Mag-log in真子はスマホから耳を離すと、戸惑ったように綾を見つめた。 「どうしたの?」と、不安そうに自分を見つめ返している綾に、真子は、 「わからない。急に切れちゃった」 綾は、ホッとしたように息を吐いた。 それから、わざと眉間にしわを寄せると、 「出るなって忠告したのに、何で電話に出ちゃうかなあ」 不機嫌な綾に、真子は苦笑した。 「出ないわけにはいかないよ」 綾は眉を下げると、 「昔はあんなに優しい人だったのにね…」 瞬間、真子の脳裏に、かつての優しかった頃の麗子が浮かんだ。 美しく、凛とした麗子のその姿は、幼かった真子にとって憧れの存在だった。 麗子は息子には少々厳しかったが、それは彼に常識ある人間に育ってほしいという願いがあったからだった。 彼女が誰よりも息子を愛し、大切にしていたことを、周囲の人間は皆知っていた。 そう、門脇麗子という人物は、愛に溢れた人だったーー 愛に溢れた人、だったのだ。 それなのに。 「私たち親子のせいで、麗子さんは変わってしまった…」 真子の呟きに、綾は首を横に振ると、 「真子と真子のお母さんは別々の人間でしょう!お母さんの罪はお母さんのものであって、真子には関係ない!それなのに、お母さんの罪を真子に償わせようとするなんておかしいよ!そんなの絶対間違ってる!」 綾は変わらない。 真子の母親が犯した罪を知ったあの時も、綾だけは真子に罪はないと言ってくれた。 いや、もう一人。 小森も、当初から真子は何も悪くないと言ってくれていた。 けどーー 「それでも、たった一人の家族だから…」 真子は眉を下げて笑う。 数年前に父が亡くなってからというもの、真子にとって血の繋がった家族は母親だけだった。 そんな母親とは、とあることから、何年も連絡が取れていない。 割り切って考えられたのならどれほどラクだろうと思う。 けれど、唯一の肉親なのだと思うと、どうやったって切り捨てられなかったーー 「血は水よりも濃いって、本当だね…」 苦笑する真子を綾は抱きしめた。 「真子、そろそろ自分を許してあげよう?真子はもう十分苦しんだじゃない。お母さんの身代わりになるのは、もうやめようよ…」 綾が切実にそう訴えるも、真子はただ黙っているのだっ
「あんたって人間はどうしてそうも性根が腐ってるのよっ!あんなアバズレを母親に持ったのだから仕方ないとはいえ、恩を仇で返すような真似ばかりして…ほんと、忌々しいったらないわっ!」 麗子のその言葉に、司の顔が曇る。 あんなアバズレを母親に? まさか、母さんの電話の相手ってーー 「人の話を聞いてるのっ!清川真子っ!」 真子の名前を耳にした司は、素早く母親に近づくと、その手からスマホを奪い取った。 そして、そのまま通話を切る。 麗子は、信じられない、といったように目を見開いた。 「何するのよ、司っ!」 ヒステリックに声を上げる麗子に、司は感情的になるのを必死に抑えて、 「母さん、ここは病院なんだ。声を抑えて」 だが、麗子は「黙りなさいっ!」と言うと、司の頬を思いっきり引っ叩いた。 「あなたがちゃんとしてないせいよっ!あなたがそんなんだからいつまでもあの女がつけ上がるのよっ!」 ジンジンとした頬の痛みに加え、口の中には血の味が広がった。 そんな司に、彩花は慌ててベッドから降りると、彼のもとへ駆け寄った。 「大丈夫、司?」 彩花が心配そうに司の顔を覗き込むと、彼は力なく「ああ」と答えた。 彩花は麗子に向き直って、 「お義母さま、司はお義母さまのためを思って電話を切ったんです。ほら、最近血圧が高いと仰っていたじゃないですか。だから、どうか彼を許してあげてください」 涙を滲ませて訴える彩花に、麗子は困ったように眉を下げた。 その一方で、司は無表情に彩花の足を見つめている。 「こんな時でもあなたって子は、自分よりも人を優先するんだから…」 麗子は優しい手つきで、そっと彩花の頬に手を添えた。 だが次の瞬間、キッと厳しい目つきになると、その目で司を睨みつけ、 「こんなにも心優しい子を泣かせて、胸が痛まないのかい!まったく…あんたって子は、ろくでなしの父親にそっくりだよ!あのろくでなしの薄情男にねっ!」 瞬間、司の身体がピクリと反応した。 ろくでなしの父親に似て――。 麗子はいつもそうだった。 司が少しでも彼女の意にそぐわないことをすれば、決まって父親の存在を持ち出してくる。 ――あの薄情男の息子だから。 何かある度にそう罵られ、時には手を上げられてきた。 まるで司
