける風に流され荒野の方へと消えていく。「お礼を言うのは私の方ですよ」「そんなこと……」 それ以上言葉は続かず、はにかみながらも静かに見つめ合う二人。 しかしこういったやり取りに慣れていないせいか、ほぼ同時に笑い出してしまう。 もう二人の間に険悪な気配は微塵もない。 互いを友と認め、味方と信じあえる仲間がそこにいた。「まあ、【私】はまだ許していませんけどね」 その時、フラムアルクスに変形したアンロックンが低めの声でつぶやく。 普段とは違う、私という一人称。 その上で一切の陽気さを感じさせない威圧的なその声色。 突然のことにアデーレが目を丸くし、顔を上げたメリナは肩を震わせる。 これは相棒であるアンロックンではなく、聖火の女
巨大結晶魔獣の体から、白い光があふれ出す。 体内からは破砕音が轟き、直後に白い閃光が胴体の反対側から突き出す。 体を射抜かれた魔獣は悶絶するように二本の触手を震わせると、結晶同士がこすれ、ぶつかり合う断末魔のような騒音が轟く。 直後に落下するメリナ目掛け触手を振り下ろすも、彼女の背中を支えるアイギスが旋回し巨大な触手を容易く回避する。 触手はそのまま小型の魔獣が集まる地面に叩きつけられ、多くの魔獣を巻き添えにしつつ巨大魔獣が地面に倒れる。 立ち上る土煙の中から、砕けた結晶の破片が周囲へと飛び散る。 やがて倒れた巨大魔獣の体から白い炎が噴き出し、内側から巨大な爆発を引き起こす。 岩や結晶、氷片……無数の破片が空中へと散乱し、それらは地上に落ちる前に霧散していく。 巨大魔獣の撃破を空中で見届けると、メリナは自らの右手に再びグラギデンドを生み出す。 その後眼下に残る魔獣の群れに視線を移すと、彼女の視線に呼応するようにアイギスが地上の向け急降下。 目の前に迫る結晶魔獣が前方へと突き出された穂先で貫かれ、直後にアイギスの翼による突進を受け真っ二つに砕ける。 その後再び上空へと舞い上がったアイギスが、足に掴んでいたメリナを魔獣の群れへと投げ込む。 慣性により前方に向け落下していくメリナは、そのまま地面を滑るようにして着地。 その間もグラギデンドを縦横無尽に振り回し、周囲に集まる魔獣をなぎ倒していく。「ここからッ!」 穂先を地面に突き立て、ブレーキをかけて強引に停止するメリナ。 その直後、氷壁の方から彼女の周囲目掛け、白い炎の矢が降り注ぐ。 矢は次から次へと魔獣を貫いていき、地面に突き刺さると同時に周囲の空気を凍り付かせながら爆散する。 メリナが氷壁の方を見上げると、フラムアルクスを構えたアデーレが壁の下に向け大量の矢を放っていた。「なんとも壮観だね」 文字通り、矢継ぎ早に放たれる炎の矢を前に、プルトがやや困惑した様子でつぶやく。 負傷により前線へ出られないと弱り果てていたアデーレだが、断続的に矢を放つその光景はそれに反する勇ましいものだ。「それがアデーレ……ヴェスティリアなんだよ」「ロントゥーサ島の守護者、か」 メリナの脳裏に、かつてアデーレに救われたときの記憶が蘇る。 自分を使用人として育て上げ、人並みの生活を与えてくれた
ひとしきり涙を流した後、目元をぬぐい立ち上がるメリナ。「ごめん……ありがとう、アデーレ」 普段とは違う、どこか刃のような鋭さもうかがわせるベルシビュラの姿。 だがアデーレに向けたその笑顔は、アデーレがよく知るメリナ・バラッツィのそれと変わらない優しいものだった。 そんな彼女に向けうなずき、満足げにほほ笑むアデーレ。 そしてもう一度、今度はメリナと共に迫り来る魔獣たちの方を睨む。 和解を果たした今、この目の前に迫る危機を共に乗り越えなければならないのだ。 落ちた槍をメリナが手に取り、続いてアデーレが突き立てていたフラムアルクスを引き抜く。 だが、その反動で彼女の体が揺れ、メリナの肩に寄りかかる形になる。 アデーレの表情はわずかにこわばり、それを目の当たりにしたメリナが眉をひそめる。「すみません。実はちょっと本調子じゃなくて」「本調子じゃないって……そっか、そうだよね。たくさん傷ついたんだから」 格好つけた手前、自らが弱っていることを誤魔化すようにアデーレが苦笑を浮かべる。 