LOGIN「水樹さん、お持ち帰り狙ってました?」
「皆狙ってるって!」
「
飲み会が終わって外に出れば、前を歩く憂先輩の背中を見て、水樹さんと白河さんがそんなことを言った。
先輩は私の以外、お酒は飲んでいなかったようで、確かに体幹がしっかりしている。
あれ? 先輩、私の前でふにゃってたアレ。なんだったんです?
そんな憂先輩のスマートな背中。
たぶん、目視のメジャーでは刈谷1.25分くらいの背丈?183か4あたりかなあ。
モデル体型の憂先輩に率先して並びに行く一人の影。
バレッタで髪をハーフアップに留めた
後ろから見る二人はお似合いで、水樹さんが課長代理らしからぬ舌打ちをした。
「古馬都相手じゃ勝ち目ねえな。」「水樹さん、舌打ちが夜のネオンに響いてます。」
憂先輩との出会いは、央海倉庫横浜支部に私が在籍していた時、先輩が出張で横浜支部にやってきたのがきっかけだった。
その頃先輩は神戸支部の経理部所属で、新システム移行に伴う合同研修が横浜支部であったのだ。
研修室で経理部参加者リストが資料と共に配られて、“憂李月”の名前を見た瞬間、すぐに思い出した。
日本数学オリンピックで5年連続銅賞の憂李月。
なんだか可愛い名前だし、サイトのインタビュー記事にも顔写真が載っていたからよく覚えていたのだ。
コミュ力に欠ける私は、その時だけコミュ力の神様が下りてきた。
彼の名前が載る座席のところに行って、無我夢中で話しかけた。
「あの! 日本数学オリンピックで5年連続銅賞の、憂さんですよね?!」
5年連続で名前が載るなんて本当に尊いことだから。
あこがれの存在だったし、ただ必死に話しかけたんだ。
でも彼の性格なんて全く知らなかった私は、一瞬にして凍り付いた。
「ここは職場で研修中なので。プライベートで話しかけるのはやめてください。」 そう言って、冷たい温度と態度で突き放されて。打たれ弱い私は、しゅんと気持ちが沈んでしまった。
なんで今日に限ってコミュ力の神が下りてきちゃったの?コミュ力の神を呪いかけましたよ。
研修の席に戻れば、システム管理部で同期の
「大輪田君。うん、ちょっとねー。」
「あの人、誰に対しても冷たいし、気にしないほうがいいよ。」
「そうなの?」
「冷淡冷徹で無表情って有名だよ。」
「そう、なんだ?うん。ありがとう。」
「それより、今日一緒に帰らない?」
「ごめーん。今日は経理部合同研修会の飲み会でねえ。」
「ああ、そっか。うん。じゃあまた誘うよ。」
黒縁メガネの大輪田君。同期で新卒以来ずっと仲良くしてくれている一人だ。私に気があるのはバレバレで、でも私はそれをふんわりとバッサリ突き放してしまっている。
なんていうか、世の中の人といい、私の仲のいい同期たちといい、皆普通に恋愛しているのが信じられないんだ。
他人に必要以上に踏み込まれるの、こわくない?
特に異性には壁を作ってしまう癖がある。
ごめんね、大輪田君。いい人なのにね。
本当は今日の研修後の飲み会、任意なんだ。だからね、私は不参加なの。
いつもの就業時間よりも早く終わった私は、『宇宙百貨』っていう不思議雑貨店に足を伸ばそうかなって思ってたんだ。
その路線の電車内でのことだった。
きっと、新横浜から新幹線で帰るのだろう。
背の高い憂先輩が、車内で吊り革につかまっているのが見えた。
どうしよっかな。憧れの人だし、一応西の経理部の先輩だし。挨拶くらいはした方がいいのかな?
