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7.ねえ先輩。赤ちゃん脳の刈谷でも成長できますか?

last update publish date: 2026-07-22 19:15:38

「カンペイ!」

「刈谷の瞳に、カンペイ!」

 チャイニーズダイニングにて。横浜支部同期3人での女子会。

 今しがた中国語で乾杯がなされたところ。青と紫と朱とピンクのネオン色に包まれた空間。

 10段もない階段を上がった先にある半ロフトのような個室で、先発、『桂花陳酒《けいかちんしゅ》 金木犀《きんもくせい》』をたしなむ。

 楊貴妃が愛したといわれる、白ワインにキンモクセイの花を3年漬けてできた混合酒。ずっと飲んでみたかったの。

「金木犀の花言葉は陶酔!まさに私たち今、男に陶酔してるよね!」

 太くて短いグラスを手に、まゆゆが疲れた瞳をぎゅっとつむりながらア"ーーーとオヤジ臭さを口から出した。

「え? 刈谷、恋してるの? まさか大輪田おおわだくん?!」

 毛先を内巻きに、珍しくおしゃれをしてきた春風はるかちゃんこと、ぱるるんが私を見る。麻練ピーナッツをつまみ、ちょっと辛かったのか、桂花陳酒をすぐに飲んだ。

「えっとぉ。大輪田くんは、実はね。異動前に告られて断っちゃって。」

「はあ?!」   

「そうだったの?!」

 横浜支部システム管理部の大輪田君。異動直前、研修当初から私を好きだったと告白してくれたんだけど、ごめんなさいしちゃったんだよね……。

「実は最近大輪田くん、イメチェンしたんだよ?」

「そうなの?」

「うん。黒縁眼鏡をオシャレ眼鏡に変えちゃって、髪型もイケメン風にしてね?」

「そうそう、けっこう噂になってるよ。うちの後輩も、わざとパソコン壊れたふりして大輪田君呼んでたし。」

「そうなんだぁ。」

 そっかぁ。大輪田君が元気そうで安心したよ。

 今来たばかりの水餃子を、醤油酢につけて一口で頬張る。皮がもちもちで、肉汁がほどよく口の中に広がる。

 唇がテカテカになってそうだから、おしぼりで唇を拭いた。ふと今日のトップニュースを思い出す。

「……あのさあ。付き合ってない男の人が女性にキスするのって、どういう時なの?」

 私が何気なく聞けば、まゆゆとぱるるんが二人して顔を見合わせる。

「刈谷から恋バナって珍しくない?」

「あれでしょ。酔ってるかヤりたいと思った時じゃない?」

「ひどい二択で言葉もないよ、まゆゆ。」

 あっはっはと大口を開けて笑うまゆゆ。

 まゆゆは酔った勢いで同期の池駒いけごま君とやっちゃったらしく、そのまま付き合うことになったんだってさ。

 まゆゆよりもまともなぱるるんが、水餃子を二個食いしながらもごもごと口いっぱいに頬張る。 

「それっへちゅまひぃ、かりはにが誰かにキフはれはってことほぉ?」

「食い意地の張った4歳児ぱるる。」  

「それって刈谷が誰かにキスされたってこと?」

 ごめんごめん、と桂花陳酒で流し込んでから言ったぱるるん。その言葉に、目の前に座る二人の顔が見れなくなる。

「う、うん……」

「待って!わかった!アイツか!人事の家煎歩澄いえいりほずみ!」

「へ? だれ?」

「人事のクズ男だよ! 女上司に媚び売るために不倫してたとかなんとか!」

「もう。まゆゆの頭の中身って週刊誌なの?」

 眉根をひそめる私が、中華人参しりしりに手をつけるも。二人は目を輝かせ、回答を求めてくる。

 だから勇気を出して、冷淡な彼の名前を出してみた。

「実はね。総務の、す、憂先輩……。」

「ないな。」

「うん、ないないキスとかあり得ない。」

 二人が、はあ、と大きくため息を吐き、ゴマダレ油淋鶏をさくさくと食べ始める。

 どうやら私の妄想だと思っているらしい。

「憂さんってあのドライで俗世に興味のない憂さんでしょ?」            

「自分の異動歓迎会にすら出席しない人だよ? 小動物の刈谷なんて絶対興味ないって。」

 異動歓迎会>刈谷ってこと? そりゃそうだよ。仕事と小動物比べないでよまゆゆ。

「って、憂先輩、自分の歓迎会にも出席したことないの??」 

 そこが一番ビックリなんだけど。飲み会に参加しない話は有名だけど、自分の歓迎会だよ?だって、この間の私の歓迎会は来てたよね?  