だが、それを必要以上なまでに深刻にとらえてしまったのだろうか。 寄りかかるアデーレの肩を抱き、その場に座らせるようメリナが促してくる。 しかし、アデーレはもう一度フラムアルクスを杖にしつつ、座ることを拒否。 弱っていることを隠しきることはできていないが、それでも全ての苦痛を強引に押し込める。 そんな彼女の強がりに、それでもメリナは手を差し伸べる。「無理しないで。ここは私に任せてくれていいから」「いえ、目の前のアレを倒すまで、休むわけにはいかないんで」 笑ってみせながらも、魔獣の群れへと視線を外さないアデーレ。 ここまでの激闘の末、ある程度の侵攻は抑えられていたが、もはや一部の個体は最後の防壁に到達している。 このまま巨大魔獣までもがこの場に辿り着けば、結晶魔獣たちが港町になだれ込むのを防ぐのは難しいだろう。 文字通りの正念場。アデーレの言う通り、戦士に休む暇はない。 それはメリナも分かっていることで、姿勢を立て直すアデーレの無理する姿を、彼女はただ黙って見守るのだった。 二人の眼下では、既に結晶魔獣が防壁に攻撃を仕掛けている。 それを確認したアデーレは、右腕の炎を燃え上がらせながらフラムアルクスを構える。「まずはあの巨大魔獣を倒しましょう。こ
高速ですれ違うアデーレとエヴァ。 互いに背を向け、攻撃を振り切った体勢で立ち止まる。 全力を込めた一撃は、アデーレの体に大きな疲労をもたらす。 彼女の体が大きくよろめき、フラムアルクスを突き立て膝を付く。 肩には大きく切り裂かれた傷跡があり、血が吹き上がるように流れていく。 手応えを確信しているのか。 口元を吊り上げ、あざ笑うかのような顔を浮かべながらエヴァが振り返る。 そして、トドメと言わんばかりにもう一度背中の触手をもたげたその瞬間……。「ガはッ!?」 結晶で構成されたエヴァの左半身が、大きく粉砕される。 砕けた体が氷片のように宙を舞い、月明りを反射しながら美しく輝く。 その瞬間を驚愕の表情で眺めるエヴァは、一体何を思うのだろうか。 アデーレの放った一閃が、ついにその体を打ち砕いた。 痛みに耐えるように歯を食いしばり、アデーレが半身を失ったエヴァの方を見る。「と、届かなかっ……偉大な、魔女の……みとめ、ないッ」 敗北を受け入れていないであろうエヴァが、ろれつの回らない声で叫びながら顔を歪ませる。 残された右半身で必死にバランスを取り、残された触手を振り乱しながら跪くアデーレに迫ろうともがく。 しかしその足掻きもむなしく、彼女は一歩たりとも前進することなく崩れ落ちる。 歯を剥き出しにし、怒りを露わにしながらも右手をアデーレの方へと伸ばすエヴァ。 バランスを崩した体は、そのまま陥没穴の方へと転げ落ちていく。「認める、ものか――ッ!!」 半身のない体で、エヴァが裂けんばかりの絶叫を上げながら落ちていく。 もはや陶酔していた結晶の魔女の力も、アデーレの体に届くことはない。 その声も周囲の轟音にかき消され、彼女の気配は荒野の中に消えていった。「……倒せた、かな?」 フラムアルクスを支えに立ち上がり、アデーレが穴の方を覗く。 転げ落ちたエヴァの姿は確認できず、残された結晶魔獣が群れを成してアデーレを倒さんと上っている。 魔獣の群れに飲み込まれたエヴァを探すのは難しいだろう。 姿が確認できないことに一抹の不安を覚えつつも、最大の障害を退けたことには変わりない。 そして、アデーレには人々を守るという優先すべき大事な仕事が残されている。 しかし、渾身の一撃を放った彼女には、これ以上戦う力はほとんど残されていない。
