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2.ねえ先輩。冷淡冷徹無表情の発信源ってどこですか?

last update publish date: 2026-07-17 17:57:28

すぐるさん、さすがに飲んでないだけあって全然酔ってないなあ。」

「水樹さん、お持ち帰り狙ってました?」 

「皆狙ってるって!」

朋政ともまさ派の水樹さん、いずこへ?」

 

 飲み会が終わって外に出れば、前を歩く憂先輩の背中を見て、水樹さんと白河さんがそんなことを言った。

 先輩は私の以外、お酒は飲んでいなかったようで、確かに体幹がしっかりしている。 

 あれ? 先輩、私の前でふにゃってたアレ。なんだったんです? 

 そんな憂先輩のスマートな背中。

たぶん、目視のメジャーでは刈谷1.25分くらいの背丈?183か4あたりかなあ。

 モデル体型の憂先輩に率先して並びに行く一人の影。 

 バレッタで髪をハーフアップに留めた古馬都こばとさんが、憂先輩のお隣をキープする。

 後ろから見る二人はお似合いで、水樹さんが課長代理らしからぬ舌打ちをした。

「古馬都相手じゃ勝ち目ねえな。」

「水樹さん、舌打ちが夜のネオンに響いてます。」

 憂先輩との出会いは、央海倉庫横浜支部に私が在籍していた時、先輩が出張で横浜支部にやってきたのがきっかけだった。

 その頃先輩は神戸支部の経理部所属で、新システム移行に伴う合同研修が横浜支部であったのだ。

 研修室で経理部参加者リストが資料と共に配られて、“憂李月”の名前を見た瞬間、すぐに思い出した。

 日本数学オリンピックで5年連続銅賞の憂李月。

 なんだか可愛い名前だし、サイトのインタビュー記事にも顔写真が載っていたからよく覚えていたのだ。

 コミュ力に欠ける私は、その時だけコミュ力の神様が下りてきた。

 彼の名前が載る座席のところに行って、無我夢中で話しかけた。

「あの! 日本数学オリンピックで5年連続銅賞の、憂さんですよね?!」 

 5年連続で名前が載るなんて本当に尊いことだから。

 あこがれの存在だったし、ただ必死に話しかけたんだ。

 でも彼の性格なんて全く知らなかった私は、一瞬にして凍り付いた。

「ここは職場で研修中なので。プライベートで話しかけるのはやめてください。」

 そう言って、冷たい温度と態度で突き放されて。

 打たれ弱い私は、しゅんと気持ちが沈んでしまった。

 

 なんで今日に限ってコミュ力の神が下りてきちゃったの?

コミュ力の神を呪いかけましたよ。

 研修の席に戻れば、システム管理部で同期の大輪田おおわだ君がフォローしてくれた。

「刈谷さん、憂さんと、知り合いなの?」

「大輪田君。うん、ちょっとねー。」

「あの人、誰に対しても冷たいし、気にしないほうがいいよ。」

「そうなの?」

「冷淡冷徹で無表情って有名だよ。」

「そう、なんだ?うん。ありがとう。」

「それより、今日一緒に帰らない?」

「ごめーん。今日は経理部合同研修会の飲み会でねえ。」

「ああ、そっか。うん。じゃあまた誘うよ。」

 黒縁メガネの大輪田君。同期で新卒以来ずっと仲良くしてくれている一人だ。

 私に気があるのはバレバレで、でも私はそれをふんわりとバッサリ突き放してしまっている。

 なんていうか、世の中の人といい、私の仲のいい同期たちといい、皆普通に恋愛しているのが信じられないんだ。

 他人に必要以上に踏み込まれるの、こわくない?