でも怖いんだよねえ。あの冷めた目で見られるの。刈谷、男性に睨まれる恐怖症だから。
いい年して、何いってるんだろう。電車に揺られてふらふらしちゃう。
車内が混み合ってきて、真ん中の方へと押しやられる小さい私。
つかまるところなんてないし、周りには見下されてる感覚だし。俯いて、ぎゅっと大きな鞄を握りしめる。
早く次の駅に着いて欲しい。早く皆降りて欲しい。いい加減慣れようよ『宇宙百貨』までの道のり。
バカみたいな緊張感を握りしめておきながら、思い切り身体が揺られちゃって。重心消えた。
と思ったら、大きな身体が、刈谷の小さな身体を包みこんだ。
「……あ、すみませッ」
後ろをみれば、上を向いて振り切りたい。冷や汗がこぼれないように。
そこには、憂先輩のヒヤリとした美顔があった。
おっと今かもしれない。ダンゴムシになるタイミング。
「つかまって。」
「え?」
「危ないので、俺につかまって下さい。」
「あ、ありがとう、ございま、す。」
あの、人間のどこにつかまるのが正解です?
自分は鞄を持っているし、先輩の薄手のコートを握ってもシワになるし。
どうすることもできず、たじろぎながらも先輩のコートの端を、小さく指でつまんでみることにした。これって、ぜんぜん身体も心も安定しないね。
そうしたら頭上から「ふふっ」と笑い声が漏れた気がした。見上げてごらん?月が綺麗ですね。って。目をやんわりと細めて笑う先輩がいた。
不意に刺さされるキュンてやつ。『宇宙百貨』よりも掘り出し物に出会えたかもね。
「自分、ぜんぜんつかまってへん。」
「へっッ」
「刈谷さん、やろ? 3年連続日本オリンピック銅賞の。」
「し、知ってるんですか?私のこと……」
「サイトに名前載っとったし。3年連続なら嫌でも目立つやんなあ。」
「……」
「ごめんなあ。まさか刈谷爽さんが女の子やと思わんくて。すぐ気付かんと、冷たい態度とってしもた。」
先輩が、吊り革を持つ手とは反対の手で、ぎゅっと私の肩を抱きしめた。
わあ。なにこの距離感。と関西弁にも似た憂李月弁。ダンゴムシの心臓どこですか。
ちょっと先輩、刈谷の男性恐怖症を舐めないで下さい。
満員電車の中。どうやって次の駅で降りようかとそわそわしていた。
すると先輩が、冷淡冷徹じゃない顔でささやいた。
「刈谷さん、どこの駅で降りるん?」
「あ、つ、つぎの駅です。」
「ん。」
たった一文字が、刈谷に憎いトキメキをもたらす。
無表情じゃない顔で見下ろす、柔らかい顔。
こんなに密着して、こんなに見下ろされてるのに。世の中捨てたもんじゃないね。
それほどそんなに怖くないんだもん。けど緊張はMAXだよ?
舐めないで欲しかった恐怖症は、きっと今だけいい子に留守番してるはず。
なあんて思ってたら、どうしよう。
先輩も一緒にその駅で降りちゃって、私はどうしていいやら。とりあえずお礼とお詫びを伝えることに成功した。
「あ、ありがとうございます! それと、すみません。」
「いいえ。勢い余って俺も降りてしもて。」
「ああ、あの、ほんとうにごめんなさッ」
「必死? ふはっ。刈谷さん、ええ子やね。」
男の人の笑顔って。こんなに可愛いやつだったのかあ。
憂先輩の笑い顔に圧倒されちゃって、思わず穴が空くほど見惚れちゃう。
そうしたら先輩が、私の肩から落ちそうなカーディガンの裾を直してくれた。
「ここ、ずれとる。」
「ふぇ」
「華奢やなあ。こわれてまいそう。」
左右の襟元を見て、「ええね。」って。ベージュのカーディガンを左右対称、上下逆台形になるように。きっとしてくれたんだと思う。
初めて男の人と、こんな距離感バグったやもしれへん。
冷淡冷徹な無表情? 大輪田君のイントラネット、バグが発生してるんじゃない??
「10分だけ、俺に時間くれませんか?」
「えっ、」
「日本数学オリンピックの人間には早々会われへん。もし、良ければやけど。あそこのベンチで話さへん?」
そう言われて、断る理由より受け容れる理由が一つ多い私。
首を縦に振って、一緒に駅のホームにある自販機で飲み物を買った。
先輩はさらりと、私のおしるこもスマホの電子決済で払ってくれたのに。「ツケときますんで。」って言われてね?
「あああの。利子は、なんパーセントですかっ」
ちょっと関西の方のノリに便乗してみた。先輩、私上手くできてますか?
