共有

第298話

作者: ルーシー
もし新しい案件が見つからなければ、春日部グループのフィナンシャルは、そう長くはもたないだろう。

電話の向こうで、勝はまだ何か言おうとしていた。

だが、秋良はそれを遮り、そのまま通話を切った。

無機質な切断音が室内に響く。

玲奈は思わず口を開きかけたが、秋良が顔を上げ、先に言葉を放った。

「もう新しい取引先は見つけてある。

大手じゃないが、基盤を支えるには十分だ」

そして、静かに続けた。

「お前と智也は、もうすぐ離婚するんだろう。

会社が危機にあるのは事実だが、だからといって、お前が身を屈してまで智也と取引する必要はない。

あいつが手を差し伸べてきたのは、うちの会社の実力を認めたからじゃない」

玲奈は黙って俯いた。

秋良はそれ以上何も言わず、笑みを浮かべて口調を和らげた。

「さあ、食べよう。

この二日間のことは、もう終わったことだ」

玲奈は兄を見つめた。

それでも気がかりで、「兄さん、どこと契約したの?」と尋ねた。

秋良は箸を動かしながら答えた。

「宇宙関連の会社だ。

規模は中くらいだが、これでしばらくは持ち直せる」

「じゃあ、この二日間、ずっとその話で動いてたのね?」

「ああ」

短く答える兄の声。

その隣でずっと黙っていた綾乃が、その言葉を聞いた瞬間、ふいに目を赤くし、涙をこぼした。

「どうした?」

秋良がティッシュを差し出すと、綾乃は首を振り、震える声で言った。

「......なんでもないの。

ただね、あなたに嫁いでよかったって、心から思っただけよ」

秋良は彼女を抱き寄せ、穏やかにささやいた。

「俺だって、お前を妻にできたことが、いちばんの誇りだ」

こうして春日部家の危機は、ようやくひと息ついた。

玲奈の胸の奥にあった重い石も、少しだけ軽くなった。

そのころ、羽生家の邸宅。

珍しく、仲間たちが全員そろっていた。

真言はすでに寝室におり、リビングに残っているのは、颯真、拓海、明の三人だけだった。

テーブルの上には赤ワインのボトルと三つのグラス。

明は窓際で電話をしており、拓海はソファに沈み込み、颯真は背筋を伸ばして静かに座っていた。

ガラス越しに、窓の向こうで話す明の姿が映っている。

やがて電話が終わり、彼はグラスを持つ二人のもとへ戻ってきた。

拓海が身を起こし、焦ったように尋ねる。

この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター
コメント (1)
goodnovel comment avatar
ハチミツ
拓海気持ち悪い時もあるけど、陰で助けてあげるなんて、いい奴だ!!
すべてのコメントを表示

最新チャプター

  • これ以上は私でも我慢できません!   第322話

    翌朝。玲奈の目覚ましが鳴り終わったその直後、今度は電話のベルがけたたましく鳴り響いた。「......あと十分だけ寝よう」と思っていたところだったが、電話が鳴ってしまえばもう眠気など吹き飛んでしまう。画面を見もしないまま、通話ボタンを押した。受話口から聞こえてきたのは、智也のかすれた声だった。「......今日、愛莉を送ってくれないか」その一言に、玲奈は一気に目が覚めた。智也の声には疲れが滲んでいる。――きっと今、沙羅のそばにいるのだろう。彼女は反射的に拒絶した。「今日、大学の実習で病棟の回診があるの。送る時間なんてないわ」言い訳でもあり、本心でもあった。もうあの家のことに関わりたくなかった。しかし智也は続けた。「ここ数日はどうしても手が離せない。あと......夜は小燕邸に行って、愛莉の面倒を見てほしい。二、三日だけでいい」その言葉に、玲奈は思わず笑い出した。「手が離せないってどういう意味?仕事?それとも、おじいさんの介護?」智也はためらわずに言った。「沙羅が入院した。容態がまだ安定していない。付き添いが必要なんだ」玲奈は一瞬、黙った。そして、かすかに冷笑を浮かべた。「......じゃあ、そのために愛莉を放っておくの?」「放っておくつもりはない。ただ......手が回らないんだ」その言葉を聞いた瞬間、玲奈の胸に抑えきれない怒りが込み上げた。「智也、現実を見なさいよ。あなたにとって一番大事なのは誰なの?結局、沙羅を優先してるじゃない!」電話の向こうで智也が何かを言いかけたが、玲奈はもう聞く気がなかった。「言い訳なら愛莉にして。私に言っても無駄よ」吐き捨てるようにそう言って、通話を切った。――ぷつり。電話を終えたあと、玲奈の胸の中に残ったのは怒りとも悲しみともつかない重苦しい感情だった。仕事中も、その感情はずっと消えなかった。「......愛莉は、今どうしてるの?」表向きは突き放したものの、心の底ではやはり落ち着かない。愛莉は、自分が産んだ子。どんな事情があっても、放っておけるはずがない。智也も沙羅も家にいない――では、愛莉は?誰が面倒を見ているの?その問いが、玲奈の頭から離れなか

