ログインそんな風に言える大人って、人生に余裕も猶予もあるのかな?
朝起きたらね、憂先輩に後ろから抱きつかれて寝ていて、もう刈谷丸ごとどうにかなりそうだったよ?
憂先輩がね、刈谷の上半身を抱きかかえて、耳元で寝息を立てているの。
それがあまりに下心がみえない無防備な寝顔だったから、どきどきクラクラが、じわじわジンジンって。心臓が6センチ上ずって収縮しちゃった。
割り切れない割り算には余りが出るのに、割り切れない私と憂先輩の仲には何かが不足していて。もどかしさばかりが不足部分を補っている。
とりあえずもどかしい気持ちは予算申請書類と一緒に提出して、海外クライアントからの入金処理を行っていく。本日のレートにて為替換算されていく画面。
パソコン画面には反射した自分の姿も映らないのに、なんでこの人の気配は察知できてしまうのだろう。
「刈谷さん!事件!事件だよ!」 地味な経理部のフロア内に、一気に陽気なたんぽぽを咲かせる西洋風のスパダリ。きっとこの人がエレベーターを降りた瞬間から場の空気が変わるのだ。
今男性社員に注意をしていた「おはよう刈谷さん!聞いてよ!昨日春風がね、電話で僕のこと間違えて“朋くん”って言ったんだよ?!」
「は、はあ」
「かわいくない?朋政先輩っていうところをさ、朋くん♡って!」
なんでこの人いつもこんなに陽気なの? 光合成の燃費が良すぎるの?? 周りの女性陣の目は、「ねえ今日って
「なんで知ってるんですか……」
「春風が久々に刈谷に会えるって喜んでたから!」
「はい、私もぱるるんとまゆゆと久々に会えるの嬉しいです!」
そしてこの朋政課長、何を隠そう、現在「ねえ、ちょっと休憩スペース行かない?」
「へ?」
「この優しい課長からの奢りだよ?来るよね?!」
「……は、はあ。」
陽気な朋政課長にて連行されようとしている私。しぶしぶ席を立つ。
経理部の事務室を出ていこうとすれば、周りの視線が四方八方より突き刺さる。ちくちくする気まずさは、真顔で対応すれば万事OK。
私、今から朋政課長に大事な仕事の話をされに行くだけですから。って雰囲気が作れるから。
エレベーターを通りすぎた奥にある自販機の前の休憩スペース。電子決済で缶のブラックコーヒーを決済してくれた課長。
でもごめんなさい。私、コーヒー苦手なんです。
「春風から僕のことなんか聞いてる?」
缶の蓋を開けながらそう聞いてくる課長。
短いソファに脚を組む姿が大変様になっていらっしゃる。このままCM出れそうですね。
「いえ、なにも?」
「えっなにも?!」
「はい? 特にぱるるんから課長の話は聞いたことないですけど。」
今の今ままでカッコつけていた課長の風貌が、一気に鎮静される。項垂れながら額を抑えて、とても落ち込んでいる様子だ。忙しい人だなあ。
「……ここ数年、六神君から奪える可能性を計算してるんだけどね。あ、そういえば刈谷さん計算得意だったよね?」「え、ええ。まあ。」
「いや違うんだよ。そういう話じゃなくってさ。これ、」
そう言ってスーツのポケットから手紙らしきものを出してきた課長。ラブレターみたいな手紙に♡のシールが貼られていて、刈谷の身体は芯から底冷えした。「春風に渡しておいてくれる?あ、めちゃ大事な手紙だから、確実に渡しておいてね?」
「は、はあ。」
課長から手紙を受け取り、宛名を見れば『愛しの春風へ』と書かれている。 古風な愛の戦略に、やはりゆるキャラのような愛おしさを感じてしまった。 「「オツカレ古馬都ー。」
「あんたねえ! 私のデスクに好き勝手に書類置いてかないでよ!」
「ごめんごめーん。古馬都はデータよりも紙派だって原始的なこと言ってたからさあ。」
「そういうことじゃなくって! あんた人様の異動願い勝手に書いて通るとでも思ってんの?! 『六神千都世を世界の果てまで飛ばしたい』ってどんな事由よ?!」
「あはは! 自分で書いといてなんだけどウケるね。」
「ウケねーよ!」
この間の飲み会で知った話なんだけど、実は朋政課長と古馬都さんは同期なんだって。研修中から犬猿の仲で有名だったらしく、今ではある意味ツーカーの仲なんだってさ。
「刈谷さん、朋に変なことされなかった?」
「は、はい。大丈夫です!」
「もし変なことされたらすぐ私に相談してね!」
「……は、はい。」
古馬都さんが私に笑いかけてくれて、思わず硬直する。
大人の女性の美しい笑顔。きっと自分には一生備わらないものだろうと、なんとなく落ち込んでしまった。
勝手に比べて、勝手に自信喪失する刈谷。なんでこんなに卑屈で悲観的?
