LOGIN「ええと。ちょっとだけ、疲れちゃいました。」
コンビニ前の明かりだけで、顔色を読み取ってくれた水樹さんに感謝すべき?でも今日はちょっとだけ二次会という未開の地が気になるのも事実でして。
なんせ憂先輩が古馬都さんとだいぶ前の方を歩いていて。「憂も二次会に付き合わせて部長の相手させてやろう。」という誰かの声が聞こえてくる。
今日は人数多いし、憂先輩も連行されちゃうかもしれない。
「あんま無理しない方がいいよ?別に今の世の中飲み会なんて強制じゃないんだから。」「あ、ありがとうございます。」
水樹さんの厚意に反して、「行きたいです!」とも言えず、そのまま「お言葉に甘えて帰ります。」と伝えてしまった私。その頃にはもう先輩の姿は見えず。私は水樹さんたちの前でお辞儀をして。そのまま角を曲がって駅の方へと向かった。
もっと自分のはっきりとした意思を頭の中で即座に固めたいし、その固めた丸いやつをポーンて相手とキャッチボールできる勢いで投げたいのに。
刈谷が固めた丸いやつはドロ団子だから、すぐに壊れちゃうんだよね。
飲み屋が続く道を歩いて行けば、犬は棒に当たるし、刈谷はどこかで見たことのある背中に差し当たった。
憂先輩に近いほどの背丈、広い背中に黒い髪。
接待だったのか、向こうの方にいるビジネスマンに頭を下げている。
「むがみん?」
「……は、刈谷?」
「なになに、孤高の接待?」
「ソロの芋づる式接待。」
今の今まで醸し出していたデキるビジネスマンの風貌はどちらへ?私を見た瞬間、急に気怠げに肩を落とすんだから。
横浜支部の同期である彼は
最近同じ同期である
今どきの彼氏彼女はリユース方式なの?
「え、刈谷は?もしかして歓迎されてない歓迎会とか?」
「うるさいなー。宇宙人は好かれもしないけど嫌われもしないんだよー。」
「そんな平均値をゆく宇宙人は一匹でお帰りですか?」
「うるさいなー。そうだよ孤高の宇宙人だよぉ。」
上からふっとむがみんが笑って、私もふっと睨みながら口角を上げてみた。
「すげー懐かないハムスターみたいな顔。」
「ありがとうよ。今日はこれからぱるるんと過激な夜を過すの?」
「あいつの姿形を思い浮かべてみろ。過激というより喜劇だろ。」
「あ、むがみん照れてる。」
「悪い?」
「ふふ。」
同期に会えてなんだか私もどっと肩の荷が下りちゃったー。ちょっとだけ愚痴ってみようかなあ。
「なんか知らない人だらけの中って疲れるね。今日は総務と人事と経理の合同歓迎会でさ。人酔いしちゃったよ。」
「あーわかるわー。まだ満員電車のがいくらかマシだよなあ」
「うん。まだ本部の同期とも全然打ち解けてないし。むがみん見て脱力しちゃったー。」
「あんま無理すんなよ?
「うん。実は二次会サボってきちゃったんだ。」
「その意気。」
むがみんとダラダラ会話しながら駅まで行けば、脱力感のせいか改札の手前でつい足がもつれてしまう。
むがみんが支えてくれた。
「大丈夫か?顔色良くないし。刈谷んちってけっこう遠いんじゃなかった?」
「うん。だいじょうぶだよ……」
「いやよくないだろ。」
むがみんが私の腕を引いて、壁際まで連れて行って壁にもたれかからせてくれる。この日本語、合ってる?
