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3-4【バルダート家のお嬢様】

Penulis: 蕪菁
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-17 15:50:58

 食堂の隣には、客人との談話のために用意された応接室がある。

 食堂に比べると狭い部屋だが、それでも一般的な家屋の一室に比べれば広い。

 内装は食堂よりも豪華で、壁には蔓を模したかのような金の模様が張り巡らされ、室内に置かれたあらゆるものが、高級品で揃えられている。

(どうしてこうなった……)

 そんな落ち着かない部屋の端で、アデーレは口を閉ざし自問していた。

 中央のテーブルにはティーセットや軽食で彩られたケーキスタンドが置かれている。

 傍に設けられた豪華なソファには、綺麗な姿勢で座るエスティラの姿が。

 そんな彼女の隣には、黒のモーニングコートにアスコットタイという、誰が見ても執事と分かる壮年の男性が立っていた。

 白髪交じりの黒髪に、しわが深く刻まれた穏やかさを感じる顔が印象深い。

 女性の下級使用人が男性執事と関わることは少なく、当然新人のアデーレは初対面だ。

 故にどうすればいいのか分からない彼女は、閉めた扉の前から動けずにいた。

「何突っ立ってるのよ。これ以上待たせないで」

 変わらず不機嫌そうなエスティラが、鋭い横目でアデーレを見る。

 そこに割って入るように、執事がそっと口を開く。

「お嬢様、彼女も初対面の者ばかりの場所で緊張しているのでしょう」

 年齢を重ねた男性らしい、低く重みを感じさせる落ち着いた声で語り掛ける執事。

 その後彼はアデーレの方に向き直り、まるで使用人の見本ともいえる完璧な会釈を行う。

「初めまして。この屋敷の執事を務める、ロベルト・リオーニと申します。以後お見知りおきを」

 執事ロベルトの丁寧な様子に圧倒され、無言で会釈をするアデーレ。

 そんな様子を、エスティラは小さく息を吐きながら変わらず横目で睨んでくる。

 これ以上待たせたら何が起きるか分からないだろう。

 結局アデーレは、エスティラの圧に促されるようにテーブルの横に立つ。

「それじゃあ、あなたの腕を私が直々に評価してあげるわ。やってみなさい」

「は、はい。失礼いたします」

 圧を感じさせるエスティラの声に押さえつけられるように、ぎこちなく頭を下げるアデーレ。

 期待はしていなかったが、一礼をしながらも手本がないことに更なる不安を抱く。

 テーブルに置かれた、花柄の模様が施された四角いブリキ製の茶葉ケースを見つめる。

 パステル調に彩られた花々は、素直に美しいと感じさせるものだ。

 とはいえ、こちらの世界に転生してからこのようなものを扱った記憶がない。

 だが良太として生活していた頃ならば、祖父母のために紅茶を用意していた経験がある。

 幸いなことに、彼らは日本茶だけでなく紅茶やコーヒーもよくたしなんでいた。

 その頃の記憶を必死にたぐり寄せ、何とか形になる紅茶の淹れ方を思い出す。

 用意された茶葉やお湯を使い、白磁のポットに紅茶を作り、カップに注ぐ。

 置かれたばかりのカップからは静かに湯気が立ち上り、琥珀色の液体がわずかに揺れる。

「ふぅん」

 エスティラの前にカップを置き、改めて会釈をした後に一歩後ずさるアデーレ。

 注がれた液体は、どうにかそれらしい物になってくれていた。

 完全な素人の手によって淹れられた紅茶。

 対するエスティラは嫌がる素振りも見せずにカップを手に取り、躊躇することなく口に運ぶ。

 そして一口飲んだ後、再びカップをソーサーに戻した。

「……あなた」

 変わらず不機嫌さを隠さないエスティラ。

 幼少の頃にはなかった威圧的な雰囲気に、アデーレはわずかに怖気づいてしまう。

 しかし、そんなエスティラの固い表情がほんの少しだけ緩んだ気がした。

「まあ、できる方じゃないかしら」

「え? あ……ありがとうございます」

 それは、予想外の反応だ。予想外故に頭を下げる動作もあからさまに遅れてしまった。

 出されたものをけなす訳でもなく、エスティラはそれなりの評価をアデーレの紅茶に下したのだ。

 どんな厳しい反応が来るかと覚悟していたアデーレからすれば、これには思わず気の抜けた返事も出てしまう。

 そして心の中で、経験を積ませてくれた祖父母に深く感謝していた。

「ま、この程度で満足されても困るけど。今後も私が指導してあげるから、感謝なさい」

「はい……はい? 指導?」

 下げていた頭を慌ててあげつつ、エスティラの方を見つめるアデーレ。

「何を呆けてるのよ。どうせ私の傍に付くなら、相応のメイドになるよう努力なさいな」