完璧なものを前にすると、刈谷みたいな宇宙人は小さくなって丸くなりたい。ダンゴムシに憧れるタイミングはちょくちょく訪れるのだ。
「……古馬都さん、課長が会議室に来てくれって言ってましたよ。」
「うわっ、
え? いつの間に??
気配がないままふわりと姿を現した憂先輩。
おかしいなあ。朋政課長の気配はすぐに察知できるのに、憂先輩の気配は察知できなかった。
「わざわざ呼びに来てくれたの憂くん?ありがとう。」
「いえ。」
満面の可愛い笑顔を放つ古馬都さん。
でも憂先輩は、すんっとしたドライな表情で応対。相反する表情がなんとも異様で、ブラックジョークよりもファニー。
「憂君、古馬都にセクハラされたら遠慮なく僕に相談してね!」
「はあ。」
朋政課長が立ち上がり、憂先輩の肩を叩いて言った。東のスパダリと西のスパダリの共演ってやつ。ブロードウェイにも負けてないよ。
「っ! そんなところで反撃しないで!」
「これあげるから許して。」
「あんたの飲みかけのコーヒーなんて死んでもいらない」
言い合いしながら、廊下を並んで帰っていく朋政課長と古馬都さん。ぶっちゃけ離婚秒読みのハリウッド俳優と女優みたい。
憂先輩と二人の背中をハラハラと見守っていれば、ハッと気付いたように朋政課長が振り返った。
そして早足で私の元にかけて来る。
『刈谷さん、くれぐれもその手紙頼んだよ?!春風によろしくね。』
こっそり耳打ちしてくる朋政課長。ラブレターと缶コーヒーを持ったままの私に、軽くウィンクをして帰って行った。
忙しい人だなあ。
冷淡冷徹無表情な憂先輩。朋政課長のウィンクの前でも微動だにせず。
さすが、西のスパダリ様です。
「爽ちゃん、朋政課長と仲ええの?」
「え? いえ、」
「それ、ラブレター? 会社で今時、凄い人やな。」
「ですよね。ウけますよね。」
「受けるの?」
「はい?」
「そのラブレターの返事、受けるの?」
「……え? ああ、違いますよ! これは。」
私はラブレターの宛名を憂先輩に見せた。
冷淡冷徹無表情な顔が、眉間にシワを寄せている。
「これは私の友達の春風ちゃんに向けたお手紙なんです。」
「……え、そうなん」
「そうなんです。」
ふふっと憂先輩を見上げて笑ってみせた。東のスパダリと言われている朋政課長が、彼氏持ちの女の子にラブレターなんて令和ショックですよねって。
すると先輩が私の頬に触れて。指先が関節なりにしなる。先輩の指のお腹、やたら熱くって。とても冷淡さが感じられない。
くるりと瞳の奥が揺れる。先輩の指先が次第に刈谷の唇にきて。親指が乾いた唇をなぞった。
「爽ちゃん、」
「は、はいっ」
「ファーストキスって、いつ?」
「うぇっ」
おもちゃにも似た声が不意に唇から漏れて、慌てて唇を閉じる。
乾いている下唇が上唇にひっついて、舌先に湿気を求めるも。
憂先輩にまだ頬を触れられているから、緊張のあまり舌先が迷子になった。
右手にはぱるるんへの悲恋ラブレター、左手には飲まれない予定のCOSTA。
両手が違和感だらけの中、憂先輩の切なげな顔が迫ったのは、突然のことだった。
「―――っ」
私の唇にキスをした?