「後ほどメッセージで、支払明細お送りしますね?」
「えッ」
憂先輩がスマホを見せてきて。私はキョトンとしてしまう。
つまりこれって、メッセージのやり取りをしましょうってことかな。
会社の先輩だし、あこがれの人だし、IDの交換くらいいいよね?
ほんの7秒くらいのことだったんだけど、私がちょっぴりためらっているのがバレたみたい。長かったですか?
憂先輩が首をこてんとして、綺麗な瞳で見つめてくる。
「関西のノリでナンパする男って、好かんよなあ。」
「え?! な、なんですか、とつぜん。」
「こうやってなあ。前、ナンパしよる男、目撃して。」
「へ、へえ。そ、そうなんですか。」
うっわあ。わたし、本気にしてしまいました。
鞄の中でスマホを探していた手を、慌ててお財布方面へと乗り換える。
そうだよねえ。先輩、すごい美人さんだし、まつげも長くてスタイルよくって。
私みたいな地球外生命体とは交換なんてしないかあ。
「あ、あの、じゃあ。おしるこ代、現金で払いますんで。」
お財布からお金を出そうとしたところで、先輩が私の手をつかんだ。
「ああ、手、冷えとる。早く座って飲もっか。」
「あ、あの、お金は、」
「俺、小銭には飽きてるから。いらんよ?」
「えっ」
「これからは電子的に生きよう。って、カッコつけてくスタイル。ふふ」
それだけ言って憂先輩がベンチへと歩いていくから、刈谷も慌ててぴょこぴょこついて行く。
「あ、ありがとうございます!」
微妙な距離感の座り方ってあるじゃない? 私はそれを期待していたんだけど、残念ながら期待外れ。
憂先輩は、端に座った刈谷の方へとずれてきて、体感ほぼゼロ距離の位置に座った。
腕が絶対絶妙に触れあっていて、恐怖症が一気に爆発してしまった。
駅のベンチに座る男女を脳裏に、タッチペンで描いてみる。すると不純異性交遊ってワードがAIによって生成される。
なんか私、#中学生 #思春期みたいなこと思ってるなあ。
「俺なあ、5年連続銅賞って、ずっとコンプレックスやったんよ。」
「……え?」
「世界数学オリンピック候補になれんかったこと、ずっと悔しくってなあ。」
「………」
「だから、周りに馬鹿にされてる気分なって、そこから思春期すねらせて。周りを突き放してん。」
全くそんなことには気付きもせず、先輩はただのあこがれでしかなかった私。日本数学オリンピックは金賞、銀賞が世界数学オリンピックの候補になって、銅賞ではなれない。
そっか。じゃあ私が話しかけた時、嫌な思いさせちゃったのかなあ。
おしるこの缶を両手で握りしめて、震える手をきゅっと抑える。
「わ、わたしは、逆というか。日本数学オリンピックに出るなんて、周りに近寄りがたいって思われて。余計に友達減っちゃって。」
「そうなん?」
「それで、4年目はもう出るのやめたんです。」
「そうだったんかあ。」
「だから、私にとって憂先輩は、あこがれでしかなくてですね。5年も参加して賞取るなんて、本当にすごいです!」
あまりにも憂先輩の温度がすぐ傍にあるから。顔も見れず、俯いたまま伝えた。真実はあたかも一つだけのありったけの想い。
薄っぺらく聞こえちゃったかな。
ちゃんと人の目は見た方がいい。そう思って、横目でちらりと隣を見た。
「勝手に同類や思うて、あかんな俺。刈谷さんも銅賞で終わってしもうて、俺とおんなじ気持ちで片付けようとしとってん。ごめんなあ。」
「い、いえいえ、そんな。むしろ同類に思ってもらえたなんて! 光栄ですっ」
「ほんま?」
「ほんま、です。」
「なら同類項ってことで、これからも仲良うしいひん?」
「へっ?」
「嫌?」
「いえっ、まさか!」
「ちゃっかり後輩のID奪う“憂先輩”でも、ええ?」
「は、はい」
先輩が自分のスマホをタップして、QRコードの画面を見せてきた。
私も鞄からスマホを取り出して、先輩のスマホに映し出されたIDのQRコードを読み取ろうとする。
でもね、緊張して手が震えちゃって。
なかなか読み取れないから、見かねた先輩が私の手首をつかんで上手く読み取れるように誘導してくれたんだ。
「“憂先輩”言われんの、ちょっと気に入っとったりする。」
そう言ってふんわり笑うから、私は登録した“すぐりつ”と書かれたIDにメッセージを入れた。
《憂先輩、おしるこありがとうございました。憂先輩、よろしくお願いします🙏》
先輩の「ふふっ」とした声が漏れて、私も即レスメッセージを受信する。
〈爽ちゃん、おしるこぜんぜん飲んどらん〉
“爽ちゃん”
おしるこ未開封の事実よりも、“ちゃん呼び”に顔が熱くなる。
ホームに来そうな電車の風が吹いても頬は冷めず。おしるこの方が冷めちゃってるよ。
そんな刈谷にはどこ吹く風の先輩から、またすぐにメッセージを受け取った。
〈来月の出張の時、ご飯さそっても大丈夫?〉
先輩と? 二人で?
