アーデン侯爵邸まで送っていくというアランの提案を断り、宴会場を出て庭園を散歩した。
とりあえず冷静になりいつもの自分を取り戻したかった。ただ、第一皇子ライオット・レオハードとレノア・コットン男爵令嬢の姿に、
松井えれな時代に見た、とある日の光景を思い出し震えが止まらなくなってしまったのだ。東大受験の前日、私はいつものように電車で参考書を読んでいた。
「あー、それ最終巻出たんだ。私も後で買いにいこー」向かいの茶髪の女子高生の大きな声が電車内に響いた。
すると向かいのオシャレメガネをかけた女子高生が本から目を離さず答える。 「ライオットとレノアがハッピーエンドでよかった」「あーもう、ネタバレ禁止! 」
茶髪女子が拗ねたようにいうが、表紙が明らかに赤髪男とピンク髪女のウェディングの絵だ。 すでに表紙でネタバレをしている。それにしても参考書を読んでいる私がブックカバーをかけているのに、恥ずかし気もなくあんな俗本を電車で読むなんて。
「一番良かったのは、アランとエレナが破滅したとこかな」 メガネ女子はネタバレに余念がなかった。「だからネタバレ禁止って言ったじゃん。アニメも楽しみだね」
2人のオタク女子高生が楽しそうに話していた。私は、自分の記憶力に感謝した。
友達同士楽しそうに話す女子高生が羨ましくて聞き耳を立てたわけではない。昔から一度聞いたことは忘れないところがあった。
しかし、何であの時あの本に興味を持って購入しなかったのか今は悔やまれる。 あの時の私はしょーもない本、読んでないで勉強しろよと思ったのだ。視野が狭かった。こんなことになるのなら見識を広める為に読んでおくべきであった。
まあ、今となってはあとの祭。「私は今、あのライトノベルの世界にいるんだ」
現実主義だと自負しているが、状況がそのファンタジーな事実を認めさせた。キラキラした紫色の瞳をした実年齢よりも成熟した精神をもつ優しい少年アランのことを思い出す。
「小学生を破滅させるような世界がどこにあるの。立場があると子供扱いされないわけ? あんな良い子なのに」 私はぶつぶつと呟きながら、現実世界で破滅した歴史人物について思い出していた。 こうなったら自分の今持つ知識で立ち向かうしかないからだ。「なんとかしないと、私の出来る範囲で。私の知らないところでアランが悪いことしてる? 」
彼の全てを知ったわけではないけれど、少なくとも私の知っている彼は破滅して自業自得扱いされるような人ではなかった。 破滅回避のため参考になるような破滅した歴史上の人物を頭の中で羅列していく、あまりの人数に精査し分類する必要があることに気がつく。「悪女⋯⋯」
ふとライオットのゴミを見るような視線を思い出し呟く。 ライオットは主人公だ。明らかにエレナに見せた視線は敵意だった。主人公に敵意を向けられては生き残れる気がしない。
彼にとって悪女であるならば、その時点でアウトだ。エレナのせいでアランも破滅したということはないだろうか。
確か、悪役令嬢モノのライトノベルが売れていてアニメ化や映画化までしていると朝の番組で言っていた気がする。正直ライオットが主役のライトノベルは、内容はおろかタイトルさえ分からない。
しかし、作者はある程度、実際の歴史や自分の経験などに影響を受けた文章を書くはずというのが私の推理だ。悪女、王族、それでいて表紙の服装から察するに西洋の歴史ものの影響を受けているという予想からまず第一に思いついたのは、
「フランス革命、ルイ16世とマリーアントワネット⋯⋯」 一瞬目の前が真っ暗になった。「ギロチンで処刑されてるじゃない! いくらなんでもアニメ化作品で小学生にそんなこと」