  • これ以上は私でも我慢できません!   第321話

    すでに夜は更け、時計の針は午前二時を回っていた。この時間に愛莉が自分から電話をかけてくる理由など、玲奈にはすぐに察しがついた。――ひとつは、体調を崩したとき。――もうひとつは、智也と沙羅が家にいないとき。そして、まさに今夜がその「もうひとつ」の場合だった。沙羅は怪我をし、智也は彼女を連れて病院へ行った。つまり、家には誰も残っていなかったのだ。玲奈はそう淡々と状況を言葉にしただけで、宮下や愛莉がどう思うかなど、気にも留めなかった。そのまま通話を切った。ぷつりと音が途切れ、受話器の向こうに残ったのは、虚しい「ツー、ツー」という信号音だけ。宮下は数秒間、携帯を耳に当てたまま動けなかった。彼女の記憶の中で、玲奈という人は、いつも智也や愛莉に献身的で、細やかに気を配る女性だった。けれど、今はもう違う。――それでも、宮下は玲奈を責める気にはなれなかった。こんな夫と娘では、彼女が心を閉ざしても無理はない。下働きの自分にできるのは、ただ黙って見守ることだけだった。携帯をしまったその瞬間、愛莉が再び泣き出した。ベッドの上で足をばたつかせ、声を張り上げる。「悪いママ!悪いママ!あんなママなんていらない!」宮下はため息をつきながら、その小さな背中を見つめた。――昔、玲奈が世話をしていたころの愛莉は、こんなにわがままを言う子ではなかった。最近は、どこで覚えてきたのか、反抗的な口の利き方まで身につけている。家の中で母親にこんな言葉を投げつけるようでは、外へ出たときどうなるのか。想像するだけで、胸が重くなった。その時、寝室の扉が開き、雅子が入ってきた。「宮下さん、どうしたの?」宮下は驚きながら答えた。「愛莉様が悪い夢を見たみたいで......」雅子は軽く頷くと、宮下の腕を取って後ろに下げた。「私があやすから、あなたはもう休んでちょうだい」「えっ......?」宮下は思わず間の抜けた声を上げた。雅子は優雅に腰をかがめ、泣きじゃくる愛莉を抱き上げた。そして振り返りざま、穏やかな笑みを浮かべる。「私は愛莉の本当のおばあちゃんよ。あなたも安心していいでしょう?」宮下は黙った。――確かに、愛莉は沙羅と雅子にべったりだ。自分があやすより、彼女たちの方が