 特に異性には壁を作ってしまう癖がある。

 ごめんね、大輪田君。いい人なのにね。

 本当は今日の研修後の飲み会、任意なんだ。だからね、私は不参加なの。

 いつもの就業時間よりも早く終わった私は、『宇宙百貨』っていう不思議雑貨店に足を伸ばそうかなって思ってたんだ。

 その路線の電車内でのことだった。

 きっと、新横浜から新幹線で帰るのだろう。

背の高い憂先輩が、車内で吊り革につかまっているのが見えた。

 どうしよっかな。憧れの人だし、一応西の経理部の先輩だし。挨拶くらいはした方がいいのかな?  

 でも怖いんだよねえ。あの冷めた目で見られるの。刈谷、男性に睨まれる恐怖症だから。

 いい年して、何いってるんだろう。電車に揺られてふらふらしちゃう。

 車内が混み合ってきて、真ん中の方へと押しやられる小さい私。

 つかまるところなんてないし、周りには見下されてる感覚だし。俯いて、ぎゅっと大きな鞄を握りしめる。

 早く次の駅に着いて欲しい。早く皆降りて欲しい。いい加減慣れようよ『宇宙百貨』までの道のり。

 バカみたいな緊張感を握りしめておきながら、思い切り身体が揺られちゃって。重心消えた。

 と思ったら、大きな身体が、刈谷の小さな身体を包みこんだ。

「……あ、すみませッ」

 後ろをみれば、上を向いて振り切りたい。冷や汗がこぼれないように。

 そこには、憂先輩のヒヤリとした美顔があった。

 おっと今かもしれない。ダンゴムシになるタイミング。

「つかまって。」

「え?」

「危ないので、俺につかまって下さい。」

「あ、ありがとう、ございま、す。」

 あの、人間のどこにつかまるのが正解です?

 自分は鞄を持っているし、先輩の薄手のコートを握ってもシワになるし。 

 どうすることもできず、たじろぎながらも先輩のコートの端を、小さく指でつまんでみることにした。これって、ぜんぜん身体も心も安定しないね。

 そうしたら頭上から「ふふっ」と笑い声が漏れた気がした。見上げてごらん?月が綺麗ですね。って。目をやんわりと細めて笑う先輩がいた。

 不意に刺さされるキュンてやつ。『宇宙百貨』よりも掘り出し物に出会えたかもね。

「自分、ぜんぜんつかまってへん。」

「へっッ」

「刈谷さん、やろ? 3年連続日本オリンピック銅賞の。」

「し、知ってるんですか?私のこと……」

「サイトに名前載っとったし。3年連続なら嫌でも目立つやんなあ。」

「……」         

「ごめんなあ。まさか刈谷爽さんが女の子やと思わんくて。すぐ気付かんと、冷たい態度とってしもた。」

 先輩が、吊り革を持つ手とは反対の手で、ぎゅっと私の肩を抱きしめた。

 わあ。なにこの距離感。と関西弁にも似た憂李月弁。ダンゴムシの心臓どこですか。

 ちょっと先輩、刈谷の男性恐怖症を舐めないで下さい。

 満員電車の中。どうやって次の駅で降りようかとそわそわしていた。

 すると先輩が、冷淡冷徹じゃない顔でささやいた。

「刈谷さん、どこの駅で降りるん?」

「あ、つ、つぎの駅です。」

「ん。」

 たった一文字が、刈谷に憎いトキメキをもたらす。

 無表情じゃない顔で見下ろす、柔らかい顔。

 こんなに密着して、こんなに見下ろされてるのに。世の中捨てたもんじゃないね。

 それほどそんなに怖くないんだもん。けど緊張はMAXだよ?