キスをした。ようだーーー。
胸とお腹が大きく前後に揺れ動く。身体の中が活発になっている11時。きっとあと4時間は胸とお腹がいっぱいだろう。
どうせ夜女子会だし、お昼少な目にして夜沢山食べればいいよね。
休憩所で呆然と立ちすくむ刈谷。でも頑張る刈谷。憂先輩の質問に、真摯に対応する。
「い、いまです!」
「え?」
「初キス……今、でした…。 」
「……」
憂先輩の指先が私から離れて、小さな咳払いをする先輩の…気管支。
薄い色なのに色気のあるふにふにした唇。フニクリフニクラ。
つい見惚れて、すぐに視線を反らす。意識しちゃう余韻がふにふに。
憂先輩が自販機にICカードをかざして、コーンポタージュかホットレモネードのボタンを行ったり来たり。先輩の指がさまよう。
「社内にコンポタとか意味不明やな……」
そう、自分で自分を納得させるように。確信を持つ指先がホットレモネードのボタンを押した。
そして私の手に持つ缶コーヒーを一瞥して。隙だらけの左手から奪った先輩。代わりにホットレモネードの小さなペットボトルを渡してくれた。
「コーヒーの代打。」
「へっ」
「えっと。じゃあ、彼氏持ちの春風ちゃんにラブレター渡すの頑張って?」
「え、あ、はい! ありがとうございます(?)」
今度は大きく咳払いをした先輩。
軽く手を上げ、私にサヨナラの挨拶をしてくれた。
バイバイ……またお会いするその日まで。お仕事頑張りましょう。
このふにふにしたモヤモヤした気持ち。なんだろう。レモネードを両手で大切に持って、こくりと喉を鳴らす。
先輩……、先輩が“春風ちゃん”って言った時。ちょっとだけ嫉妬しちゃいました。
いや、きっとこのモヤモヤの原因はそこじゃない。そこじゃないんだよ27歳。
先輩と知り合って約3年、先輩の家に泊まってから約1週間。刈谷爽、憂先輩に社内で突然キスをされてしまいました――――。
今すぐアメリカンホラー映画を見て落ち着きたい。
感情がばらばらで、事務室に帰って頭の中は散乱したままテンキーの数字をたたく。昨日よりもずっと円高。明日はきっともっと円高。海外から振込まれる時に限ってこれだ。
「そ、それとですね! 家煎さんの件は、元は水樹さんが言い出したことでして!」「うん。家煎が爽ちゃんを飲み会に無理やり引き込んだこと、よう分かっとるよ。でも、あれはあかんわ。」「ぅえ……?」「家煎の噂。昔、女上司と不倫しとったって話。知っとる?」 ―――思い出した。 そういえば中華ダイニングの女子会でまゆゆが言ってたっけ。人事の家煎さんが、女上司に媚び売るために不倫してたとかなんとか。「あれ、半分ほんま。不倫まではいってへんけど、上司にしつこいくらいちょっかいかけとったってのは本当。」「えぇっ」「家煎は軽い男やから。歓迎会でも家煎が爽ちゃんに近づかんようにするの、大変やった。」 「……もしかして先輩。家煎さんと、仲いいんですか?」「まさか。」「…………」 「同期。仲は良くも悪くもないな。昔一度だけ、一緒にグランピングしたってくらいやし。」 はい? グランピング? あの、有害無益そうなパリピ星の家煎さんと? それってドライな先輩にとっては、とっても仲がいいってことなんじゃないんですか? 次月の週末。 先輩には、家煎さん主催の飲み会には不参加を表明していたはずなのに。 朋政課長に、同期の小窪さんも来るからと言われて、結果的に無理やり参加させられることとなった。もちろん、憂先輩も一緒に。「朋政課長の好きなタイプってどんな子なの〜?」「どこにでも突っ走っていくような子供じみた子ですかねえ。あ、でも特に年齢にも性別にも制限は設けてないですよ?」「ええーじゃあアラフォーの私でもいけるってこと〜?!」「もちろん水樹さんのような世話好きな女性でも、表面上はドライ、中身はウェットな西の憂君でも僕は全然いけます!」「あっはは〜! 残念ながら憂君の表情は今ひとつ変わってない〜!!」 朋政課長を目の前にして、ビールのピッチャーからそのまま飲み干そうとする水樹さん。右隣の私が慌ててジョッキを手渡した。 左隣には小窪さんがいて、私にこっそりと耳打ちをしてくる。 「あれ、今日古馬都さんは来てないんですか?」「ああ。なんか用事があるらしくって。」「そうなんですね。」 やっぱり今日はお子さんとご飯を食べに行くと言っていた古馬都さん。大君と巡ちゃんが