白色の炎を纏い、新たな力を会得したアデーレ。 冷たい月明りによる手痛い攻撃を受けたためか、いよいよエヴァの顔から余裕というものが消え失せる。 彼女は無言のまま、その結晶で作られた鋭利な腕をアデーレへと向ける。 それに呼応するように、脚を止めていた周囲の魔獣たちが一斉に動き出す。 これまでと変わらない、数による一斉襲撃でアデーレを圧倒しようという魂胆だろう。 背中の触手を伸ばしたエヴァも、両腕を広げながら迫り来る。 魔獣たちがアデーレの間合いに入った瞬間、彼女はその場で回転しながら後方に移動する。 その間、柄の両端に刃が付くフラムアルクスが、手首の捻りによって波打つように中空を舞う。 揺らめく姿はそよ風。しかし敵を切り裂くその瞬間、刃は光の筋となって魔獣の体を一閃する。 しかし、エヴァは身を逸らすことで流れるような斬撃を回避。 回避する彼女をアデーレは深追いせず、一気に距離を離してから燃え盛る炎の矢をフラムアルクスにつがえる。「諦めの悪いことで」 吐き捨てるようなエヴァの言葉に続き、双方の間合いに結晶魔獣が割って入る。 直後、アデーレの手から炎の矢が放たれ、それは一直線に結晶魔獣の胴体を貫く。 抜けてきた矢をエヴァは紙一重で回避するも、今度は射抜かれた魔獣の爆発が彼女を後方へ押し返す。 刃の斬撃と矢の一撃を合わせたアデーレの動きは、舞いを奉納する巫女のそれを思わせる。 白いコートを大きくなびかせ、時折ずれる帽子の位置を直す姿は壮美にも映る。 そのトリッキーな戦闘スタイルは、魔獣たちを確実に翻弄していく。 普段の火竜の力とは正反対となる動きは、もはや別の戦士といっても過言ではない。「いいね……体が軽いっ」 その場で軽く跳躍し、眼下に目掛け弓を構えるアデーレ。 大きく燃え盛る右腕から多数の矢が一斉に生成され、魔獣目掛け放たれる。 炎の矢は白い光跡を残しながら地面へと降り注ぎ、群れとなった魔獣を無作為に貫いていく。 上空からの射掛けは止むことを知らず、白い流星雨が魔獣の群れを打倒していく。 対するエヴァも、降り注ぐ矢を瞬間移動の如き素早さで回避すると、背中の触手で地面を叩き飛び上がる。 結晶の刃となった腕がアデーレを捉え、彼女の心臓を貫かんと突き出される。 しかしフラムアルクスと研ぎ澄まされた腕がぶつかり合い、エヴァの
その日は一日、屋敷の掃除に明け暮れることとなった。 拭き掃除に掃き掃除、使われていなかった家具を磨き本家から運ばれた食器を磨き……。 幸いだったのは、夕暮れまでに帰宅することが許されたことだろうか。 「そう。そんなに急なお話だったの」 テーブルに突っ伏すアデーレを、食器を片付けるサンドラが心配そうに見つめる。
その日の夜……。「えっ、ドゥラン様のところへご奉公に行くの?」 ランプの明かりに照らされたダイニングで、家族と夕食を囲んでいたアデーレ。 向かい側に座る両親との話題は、昼間のメリナと交わしたやり取りだ。 真っ先に反応したのは母のサンドラ。 アデーレは母親似で、特に背中の辺りまで伸ばした青交じりの黒髪はサンドラ譲りだ。「やってみないかって誘われただけだから。確かに六年前のことはあるけど……」 六年前のことは、島の者なら誰でも知っている。 大貴族バルダート家の一人娘に楯突いた農家の娘。 そのことで忌諱されるなどといったことはなかったが、良くも悪くも度胸がある
良太の記憶を取り戻して、六年の歳月が過ぎた。 あれからアデーレの性格は、徐々に良太の人間性に引っ張られてしまった。 しかし彼女も元来おとなしい性格だったためか、周囲から違和感を抱かれたことは数えるほどしかない。 また、両親に恵まれなかった良太とは違い、アデーレの両親であるヴェネリオ、サンドラ夫妻は深い愛情を持っていた。 一人娘故の溺愛ともいえるが、農民なりに女性として満足のいく生活を送らせてあげようと、アデーレに着飾る機会などを与えてくれた。 今のアデーレは、良太が送った二十一年の人生と地続きになったような状態だ。 純粋なアデーレ・サウダーテとして育てられた十年の月日があったた
石灰の塗られた白い建物が並ぶ、石畳の大通り。 道の両側には店舗が並び、軒先に日よけを張り、野菜や日用雑貨が陳列されている。 路肩に積まれた木箱や樽。道行く人々。 日常の雑多な風景の中に、人々が取り巻く生活空間が生まれていた。 その中心にいるのは、眉を吊り上げ腕を組む、いかにも不機嫌そうな金髪の少女だ。 周囲の人々が着るくたびれた服とは違う、フリルをこしらえたピンク色のドレスは、彼女が高貴な家柄の人物であることを物語っている。







