Masukそう言い終えると、智也は玲奈が不安にならないようにと、さらに誓いまで立てた。「約束する。今日、愛莉を連れ戻せなかったら――俺はお前の目の前で自分でけじめをつける」けれど、その言葉で玲奈の心が軽くなることはなかった。玲奈は冷ややかに笑うだけで、淡々と言う。「要らない。私たちはそれぞれで探す。それでいいわ」そう言い捨てると、玲奈は智也の腕の中から一歩退いた。智也はまた抱き留めようとして前へ出かけたが、玲奈が激しく拒んだ。「来ないで。お願い......本当に、もう近づかないで」そのお願いに智也は目を細め、伸ばしかけた手を引っ込めた。そして小さく宥める。「分かった。行かない。行かないから」玲奈の服は雨でぐっしょり濡れていた。けれど寒さなんて感じていない。胸を占めるのは、愛莉が見つからない恐怖だけだった。智也がようやく近づいてこなくなったのを確認すると、玲奈は踵を返して歩き出した。智也も追いかけようとした、そのとき。携帯が鳴った。勝からだ。病室を出た直後、智也は愛莉捜索を指示していた。だからこの電話は「見つかった」という報告だと思い、すぐに出た。だが受話口から聞こえたのは、沈んだ声だった。「新垣社長......まだ、娘さんは見つかっていません」智也は一気に顔色を変え、怒鳴りつける。「何やってんだ!子ども一人見つけられないで、何ができるんだよ!」どれだけ冷静になろうとしても、見つからないの一言で胸が嫌な音を立てた。――まさか、本当に何かあったんじゃないか。その考えがよぎった瞬間、胸の奥が重く、痛んだ。一方、玲奈は病院を飛び出し、雨に濡れるのも構わず愛莉を探し回った。数分もしないうちに、今度は玲奈のスマホが鳴った。智也からの連絡だと思った。「愛莉を見つけた」――そう告げる電話だと。けれど表示された名前は、拓海だった。玲奈は出なかった。だが拓海は何度もかけてくる。しつこいほどに。ついに玲奈は堪えきれず、通話に出た。怒る暇もないまま、相手の苛立った声が飛んでくる。「玲奈、何してんだよ?なんで出ない?調子に乗ってんのか?」矢継ぎ早の詰問に、玲奈の気分も最悪になった。数秒黙ったあと、玲奈は疲れ切った声で
玲奈が入院病棟を出て、外来棟のほうへ回ったとき、外はもう雨が降り始めていた。大粒ではないが、降り出しが急で、あっという間に地面が濡れていく。玲奈はまず院内を駆け回って愛莉を探した。けれどどこにもいない。それでも諦めきれず、今度は外へ出ることにした。雨が降っているのに、考える暇すらない。玲奈はそのまま雨の中へ飛び込んだ。雨に打たれ、顔を伝うものが涙なのか雨水なのか、自分でも分からない。目を真っ赤にして、玲奈は愛莉の名前を叫び続けた。返事がなくても、何度でも、何度でも。焦りが限界を超え、通報のことすら頭から抜け落ちていた。愛莉の痕跡を見逃すのが怖くて、草むらさえ避けられない。花壇の縁をかき分け、手が泥で汚れても構わず探し続けた。そのころ智也が入院病棟から出てくると、目に入ったのは、花壇を必死に掘り返す玲奈の姿だった。同時に、途切れ途切れの小さな呟きも耳に届く。「愛莉......もうママを困らせないで......早く出てきて。見つからないと、ママ......気が狂いそう......」声は明らかに嗚咽を含んでいた。智也は胸がちくりと痛み、見ていられなくなって雨の中へ駆け込んだ。玲奈の手首を掴む。「玲奈、愛莉はここにはいない」雨で視界が滲む。智也は目を細め、玲奈の横顔を見つめた。玲奈は振り向いて智也を睨みつけた。恨みと怒りが、そのまま顔に出ている。だが玲奈が言葉を吐き出す前に、智也が掠れた声で言った。「こうしてないで、通報しよう」その瞬間、玲奈は一度まばたきをし、堰を切ったように涙をこぼした。声を張り上げ、智也に怒鳴りつける。「じゃあ、あなたがすればいいでしょ!なんで私に言うの!」智也は一歩近づき、玲奈をそっと抱き寄せた。頭を低く落として囁く。「落ち着いて。きっと大丈夫だ」「きっと?」その言葉を聞いた瞬間、玲奈の心臓が誰かに握り潰されたように痛んだ。玲奈は乱暴に智也を突き放し、怒鳴る。「きっとって何!愛莉を見つけてもいないのに、何を根拠にそんなこと言えるの?何様なの?」声を振り絞るほどに、首筋の血管が浮き、目は血が滲むみたいに赤い。智也は玲奈の涙を見て、胸がぐしゃりと痛んだ。言い返す言葉を探すより先に、玲奈