「俺ら同期6人さ、研修から一緒に愚痴言い合って頑張ってきたメンバーじゃん。大した思い出もないけど、定年まで一緒に飲めたらいいよなあとは思う。」「6人とも飲めるしね。」「刈谷が一番ザルだけどな。」 いつも感情のぶれることのない、冷静なむがみん。6人で飲んでいても、むがみんが潰れることはほぼない。 今の台詞は彼が言うからこそ意味を持つのだ。同期と飲めなくなるのが、本当に寂しいんだろうなあって。「じゃあな。星へ気をつけて帰れ。」「うん、ブラックホールに吸い込まれないよう頑張る。」 違う路線のホームへと降りていくむがみん。別れ際になって、ようやく私に笑顔を見せてくれた。 そのレアな笑顔に励まされて、少しだけ勇気が湧く。スマホを鞄から取り出して、ホーム画面を点灯させる。 映るのは、先輩と二人で一緒に撮った晴雲酒造の煙突の中での写真。煙突内は暗いはずなのに、てっぺんから差す太陽光がいい具合に私たち二人を照らしている。 頭の中にぽわりと灯る光。白い鳩が飛び去って、大きくゆっくりと鐘が鳴る。好きになれる男の人なんて、一生できないと思っていた。 先輩と私、もしかしたら何かが食い違っているだけかもしれないのに。このままもう、りっくんとは一生話すこともできないの? 涙がこぼれない内に。情緒不安定になる前に。震える指で、先輩の番号をタップしようとした。「すみません。ちょっと、道を尋ねたいんですけど。」「え、」 私に話しかけてきた声の主を見れば、私が見下ろせるほどの男の子が一人と、女の子が一人。 どっちもはっきりとした顔立ちの、そっくりな子供だ。今先輩に連絡しようとしていたのに。すでに頭の中身は双子のホラー映画でいっぱい。「あの、おうみ倉庫っていう会社は、どの出口から出ればいいですか?」 物怖じせず、しっかりと私の目を見て話す男の子。そして男の子の影に隠れて、恥ずかしそうにしている女の子。 目測だと、私より20センチ以上は低いはず。「ええと、央海倉庫は私が働いている会社ですけど、東京本部でいいんですよね?」「はい。」「良かったら、道案内しますよ?」「え……いいんですか?」「はい。いいですよ。」 少し目を泳がせた男の子。偶然話しかけた相手が、まさか探している会社の人間だったなんて、当然戸惑うのも無理はない。 証拠になるかと、
祖父の1周忌で実家に帰れば、私に結婚を促す親戚は誰もおらず。それどころか、お決まりの『彼氏はいるんか?』なんていうおじさん等もいない。 みいんな、刈谷爽が昔から不思議ちゃんだということを知っているから。 祖父母の家の庭先でトカゲを捕まえて、首にリボンを巻こうとしていた裸足の女の子。誰も私を捕獲しには来なかった。 一人でグロッキーでトリッキーな物語をつぶやきながら登校した小学生時代。気味が悪い不思議ちゃんに近づいてくる友達はほぼいない。 一人だけ私という人間に線引をしなかったのは、あどけない笑顔の男の子だった。 不思議ちゃんが中学に上がれば、数学の威力を発揮する。 数学検定に数学オリンピック。でも他の教科は平均以下。 鞄につけているキーホルダーは、口から血を流したウサギや首のないゴーストライダー。 いつの間にか宇宙人に変貌を遂げた私は、周りからは精神的な部分を怪しまれた。 それでも信じてくれていた父と母。そして、唯一小学生の頃から仲の良かった男の子。 彼の家は教育一家で、小学校低学年から塾は当たり前。常に母親からは成績1位でいろと言われ続けていたこともあり、中学では学年首位を獲得していた。 でもその首位を、数学だけ私が奪ってしまったのだ。 