いかんなあ。彼女持ちのむがみんに迷惑かけちゃ。
「うちこっから割りと近いし、うち来れば?」
「え?」
「多分春風が来てるし。あいつがいれば刈谷も安心だろ。」
「いや。さすがに二人の邪魔しちゃいかんよ」
「同期に遠慮すんな。むしろ春風喜ぶって。」
同期の優しさが身に染みるけど。二人の愛の巣にお邪魔する図を参照すれば、刈谷の気まずさが目にプカプカと浮かぶ。
「タクシー使うか。」
むがみんが私の手を引いてくれて。
私は「いいよー。電車の中で寝てくから。」って言っているのに、この馬鹿力独走者の耳には届かない。
だから、独走者には独走者で対抗するのが正解みたいです。
目の前に現れた西の独走者、憂李月で。
「……どうしたんですか。」
「わっ、す、憂さん?」
人には無関心なむがみんが、珍しく目を丸くしている。
そして夜風があるのに心なしか頬を赤くしている? え? 憂先輩の美貌に見惚れちゃった? わかるわかる。
「確か、横浜支部の、」
「あ。はい、横浜支部国際営業部三課の六神です。」
「本部総務課の、憂です。」
「はい。存じています。」
普段の憂先輩なら、同じ会社の人間がいても自分から話しかけることなんてないはず。
だって社内ですれ違っても会釈すらされないって、さっきも経理部長が大声で嫌味言ってたくらいだし。
「で、刈谷さんをどうするつもりですか。」
「は?いや、こいつ、体調悪いみたいで。こいつんちこっから2時間近くかかるんですよ。うちが近いから、とりあえずうちに連れて帰ろうかなと」
「は?」
「……え?」
「……」
憂先輩の後ろにはタクシーの列ができていて、週末でもまだ早い時間のせいかお客さんは少ない。
タクシーの運転手さんも大変だろうなあ。そんなことを思っていれば、憂先輩がじっと見てくる視線が刈谷の視界に入り込む。
私がタクシーから憂先輩に視線を移せば、いつも私に向ける優しい先輩の目じゃない。
細目で睨まれていて、心臓も喉の奥につかえるなにかも、全部がぜんぶ縮こまる。
蔑むような先輩のドライな瞳。
怖くて視線を外して。それから緩んだむがみんの手も外した。
「ありがとうね、むがみん。わたし、本当に大丈夫だから!」
「え?でもさっきふらついてたし、」
「だいじょぶだいじょぶ!鈍くさいだけだから。」
「……知ってるけど。」
憂先輩に、適当に愛想笑いを浮かべて、「失礼します。」と言って頭を下げた。
先輩は何も言わず……。 あんなに優しかった先輩。どうしちゃったんだろう。
逃げるようにして帰っちゃってごめんなさい。男の人に睨まれるの、やっぱり刈谷にはまだ難しいや。
高校生の頃、男の子に椅子を蹴られて睨まれたのが、ずっとトラウマなんだよね……。
私が数学でその子の首位を奪っちゃって。相当悔しかったんだと思う。
あの時の私を蔑むような瞳。無音な圧力ほど怖いものってないんだ。
どうしよう。憂先輩に睨まれたこと、そんなに怖かったのかな。
急に目に涙が溜まり始めて、疲れてるせいか周りがどんどんぼやけていく。
怖いの? 怖かったの? 本当はね、悲しかったの。
刈谷には優しいと思っていた、関西弁のふわりと柔らかい憂先輩。
いきなりあんな風に突き放されちゃって、悲しくて仕方がない。
一言でいいから、先輩の声が欲しかったな。
涙がこぼれないよう頭を振って前に進めば、どこかの知らないおじさんと肩がぶつかった。
「どこ見てんだ!気をつけろよッ!」
すごい剣幕で睨まれて、「すみません」が最後まで言えず。おじさんはずかずかと反対方面を歩いて行く。
にじむ涙を手の甲でぬぐう。
私も早く帰ろうと、ホームまでの階段を下りようとした。
ばくばく心臓が鳴り止まない。
ぼやけて霞んで、視界がよろしくないせいか、段差がよく分からなくって。
かくんと膝が崩れた。