しかし、日本の深夜アニメの残虐性はよく問題になっていることや、もしかしたら映像化される時点でアランの年齢設定が変えられている可能性もあることも考え、 完全にライオットの物語がフランス革命の歴史の影響を受けてないとも言えなく恐ろしくなった。 豪華絢爛だった皇宮がベルサイユ宮殿にも見えてくる。「でも、アランだよ。控えめに言って天使だよ」
浮かんできた事実を否定しようと私は呟く。 でも、ライオットはエレナに対してほどではないが、アランに対する視線も冷たかった。「ライオットは19歳だったはず、小学生に対して大人気ない」
愚痴ってみても、彼がアランやエレナに対して良い感情を持ってないのは明らかだった。隣にいた綿菓子のような柔らかい雰囲気のピンク色の髪を持つヒロインを思い出す。
レノアはアランやエレナにも悪い感情を持っているようには見えなかった。ライオットとは皇子と下位貴族の立場でありながら、仲が良さそうに見えた。
「すでにくっついてるのか? 二人で私たちを倒す話? 」ライオットには正直怖くて近づけないが、レノアには近づいて見ようと思った。
「主人公の心を変えるのは、いつだってヒロインのはず。私とアランがいかに善良か知ってもらった方が良い。」「侯爵令嬢、こんなところでどうしたのですか?本当に俺の凱旋を祝ってくれる気は全くないのですか?」
思いを巡らせてると、先ほど私を怯えさせた主人公の声が聞こえた。 振り返りたくなかったが、私はゆっくりと気持ちを落ち着かせながら振り返りライオットに挨拶をした。私のこと追っかけてきたの?「ライオット・レオハード第一皇子にエレナ・アーデンがお目にかかります。」
なんとか、落ち着いて挨拶ができた気がする。「俺の名前くらいは記憶してくれていたようですね。」
鋭い黄金の眼光が私を睨みつけてくる。 敵視するにしても感情を出し過ぎているわ。「アランと一緒にいなくてもよいのですか? 」
彼の言動から察するにアランとエレナはセット行動が基本ということだろう。 「皇太子殿下は忙しいので邪魔にならないようにしているのです」まだ、この世界の私のレベルではアランの助けになるようなことはできないのも事実だ。
「侯爵令嬢はゆくゆくは皇后になられるお方なのだからご一緒された方が良いのでは? 」
一緒にいない理由を話したのに、しつこく意地悪そうに聞いてくる彼に私は黙り込んだ。彼は皇子で私は一介の貴族令嬢にすぎないから、どんなパワハラにも耐えなければいけない。
失礼な対応をしてはいけないのは承知している。 しかしながら、トゲトゲしくしつこい口撃からどう逃げればよいのか。「良かったですね、踊り子の息子などと結婚させられないで。お2人はお似合いです。身長差以外は」
ライオットとエレナは婚約寸前の関係だったと聞いていた、彼の母親は踊り子なのか。「まあ、俺からすれば贅沢な暮らしがしたいがため息子を使って皇室に入る女も、血筋にこだわり子供のような年の子と婚約する女もどちらも品がないと思いますが」
前者は彼の母、後者は私のことを非難しているのだろう。「自分の母親のことをそんな風にいうのですか? 彼女がどんな方かは存じ上げません。でも、殿下をお腹の中で10ヶ月は様々な不調に耐えながら思い育ててくれたのですよ」
彼はは急に息を飲んで絶句した。そう、これは私が日本で母からの無関心に寂しくなった時ずっと考えていたこと。
どんなに兄にしか関心を示さなくても、きっと私がお腹にいた頃は私に関心があったはずと自分を慰めていたのだ。 つわりがあればお腹に私がいるとわかるし、お腹が重くて起き上がるのが難しければ私のことを考えていたはずだと。私の頰を一筋涙がつたうのがわかった。
もう、会えるかどうか分からない日本の家族を思うと込み上げてくるものを抑えられなかった。一瞬、彼が困惑した表情をする。