 一切悪びれたり、嘲笑するわけでもなく。

 エスティラはさも当然のようにアデーレを見つめ、どこか呆れた様子で短いため息をつく。

 しばらく傍にいろという先の言葉を思い出し、アデーレは目の前が暗くなるような感覚に襲われる。

 使用人を始めて二日目。

 屋敷の主であるお嬢様の傍で仕事をさせられるなど、誰が考えたか。

 出来る限り距離を置きたい相手と、更に距離を詰めていくという正反対の状況。

 今はせめて、エスティラが過去の出来事を思い出さないことを祈るばかりだ。

          ◇

 エスティラがアフタヌーンティーを終えた後のこと。

 アデーレは一人、ティーワゴンを押しながら廊下を歩いていた。

 がっくりとうなだれたその顔には疲労の色が浮かんでいる。

「お疲れ、アデーレ。大変だったでしょ」

 そんな彼女に声をかけたのは、取っ手のついた籠を持ったメリナだった。

 ラヴィニア辺りから事情は聞いているのだろう、彼女は心配そうにアデーレの顔を覗き込んだ。

「メリナさん……まぁ、はい」

 作り笑いを浮かべるアデーレ。

 それが本心からの笑顔でないことは、誰の目からしても明らかだろう。

 しかし彼女は嘆息を漏らした後、気を取り直した様子で顔を上げる。

「ただ、お嬢様が思ってた人と違うというか」

「ん、何かあったの?」

「何か、という訳ではないんですけど。むしろ思っていたことにはならなかったというか」

 先ほどまでお世話をしたエスティラのことを思い出しながら、アデーレは事の次第をメリナに説明する。

 再会した彼女は、ずっと不機嫌な顔を浮かべていた。

 紅茶を嗜んでいた時はリラックスもしていたが、それ以外は変わらずだ。

 だが、周囲に対し理不尽に当たり散らしたりなどといった行動は起こさない。

 紅茶に対する評価をする様子などは、特に冷静なものだ。

 過去の様子しか知らないアデーレにとって、そんなエスティラの姿には違和感を覚えた。

「落ち着いた人だなぁって、お嬢様」

 それが、アデーレの率直な感想だった。

 一通りの話を聞いたメリナは、なるほどと言わんばかりに首を縦に振る。

「ああ、そういうこと。それは旦那様に色々教育を受けてきたからじゃないかな」

「教育?」

「うん、お嬢様は長女だから。バルダート家の後継者として色々、ね」

 記憶の中にあるエスティラの父、ドゥランの姿を思い出す。

 これだけの家の主人だ。きっとその指導は厳しいものだったに違いない。

 エスティラのあの落ち着いた雰囲気も、そういった環境で成長してきた証なのだろう。

 そこで、メリナの表情が変わったことに気付く。

「ただ、今のお嬢様はちょっと事情が……ね」

 それが困惑なのか、それとも同情なのか。

 アデーレには、メリナが何を思っているのかを察することは出来なかった。

「何かあったんですか?」

「ん、まぁー……」

 わずかの間、メリナがアデーレから目を逸らす。

「私も詳しい事情までは分からないんだけど」

 少しの間を空けて、ため息をつくメリナ。

 果たしてその様子は、本当に何も知らない者の反応なのだろうか。

「ここに来ることが決まってからのお嬢様、どうも元気がないのよね」

 少なくとも、今のメリナがエスティラの変化を心配していることは間違いない。

 彼女は使用人としてそれなりのベテランであり、自然とエスティラと関わることも多い立場にあった。

 色々と苦労をかけられてきただろうが、メリナなりにエスティラを思う気持ちはあるということだろう。

 ふと、アデーレは紅茶を口にしたエスティラの様子を思い出す。

 あの時の落ち着いた物腰のエスティラこそが、アデーレが知らない本来の姿だったのかもしれない。

 もちろん、エスティラが過去を思い出したらどうなるか、それは分からない。

 だが今の彼女なら、傍に仕えたとしても理不尽な目に遭わないのではないか。

 アデーレは、そんな淡い希望を抱いてしまう。

「ロベルトさんなら何かご存じかも知れないけれど……とりあえず、アデーレも気を付けてね」

 「それじゃ」と言い、廊下の先へ走っていくメリナ。

 その背中を、アデーレは立ち止まって見送っていた。

「気を付けて、か」

 メリナの後ろ姿を見送りつつ、思案に暮れるアデーレ。

 何を気を付ければいいのかは分からないが、今は怒らせないことが得策だろう。

 このまま穏便に仕事が続けられるなら、それはアデーレの望むところだ。

(……紅茶の淹れ方、ちょっと練習してみようか)

 今ある日常を守るため。

 少しだけ前向きに、使用人の仕事に向き合うことにしたアデーレだった。

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