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6.ねえ先輩。刈谷は憂先輩専用の抱き枕になれますか?

last update 公開日: 2026-07-21 18:43:30

 白黒はっきりしない、男女のグレーな関係が割りと好き。

 そんな風に言える大人って、人生に余裕も猶予もあるのかな?

 朝起きたらね、憂先輩に後ろから抱きつかれて寝ていて、もう刈谷丸ごとどうにかなりそうだったよ?

 憂先輩がね、刈谷の上半身を抱きかかえて、耳元で寝息を立てているの。

 それがあまりに下心がみえない無防備な寝顔だったから、どきどきクラクラが、じわじわジンジンって。心臓が6センチ上ずって収縮しちゃった。

 割り切れない割り算には余りが出るのに、割り切れない私と憂先輩の仲には何かが不足していて。もどかしさばかりが不足部分を補っている。

 とりあえずもどかしい気持ちは予算申請書類と一緒に提出して、海外クライアントからの入金処理を行っていく。

 本日のレートにて為替換算されていく画面。

 パソコン画面には反射した自分の姿も映らないのに、なんでこの人の気配は察知できてしまうのだろう。

「刈谷さん!事件!事件だよ!」

 地味な経理部のフロア内に、一気に陽気なたんぽぽを咲かせる西洋風のスパダリ。

 きっとこの人がエレベーターを降りた瞬間から場の空気が変わるのだ。

 今男性社員に注意をしていた水樹みずきさんも、肩を回していた白河しらかわさんも動きが止まっている。

「お、おはようございます。朋政ともままさ課長。」

「おはよう刈谷さん!聞いてよ!昨日春風がね、電話で僕のこと間違えて“朋くん”って言ったんだよ?!」

「は、はあ」

「かわいくない?朋政先輩っていうところをさ、朋くん♡って!」

 なんでこの人いつもこんなに陽気なの? 光合成の燃費が良すぎるの??

 周りの女性陣の目は、2個1にこいちで朋政課長に釘付け。

 それもそのはず。彼こそが東のスパダリといわれている東京本部国際営業部課長の朋政青司ともまさあおし課長なのだ。

 ドライな憂先輩とは対照的。直属の部下たちからは鬼課長とも呼ばれている一方で、無関係の部署の人間にはこのように晴れやかな笑顔を振りまいているのだ。

 そして私の前では喜怒哀楽激しい。私の中ではゆるキャラ認定されつつある。         

「ねえ今日って春風はるか福間ふくまと女子会するの?」

「なんで知ってるんですか……」

「春風が久々に刈谷に会えるって喜んでたから!」

「はい、私もぱるるんとまゆゆと久々に会えるの嬉しいです!」

 そしてこの朋政課長、何を隠そう、現在六神むがみ君とお付き合い中の実来春風みらいはるかちゃんのことが大好き。

 皆の憧れの的であるスパダリが、片思いを包み隠すことなく公表しているのだ。

 ほらね、ゆるキャラみたいな愛おしさじゃない?

「ねえ、ちょっと休憩スペース行かない?」      

「へ?」

「この優しい課長からの奢りだよ?来るよね?!」

「……は、はあ。」

 陽気な朋政課長にて連行されようとしている私。しぶしぶ席を立つ。  

 経理部の事務室を出ていこうとすれば、周りの視線が四方八方より突き刺さる。ちくちくする気まずさは、真顔で対応すれば万事OK。

 私、今から朋政課長に大事な仕事の話をされに行くだけですから。って雰囲気が作れるから。

 エレベーターを通りすぎた奥にある自販機の前の休憩スペース。電子決済で缶のブラックコーヒーを決済してくれた課長。

 でもごめんなさい。私、コーヒー苦手なんです。 

「春風から僕のことなんか聞いてる?」

 缶の蓋を開けながらそう聞いてくる課長。

 短いソファに脚を組む姿が大変様になっていらっしゃる。このままCM出れそうですね。

「いえ、なにも?」

「えっなにも?!」

「はい? 特にぱるるんから課長の話は聞いたことないですけど。」

 今の今ままでカッコつけていた課長の風貌が、一気に鎮静される。項垂れながら額を抑えて、とても落ち込んでいる様子だ。忙しい人だなあ。

「……ここ数年、六神君から奪える可能性を計算してるんだけどね。あ、そういえば刈谷さん計算得意だったよね?」

「え、ええ。まあ。」

「いや違うんだよ。そういう話じゃなくってさ。これ、」

 そう言ってスーツのポケットから手紙らしきものを出してきた課長。ラブレターみたいな手紙に♡のシールが貼られていて、刈谷の身体は芯から底冷えした。 

       