 キスされた時と同じくらいドキドキするのは桂花陳酒のせい?

「うん、営業から経理、経理から総務に異動する時の話ね!」

「なんでまゆゆそんな詳しいの?」

「朋政先輩がゆってた。」

 ぱるるんとまゆゆは二人共新卒以来、同じ部署で育ち、当時まだ横浜支部にいた朋政課長が教育係だったんだって。

 鬼の先輩の元、相当しごかれたらしいよ。

「そうだ、ぱるるん!私朋政課長から手紙預かってきたんだった!」

「先輩から? 嫌な予感しかないな。」

 私が鞄から、ハートシールのついた手紙を取り出し、ぱるるんに渡そうとする。

 でもぱるるんは心の準備が整わないらしい。

 桂花陳酒のグラスを手に取り、アルコールで喉を潤そうと二口飲み込む。

「と、整った!」

 「よしいけ、呪いの手紙は封を切った時点で発動するんだ!」と恐怖を植え付けようとするまゆゆ。

 ラブレターだなんて、恥ずかしくて震えちゃう……なんて淡い想いは見当たらない。

 むしろ痙攣している手で、そっとぱるるんが開封する。一方的な想いが、その一報に託されている。

「……え……っあ!」

 ぱるるんの手には折り畳まれた手紙と、一万円札が。

 私もまゆゆも、そのお札は本物なのかと目を丸くする。

「ウッソ……。まさかの、支援金?」

 そのハートのイラストがついた手紙には、ただ端的にこう書かれていたのだ。

『女子会楽しんでる? 気前のいい先輩からの支援金だよ。P.S. 春風、愛してる』   

 わあー。東のスパダリが現金で好印象を仕掛けてきたー。

 お金に目がないぱるるんが、目をキラキラと輝かせている。

「……東の朋政、ゲンナマでぱるるを釣る作戦か。」   

「人聞きの悪い! 先輩は心から私たち3人の親睦を願ってだねえ、」

「いやいや、どこの世界に下心ない渋沢がいると思ってんの!」 

 まゆゆがぐいっと桂花陳酒を飲み干し、反論するぱるるんに睨みを利かせる。

「このお礼に、ぱるる、ひと晩身体提供するべきだよ!」

「は、はあ!? な、なな何言ってんの!」  

「それぐらいのお礼はすべきだね! 出来ないならその一万円寄越しな! 推しに投資するから。」 

「先輩は純粋に私たちに女子会を楽しんでもらおうと一万円をくれただけでだねえ!」 

「クソ、私も男に執着されたい!」

「そこは池駒彼氏でいいじゃん!」

 まゆゆは韓国アイドルの推し活に励んでいるらしい。

 それにしても朋政ともまさ課長スゴすぎ。私が勇気出して話したキス話を、手紙一つ、いや、一万円札一枚でかっさらっていくんだもん。

 ため息も出ない朋政課長の戦略。唇を尖らせてみようにも、本人いないから反抗も出来ず。

 ふてくされたまま、ふと鞄からメール受信の音源を感じ取った。

 ぱるるんとまゆゆが一万円を使うか使わないか討論をしている中、スマホ画面のメッセージをさりげなく読み取る。

《今日は爽ちゃんの初めてをかっさらってごめん。本当にごめん。蚊に刺されたと思って忘れて。》

 サラリと読み流して、一旦テーブルの上の鶏皮と焼きトマトの串をパクリと食べる。脂身と酸味のハーモニーだとか、食レポできるほど脳が働かない。

 もう一度ちゃんと読み直そうと、スマホ画面に視線を戻せば。今日一番のドキドキが激的に刈谷を襲う。

 『忘れて。』!? 忘れて欲しいってこと?? 私、蚊に刺されたら、けっこう気にする方ですよ?