「そ、それとですね! 家煎さんの件は、元は水樹さんが言い出したことでして!」「うん。家煎が爽ちゃんを飲み会に無理やり引き込んだこと、よう分かっとるよ。でも、あれはあかんわ。」「ぅえ……?」「家煎の噂。昔、女上司と不倫しとったって話。知っとる?」 ―――思い出した。 そういえば中華ダイニングの女子会でまゆゆが言ってたっけ。人事の家煎さんが、女上司に媚び売るために不倫してたとかなんとか。「あれ、半分ほんま。不倫まではいってへんけど、上司にしつこいくらいちょっかいかけとったってのは本当。」「えぇっ」「家煎は軽い男やから。歓迎会でも家煎が爽ちゃんに近づかんようにするの、大変やった。」 「……もしかして先輩。家煎さんと、仲いいんですか?」「まさか。」「…………」 「同期。仲は良くも悪くもないな。昔一度だけ、一緒にグランピングしたってくらいやし。」 はい? グランピング? あの、有害無益そうなパリピ星の家煎さんと? それってドライな先輩にとっては、とっても仲がいいってことなんじゃないんですか? 次月の週末。 先輩には、家煎さん主催の飲み会には不参加を表明していたはずなのに。 朋政課長に、同期の小窪さんも来るからと言われて、結果的に無理やり参加させられることとなった。もちろん、憂先輩も一緒に。「朋政課長の好きなタイプってどんな子なの〜?」「どこにでも突っ走っていくような子供じみた子ですかねえ。あ、でも特に年齢にも性別にも制限は設けてないですよ?」「ええーじゃあアラフォーの私でもいけるってこと〜?!」「もちろん水樹さんのような世話好きな女性でも、表面上はドライ、中身はウェットな西の憂君でも僕は全然いけます!」「あっはは〜! 残念ながら憂君の表情は今ひとつ変わってない〜!!」 朋政課長を目の前にして、ビールのピッチャーからそのまま飲み干そうとする水樹さん。右隣の私が慌ててジョッキを手渡した。 左隣には小窪さんがいて、私にこっそりと耳打ちをしてくる。 「あれ、今日古馬都さんは来てないんですか?」「ああ。なんか用事があるらしくって。」「そうなんですね。」 やっぱり今日はお子さんとご飯を食べに行くと言っていた古馬都さん。大君と巡ちゃんが
「俺ら同期6人さ、研修から一緒に愚痴言い合って頑張ってきたメンバーじゃん。大した思い出もないけど、定年まで一緒に飲めたらいいよなあとは思う。」「6人とも飲めるしね。」「刈谷が一番ザルだけどな。」 いつも感情のぶれることのない、冷静なむがみん。6人で飲んでいても、むがみんが潰れることはほぼない。 今の台詞は彼が言うからこそ意味を持つのだ。同期と飲めなくなるのが、本当に寂しいんだろうなあって。「じゃあな。星へ気をつけて帰れ。」「うん、ブラックホールに吸い込まれないよう頑張る。」 違う路線のホームへと降りていくむがみん。別れ際になって、ようやく私に笑顔を見せてくれた。 そのレアな笑顔に励まされて、少しだけ勇気が湧く。スマホを鞄から取り出して、ホーム画面を点灯させる。 映るのは、先輩と二人で一緒に撮った晴雲酒造の煙突の中での写真。煙突内は暗いはずなのに、てっぺんから差す太陽光がいい具合に私たち二人を照らしている。 頭の中にぽわりと灯る光。白い鳩が飛び去って、大きくゆっくりと鐘が鳴る。好きになれる男の人なんて、一生できないと思っていた。 先輩と私、もしかしたら何かが食い違っているだけかもしれないのに。このままもう、りっくんとは一生話すこともできないの? 涙がこぼれない内に。情緒不安定になる前に。震える指で、先輩の番号をタップしようとした。「すみません。ちょっと、道を尋ねたいんですけど。」「え、」 私に話しかけてきた声の主を見れば、私が見下ろせるほどの男の子が一人と、女の子が一人。 どっちもはっきりとした顔立ちの、そっくりな子供だ。今先輩に連絡しようとしていたのに。すでに頭の中身は双子のホラー映画でいっぱい。「あの、おうみ倉庫っていう会社は、どの出口から出ればいいですか?」 物怖じせず、しっかりと私の目を見て話す男の子。そして男の子の影に隠れて、恥ずかしそうにしている女の子。 目測だと、私より20センチ以上は低いはず。「ええと、央海倉庫は私が働いている会社ですけど、東京本部でいいんですよね?」「はい。」「良かったら、道案内しますよ?」「え……いいんですか?」「はい。いいですよ。」 少し目を泳がせた男の子。偶然話しかけた相手が、まさか探している会社の人間だったなんて、当然戸惑うのも無理はない。 証拠になるかと、