スマホを見つめる私に、先輩がお隣から「んー?」と覗いてきて。郵便屋さんに手紙をお願いしに行く猶予も与えられず。
コクコクと首を縦に振る。
《憂先輩いいですよ。って言ってほしかってん》
〈すぐるせんぱいいですよ〉
《惜しいなあ。い、が足らん》
〈憂先輩、いいですよ。〉
《そうちゃんありがありがとう》
その駅で別れた私たち。
『宇宙百貨』に行くはずだった私は、全国の銘酒が揃う酒屋に路線変更した。
せっかく憂先輩からもらったおしるこ。
日本酒がおしることコラボできることを思い出したのだ。
おしるこで割れば、絶対に美味しいはず! 昔、ひいお婆ちゃんが農作業終わりに飲んでいたのを思い出す。
家に帰って、早速日本酒を漆の器に入れたおしるこで割ってみる。
缶のおしるこだから、あずき感は少ないけれど、福和蔵がそれをカバーしてくれているように酸味と甘みのハーモニーが口いっぱいに広がる。
両手で器を持って嗜む日本酒は、まるで祝い酒のよう。
私は少し高めの位置に掲げて、静かな部屋でひとり、つぶやいた。
「私の恐怖症を爆発させた先輩との出会いに。かんぱい。」
「そ、それとですね! 家煎さんの件は、元は水樹さんが言い出したことでして!」「うん。家煎が爽ちゃんを飲み会に無理やり引き込んだこと、よう分かっとるよ。でも、あれはあかんわ。」「ぅえ……?」「家煎の噂。昔、女上司と不倫しとったって話。知っとる?」 ―――思い出した。 そういえば中華ダイニングの女子会でまゆゆが言ってたっけ。人事の家煎さんが、女上司に媚び売るために不倫してたとかなんとか。「あれ、半分ほんま。不倫まではいってへんけど、上司にしつこいくらいちょっかいかけとったってのは本当。」「えぇっ」「家煎は軽い男やから。歓迎会でも家煎が爽ちゃんに近づかんようにするの、大変やった。」 「……もしかして先輩。家煎さんと、仲いいんですか?」「まさか。」「…………」 「同期。仲は良くも悪くもないな。昔一度だけ、一緒にグランピングしたってくらいやし。」 はい? グランピング? あの、有害無益そうなパリピ星の家煎さんと? それってドライな先輩にとっては、とっても仲がいいってことなんじゃないんですか? 次月の週末。 先輩には、家煎さん主催の飲み会には不参加を表明していたはずなのに。 朋政課長に、同期の小窪さんも来るからと言われて、結果的に無理やり参加させられることとなった。もちろん、憂先輩も一緒に。「朋政課長の好きなタイプってどんな子なの〜?」「どこにでも突っ走っていくような子供じみた子ですかねえ。あ、でも特に年齢にも性別にも制限は設けてないですよ?」「ええーじゃあアラフォーの私でもいけるってこと〜?!」「もちろん水樹さんのような世話好きな女性でも、表面上はドライ、中身はウェットな西の憂君でも僕は全然いけます!」「あっはは〜! 残念ながら憂君の表情は今ひとつ変わってない〜!!」 朋政課長を目の前にして、ビールのピッチャーからそのまま飲み干そうとする水樹さん。右隣の私が慌ててジョッキを手渡した。 左隣には小窪さんがいて、私にこっそりと耳打ちをしてくる。 「あれ、今日古馬都さんは来てないんですか?」「ああ。なんか用事があるらしくって。」「そうなんですね。」 やっぱり今日はお子さんとご飯を食べに行くと言っていた古馬都さん。大君と巡ちゃんが