「春風に渡しておいてくれる?あ、めちゃ大事な手紙だから、確実に渡しておいてね?」

「は、はあ。」

 課長から手紙を受け取り、宛名を見れば『愛しの春風へ』と書かれている。

 古風な愛の戦略に、やはりゆるキャラのような愛おしさを感じてしまった。

とも! あんたまたサボって女の子ナンパしてんの?!」

 その声で廊下を見れば、そこには総務部の古馬都こばとさんがいた。

 ゆれるミルクティーブラウンの髪を、大きなバレッタでハーフアップに留めた美女。ハーフのような顔立ちで、朋政課長にも負けないオーラがある女性だ。

「オツカレ古馬都ー。」

「あんたねえ! 私のデスクに好き勝手に書類置いてかないでよ!」

「ごめんごめーん。古馬都はデータよりも紙派だって原始的なこと言ってたからさあ。」

「そういうことじゃなくって! あんた人様の異動願い勝手に書いて通るとでも思ってんの?! 『六神千都世を世界の果てまで飛ばしたい』ってどんな事由よ?!」

「あはは! 自分で書いといてなんだけどウケるね。」

「ウケねーよ!」

 この間の飲み会で知った話なんだけど、実は朋政課長と古馬都さんは同期なんだって。研修中から犬猿の仲で有名だったらしく、今ではある意味ツーカーの仲なんだってさ。

「刈谷さん、朋に変なことされなかった?」

「は、はい。大丈夫です!」

「もし変なことされたらすぐ私に相談してね!」

「……は、はい。」

 古馬都さんが私に笑いかけてくれて、思わず硬直する。

 大人の女性の美しい笑顔。きっと自分には一生備わらないものだろうと、なんとなく落ち込んでしまった。

 勝手に比べて、勝手に自信喪失する刈谷。なんでこんなに卑屈で悲観的?

 完璧なものを前にすると、刈谷みたいな宇宙人は小さくなって丸くなりたい。ダンゴムシに憧れるタイミングはちょくちょく訪れるのだ。

「……古馬都さん、課長が会議室に来てくれって言ってましたよ。」

「うわっ、すぐるくんっ。びっくりしたー」

 え? いつの間に??