病室の前の廊下で、玲奈は長椅子に座っていた。雅子は病室の入口に立ったまま、落ち着かない様子で中を窺っている。今夜は妙に静かだった。いつもの嫌味も、ねじれた言い方もない。ただ、何かを怯えるような顔をしている。玲奈は首をかしげた。面倒くさくて話す気がないだけなのか。そう思いかけた、そのとき——病室の中から、沙羅の声が聞こえた。「愛莉が......いなくなったの......」その言葉を聞いた瞬間、玲奈の体が硬直した。頭で理解するより先に、身体が動いた。玲奈は病室へ駆け込むと、智也が目の前にいようが構わず、沙羅を睨みつけて荒い声で詰め寄った。「愛莉はあなたのところに付き添ってたんでしょ?どうしていなくなるなんてことが起きるの!」沙羅も今は体裁を取り繕う余裕がない。必死に言い訳するように答えた。「愛莉が、自分で言い出したの。果物を買ってくるって。私は止めたのに......でも、どうしても行くって聞かなくて。それで出ていってから、戻ってこなくて......」玲奈の声は冷えきっていた。「いつからいないの?」沙羅は目を伏せ、言葉を探す。それが誤魔化しだと分かって、玲奈の苛立ちはさらに跳ね上がった。「沙羅。嘘つかないで。正直に言って」追い詰められた沙羅は、ようやく口を割った。「......三......いえ、一時間前」だが、その一時間すら短く見せた数字だった。愛莉が病室を出てから、実際にはもう何時間も経っている。玲奈がさらに鋭い視線を向けると、沙羅は声を震わせながら訂正した。「ごめん。三時間......前」三時間。玲奈の中で何かが切れた。「三時間......?」顔から血の気が引き、逆に目だけが赤く燃える。母親として、今この瞬間、何だってできる気がした。玲奈は沙羅に顔を近づけ、低い声で言い切った。「沙羅。もし愛莉に何かあったら......私は絶対にあなたを許さない」その言葉は脅しではなく、誓いだった。智也はベッド脇に座ったまま、同じように顔色を変えていたが、沙羅に向かっては何も言わなかった。けれど玲奈は、智也も同罪だと切り捨てる。玲奈は振り返り、智也を睨んだ。「智也、あなたも同じ。愛莉に何かあったら.
雅子は、沙羅が汗だくで取り乱しているのを見て、ようやく事の重大さに気づいた。そもそも雅子は愛莉が好きではなかったから、沙羅が「出ていったきり戻らない」と言っても、最初は大して気にしていなかった。だが、もう夜の十時を回りかけている。――まさか、本当に何かあったのでは?ここに来て、雅子も顔色を変えた。沙羅に頼まれるまま、雅子は慌ただしく病院を飛び出した。ところが二十分ほどして、雅子は汗だくで病室へ駆け戻ってきた。しかも、ひとりで。愛莉がいないのを見た瞬間、沙羅の喉元に引っかかっていた不安が、一気にせり上がる。「お母さん......どう?まだ見つからないの?」沙羅はベッドの背もたれに寄りかかり、青い顔で問いかけた。雅子はコップを掴むと、水を二口、がぶ飲みしてから首を振る。「......うん。病院中探したけど、どこにもいない」沙羅は焦りで額を叩き、声を震わせた。「まさか、本当に何かあったんじゃ......愛莉に何かあったって分かったら、智也は私を許さない......結婚の話だって、なくなる......!」沙羅の怯えきった様子に、雅子はたまらず抱き寄せ、背中をさすって宥めた。「沙羅、あなたのせいじゃない。愛莉はあの二人の子なんだから、親が面倒を見るのが筋でしょ。それにあなたは足を怪我してる。