彩花は、瞳を揺らしながら麗子の目を数秒見た後、顔を背けた。 まるで、何か言いたいことはあるものの、言うことをためらっているようなそぶりだった。 そんな彩花の様子に、麗子は眉間にしわを寄せると彼女に詰め寄った。 「彩花、私に何か言いたいことがあるんでしょう?何なの?どんなことでも、私にはちゃんと話してちょうだい!」 だが、それでも、彩花は唇を噛んで黙っている。 痺れを切らした麗子が「彩花っ!」と、少しばかり声を荒げると、彩花はやっと、おずおずと口を開いた。 「お義母さま、私…」 麗子は彩花の背中を優しくさすった。 「うん、大丈夫よ。ゆっくりでいいから、話してごらんなさい。あたしがちゃんと聞いててあげるからね」 彩花は、麗子の言葉に安心したのか、はらはらとその目から涙を流して、 「私、昨日もまた、会社でケガをしてしまったんです」 また、という部分に引っ掛かりを覚えた麗子だったが、うんうんと頷くだけで、彩花の話に大人しく耳を傾けた。 「昨日、会社の廊下を歩いていた時、床に倒れていたモップに気付かず、そのままそこに足が引っ掛かって、それで足を酷く挫いてしまったんです…」 彩花のその言葉に、彼女の背中をさすっていた麗子の手がぴたりと止まる。 「モップが、床に倒れていたの?」 彩花はまたも俯くと、か細い声で「はい」と答えた。 途端に麗子の身体がわなわなと震え出す。 「あの女なのね…」 麗子の問いかけに、彩花は黙りこくる。 答えないことが、むしろ答えとなり、麗子の怒りが爆発した。 「またあの女があなたをケガさせただなんて!許せない、許せないわっ!」 麗子は勢いよく立ち上がった。 「一度ならず二度までも…こんなことが偶然なわけがない。わざとなんだわ。あの女のことだもの!絶対わざとに決まっているわ!」 麗子はイライラとしたように爪を噛むと、部屋の中を行ったり来たりする。 彩花はそんな麗子を目に、唇の端を吊り上げた。 彩花の思惑通り、麗子はスマホを取り出すとどこかに電話を掛け始める。 しばらく呼び出し音が鳴った後、電話に出た相手に開口一番、 「さっさと出なさいよねっ!あんたごときが、あたしを待たせるんじゃないわよっ!」 真子は耳がキーンとなるのも我慢して、冷静な態度で挨拶を
真子は短く「うん」と頷いた後、 「けど、まさか門脇さんが私の分の入院費まで負担しようとしてくれたなんて思いもしなかった」 綾は厳しい顔になって、 「しようとしたただけ、ね?実際払ったわけじゃないし、何ならまた罰を与えるとかイカれたこと言い残して去ってったんだから、むしろあいつのやったことはマイナス!そこんとこ間違えちゃダメだよ!」 「うん、分かってる。ただ…」 前世では、退院後に会いに来てくれたのは綾と小森だけで、司は来なかった。というか、そもそも、彼がこのアパートを訪ねてきたことなど一度もなかった。 人生をやり直してたったの二日目で、もう既に起こることが大きく変わり始めている。 過去に起きたことと違うということは、これまでの記憶だけでは通用しないということ。 そうなると、その場その場で最善の判断を下していかなければならない。 けれど、前世で若くして亡くなっている以上、嫌でも最悪の可能性を考えてしまう。 判断を間違えれば、その先に待っているのはまたしても“死”なのではないか、と。 自分が死んだら、あの子たちに会える、という未来も同時に消えてしまうことになる。 それを回避するためにも、この人生において必ず出会わなければならないのが、あの子たちが言っていた、自分のラッキーパーソンだという人。 前世でも会っていたと言っていたが、一体誰のことを指しているのか現時点では全く見当がつかない。 そういえば確か、もう一つ何かヒントがあったはず。最後まで言えていなかったけれど、確かーー 「ただ、どうした?」 綾の声に、真子はハッとしたように我に返ると、視線を上げた。 「大丈夫?」 心配そうに顔を覗き込んでくる綾に、真子は「大丈夫」と、努めて明るく返す。 いけない、いけない…綾がいること忘れてた。 真子が、後でゆっくり頭の中を整理しよう、そう考えた直後だった。 真子のスマホの着信音が、リビングに響き渡る。 着信画面に表示された名前を目にした瞬間、真子と綾は同時に固まった。 二人は瞬時に目を合わせると、綾が真子に向かって、電話に出るな、というように首を振る。 だが、前世で嫌というほどこの人物の扱いを学んだ真子は、ぐっと唇を引き結ぶと、パッとスマホを掴んだ。 それを止めようとした綾の手が空を