もう、本当にどこかに行って欲しい。「今日のドレスも似合っていないですね」
女が泣いているのに口撃の手を緩めない。主人公とは思えない陰湿さに、何もかもどうでもよくなってくる。
もうすでにこれ以上ないくらい嫌われてそうだし、どうとでもなれば良い。「じゃあ、今度、皇子殿下が私に似合うドレスをプレゼントしてください」
ライオットの顔が一気に彼の真っ赤な髪と同じように赤くなった。明らかに彼はダメージを受けている、足元もふらついているし、あと一発で撃退できそうだ。
もしかして、この世界でも男が女に服をプレゼントする意味は「その服を脱がしたい」的なものなのか。「侯爵令嬢は退化しているのではないですか?6年程前の方が令嬢としての言動をわきまえてましたよ。」
結構、しどろもどろで返してくる。180センチくらいありガタイもよい彼だがなんだか倒せそうだ。「皇子殿下は、私の進化にお気づきにならないのですか? 」
私は、胸の開いたドレスの胸元を示しながら挑戦的な眼差しで言ってやった。「な、何を言ってるんだ。し、失礼する」
ライオットは真っ赤な顔をして、黄金の瞳をぐるぐるさせて去っていった。私は彼への恐れの感情が消え、別の感情が顔を出したことに気づいた。
「これって面白い女ムーブならぬ面白い男ムーブってやつなのかしら」 いかにもウブそうな彼ごときに私は破滅させられるのだろうか。私を敵視せず、普通に接してくれれば仲良くなれそうなのに。
らしくもなくお色気ネタを使ってドッと疲れた私はさすがに帰宅した。「お父様、お母様、今度お茶会を催そうと思うのですが⋯⋯」
こちらの世界に迷い込んで来てから一度も揃わなかった家族が揃ったので私は提案をしてみた。「好きになさい! 」
ミリア・アーデン侯爵夫人、この世界で私の母に当たる人だ。 ナイフとフォークを置いて一言興味なさげに放たれた言葉に少し寂しくなった。両親に興味を持たれない自分は私も経験して来たが、優秀な兄に隠れてしまっているからだと思っていた。
しかしながら、エレナの場合は一人っ子だ。一人娘なんて親が過干渉になるものだと思っていた。
アランの話によるとエレナは完璧令嬢と名高いらしいから優秀なはずだけど。 そもそも、両親はエレナの中身が変わっていることに全く気がつかないのだろうか。アーデン侯爵邸は静かだった。
私が話しかけなければ、誰も私に話しかけてこない。 身分の差があるからそのようなものなのだろうか。日本にいた時、私の両親は忙しく、兄も大学途中からアメリカに留学してしまったので、
家に一人でいることが多かった。しかし、この邸宅には何十人もの使用人が働いているのに静かだ。
私の前だからだろうか、使用人部屋にいけば仕事の愚痴や恋バナとか話してたりするのだろうか。私は使用人たちからレノアの情報を集めることにした。
「レノア・コットン男爵令嬢ですか? 」私の専属メイドであるメイに尋ねると、少し戸惑ったような表情をされた。
「あの、どんな些細なことでも教えて欲しいの。今度のお茶会に呼ぼうと思って」驚きを隠さないメイの顔に私は自分の失敗を悟った。
「私って普段どんな令嬢と仲良くしてたかしら? 実は高熱を出したことで記憶が曖昧で、コットン男爵令嬢とは仲良くなかったかしら? 」アランから最近エレナが高熱を出したことがあるという情報を得ていたのでとっさに言い訳に使った。
「お嬢様は皇帝派の高位貴族の方とお茶会をしてました。コットン男爵令嬢は貴族とはいえ田舎の貧しい男爵家の方なのでお嬢様がお呼びしても遠慮をされるかと」主人である私の質問には答えなければならないと思ったのか、戸惑いつつもメイは話してくれた。