 舐めないで欲しかった恐怖症は、きっと今だけいい子に留守番してるはず。

 なあんて思ってたら、どうしよう。

先輩も一緒にその駅で降りちゃって、私はどうしていいやら。とりあえずお礼とお詫びを伝えることに成功した。

「あ、ありがとうございます! それと、すみません。」

「いいえ。勢い余って俺も降りてしもて。」

「ああ、あの、ほんとうにごめんなさッ」

「必死? ふはっ。刈谷さん、ええ子やね。」

 男の人の笑顔って。こんなに可愛いやつだったのかあ。

 憂先輩の笑い顔に圧倒されちゃって、思わず穴が空くほど見惚れちゃう。

 そうしたら先輩が、私の肩から落ちそうなカーディガンの裾を直してくれた。

「ここ、ずれとる。」

「ふぇ」

「華奢やなあ。こわれてまいそう。」

 左右の襟元を見て、「ええね。」って。ベージュのカーディガンを左右対称、上下逆台形になるように。きっとしてくれたんだと思う。        

 初めて男の人と、こんな距離感バグったやもしれへん。

 冷淡冷徹な無表情? 大輪田君のイントラネット、バグが発生してるんじゃない?? 

「10分だけ、俺に時間くれませんか?」

「えっ、」

「日本数学オリンピックの人間には早々会われへん。もし、良ければやけど。あそこのベンチで話さへん?」

 そう言われて、断る理由より受け容れる理由が一つ多い私。

 首を縦に振って、一緒に駅のホームにある自販機で飲み物を買った。

 先輩はさらりと、私のおしるこもスマホの電子決済で払ってくれたのに。「ツケときますんで。」って言われてね?

「あああの。利子は、なんパーセントですかっ」

 ちょっと関西の方のノリに便乗してみた。先輩、私上手くできてますか?    

                  

「後ほどメッセージで、支払明細お送りしますね?」 

「えッ」

 憂先輩がスマホを見せてきて。私はキョトンとしてしまう。

 つまりこれって、メッセージのやり取りをしましょうってことかな。

会社の先輩だし、あこがれの人だし、IDの交換くらいいいよね?

 ほんの7秒くらいのことだったんだけど、私がちょっぴりためらっているのがバレたみたい。長かったですか?