「あー、ちょっと情報量多いかも…一旦整理させて」 煮込みうどんを食べながら、真子から今日一日の話を聞かせてもらっていた綾だったが、あまりの濃厚さに頭を抱えた。 隣の部屋の色気漂うオネエに始まり、昨日に引き続き現れた憎っくき存在、門脇司。 そして、見た目も中身もパーフェクトな、イケメン好青年、小森悠介(帰っちゃったのが残念)。 「相変わらずかっこよかったなあ…」 頬杖をつき、口からそうこぼす綾の横顔を目に、真子は愛おしそうに微笑んだ。 恋する乙女の顔というものは、どうしてこうもキラキラとしているのだろう。 自分を見てにこにこと笑っている真子に、綾はわかりやすく咳払いをして誤魔化した。 「んっと、まずは隣のオネエだね。真子がこの部屋に住み始めてから結構長いはずなのに、その人に会うのは今日が初めてだったの?」 うどんをすする真子の顔がまだニヤけていることに、綾はわざと目を細めて見つめ返す。 「集・中!」 真子は、ハハっと笑って、 「ごめんごめん。うん、会うのは初めてだと思う。私が朝は早くて、夜も遅いからか、お隣さんに限らずアパートの住民に会う機会がほとんどないんだよね。唯一、家賃を渡しに行く時に一階の大家さんに会うくらいかも」 「そっか、そっか。まあ、悪い人じゃなさそうなら安心だね。ちなみに名前は教えてもらったの?」 だが、真子はこの時、オネエの唇に付いていたピアスを思い出していたため、綾の話を最後まで聞いていなかった。 正直、あのピアスが目に入った瞬間、咄嗟に目を逸らしてしまった。 見慣れないものを目にして、どう反応していいのかがわからなかった。 理由はそれだけで、悪気があったわけではないのだけれどーー 「失礼だったよね…」 真子の呟きに、綾は「え?何て?」 「お隣のオネエさん、唇にピアスしてたんだけどね」 綾は興奮したように鼻の穴を膨らませた。 「何それ!唇ピアスとか、エロすぎでしょっ‼︎」 「え、エロ…」 「あ、ごめん。私の中で隣のオネエのイメージが勝手に浮かんでて。そのイメージのオネエに唇ピアス付けさせた結果、さっきの感想にいたりました」 暴走したことを恥じる綾に、真子は苦笑した。 「で?」 「で?ああ…で、見た瞬間、咄嗟に目を逸らしてしまって。失礼だったよ
「じゃあ、真子ちゃん。僕はそろそろ帰るね」 最後のゴミ袋を手に、小森はリビングを後にしようとする。 ゴミは明日、小森が直接ごみ収集場へ持って行ってくれることになった。 地域のゴミ回収の日を待つより、一気に捨ててしまったほうが真子の負担も軽くなる。 そう、気を遣ってくれてのことだった。 見送りに立ち上がろうとする真子を、小森は笑顔で制した。 真子は小森を真っ直ぐに見上げると、 「何から何までやってもらっちゃって…ありがとう、悠介くん。助かりました」 そう言って、小森に向かって頭を下げる。 小森は少し驚いたような顔をしたが、次に微笑むと、 「ううん、僕も真子ちゃんの役に立てたのならすごく嬉しい。これからも、何か困ったことがあったらいつでも僕を頼ってほしいな」 顔を上げた真子は、小森のその言葉に素直に「うん」と頷いた。 「うん」と返す小森の顔は、なぜか少し泣きそうだった。 小森は、真子から変に思われないよう注意しながら顔を背けると、 「真子ちゃんは、この後東城さんが来てくれて一緒に食事するんだったよね?」 「うん!だから、悠介くんも一緒に食べていけばいいのに。綾の作るご飯は絶品なんだよ?」 小森は申し訳なさそうに眉を下げた。 「そうしたいんだけど、この後ちょっと用事があって…せっかく誘ってくれたのにごめんね?」 真子は慌てて、 「用事あったの⁉︎それなのに、長々と引き留めちゃって、こっちこそごめんなさい。大丈夫?間に合う?」 小森は笑って、 「うん、間に合うから大丈夫だよ。じゃあ、行くね?お邪魔しました」 「ううん、ありがとう悠介くん。本調子になった時はぜひ、今日のお礼をさせてね!」 小森はその場で足を止めた。 そして、ゆっくりと真子に振り返る。 「真子ちゃん、やっぱり無理して退院したんだね」 そう聞こうかと思ったが、そう聞かれ、困る真子の顔が頭に浮かんだ。 だから、 「真子ちゃん。司くんはね、真子ちゃんの分の入院費も払おうとしていたんだよ」 「え…」 小森は苦笑した。 やっぱり。 はじめから彼女には、司くんから入院費を払ってもらおうなんて発想、微塵もなかった。 司くんも司くんで、今回も真子ちゃんから全然頼りにされていないだなんてーー