病人が、別の世話される側まで見るなんて無理よ」そう言われても、沙羅の不安は消えない。「でも......あの子、私を看病するって言って残ったんだよ。だから......」雅子は冷たい顔で遮った。「看病?笑わせないで。あの子は、いないほうがよっぽど迷惑がない」沙羅はなおも落ち着かず、必死に頼み込む。「お願い、お母さん......もう一度探して。お願い」雅子は断りかけたが、沙羅の必死さに押され、渋々うなずいた。「......分かった」立ち上がって病室のドアへ向かい、取っ手に手をかけた、その瞬間。扉を開けた雅子は、外から入ってきた智也とぶつかりそうになった。智也は反射的に身を引き、雅子はよろめきながらも体勢を立て直す。相手が智也だと分かった途端、雅子は明らかに動揺した。それでも声を絞り出す。「......智也なのね」智也は、目を泳がせ
玲奈が「愛莉を迎えに行こう」と自分から言い出したのを聞き、智也の顔には笑みが浮かんだ。そして嬉しそうに言った。「やっぱり、母親のお前は気が利くな」その言葉が、玲奈の胸をちくりと刺した。——笑いたくなる。かつて智也は、彼女に「お前は母親に向いていない」と言い放ったのに。真実と嘘が混ざり合う言葉の中で、いったいどれが本音なのか。玲奈は何も返さなかった。返事がないことなど気にした様子もなく、智也はそのまま勝との通話を続ける。一方、玲奈のスマホにはラインの未読が十件以上溜まっていた。開くと、拓海からの連投だった。【玲奈、お前がクズだ】【クズ、クズ。お前はクズだ】【聞いてんのか?】【とぼけんな】【智也の前にいるからって返さないつもりか?今すぐ小燕邸に乗り込んでやるぞ】【?】【返事しろ。返さないと本気で怒る】【もう一度言う。あいつに触らせるな。離婚のために我慢してるって言っても、俺はもう認めない】【聞いてんのか?】そのあとも拓海は何度か電話をかけてきた。玲奈はマナーモードにしていたため、智也は気づかない。着信をいくつか切ってから、玲奈はようやくメッセージを返した。【分かった。もう送らないで】拓海は即レスする。【さっき何してた?】玲奈は短く返す。【何もしてない】拓海は釘を刺してきた。【いいか、言うこと聞けよ。智也のあのクソ野郎に触らせるな】玲奈が【うん】とだけ返した、その瞬間。智也がふいに顔を寄せてきた。気配を感じ、玲奈は慌てて画面を消した。こそこそした様子から、智也は誰かとやり取りしているのだと察した。相手が拓海かどうかは、確信できない。だが智也は怒らなかった。むしろ、にやりと笑って玲奈の目を覗き込む。「そんなに顔赤くして。......また俺に隠し事か?」玲奈は顔を背け、答えない。智也もそれ以上は迫らなかった。少し考えたあと、今度は沙羅に電話をかける。向こうはほとんど秒で出た。沙羅の弾む声が響く。「智也?病院に来てくれるの?」智也は淡々と答える。「ああ」そしてすぐ、付け足した。「それと、愛莉に支度させておけ。俺が連れて帰る。明日も幼稚園だろ」沙羅
結婚してから今日まで、祖父の前で仲のいい夫婦を演じるとき以外、智也が玲奈をこんなふうに呼んだことはなかった。その「玲奈」という一言を耳にした瞬間、玲奈の胸はずしんと重く沈んだ。拓海もその呼び方を聞いて、顔色が一気に陰った。次の瞬間、彼は智也に向かって大声で怒鳴りつける。「智也!気持ち悪ぃんだよ!」智也は拓海の焦った声を聞いても、聞こえなかったみたいに振る舞った。顎を上げ、玲奈を連れて傲然とその場を去っていく。その姿はまるで、勝ち戦でも終えたみたいだった。得意げな表情が、やけに腹立たしいほどに映る。玲奈が階段を下りながら、横目で拓海を見た。怒っている。苛立っている。けれど、拓海は動かなかった。玲奈は胸の奥がちくりと痛み、申し訳なさが込み上げた。口を開きかけたが、隣に智也がいると思うと、結局なにも言えなかった。智也に引かれるまま車へ向かい、後部座席に乗せられる直前、玲奈はもう一度、拓海のいた場所を振り返った。