祖父の1周忌で実家に帰れば、私に結婚を促す親戚は誰もおらず。それどころか、お決まりの『彼氏はいるんか?』なんていうおじさん等もいない。 みいんな、刈谷爽が昔から不思議ちゃんだということを知っているから。 祖父母の家の庭先でトカゲを捕まえて、首にリボンを巻こうとしていた裸足の女の子。誰も私を捕獲しには来なかった。 一人でグロッキーでトリッキーな物語をつぶやきながら登校した小学生時代。気味が悪い不思議ちゃんに近づいてくる友達はほぼいない。 一人だけ私という人間に線引をしなかったのは、あどけない笑顔の男の子だった。 不思議ちゃんが中学に上がれば、数学の威力を発揮する。 数学検定に数学オリンピック。でも他の教科は平均以下。 鞄につけているキーホルダーは、口から血を流したウサギや首のないゴーストライダー。 いつの間にか宇宙人に変貌を遂げた私は、周りからは精神的な部分を怪しまれた。 それでも信じてくれていた父と母。そして、唯一小学生の頃から仲の良かった男の子。 彼の家は教育一家で、小学校低学年から塾は当たり前。常に母親からは成績1位でいろと言われ続けていたこともあり、中学では学年首位を獲得していた。 でもその首位を、数学だけ私が奪ってしまったのだ。 椅子を蹴られて、睨まれて。それ以来彼は私を無視するようになった。 男の子という存在が怖くなり、女子校、女子大に通った私。 社会人になれば、生きていくために背に腹は変えられず。男嫌いだなんて人種差別をしてはならないと自分に言い聞かせ、心の中でジェンダーの壁をとっぱらった。 女性も男性も、みいんな可愛いピンクのゾウさんとして扱った。 でもね、一人だけ、ピンクのゾウさんになれなかった男の人がいたんだよ――――……。 週明けのど真ん中。 財務に呼ばれて経理部予算案の説明をしにいった際、非常階段で朋政課長と、パンツスーツ姿の女性が話し込む場面に遭遇する。 踊り場で課長は、何かの図表を指差しながら、女性に注意を促している模様。 邪魔をしてはいけないと、気配を消して階段を降りていく。「統計の項目をもっと広い視野で考えてみて。顧客ニーズを意識した、具体的な統計表を作れって僕は言っているんだよ。」 「は、はい。すみません!」 強めな課長の口調に、声を震わせ
「ごめんね憂君! ちょっと遅れた! 課長につかまっちゃって!」 ゆるふわなミルクティー色の髪を靡かせて、バレッタで綺麗に髪を留め直す古馬都さん。 肩の後ろへと髪をやる仕草が、とっても色香を放っていて。まばらにいる社員さんたちの視線を感じる。「いえ。大丈夫です。」 少しだけ気まずそうに視線を落とす憂先輩。私はどう見ていいのか分からず、“私なら大丈夫ですよ”と無理に平常心の笑顔を作る。 「あ、こんにちは刈谷さん!」「こんにちは。」 私に、まばゆい美しい笑顔を向ける古馬都さん。この人が未だ独身だというのが信じられない。 背は高く、身体のしなやかな作りが古馬都さんの美顔に大変見合っている。それに比べて身長147センチで胸だけ大きめの私は、あまりにも滑稽だ。 いつ見ても、どこにも勝てる要素がないことに胸の痛覚が反応する。人と比べて劣等感を感じるのは、今に始まったことじゃないのに。 なんでかな。先輩に近しい女性だと思うと、今まで感じたことないほどの絶対的敗北感を感じてしまう…。 「で、憂君、私に用事ってなんだった?仕事の話?」「いえ。」「暫くインフルで休んでたから、きっと憂君に沢山迷惑かけたよね。」「いえ、全然。」 はう。 憂先輩から誘ったという、真実はいつも一つの事実。 関節がカクカクと、角度をつけるようにしか動かない。 せっかくの貴重な二人のお昼休み。私が邪魔をしてはいけないと、素早く頭を下げてその場を後にしようとする。 でも、すぐに古馬都さんに呼び止められた。「そういえば刈谷さん! 今度|家煎《いえいり》君主催の飲み会行くんだって?」 「うぇっ!? い、いえ、私は、」「こないだの合同会じゃ全然喋れなかったし、私も行こうかなって思ってるの!よろしくね!」「い、いや。あの私は、」「家煎君、刈谷さん来るのすっごい楽しみにしてたよ? 早速狙われてるけど、あれはオススメしないなあ〜。」 このタイミングで、その話。 家煎さんって仕事が早すぎる。まだ午前中に出た話しじゃなかった? まずいよなと先輩に向けられない自分の顔がオートマチックにこわばれば。前からカタリと器がぶつかる音が鳴った。 「その飲み会って、いつ?」「え?」「その飲み会って、いつですか?」 憂先輩が、私を一瞥して