「俺ら同期6人さ、研修から一緒に愚痴言い合って頑張ってきたメンバーじゃん。大した思い出もないけど、定年まで一緒に飲めたらいいよなあとは思う。」「6人とも飲めるしね。」「刈谷が一番ザルだけどな。」 いつも感情のぶれることのない、冷静なむがみん。6人で飲んでいても、むがみんが潰れることはほぼない。 今の台詞は彼が言うからこそ意味を持つのだ。同期と飲めなくなるのが、本当に寂しいんだろうなあって。「じゃあな。星へ気をつけて帰れ。」「うん、ブラックホールに吸い込まれないよう頑張る。」 違う路線のホームへと降りていくむがみん。別れ際になって、ようやく私に笑顔を見せてくれた。 そのレアな笑顔に励まされて、少しだけ勇気が湧く。スマホを鞄から取り出して、ホーム画面を点灯させる。 映るのは、先輩と二人で一緒に撮った晴雲酒造の煙突の中での写真。煙突内は暗いはずなのに、てっぺんから差す太陽光がいい具合に私たち二人を照らしている。 頭の中にぽわりと灯る光。白い鳩が飛び去って、大きくゆっくりと鐘が鳴る。好きになれる男の人なんて、一生できないと思っていた。 先輩と私、もしかしたら何かが食い違っているだけかもしれないのに。このままもう、りっくんとは一生話すこともできないの? 涙がこぼれない内に。情緒不安定になる前に。震える指で、先輩の番号をタップしようとした。「すみません。ちょっと、道を尋ねたいんですけど。」「え、」 私に話しかけてきた声の主を見れば、私が見下ろせるほどの男の子が一人と、女の子が一人。 どっちもはっきりとした顔立ちの、そっくりな子供だ。今先輩に連絡しようとしていたのに。すでに頭の中身は双子のホラー映画でいっぱい。「あの、おうみ倉庫っていう会社は、どの出口から出ればいいですか?」 物怖じせず、しっかりと私の目を見て話す男の子。そして男の子の影に隠れて、恥ずかしそうにしている女の子。 目測だと、私より20センチ以上は低いはず。「ええと、央海倉庫は私が働いている会社ですけど、東京本部でいいんですよね?」「はい。」「良かったら、道案内しますよ?」「え……いいんですか?」「はい。いいですよ。」 少し目を泳がせた男の子。偶然話しかけた相手が、まさか探している会社の人間だったなんて、当然戸惑うのも無理はない。 証拠になるかと、
祖父の1周忌で実家に帰れば、私に結婚を促す親戚は誰もおらず。それどころか、お決まりの『彼氏はいるんか?』なんていうおじさん等もいない。 みいんな、刈谷爽が昔から不思議ちゃんだということを知っているから。 祖父母の家の庭先でトカゲを捕まえて、首にリボンを巻こうとしていた裸足の女の子。誰も私を捕獲しには来なかった。 一人でグロッキーでトリッキーな物語をつぶやきながら登校した小学生時代。気味が悪い不思議ちゃんに近づいてくる友達はほぼいない。 一人だけ私という人間に線引をしなかったのは、あどけない笑顔の男の子だった。 不思議ちゃんが中学に上がれば、数学の威力を発揮する。 数学検定に数学オリンピック。でも他の教科は平均以下。 鞄につけているキーホルダーは、口から血を流したウサギや首のないゴーストライダー。 いつの間にか宇宙人に変貌を遂げた私は、周りからは精神的な部分を怪しまれた。 それでも信じてくれていた父と母。そして、唯一小学生の頃から仲の良かった男の子。 彼の家は教育一家で、小学校低学年から塾は当たり前。常に母親からは成績1位でいろと言われ続けていたこともあり、中学では学年首位を獲得していた。 でもその首位を、数学だけ私が奪ってしまったのだ。 椅子を蹴られて、睨まれて。それ以来彼は私を無視するようになった。 男の子という存在が怖くなり、女子校、女子大に通った私。 社会人になれば、生きていくために背に腹は変えられず。男嫌いだなんて人種差別をしてはならないと自分に言い聞かせ、心の中でジェンダーの壁をとっぱらった。 女性も男性も、みいんな可愛いピンクのゾウさんとして扱った。 でもね、一人だけ、ピンクのゾウさんになれなかった男の人がいたんだよ――――……。 週明けのど真ん中。 財務に呼ばれて経理部予算案の説明をしにいった際、非常階段で朋政課長と、パンツスーツ姿の女性が話し込む場面に遭遇する。 踊り場で課長は、何かの図表を指差しながら、女性に注意を促している模様。 邪魔をしてはいけないと、気配を消して階段を降りていく。「統計の項目をもっと広い視野で考えてみて。顧客ニーズを意識した、具体的な統計表を作れって僕は言っているんだよ。」 「は、はい。すみません!」 強めな課長の口調に、声を震わせ