  • これ以上は私でも我慢できません!   第320話

    玲奈は、拓海が車を再発進させようとする気配を感じ、慌ててドアを押し開けた。そのまま外に出て、道路脇に立ち止まる。運転席側の拓海が、助手席の窓を下げて声をかけた。「中に入るまで見てる。お前が無事に入ったら、俺も帰る」先ほどまでの軽薄な笑みは消えていた。残っていたのは、彼女に向けた一途なまなざしだけ。――けれど、そんな彼の二面性を、どうして信じられるだろう。玲奈は何も言わず、背を向けて歩き出した。そして玄関の灯りの下、春日部家の中へと消えていった。拓海はその後ろ姿を見送ると、深くシートにもたれかかった。疲れたように眉間を指で押さえ、ため息をひとつ落とす。静寂の中、彼はポケットから一本のタバコを取り出した。火をつけようとした――が、すぐに手を止めた。玲奈は、煙草の匂いを嫌う。そのことを思い出すと、彼は火をつけることすらできなかった。彼女の前では、自分の「ルール」なんて何の意味もない。彼の全ての線引きは、彼女の前で簡単に崩れてしまう。一方その頃、小燕邸。小さな寝室の中で、愛莉が突然泣き声を上げた。「うわああああん!」一階で洗い物を終えていた宮下は、その声を聞くなり慌てて階段を駆け上がった。部屋のドアを開けると、ベッドの上で愛莉が大泣きしている。「愛莉様、どうしたんです?」宮下は急いでベッドに近づき、抱き上げた。愛莉は泣きじゃくりながら、胸元に顔をうずめて言った。「宮下さん、パパもララちゃんも、あたしのこといらないって夢見たの......」宮下は優しく背中をさすりながら笑った。「そんなわけないですよ。智也さんも深津さんも、お誕生日会に行ってるだけですよ。すぐに帰ってきます」愛莉は涙をぽろぽろこぼしながら顔を上げた。「じゃあ、なんでまだ帰ってこないの?」宮下は壁の時計を見上げた。針はもう深夜二時を指している。――確かに、遅い。答えに困りながらも、彼女はどうにか笑ってみせた。「たぶん、帰りが少し遅くなってるだけですよ。いい子で待っていましょうね」愛莉は鼻をすすり、震える声で言った。「......パパに電話する」宮下はため息をつきつつ、電話をかけてやることにした。智也の携帯を鳴らしたが、いくら待っても応答はなかった。

  • これ以上は私でも我慢できません!   第319話

    拓海の笑みは、まるで人の心の奥に静かに染み込む毒のようだった。玲奈はその笑みを見つめながら、胸の奥が不意にざわめくのを感じた。――危ない。このままでは、彼の中に沈んでしまう。玲奈は慌てて顔を背け、一歩、彼から距離を取った。拓海という男が、あんな言葉を口にして、いったい何を求めているのか。彼女には分からなかった。けれど、信じてはいけない――そう思った。この世界は、真実と嘘が複雑に絡み合っている。信じた瞬間に傷つくのは、いつだって自分の方だ。玲奈は拓海から離れたが、彼の視線がなおも自分を追ってくるのを感じていた。やがてダンスが始まった。明も、智也も、薫も、それぞれにダンスの相手を見つけていた。玲奈は人の波の中に立ちながら、誰かに話しかけられても、ただ微笑みで応じるだけだった。踊る気など、初めからなかった。その傍らに、拓海が静かに立っていた。言葉を交わすことはない。ただ黙って、彼女のそばにいた。人の笑い声と音楽が満ちる会場。けれど、その華やかさは、玲奈にはどこまでも遠かった。彼女はまるで、別世界の傍観者のようだった。一方、沙羅はピアノの前に座り、鍵盤に指を落としていた。白いドレスが照明を受けて輝き、まるで光の輪に包まれているかのよう。その姿に視線を向ける人々の数は、増える一方だった。玲奈はふと、以前薫が言った言葉を思い出した。――「沙羅っていうのは、どこへ行っても成功できる女だ」あの言葉は、きっと本当だった。沙羅はどんな場所にいても、必ず注目を集める。玲奈は胸の奥に小さな痛みを抱えたまま、その場にいることが苦しくなった。外の空気を吸いたくて、そっと出口の方へ歩き出した――そのとき。鋭い悲鳴が、音楽を裂いた。玲奈は反射的に振り返る。視線の先で、智也がダンスの相手を突き放し、人々をかき分けて舞台へと走っていた。舞台上では、沙羅が倒れていた。天井の装飾の一部が外れ、彼女の頭上に落ちたのだ。白い身体が床に打ち付けられ、動かない。智也はすぐに彼女を抱き上げた。薫も駆け上がり、必死に呼びかける。「沙羅さん!」続いて明人も駆け寄り、声を震わせた。「沙羅!」智也は沙羅を抱えたまま冷静に指示を出す。「薫、義兄さん、車を出して