『爽ちゃん、仕事忙しいよな。次いつ夕飯一緒いける?』「ええと。そうですねえ、来月初めの金曜日はどうでしょうか?」 『そこまで二人きりになるの、待てん。今週の金曜は?』「すみません。。今週は祖父の1周忌で実家に変える予定でして。来週はりっくん、研修ですもんねえ。」『いややわ。どうにかなる。』 電話ですれ違いを確認したところで、先輩とお付き合いをして1ヶ月が経ちました。 年末調整業務がようやく終わったと思えば、すでに決算に向けた業務が波のように押し寄せる日々。 羅列する数字とにらめっこするのは嫌いじゃないけれど、やっぱり横浜支部とは比べ物にならない量。エクセルの枠だって小さくなるし、用紙もA3以上のポスター並。 目に良いブルーベリー効果を狙って、できる限り朝はパンにブルーベリージャムを塗って食べている。心ばかりの効果すら期待はできないのだけれど。 そもそも部署の数が倍になるから、取りまとめるにも相当な精神力を要する。 ということですから、私は仕事の業務でいっぱいいっぱい。平日ご飯に行こうにも、どちらかが残業で都合がつかず。 もっとうつつを抜かしたい私に、疲労ばかりがのしかかり、おうちに帰っておよそ30分で夢の中。 つまり、先輩とは酒蔵巡り以来デートは出来ていない状態です。 「来期の予算申請、もう財務に回したんだって?さっすが数字の鬼だね刈谷さん!」 経理部課長代理の水樹さんが、すれ違いざまに私の肩を叩いて言った。「早かったですかね? 消耗品の予算、去年よりも1割増で出しておいたんですけれど、」 「助かる助かる! だあれがペーパーレスするかってのよ。裏紙なんて、ペンで大きく『あ』って書いて裏紙にしてやるってのよ! ねえ?」 節約しないにしても、わざわざ無駄に『あ』って書くのは面倒な気もします。 お子さんが一人いらっしゃるという水樹さんは、いつも気さくに話しかけてくれる良き上司だ。 このまま出世街道を突き進みたい気持ちはあれど、お子さんのためにせいぜい課長止まりの心構えで定年まで頑張っていきたいと、歓迎会で話してくれた。「ねえ! それよりさ。刈谷さんこの間、朋政課長に呼び出されてたじゃん?」「あ。ああー……。そうでしたね。」「刈谷さんって朋政課長と仲いいの?」 爛々と輝かせた目で、食い入るように見つめられる。 水樹さ
松岡醸造には、酒蔵には珍しく、大吟醸のソフトクリームなんてもんもある。 爽ちゃんと半分こしようと、一つだけ買うた。 一つだけ買うて半分こて。これってどう考えても誰かさんへの当てつけやんな? 俺の性格の悪さがこんな場面でも発揮するとは。 爽ちゃんだけを一点に見つめて、彼女の目の前にソフトクリームを差し出す。 すぐにキラキラと目が輝きだして、なんや、ご飯を待ちわびたワンコのようにもみえるのは内緒にしとこ。「半分こしよか。」「え? わ、私と半分こ、ですか?」 「いややった?」「い、いえいえ! ええと、ではりっくんからお先にどうぞ!」 爽ちゃんの小さな顔が赤くなっとる。キラキラさせたり、赤くなったり忙しないなあ。 言われた通り、先に一口ぱくりとソフトクリームを頬張る。唇に冷たい感触が残って、舌で舐め取れば、爽ちゃんに穴が開くほど見られた。 「どないした?」「……りっくんの色気にやられそうです。」「なんやそれ。」 “色気”なんて俺にある? 妙に照れくさくなって、今度はソフトクリームを爽ちゃんの口元に差し出した。 小さく口を開けて、舌を出す姿に脳内が悶えかける。自分の口がニヤけているんやないかと、慌てて手の甲で隠した。「ん! ちゃんとお酒の風味がありますね。でもさっぱりしてる!」「うん。アルコール分はないらしいけど、さっぱりしてて美味いな。」 大吟醸ソフトは美味いし、爽ちゃんはそれ以上にかわいい。そんなことはずっと前から知っとる。 でも、俺が持つソフトクリームを、そのまま俺の手首を両手でつかんで食べる爽ちゃん、かわいくてたまらん。 リスとか、ハムスターとか、今までは小動物にも似たかわいさを感じていたけれど。自分の彼女となってからは、もっとそのかわいさが際立ってかわいい。 語彙力が瀕死になるな。「爽ちゃん、口、ついとる。」「あ、ハンカチ、」 爽ちゃんが鞄からハンカチを取り出そうとしたところで、その唇についた大吟醸ソフトを指で拭う。「爽ちゃんの唇の温度で、いい具合に温まっとる。」 自分の指についたソフトクリームを一舐めすれば、爽ちゃんがピクリと反応するのが分かった。 顔を赤くして、不意にうつむく。今俺から見えるのは、爽ちゃんの頭。艶のある髪が天使の輪っかを作っとる。 爽ちゃんの行動一つ一つがたまらなく愛お