拓海もこちらへ顔を向け、深い視線で見返してくる。視線がぶつかった、その一瞬――拓海が玲奈に向けて、ウィンクした。たったそれだけで、玲奈の心臓が一拍、抜け落ちた気がした。拓海は顔もいい。背も高い。金もある。何より、女の心をくすぐるやり方を知っている。玲奈でさえ、あの仕草に簡単に揺さぶられてしまう。智也は酒を飲んでいたため、代行運転を呼んでいた。だから二人とも後部座席へ座った。智也が乗り込むとき、身体を寄せて玲奈を覆い、空気の中で交わっていた視線を遮った。ほどなく車は走り出す。智也は横目で玲奈を見た。彼女の顔に波風がないのが、かえって胸に刺さる。自分は勝ったつもりでも、玲奈の心は動いていない――そんなふうに見えたからだ。そのとき、智也のスマホが鳴った。勝からの電話だ。智也は通話に出ると、玲奈に意識を向けなくなった。同時に、玲奈のスマホにもラインの通知が入った。画面を見ると、拓海からだった。開くと、メッセージが表示された。【玲奈。今夜は早く帰ってこい。一緒に寝たい】玲奈の胸が、どくんと二度跳ねた。だが、彼女はすぐに打ち込み返す。【沙羅は病院にいるわ】拓海からの返信はすぐだった。【?】玲奈はは
「......須賀君からのものだと思う」玲奈が正直に答えると、秋良の顔が一変した。「玲奈、お前......これがどれほどの値打ちか、わかっているのか?」玲奈は首を横に振った。秋良は険しい声で続ける。「昨日、お前の義理の姉を連れてファッションショーに行ったんだ。終わった後にオークションがあってな――その時、このブレスレットを拓海が競り落としていた。いきなり40億と叫んで、他の人に有無言わせず落札し、そのまま持ち帰ったんだ」玲奈は息を呑み、心がざわついた。必死に気持ちを落ち着け、ブレスレットをしまうと兄に言った。「兄さん、私返してくるわ。直接会って、ちゃ
愛莉は視線を落とし、小さな声で「わかった」と呟いた。肩を落としたまま台所を離れ、リビングのソファに腰を下ろす。この数日、沙羅は顔を見せていない。そのことで愛莉は内心不満を抱いていた。もし父と沙羅の困りごとを自分が解決できたら、きっとふたりとも時間を作って、また自分のそばにいてくれるはず――そう思っていたのだ。だが母は首を縦に振らなかった。――ママ、変わってしまった。そんな思いが芽生え、ソファに小さく縮こまる。胸の奥まで沈んでいくように気持ちが塞いでいった。台所からそれを眺めていた玲奈は、胸の奥に苦い笑みを浮かべる。自分の頼みを断られるや、娘は仮面すら被ろ
二分後、玲奈はホテルのドアを開いた。智也は振り返ることもなく、ただ大股で廊下の奥へと歩き出す。歩みながら低く言い放った。「......ついて来い」その声音には喜怒も哀しみも混じらず、何を考えているのか一切読めない。玲奈にできることは、ただ黙って彼の背に従うことだけだった。廊下の突き当たりで智也は階段室の扉を押し開け、中に入った。玲奈もあとを追うと、背後で扉が閉ざされた。智也は入口に立ち塞がり、まるで拓海を中へ入れぬようにしていた。すべてを目の前で見せつけられた玲奈の胸は、驚きと恐れで押し潰されそうだった。結婚して五年。彼を愛し、敬い、離婚を考えたとき
昂輝が手術を終えてからは、玲奈のもとに煩わしい頼み事を持ち込む者はもう現れず、彼女の生活はようやく平穏を取り戻しつつあった。三日ほどが過ぎたある日、玲奈は珍しく早く仕事を終え、久しぶりに春日部家へ戻って家族に夕食を作ってあげようと張り切っていた。台所で半時間ばかり下ごしらえを終えた頃、玄関から陽葵が声を張り上げる。「おばちゃん、荷物届いてたよ。持ってきた!」玲奈がキッチンから顔を出すと、陽葵は箱を抱えてダイニングテーブルに置いたところだった。包装は洒落ていて、一目で拓海の差し金だとわかった。ここしばらくは昂輝のことで頭がいっぱいで、玲奈は彼の存在を忘れかけていた。