椅子を蹴られて、睨まれて。それ以来彼は私を無視するようになった。 男の子という存在が怖くなり、女子校、女子大に通った私。 社会人になれば、生きていくために背に腹は変えられず。男嫌いだなんて人種差別をしてはならないと自分に言い聞かせ、心の中でジェンダーの壁をとっぱらった。 女性も男性も、みいんな可愛いピンクのゾウさんとして扱った。 でもね、一人だけ、ピンクのゾウさんになれなかった男の人がいたんだよ――――……。 週明けのど真ん中。 財務に呼ばれて経理部予算案の説明をしにいった際、非常階段で朋政課長と、パンツスーツ姿の女性が話し込む場面に遭遇する。 踊り場で課長は、何かの図表を指差しながら、女性に注意を促している模様。 邪魔をしてはいけないと、気配を消して階段を降りていく。「統計の項目をもっと広い視野で考えてみて。顧客ニーズを意識した、具体的な統計表を作れって僕は言っているんだよ。」 「は、はい。すみません!」 強めな課長の口調に、声を震わせ
「ごめんね憂君! ちょっと遅れた! 課長につかまっちゃって!」 ゆるふわなミルクティー色の髪を靡かせて、バレッタで綺麗に髪を留め直す古馬都さん。 肩の後ろへと髪をやる仕草が、とっても色香を放っていて。まばらにいる社員さんたちの視線を感じる。「いえ。大丈夫です。」 少しだけ気まずそうに視線を落とす憂先輩。私はどう見ていいのか分からず、“私なら大丈夫ですよ”と無理に平常心の笑顔を作る。 「あ、こんにちは刈谷さん!」「こんにちは。」 私に、まばゆい美しい笑顔を向ける古馬都さん。この人が未だ独身だというのが信じられない。 背は高く、身体のしなやかな作りが古馬都さんの美顔に大変見合っている。それに比べて身長147センチで胸だけ大きめの私は、あまりにも滑稽だ。 いつ見ても、どこにも勝てる要素がないことに胸の痛覚が反応する。人と比べて劣等感を感じるのは、今に始まったことじゃないのに。 なんでかな。先輩に近しい女性だと思うと、今まで感じたことないほどの絶対的敗北感を感じてしまう…。 「で、憂君、私に用事ってなんだった?仕事の話?」「いえ。」「暫くインフルで休んでたから、きっと憂君に沢山迷惑かけたよね。」「いえ、全然。」 はう。 憂先輩から誘ったという、真実はいつも一つの事実。 関節がカクカクと、角度をつけるようにしか動かない。 せっかくの貴重な二人のお昼休み。私が邪魔をしてはいけないと、素早く頭を下げてその場を後にしようとする。 でも、すぐに古馬都さんに呼び止められた。「そういえば刈谷さん! 今度|家煎《いえいり》君主催の飲み会行くんだって?」 「うぇっ!? い、いえ、私は、」「こないだの合同会じゃ全然喋れなかったし、私も行こうかなって思ってるの!よろしくね!」「い、いや。あの私は、」「家煎君、刈谷さん来るのすっごい楽しみにしてたよ? 早速狙われてるけど、あれはオススメしないなあ〜。」 このタイミングで、その話。 家煎さんって仕事が早すぎる。まだ午前中に出た話しじゃなかった? まずいよなと先輩に向けられない自分の顔がオートマチックにこわばれば。前からカタリと器がぶつかる音が鳴った。 「その飲み会って、いつ?」「え?」「その飲み会って、いつですか?」 憂先輩が、私を一瞥して
『爽ちゃん、仕事忙しいよな。次いつ夕飯一緒いける?』「ええと。そうですねえ、来月初めの金曜日はどうでしょうか?」 『そこまで二人きりになるの、待てん。今週の金曜は?』「すみません。。今週は祖父の1周忌で実家に変える予定でして。来週はりっくん、研修ですもんねえ。」『いややわ。どうにかなる。』 電話ですれ違いを確認したところで、先輩とお付き合いをして1ヶ月が経ちました。 年末調整業務がようやく終わったと思えば、すでに決算に向けた業務が波のように押し寄せる日々。 羅列する数字とにらめっこするのは嫌いじゃないけれど、やっぱり横浜支部とは比べ物にならない量。