「ごめんね憂君! ちょっと遅れた! 課長につかまっちゃって!」 ゆるふわなミルクティー色の髪を靡かせて、バレッタで綺麗に髪を留め直す古馬都さん。 肩の後ろへと髪をやる仕草が、とっても色香を放っていて。まばらにいる社員さんたちの視線を感じる。「いえ。大丈夫です。」 少しだけ気まずそうに視線を落とす憂先輩。私はどう見ていいのか分からず、“私なら大丈夫ですよ”と無理に平常心の笑顔を作る。 「あ、こんにちは刈谷さん!」「こんにちは。」 私に、まばゆい美しい笑顔を向ける古馬都さん。この人が未だ独身だというのが信じられない。 背は高く、身体のしなやかな作りが古馬都さんの美顔に大変見合っている。それに比べて身長147センチで胸だけ大きめの私は、あまりにも滑稽だ。 いつ見ても、どこにも勝てる要素がないことに胸の痛覚が反応する。人と比べて劣等感を感じるのは、今に始まったことじゃないのに。 なんでかな。先輩に近しい女性だと思うと、今まで感じたことないほどの絶対的敗北感を感じてしまう…。 「で、憂君、私に用事ってなんだった?仕事の話?」「いえ。」「暫くインフルで休んでたから、きっと憂君に沢山迷惑かけたよね。」「いえ、全然。」 はう。 憂先輩から誘ったという、真実はいつも一つの事実。 関節がカクカクと、角度をつけるようにしか動かない。 せっかくの貴重な二人のお昼休み。私が邪魔をしてはいけないと、素早く頭を下げてその場を後にしようとする。 でも、すぐに古馬都さんに呼び止められた。「そういえば刈谷さん! 今度|家煎《いえいり》君主催の飲み会行くんだって?」 「うぇっ!? い、いえ、私は、」「こないだの合同会じゃ全然喋れなかったし、私も行こうかなって思ってるの!よろしくね!」「い、いや。あの私は、」「家煎君、刈谷さん来るのすっごい楽しみにしてたよ? 早速狙われてるけど、あれはオススメしないなあ〜。」 このタイミングで、その話。 家煎さんって仕事が早すぎる。まだ午前中に出た話しじゃなかった? まずいよなと先輩に向けられない自分の顔がオートマチックにこわばれば。前からカタリと器がぶつかる音が鳴った。 「その飲み会って、いつ?」「え?」「その飲み会って、いつですか?」 憂先輩が、私を一瞥して
『爽ちゃん、仕事忙しいよな。次いつ夕飯一緒いける?』「ええと。そうですねえ、来月初めの金曜日はどうでしょうか?」 『そこまで二人きりになるの、待てん。今週の金曜は?』「すみません。。今週は祖父の1周忌で実家に変える予定でして。来週はりっくん、研修ですもんねえ。」『いややわ。どうにかなる。』 電話ですれ違いを確認したところで、先輩とお付き合いをして1ヶ月が経ちました。 年末調整業務がようやく終わったと思えば、すでに決算に向けた業務が波のように押し寄せる日々。 羅列する数字とにらめっこするのは嫌いじゃないけれど、やっぱり横浜支部とは比べ物にならない量。エクセルの枠だって小さくなるし、用紙もA3以上のポスター並。 目に良いブルーベリー効果を狙って、できる限り朝はパンにブルーベリージャムを塗って食べている。心ばかりの効果すら期待はできないのだけれど。 