「私の部屋でお菓子でも食べながら話さない? 」
私はお茶とお菓子、それから秘密アイテムお酒を用意して半ば強引にメイを部屋に誘った。 お酒には人の判断能力を鈍らせたり、口を軽くさせたりする効果があるらしい。それに良く社会人がノミニケーションといって飲み会で仲良くなったりするというのを聞いたことがある。
私は未成年だから飲酒するわけにはいかないけれど、メイは問題ないはずだ。私にワインを注がせてしまった以上飲まなければならないと判断したらしい。
私が次々とワインを注ぐのであっという間に酔っ払ってしまった。「コットン男爵令嬢はですね、一応貴族令嬢ですが、まあ平民と変わりませんよ」
「ほらほら、グラスが空いてますよ」
お酒の力すごい。口がかなり軽くなってるし、言葉も砕けてきてしまっている。 「自ら志願して第一皇子の遠征にもついていったようです」メイが少し意地悪そうな顔で言った。
「え、あんなふわふわした子が戦うの? 」 純粋な疑問だった、バトルには向いてなさそうな優しそうな感じの子だったから。「まさか、怪我した兵士の世話とかそんなのをしているみたいですよ?まあ、あわよくば第一皇子や高位貴族に見初められようという魂胆でしょう」
メイが少し得意げになって話してきた。「戦場っていつ死ぬかもわからないという場所でしょ、そんな動機で行く?ナイチンゲールみたいな崇高な精神の持ち主なんじゃないかしら? 」
いや、ワンチャンあっても普通に戦場には行かないでしょというのが私の見解だ。
「ナイチ? まあ、とにかく周りはみんなコットン男爵令嬢のことそんな大層な方とは思っていませんよ」 平民のメイが男爵令嬢のレノアを馬鹿にしたように話すのは不思議だった。しまった、ナイチンゲールはこの世界にはいなかったんだった。
でも、メイはあまり気にしてないみたいでホッとする。基本、周りはみんなそう言っているという言葉は好きではない。
大体は自分がそう思っていることを周りのせいにして非難する時に使う言葉だ。彼女は辛口な人なのか、私の悪口も言われてそうだなと考えながら彼女の表情を伺うとその瞳は涙で濡れていた。
「う、うぐ、この帝国で血筋の悪い人間は夢なんて持てないですよ。死んだような生活です。死ぬかもしれない戦場がなんだというのです」お酒って涙脆くなる効果もあるのだろうか、本当に怖い。
「まって、大丈夫? どうしたの?これで涙を拭いて? 」 私はナプキンを渡すとメイはそれで涙を拭いて鼻を噛み始めた。「私は、幸せです。こうやって侯爵家に雇って頂き未来の皇后となられるお嬢様のお世話ができる。今、お嬢様とこうしているのも夢のようです」
私は他の人が言っているというようにレノアの悪口を言うメイに少し嫌悪感を持ったことを反省した。
彼女は自分の環境に感謝でき、些細なことに幸せを見つけられる人なのだ。それは私にはないもので、私はいつも満たされなくもっともっとと求めてしまう。
よくいえば向上心が高いともいえるが、日本での私の環境も経済的に困窮していたわけでもなく、他人から見れば幸せなのかもしれない。自分でも周囲から見て恵まれている自分の環境に、なぜか不満を見出さずにいられない性格を自覚していた。