 憂先輩が首をこてんとして、綺麗な瞳で見つめてくる。

「関西のノリでナンパする男って、好かんよなあ。」

「え?! な、なんですか、とつぜん。」

「こうやってなあ。前、ナンパしよる男、目撃して。」

「へ、へえ。そ、そうなんですか。」

 うっわあ。わたし、本気にしてしまいました。

 鞄の中でスマホを探していた手を、慌ててお財布方面へと乗り換える。

 そうだよねえ。先輩、すごい美人さんだし、まつげも長くてスタイルよくって。

私みたいな地球外生命体とは交換なんてしないかあ。

「あ、あの、じゃあ。おしるこ代、現金で払いますんで。」

 お財布からお金を出そうとしたところで、先輩が私の手をつかんだ。

「ああ、手、冷えとる。早く座って飲もっか。」

「あ、あの、お金は、」

「俺、小銭には飽きてるから。いらんよ?」

「えっ」

「これからは電子的に生きよう。って、カッコつけてくスタイル。ふふ」

 それだけ言って憂先輩がベンチへと歩いていくから、刈谷も慌ててぴょこぴょこついて行く。

「あ、ありがとうございます!」

 微妙な距離感の座り方ってあるじゃない? 私はそれを期待していたんだけど、残念ながら期待外れ。 

 憂先輩は、端に座った刈谷の方へとずれてきて、体感ほぼゼロ距離の位置に座った。

 腕が絶対絶妙に触れあっていて、恐怖症が一気に爆発してしまった。

 駅のベンチに座る男女を脳裏に、タッチペンで描いてみる。すると不純異性交遊ってワードがAIによって生成される。

なんか私、#中学生 #思春期みたいなこと思ってるなあ。 

「俺なあ、5年連続銅賞って、ずっとコンプレックスやったんよ。」 

「……え?」

「世界数学オリンピック候補になれんかったこと、ずっと悔しくってなあ。」

「………」

「だから、周りに馬鹿にされてる気分なって、そこから思春期すねらせて。周りを突き放してん。」

 全くそんなことには気付きもせず、先輩はただのあこがれでしかなかった私。日本数学オリンピックは金賞、銀賞が世界数学オリンピックの候補になって、銅賞ではなれない。

 そっか。じゃあ私が話しかけた時、嫌な思いさせちゃったのかなあ。

 おしるこの缶を両手で握りしめて、震える手をきゅっと抑える。

「わ、わたしは、逆というか。日本数学オリンピックに出るなんて、周りに近寄りがたいって思われて。余計に友達減っちゃって。」

「そうなん?」

「それで、4年目はもう出るのやめたんです。」

「そうだったんかあ。」

「だから、私にとって憂先輩は、あこがれでしかなくてですね。5年も参加して賞取るなんて、本当にすごいです!」

 あまりにも憂先輩の温度がすぐ傍にあるから。顔も見れず、俯いたまま伝えた。真実はあたかも一つだけのありったけの想い。

 薄っぺらく聞こえちゃったかな。

  

 ちゃんと人の目は見た方がいい。そう思って、横目でちらりと隣を見た。

「勝手に同類や思うて、あかんな俺。刈谷さんも銅賞で終わってしもうて、俺とおんなじ気持ちで片付けようとしとってん。ごめんなあ。」

「い、いえいえ、そんな。むしろ同類に思ってもらえたなんて! 光栄ですっ」

「ほんま?」

「ほんま、です。」

「なら同類項ってことで、これからも仲良うしいひん?」

「へっ?」

 「嫌?」

「いえっ、まさか!」

「ちゃっかり後輩のID奪う“憂先輩”でも、ええ?」 

「は、はい」

 先輩が自分のスマホをタップして、QRコードの画面を見せてきた。

 私も鞄からスマホを取り出して、先輩のスマホに映し出されたIDのQRコードを読み取ろうとする。

 でもね、緊張して手が震えちゃって。

なかなか読み取れないから、見かねた先輩が私の手首をつかんで上手く読み取れるように誘導してくれたんだ。

「“憂先輩”言われんの、ちょっと気に入っとったりする。」

 そう言ってふんわり笑うから、私は登録した“すぐりつ”と書かれたIDにメッセージを入れた。

《憂先輩、おしるこありがとうございました。憂先輩、よろしくお願いします🙏》    

 先輩の「ふふっ」とした声が漏れて、私も即レスメッセージを受信する。

〈爽ちゃん、おしるこぜんぜん飲んどらん〉

“爽ちゃん”

 おしるこ未開封の事実よりも、“ちゃん呼び”に顔が熱くなる。

 ホームに来そうな電車の風が吹いても頬は冷めず。おしるこの方が冷めちゃってるよ。

 そんな刈谷にはどこ吹く風の先輩から、またすぐにメッセージを受け取った。

〈来月の出張の時、ご飯さそっても大丈夫?〉

 先輩と? 二人で?

 スマホを見つめる私に、先輩がお隣から「んー?」と覗いてきて。郵便屋さんに手紙をお願いしに行く猶予も与えられず。

 コクコクと首を縦に振る。

《憂先輩いいですよ。って言ってほしかってん》

〈すぐるせんぱいいですよ〉 

《惜しいなあ。い、が足らん》

〈憂先輩、いいですよ。〉

《そうちゃんありがありがとう》

 その駅で別れた私たち。

 『宇宙百貨』に行くはずだった私は、全国の銘酒が揃う酒屋に路線変更した。

 せっかく憂先輩からもらったおしるこ。

 日本酒がおしることコラボできることを思い出したのだ。

 おしるこで割れば、絶対に美味しいはず! 昔、ひいお婆ちゃんが農作業終わりに飲んでいたのを思い出す。

 家に帰って、早速日本酒を漆の器に入れたおしるこで割ってみる。

 缶のおしるこだから、あずき感は少ないけれど、福和蔵がそれをカバーしてくれているように酸味と甘みのハーモニーが口いっぱいに広がる。

 両手で器を持って嗜む日本酒は、まるで祝い酒のよう。

 私は少し高めの位置に掲げて、静かな部屋でひとり、つぶやいた。

「私の恐怖症を爆発させた先輩との出会いに。かんぱい。」    

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