そもそも部署の数が倍になるから、取りまとめるにも相当な精神力を要する。 ということですから、私は仕事の業務でいっぱいいっぱい。平日ご飯に行こうにも、どちらかが残業で都合がつかず。 もっとうつつを抜かしたい私に、疲労ばかりがのしかかり、おうちに帰っておよそ30分で夢の中。 つまり、先輩とは酒蔵巡り以来デートは出来ていない状態です。 「来期の予算申請、もう財務に回したんだって?さっすが数字の鬼だね刈谷さん!」 経理部課長代理の水樹さんが、すれ違いざまに私の肩を叩いて言った。「早かったですかね? 消耗品の予算、去年よりも1割増で出しておいたんですけれど、」 「助かる助かる! だあれがペーパーレスするかってのよ。裏紙なんて、ペンで大きく『あ』って書いて裏紙にしてやるってのよ! ねえ?」 節約しないにしても、わざわざ無駄に『あ』って書くのは面倒な気もします。 お子さんが一人いらっしゃるという水樹さんは、いつも気さくに話しかけてくれる良き上司だ。 このまま出世街道を突き進みたい気持ちはあれど、お子さんのためにせいぜい課長止まりの心構えで定年まで頑張っていきたいと、歓迎会で話してくれた。「ねえ! それよりさ。刈谷さんこの間、朋政課長に呼び出されてたじゃん?」「あ。ああー……。そうでしたね。」「刈谷さんって朋政課長と仲いいの?」 爛々と輝かせた目で、食い入るように見つめられる。 水樹さ
松岡醸造には、酒蔵には珍しく、大吟醸のソフトクリームなんてもんもある。 爽ちゃんと半分こしようと、一つだけ買うた。 一つだけ買うて半分こて。これってどう考えても誰かさんへの当てつけやんな? 俺の性格の悪さがこんな場面でも発揮するとは。 爽ちゃんだけを一点に見つめて、彼女の目の前にソフトクリームを差し出す。 すぐにキラキラと目が輝きだして、なんや、ご飯を待ちわびたワンコのようにもみえるのは内緒にしとこ。「半分こしよか。」「え? わ、私と半分こ、ですか?」 「いややった?」「い、いえいえ! ええと、ではりっくんからお先にどうぞ!」 爽ちゃんの小さな顔が赤くなっとる。キラキラさせたり、赤くなったり忙しないなあ。 言われた通り、先に一口ぱくりとソフトクリームを頬張る。唇に冷たい感触が残って、舌で舐め取れば、爽ちゃんに穴が開くほど見られた。 「どないした?」「……りっくんの色気にやられそうです。」「なんやそれ。」 “色気”なんて俺にある? 妙に照れくさくなって、今度はソフトクリームを爽ちゃんの口元に差し出した。 小さく口を開けて、舌を出す姿に脳内が悶えかける。自分の口がニヤけているんやないかと、慌てて手の甲で隠した。「ん! ちゃんとお酒の風味がありますね。でもさっぱりしてる!」「うん。アルコール分はないらしいけど、さっぱりしてて美味いな。」 大吟醸ソフトは美味いし、爽ちゃんはそれ以上にかわいい。そんなことはずっと前から知っとる。 でも、俺が持つソフトクリームを、そのまま俺の手首を両手でつかんで食べる爽ちゃん、かわいくてたまらん。 リスとか、ハムスターとか、今までは小動物にも似たかわいさを感じていたけれど。自分の彼女となってからは、もっとそのかわいさが際立ってかわいい。 語彙力が瀕死になるな。「爽ちゃん、口、ついとる。」「あ、ハンカチ、」 爽ちゃんが鞄からハンカチを取り出そうとしたところで、その唇についた大吟醸ソフトを指で拭う。「爽ちゃんの唇の温度で、いい具合に温まっとる。」 自分の指についたソフトクリームを一舐めすれば、爽ちゃんがピクリと反応するのが分かった。 顔を赤くして、不意にうつむく。今俺から見えるのは、爽ちゃんの頭。艶のある髪が天使の輪っかを作っとる。 爽ちゃんの行動一つ一つがたまらなく愛お