小さい頃から、俺、三池勝利は賢かった。三兄弟の長男として生まれたが、弟たちの自慢の兄であり、両親の自慢の息子であった。小学校5年生の時、学校の前で無料で模試が受けられるというチラシが配られていた。週末一緒にサッカーをする予定だった友達がその模試を受けるというのに誘われて、受けた模試で何と俺は全国で7位をとってしまったのだ。その後、授業料無料で特待生として迎えると言われて塾に通うことになった。サッカーの時間が削られるのが嫌だと感じたのは初めだけだった。その後サッカーが上手い転校生が入ってきて、俺様を讃える声が激減し、俺は勉強に専念することにした。俺はこっち側の人間だったのか、サッカーは脳筋たちに任せよう。塾での勉強は格段に難しかったが、だからこそ攻略しがいがあった。特に、算数はパズルのようでゲームをクリアするような感覚が好きだった。「俺の子じゃないだろ、できがよすぎるー!」派手な金髪の父は俺の成績表を見ては大げさに褒め称えた。「そうよー! 実はこの人の子なのー!」ノーベル賞を受賞した爺さんを指差しながら、派手な赤髪の母が言う。両親は美容師で仕事でも家庭でも24時間一緒なのに物凄く仲が良い。「兄ちゃん本当にすげー!」興奮気味に弟たちが、称えてくる。「兄ちゃん、かっこいー!」俺は弟たちのヒーローであった。中学受験も塾に言われてトップの男子校を受けたが合格。でも、俺は徒歩圏の共学の進学校に進学した。もったいないと言われたら、「近いから」と某少年漫画のキャラクターのようにクールに返した。中学に入学したらモテて仕方ないだろうなと、入学前から悩んでみたりした。そんな俺の快進撃は中学最初の定期テストで撃沈する。お前ら今までどこに隠れていたんだと思うくらい頭の良い奴が多かった。いつも一番で誉められ続けていた俺が上位にくいこんでおらず落ち込んだ。しかし、地元で有名な進学校の制服を着ているだけで家族も近所の人も羨望の目で見てくる
「レオハード帝国、アラン・レオハード皇太子殿下とエレナ・アーデン侯爵令嬢のおなーり」入場を知らせる声と共にアランにエスコートされながら会場に入った。戴冠式には間に合わなかったが、その後の宴会になんとか間に合ったようだ。「奇襲を受けたと聞いたが大丈夫か?」アランが心配そうに聞いてくる。「ドレス以外は無傷です。後ほど詳細をご報告させてください」ダンスをしながら彼の質問に答える。流石に、敵地でするにはリスクがありすぎる内容の会話だ。ダンスを終え周りを見渡す。水色髪がエスパル王国の貴族だろう。その時、殺気を漂わせる視線に気がつく、振り返れば欲深そうな水色の瞳をした老人が私を見ていた。あれが、ヴィラン公爵ね。年齢を重ねるほど顔に内面がでるとはいうけど、一筋縄ではいかなそう。ライオットの話だと現ヴィラン公爵が宰相である間に3代国王が変わっているらしい。そうなると、おそらくエスパル王国での発言力も相当なものだろう。考えを巡らせていると、急に周りが騒がしくなった。なぜだか周りの視線を集めている気がする。「エレナ・アーデン侯爵令嬢。令嬢と踊る栄光を私に与えてくれませんか?」私に声をかけて来た彼は誰だろう。豪華絢爛な衣装に水色髪に水色の瞳、20代後半くらいのその男は周囲の視線から察するにこの宴会の主役。「光栄です、クリス・エスパル国王陛下⋯⋯」私は彼の手をとって踊りはじめた。なんとなく辿々しいステップに感じるのは、戦争に興じて社交には興味がないということなのだろうか。ライオットから前国王は独裁者で、クリス・エスパルも残虐で切れ者だと聞いていた。しかし、先ほどのヴィラン公爵の視線に比べて威圧感を感じない。むしろ、子犬のようとも言える人懐こさを感じる眼差し、見覚えがるようなこの視線。♢♢♢私は高校時代、一番苦手だった人物、三池勝利を思い出してた。高3の時、私の後ろの席に座っていた人物。髪を金色に染め