 先輩にとっては大したことじゃなかったってこと……?

 なんて返すべきなのか、『わかりました。忘れます。』が正しいのか、それとも『初キスですよ? 忘れる方が難しいです(⁠・ั⁠ω⁠・ั⁠)モンモン』が正解なのか。

 頭の中で色んな計算式が思い浮かぶのに。答えまでの距離が長すぎて辿り着きそうにない。

 刈谷爽は何を言いたいの? 思いついた事とりあえず挙げてこ。

『……初めてなのに、』

 初めてが先輩でよかったのに。嬉しかったのに。

 答えまでの距離が、あとちょっと。

 でもメッセージには〈……初めてなのに、〉から先が震えて打てなくて。〈……初めてなのに、〉だけを間違えて送信してしまった私。

 あ……

 慌てて続きを入れようと、ゆれる人差し指でキーを打つ。

 でも私の緊張が波打ちすぎたのか、私が続きを送信するよりも先に、憂先輩からのメッセージを受信した。

《俺じゃ、あかんかった?》

 あかんくないですよ?

 だって、男の人が苦手なはずなのに、憂先輩に触れられると心臓が笑うんですもん。 

「ねえ刈谷ぃ! 一万円のお礼に、キスの一つや二つしてやれって思わない?!」

「えっ、」

 目の前に座るまゆゆが、酔った赤い顔で私に同意を求めてくる。

 その言葉を言われて、自分の顔が一気に熱くなった。

 私、いい年して何いってるんだろう。初めてのキスだから、憂先輩にももっと大事に思って欲しいだなんて。

 まゆゆの言う通り、きっとキスの一つや二つ、当たり前に交わされるのがアラサーなんじゃん?

 男女間の基準値が赤ちゃんの刈谷脳。

 基準値をまゆゆ辺りにして考えて、先輩にもう一度リベンジのメッセージを送る。 

〈すみません!冗談です!全然大丈夫です!なんともないです!〉   

 むしろ初めてだとか! 恥ずかしい女ですみません! と心の中で付け足しておいた。赤ちゃん、必死。

 それからは、ぱるるんとまゆゆとの女子会をちゃんと楽しもうと一旦スマホを閉じた。あー恥ずかし恥ずかし。

「で? 刈谷は結局誰にキスされたの?」

 ぱるるんが、改めて食い入るように聞いてくる。

 ねえ、なんでこのタイミングでぶり返すの?!

「……んと。蚊。」

「蚊?!」

「うん、最近夏よりも秋のが蚊が多くない?」

「ああ、多い多い! 蚊も熱中症を心配して秋に持ち越してるんだよきっと!」

 まゆゆは騒ぎすぎたのか、テーブルに突っ伏しながら私達の会話をなんとなく聞いている感じ。まぶたが重そう。

「でも刈谷、あんま相談とかしてこないし、悩みがあればなんでも言ってよね!」      

 明るい笑顔で、そう伝えてくれるぱるるん。

 きっと六神むがみんも朋政課長も、この笑顔にやられたんだろうなあ。私にもこの明るさと単純さがあったら……。3杯目のグラスを回しながら、そんなことをぼんやり思った。

 ぱるるんがトイレに立って、まゆゆがふて寝に走り出した頃。ソワソワとした気持ちで、再びスマホ画面を点灯させた。

 すでに30分前には到着していたメッセージ。

 憂先輩のくだけた文章を、じっくり読み取る。  

《ほんまどないしよ。あ、そや。お詫びに酒蔵デートせえへん? 旅費代おごるってことで許してくれへんかな?🥺》   

 関西弁に付け加えられた涙目の絵文字。これは私に想像以上の効果をもたらします。

 朋政課長よりも、断然愛おしさが募る。

 “あ、そや。”って、文章でもそうなっちゃうのね先輩。他の人にもこんな可愛いメッセージ送っちゃってるの?

 初キスを適当にあしらわれた、さっきまでの自分勝手な心臓のズキズキすら愛おしく思えてしまう。憂先輩って、実は相当なたらし?