  • これ以上は私でも我慢できません!   第318話

    玲奈がまだ返事をしないうちに、明の差し出した手が、横から勢いよく弾かれた。驚いてそちらを見ると、そこに立っていたのは拓海だった。「......ケチ」明は眉をひそめ、ぼやくようにそう呟いた。一方、沙羅は舞台の上に置かれたグランドピアノを見つけた瞬間、足を止めていた。智也は彼女をダンスに誘おうと考えていたが、その言葉を口にする前に、沙羅が指先でピアノを示して尋ねた。「智也、あのピアノ......弾いてもいい?みんなの前で一曲だけ」智也はわずかに言葉を飲み込み、すぐに柔らかく笑った。「もちろん。お前の好きにすればいい」沙羅はうれしそうに頷き、ドレスの裾を軽く持ち上げながら舞台へと向かった。ピアノの前に立つと、彼女は一度だけ振り返り、智也の方を見て微笑んだ。その笑みは――智也に向けたものでもあり、拓海に向けたものでもあった。彼女の特技はピアノだ。この夜会の場で自分の才能を披露すれば、拓海の目にも止まるはず。そう信じて、彼女は鍵盤に手を置いた。智也は踊る相手を失い、しばらくその場に立ち尽くしていた。だがふと顔を上げたとき、視線の先にいたのは玲奈だった。わずかに逡巡したのち、智也は彼女のもとへ歩み寄る。その気配を察した拓海の身体が緊張する。智也が彼の前に立ち、玲奈へ手を差し出した。「......一曲、踊ってくれるか?」玲奈はその手を見た。長く整った指、白く滑らかな掌――昔、何度も触れたはずのその手。拓海は隣に立ったまま、何も言わなかった。ただ彼女を見つめ、智也と同じように、答えを待っていた。玲奈の沈黙が数秒続く。拓海の胸に、鋭い痛みが走った。――やはり、彼女は断れないのだろう。あれほど彼を愛していたのだから。智也もまた、彼女が拒むはずがないと思っていた。二人はまだ離婚していない。形式上は、まだ夫婦なのだ。明も薫も、興味深そうにその様子を見守っていた。玲奈がどちらを選ぶのか――空気が張り詰めたまま、時が止まる。そして、数秒の沈黙ののち。玲奈は、ゆっくりと手を伸ばした。周囲が息をのむ。だが次の瞬間――彼女の手は、智也の手を押し返した。「......新垣さん、ごめんなさい。私にはもう、踊る相手がいるの」その言葉

  • これ以上は私でも我慢できません!   第317話

    円卓の上には、さまざまな思惑が入り乱れていた。ただひとり冷静だったのは、洋と颯真――ふたりだけだった。まるでこの騒ぎの外側に立つ観察者のように、静かにグラスを傾けていた。一方、薫は、明があからさまに玲奈を庇っている様子に、思わず吹き出しそうになった。そして、堪えきれずに口を開く。「長谷川、お前、おかしくなったのか?そんなやつの相手、よくもできるよな」挑発めいた言葉にも、明は表情を変えなかった。むしろ意味ありげに、対面の沙羅をちらりと見てから、にやりと笑って言い返した。「おかしいのは、俺じゃなくてあんたの方だろ?――今の言葉、そっくり返してやるよ」薫のこめかみがぴくりと動き、ついに怒りを抑えきれなくなった。テーブルを勢いよく叩き、立ち上がりざまに低く怒鳴る。「長谷川!」だが明は、悠然としたまま椅子に座り続け、淡々と目を細めて返した。「どうした?やるつもりか?」一瞬で空気が張り詰めた。火花が散るような視線の応酬に、場の緊張は限界まで高まる。拓海はすぐに玲奈の肩を引き寄せ、庇うように身をかがめた。冷たい視線を対面の智也に向ける。智也は、薫の動きを察して、低い声で制した。「薫、ここで揉めるな」その一言に、薫は歯を食いしばりながらも、椅子へと腰を戻した。とはいえ、顔にはまだ怒りの色が残っている。今夜だけで二度も明に言い負かされたのだ。しかもここは三浦家の会場――好き勝手には暴れられない。明はそれを分かった上で、さらに一言、火に油を注ぐように呟いた。「......腰抜けめ」これ以上の一言はなかった。薫が何もできないと知っていて、わざと挑発する。怒り狂う相手を見て、明の胸の内は妙にすっきりしていた。その下で、颯真がテーブルの下からそっと明の腕を小突き、小声で注意する。「おい、喧嘩を売るのは反則だぞ。――相手の思うつぼだ」明は肩をすくめて、それ以上は何も言わなかった。そして、気まずい空気を和らげるように、彼は玲奈へ向き直り、明るい声を出した。「玲奈さん、拓海とここで待ってて。俺が小さいケーキ取ってきてやるよ」玲奈はそんな彼の気遣いがありがたく、にこりと笑い、「ありがとう」と穏やかに言った。その様子を見た沙羅は、足元でこっそり

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status