「レノア! ライオット・レオハード第一皇子殿下がリース子爵領でおきてる反乱の制圧に向かわれるらしい。お前も救援支援として参加しなさい」コットン男爵、血が繋がっていることさえ恥ずかしくなるような私の父は、娘がどうなろうとどうでも良いらしい。リース子爵領はうちの領地と同じくらい田舎で貧しい。鉱山などの資源もなく土壌も悪く食物を育てるにも向いていない。そこで私の父と同じくらい欲が深いリース子爵が自分が贅沢がしたいがためにしたことは、土壌に対し何ら対策を施すわけでもなく、領地の税率を上げたことだった。そこに暮らす民も貧しく他の領地に引っ越すような余力もない。どうしようもなく追い詰められ、反乱を起こしては制圧されるそんなことの繰り返しだ。下位貴族の領地の反乱などに駆り出される不遇の皇子、それがライオット・レオハード皇子殿下だった。「機会をみて皇子殿下を誘惑してきなさい。腐っても皇子だ」本当に下衆な父親で吐き気がする。私の母は男爵邸で働くメイドだったが、私を産んだ後、数少ない男爵邸の宝飾品を持って逃げてしまった。逃げ出した母が惜しいのではななく失った宝飾品が惜しくてたまらないコットン男爵は、私を換金したくて堪らないらしい。貧乏男爵令嬢で平民の血が混じった私は周囲から卑しい血筋などと心無い言葉を浴びさせられてきた。しかし、そんな私から見てもライオット・レオハード皇子殿下の境遇は失礼ながら可哀想に思えた。弟君が生まれて以来、皇太子の座も、母親も、婚約者になる人も全てを奪われ、死を望まれ、戦地に送られる皇子。「了解しました」子爵領の反乱は、生きるか死ぬかの激しいものだと聞いた。父は私が戻って来なければ食い扶持が減ったと喜び、皇子の誘惑に成功したら大喜びするだろう。しかし、反抗したところでムチで打たれるだけだ。ならば、父から離れられる機会と思い皇子軍に参加しようと思った。「レノア、こっちをお願い」救援に参加しているのは平民の娘ばかりで苗字がなく、
馬車に揺られてもう2日目だ。隣国のエスパル王国での国王陛下崩御にともない、新国王の戴冠式が行われるとのことだった。アランと共に参加することになるが、彼は帝国内の視察中でいわゆる現地集合という形になった。「きゃー!!」ものすごい勢いで馬車が揺れて馬車の窓に頭をぶつけた。「奇襲です。私がお呼びするまで馬車の中で身を潜めてください」少し焦ったようにエアマッスル副団長が窓を覗き込んで私に言った。外を覗くと武装した騎士たちが馬車を包囲している。「誰なの?」窓に飛び散ってくる血の間から、敵の剣の柄の部分に紋章のようなものが見えた。私はひき逃げの車のナンバーを記憶するかのようにその紋章を記憶した。道中が長いこと、エスパル王国と帝国は実は今にも戦争になりそうな緊張状態であることから、私について来たアーデン侯爵家の騎士は50人程いた。しかし、ざっと見た感じ敵はその3倍はいる。かといって、私にできることは何もない。無力程、恐ろしいものはない。「こんなところで死ぬのは嫌、でも⋯⋯」死への恐怖と追い詰められたことでおかしな考えが浮かぶ。「死ねば元の世界に戻れるかも、これから楽しい大学生活を送れるじゃない」「侯爵令嬢申し訳ございません。我々もこれまでです。令嬢だけでも私がなんとかお守りします。馬車を出てください。私が抱えてお逃げします」扉の外は敵も味方も血だらけだった。怖い、ここから出ても安全だとは思えない。私は首がもげそうなくらい首を振った。「帝国軍だー! 赤い獅子だ! 退散しろ!」帝国軍? 味方が来たの?私を抱えようとするエアマッスル副団長の肩越しにみると、燃えるような真っ赤な髪が見えた。「ライオット!」いつの間にか敵は退散し、ライオットが私を呆れたような目で剣をおさめながら言った。「耳をつんざくような、貴族令嬢とは思えない金切り声の正体は侯爵令嬢でしたか。」「皇子