〈ぜひぜひ☺️ちゃんと旅費は自分で出しますよ。〉(未送信)

 もっと喜びが伝わる絵文字の方がいいのかな。

 どんな絵文字がいいかと画面を見ていれば、トレイから帰ってきたぱるるんが嬉しそうな声で言った。

「あれー? 刈谷、なんか嬉しそうじゃん。」

 慌てて画面から顔を離し、「そ、そうかなあ」と嬉しさを悟られまいとするも、すでにもう遅い。

「ねえ、ぱるるん。」

「なに?」

「恋愛で人を好きになる時って、どんな気持ちなの?」

 酔っていないけど、酔っているふりをして“好き”の気持ちが知りたくなった。

 まだこれが、恋と呼べるかどうかは分からないけれど。  

「うーん。頭の上で鐘が鳴る感じ?」

 茶化されるのかと思えば、ちゃんとした答えが返ってきて自分の目が丸くなる。

「鐘?」

「ほら、リーンゴーンって。白い鳩が飛んでいく感じ? いっとくけど除夜の鐘じゃないよ?」          

「……ちょっと除夜の方かと思っちゃった。」

「それボーンって、暗い感じになっちゃうじゃん!」

 大晦日にひたすら鳴り続けている除夜の鐘。ゆく年くる年と共に恋が始まるのかと思ったら違ったらしい。

「ほら、結婚式のさ、教会のてっぺんについてるじゃん!ああいう鐘のことだよ!」

「てっぺん……」  

「恋に落ちる瞬間にね? 小さな天使がやってきて鐘を鳴らすんだよ!」

「鳩は? 白い鳩はどこいったの?」

「もう刈谷〜! 恋愛話になるとほんと赤ちゃんなんだから!」   

 自分から振った話でツッコまれてしまった。でも私は興味津々で、本気で鐘が鳴る瞬間が気になっていたのだ。

 お店から出て、もうほぼ寝ているまゆゆを勝手にタクシーに乗せたぱるるん。運転手さんに、朋政課長から貰った1万円を渡し、これで送り届けてくださいって。

一万円は結局まゆゆのタクシー代に消えたのだ。

 ぱるるんと駅の構内で分かれて、駅のホームでさっきのメッセージの続きを送る。

〈ぜひぜひ🥳ちゃんと旅費は自分で出しますよ。〉

 ちょっとハジケ気味の絵文字で送っちゃった。

 やっぱり本当は私、ちょっと酔っているのかもしれない。

《ほんま? いつにしよか。明日は? 来週にする?》

 早すぎるメッセージと予定に、思わず笑みがこぼれる。

〈明日でも大丈夫ですよ。〉  

《早い? 来週でもええよ。》

〈じゃあ来週にしますか?〉

《明日にしよ》

〈ふふ。楽しみにしています!〉

 早すぎる予定はすぐに決定したのだ。

 でも憂先輩の計算式は、やっぱり私には解けそうもない。

《泊まりで行く?》

 と、泊まり?!

 いきなり? 今日の明日で? キスをされたばかりの今日を起算日として、2日目で??

 でも前にも先輩の家にはお泊りしているし、今さら怖気づくのもなんだか……。

 先輩のうちに泊まった時、ぎゅって抱きしめられていた事実を思い出し、酔い冷ましの風にも負けない熱さが身体に走る。

〈い、いいですよ〉

 メッセージをポンッと送ってから気付いてしまった。メッセージなのに、動揺している感満載。

 うわぁ〜〜と心が恥ずかしくて泣きそうになるも、憂先輩がすかさずフォローを入れてくれた。

《あかん、動揺誘った》

〈だいじょうぶですだいじょうぶです! 泊まり大丈夫です!〉         

《無理せんで。でもちょっと遠方の酒蔵やで泊まりやと嬉しい☺️》

〈はい! 泊まりでいきましょう!〉

《わーい🥳》 

 2割だけハジケた先輩の返信。刈谷のきゅんを不意にかっさらう。

 一万円よりも下心あるの? ないの? ねえ、どっちなの先輩。

 人生で初めての男性との初デート。まさかのお泊りで、初めての事だらけが一気に押し寄せてきた。

 初めてを大事にしよう。だから、先輩も大事に想ってくれるといいなあ。

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