 気配がないままふわりと姿を現した憂先輩。

 おかしいなあ。朋政課長の気配はすぐに察知できるのに、憂先輩の気配は察知できなかった。

「わざわざ呼びに来てくれたの憂くん?ありがとう。」

「いえ。」

 満面の可愛い笑顔を放つ古馬都さん。

 でも憂先輩は、すんっとしたドライな表情で応対。相反する表情がなんとも異様で、ブラックジョークよりもファニー。      

「憂君、古馬都にセクハラされたら遠慮なく僕に相談してね!」

「はあ。」

朋政課長が立ち上がり、憂先輩の肩を叩いて言った。東のスパダリと西のスパダリの共演ってやつ。ブロードウェイにも負けてないよ。 

「っ! そんなところで反撃しないで!」

「これあげるから許して。」

「あんたの飲みかけのコーヒーなんて死んでもいらない」

 言い合いしながら、廊下を並んで帰っていく朋政課長と古馬都さん。ぶっちゃけ離婚秒読みのハリウッド俳優と女優みたい。

 憂先輩と二人の背中をハラハラと見守っていれば、ハッと気付いたように朋政課長が振り返った。

 そして早足で私の元にかけて来る。

『刈谷さん、くれぐれもその手紙頼んだよ?!春風によろしくね。』  

 こっそり耳打ちしてくる朋政課長。ラブレターと缶コーヒーを持ったままの私に、軽くウィンクをして帰って行った。      

 忙しい人だなあ。

 冷淡冷徹無表情な憂先輩。朋政課長のウィンクの前でも微動だにせず。

 さすが、西のスパダリ様です。

「爽ちゃん、朋政課長と仲ええの?」 

「え? いえ、」 

「それ、ラブレター? 会社で今時、凄い人やな。」

「ですよね。ウけますよね。」 

「受けるの?」 

「はい?」 

「そのラブレターの返事、受けるの?」

「……え? ああ、違いますよ! これは。」

 私はラブレターの宛名を憂先輩に見せた。 

 冷淡冷徹無表情な顔が、眉間にシワを寄せている。

「これは私の友達の春風ちゃんに向けたお手紙なんです。」

「……え、そうなん」 

「そうなんです。」

 ふふっと憂先輩を見上げて笑ってみせた。東のスパダリと言われている朋政課長が、彼氏持ちの女の子にラブレターなんて令和ショックですよねって。

 すると先輩が私の頬に触れて。指先が関節なりにしなる。先輩の指のお腹、やたら熱くって。とても冷淡さが感じられない。 

 くるりと瞳の奥が揺れる。先輩の指先が次第に刈谷の唇にきて。親指が乾いた唇をなぞった。

「爽ちゃん、」

「は、はいっ」

「ファーストキスって、いつ?」

「うぇっ」

 おもちゃにも似た声が不意に唇から漏れて、慌てて唇を閉じる。

 乾いている下唇が上唇にひっついて、舌先に湿気を求めるも。

 憂先輩にまだ頬を触れられているから、緊張のあまり舌先が迷子になった。

 右手にはぱるるんへの悲恋ラブレター、左手には飲まれない予定のCOSTA。

 両手が違和感だらけの中、憂先輩の切なげな顔が迫ったのは、突然のことだった。

「―――っ」

 私の唇にキスをした?

 キスをした。ようだーーー。

 胸とお腹が大きく前後に揺れ動く。身体の中が活発になっている11時。きっとあと4時間は胸とお腹がいっぱいだろう。

 どうせ夜女子会だし、お昼少な目にして夜沢山食べればいいよね。

 休憩所で呆然と立ちすくむ刈谷。でも頑張る刈谷。憂先輩の質問に、真摯に対応する。

「い、いまです!」 

「え?」

「初キス……今、でした…。 」

「……」

 憂先輩の指先が私から離れて、小さな咳払いをする先輩の…気管支。

 薄い色なのに色気のあるふにふにした唇。フニクリフニクラ。

 つい見惚れて、すぐに視線を反らす。意識しちゃう余韻がふにふに。

   

 憂先輩が自販機にICカードをかざして、コーンポタージュかホットレモネードのボタンを行ったり来たり。先輩の指がさまよう。

  

「社内にコンポタとか意味不明やな……」

 そう、自分で自分を納得させるように。確信を持つ指先がホットレモネードのボタンを押した。

 そして私の手に持つ缶コーヒーを一瞥して。隙だらけの左手から奪った先輩。代わりにホットレモネードの小さなペットボトルを渡してくれた。

「コーヒーの代打。」 

「へっ」

「えっと。じゃあ、彼氏持ちの春風ちゃんにラブレター渡すの頑張って?」

「え、あ、はい! ありがとうございます(?)」

 今度は大きく咳払いをした先輩。

 軽く手を上げ、私にサヨナラの挨拶をしてくれた。

 バイバイ……またお会いするその日まで。お仕事頑張りましょう。  

 このふにふにしたモヤモヤした気持ち。なんだろう。レモネードを両手で大切に持って、こくりと喉を鳴らす。

 先輩……、先輩が“春風ちゃん”って言った時。ちょっとだけ嫉妬しちゃいました。

 いや、きっとこのモヤモヤの原因はそこじゃない。そこじゃないんだよ27歳。

 先輩と知り合って約3年、先輩の家に泊まってから約1週間。刈谷爽、憂先輩に社内で突然キスをされてしまいました――――。

 今すぐアメリカンホラー映画を見て落ち着きたい。

 感情がばらばらで、事務室に帰って頭の中は散乱したままテンキーの数字をたたく。昨日よりもずっと円高。明日はきっともっと円高。海外から振込まれる時に限ってこれだ。

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