私は昨日のメイとの話を部屋で整理していた。一番驚いたのは私のこの世界の母にあたるミリア・アーデン侯爵夫人が、皇后陛下の妹君であり、つまりはアランは私の従兄弟にあたるということだ。「まったく、どこのハプスブルグ家よ」6歳近くも年下の従兄弟と結婚なんて自分の価値観とは離れすぎていて、エレナはよく受け入れていたものだと思った。そして、アランと婚約する前はライオットが侯爵邸に度々訪れていたらしい。「お嬢様、メイには分かっておりましたよ。ライオット様といらっしゃる時ご無理をされているということ。政略的なものとはいえお嬢様のような完璧なお方があのような下賎な血筋のものと結婚だなんてありえませんもの」彼女は差別意識が強い人のようだった。「ライオット皇子殿下は皇族よ」皇族に対して、平気で侮辱するのは酔っているとはいえ危ない。「卑しい踊り子の血を引いているではありませんか」メイは平民でありながら、平民の血を嫌悪しているように思えた。「お嬢様、私はお嬢様にどこまでもついていきます」そして、エレナにものすごく心酔している。私の住んでいた世界では、差別は恥ずべきことだった。その価値観が染み付いている私には、メイの発する差別意識の染み付いた言葉の数々は居心地が悪かった。なぜ、他に爵位を持つメイドやベテランのメイドがいるのにメイがエレナの専属になったのか疑問だった。エレナが12歳の時にメイを専属のメイドに指名したらしい。おそらく私が違和感を感じる彼女の価値観はエレナにとっては心地よかったのだろう。そうでなければ、酔っていたとはいえ皇族の血を咎めたりしない。ライオットの血筋を卑しいと感じるであろう差別主義者。それが、メイから見たエレナなのだ。アランの兄であるライオットと婚約するはずだったのに、6歳近くも下の従兄弟と結婚というのは彼女にとって納得のいくものだったのだろうか。婚約当初12歳のエレナが6歳のアランに恋するとは思えない。親に言わ
アーデン侯爵邸まで送っていくというアランの提案を断り、宴会場を出て庭園を散歩した。とりあえず冷静になりいつもの自分を取り戻したかった。ただ、第一皇子ライオット・レオハードとレノア・コットン男爵令嬢の姿に、松井えれな時代に見た、とある日の光景を思い出し震えが止まらなくなってしまったのだ。東大受験の前日、私はいつものように電車で参考書を読んでいた。「あー、それ最終巻出たんだ。私も後で買いにいこー」向かいの茶髪の女子高生の大きな声が電車内に響いた。すると向かいのオシャレメガネをかけた女子高生が本から目を離さず答える。「ライオットとレノアがハッピーエンドでよかった」「あーもう、ネタバレ禁止! 」茶髪女子が拗ねたようにいうが、表紙が明らかに赤髪男とピンク髪女のウェディングの絵だ。すでに表紙でネタバレをしている。それにしても参考書を読んでいる私がブックカバーをかけているのに、恥ずかし気もなくあんな俗本を電車で読むなんて。「一番良かったのは、アランとエレナが破滅したとこかな」メガネ女子はネタバレに余念がなかった。「だからネタバレ禁止って言ったじゃん。アニメも楽しみだね」2人のオタク女子高生が楽しそうに話していた。私は、自分の記憶力に感謝した。友達同士楽しそうに話す女子高生が羨ましくて聞き耳を立てたわけではない。昔から一度聞いたことは忘れないところがあった。しかし、何であの時あの本に興味を持って購入しなかったのか今は悔やまれる。あの時の私はしょーもない本、読んでないで勉強しろよと思ったのだ。視野が狭かった。こんなことになるのなら見識を広める為に読んでおくべきであった。まあ、今となってはあとの祭。「私は今、あのライトノベルの世界にいるんだ」現実主義だと自負しているが、状況がそのファンタジーな事実を認めさせた。キラキラした紫色の瞳をした実年齢よりも成熟した精神をもつ優しい少年アランのことを思い出す。「小学生を破滅させる