エクセルの枠だって小さくなるし、用紙もA3以上のポスター並。 目に良いブルーベリー効果を狙って、できる限り朝はパンにブルーベリージャムを塗って食べている。心ばかりの効果すら期待はできないのだけれど。 そもそも部署の数が倍になるから、取りまとめるにも相当な精神力を要する。 ということですから、私は仕事の業務でいっぱいいっぱい。平日ご飯に行こうにも、どちらかが残業で都合がつかず。 もっとうつつを抜かしたい私に、疲労ばかりがのしかかり、おうちに帰っておよそ30分で夢の中。 つまり、先輩とは酒蔵巡り以来デートは出来ていない状態です。 「来期の予算申請、もう財務に回したんだって?さっすが数字の鬼だね刈谷さん!」 経理部課長代理の水樹さんが、すれ違いざまに私の肩を叩いて言った。「早かったですかね? 消耗品の予算、去年よりも1割増で出しておいたんですけれど、」 「助かる助かる! だあれがペーパーレスするかってのよ。裏紙なんて、ペンで大きく『あ』って書いて裏紙にしてやるってのよ! ねえ?」 節約しないにしても、わざわざ無駄に『あ』って書くのは面倒な気もします。 お子さんが一人いらっしゃるという水樹さんは、いつも気さくに話しかけてくれる良き上司だ。 このまま出世街道を突き進みたい気持ちはあれど、お子さんのためにせいぜい課長止まりの心構えで定年まで頑張っていきたいと、歓迎会で話してくれた。「ねえ! それよりさ。刈谷さんこの間、朋政課長に呼び出されてたじゃん?」「あ。ああー……。そうでしたね。」「刈谷さんって朋政課長と仲いいの?」 爛々と輝かせた目で、食い入るように見つめられる。 水樹さ
松岡醸造には、酒蔵には珍しく、大吟醸のソフトクリームなんてもんもある。 爽ちゃんと半分こしようと、一つだけ買うた。 一つだけ買うて半分こて。これってどう考えても誰かさんへの当てつけやんな? 俺の性格の悪さがこんな場面でも発揮するとは。 爽ちゃんだけを一点に見つめて、彼女の目の前にソフトクリームを差し出す。 すぐにキラキラと目が輝きだして、なんや、ご飯を待ちわびたワンコのようにもみえるのは内緒にしとこ。「半分こしよか。」「え? わ、私と半分こ、ですか?」 「いややった?」「い、いえいえ! ええと、ではりっくんからお先にどうぞ!」 爽ちゃんの小さな顔が赤くなっとる。キラキラさせたり、赤くなったり忙しないなあ。 言われた通り、先に一口ぱくりとソフトクリームを頬張る。唇に冷たい感触が残って、舌で舐め取れば、爽ちゃんに穴が開くほど見られた。 「どないした?」「……りっくんの色気にやられそうです。」「なんやそれ。」 “色気”なんて俺にある? 妙に照れくさくなって、今度はソフトクリームを爽ちゃんの口元に差し出した。 小さく口を開けて、舌を出す姿に脳内が悶えかける。自分の口がニヤけているんやないかと、慌てて手の甲で隠した。「ん! ちゃんとお酒の風味がありますね。でもさっぱりしてる!」「うん。アルコール分はないらしいけど、さっぱりしてて美味いな。」 大吟醸ソフトは美味いし、爽ちゃんはそれ以上にかわいい。そんなことはずっと前から知っとる。 でも、俺が持つソフトクリームを、そのまま俺の手首を両手でつかんで食べる爽ちゃん、かわいくてたまらん。 リスとか、ハムスターとか、今までは小動物にも似たかわいさを感じていたけれど。自分の彼女となってからは、もっとそのかわいさが際立ってかわいい。 語彙力が瀕死になるな。「爽ちゃん、口、ついとる。」「あ、ハンカチ、」 爽ちゃんが鞄からハンカチを取り出そうとしたところで、その唇についた大吟醸ソフトを指で拭う。「爽ちゃんの唇の温度で、いい具合に温まっとる。」 自分の指についたソフトクリームを一舐めすれば、爽ちゃんがピクリと反応するのが分かった。 顔を赤くして、不意にうつむく。今俺から見えるのは、爽ちゃんの頭。艶のある髪が天使の輪っかを作っとる。 爽ちゃんの行動一つ一つがたまらなく愛お