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悠斗は病院の入口で私を待っていた。彼は本当ならやるべきことが山ほどあるはずなのに、それでも半日時間を空けて、私を迎えに来てくれた。彼は手を伸ばして、私を腕の中へ引き寄せた。その仕草は、あまりにも自然だった。「もう二度と、あの二人に会わないでほしい。君がそんなふうに傷つくのを見ていられない」私は自分を指さして、笑った。「私、傷ついているように見える?」彼はしばらく私の顔を見つめてから、笑って首を横に振った。私は彼の手にそっと触れた。「心配してくれてありがとう。でも、あの二人のことで、もう傷ついたりしないから」悠斗は私の手を取り、そっと指を絡めた。「琴音ちゃん、俺は芝居の夫で終わりたくない。だから……離婚しないでほしい」私たちの当初の計画では、まず離婚することになっていた。世間では夫婦のふりを続け、何年か経ってから両親に離婚したと伝えるつもりだった。私だって、彼とやり直す可能性を考えなかったわけではない。けれど、あまりにもいろいろなことがありすぎて、私はもう心も体も疲れ果てていた。すぐに新しい恋を始められる状態ではなかった。玲司との関係で受けた傷から立ち直る時間が必要だった。悠斗との気持ちを整理する時間も必要だった。軽い気持ちで始めたくなかった。それは私にとっても、彼にとっても不公平だから。私は自分の考えを、正直に悠斗へ伝えた。それでも離婚するつもりだと知ると、彼は少し寂しそうにした。けれど最後には、私の選択を尊重してくれた。彼は言った。「琴音ちゃん、時間はまだいくらでもある。俺はゆっくり待てるよ。君がその気になってくれる日まで」玲司と再び会ったのは、あるチャリティーパーティーだった。私は悠斗の妻として招待されていた。彼に手を取られて入場した瞬間、会場中の視線が私たちに集まった。そして私は、玲司を見つけた。彼はずいぶんやつれていた。以前の自信に満ちた長谷川社長とは、まるで別人のようだった。彼は私のほうへ歩いてきた。彼の目は期待に揺れ、声もひどく高ぶっていた。「琴音、俺は紗良と離婚した。子どもも、もういない。これでやっと、俺たちはやり直せる……」私は玲司の言葉を遮り、一つひとつ区切るように告げた。「玲司、私はもう結婚しているの」「そんなの
そこで、私はようやく現実に引き戻された。涙を拭おうとしたそのとき、背後から誰かに抱きしめられた。「どうして泣いてる?」私はすぐに言い返した。「泣いてない」悠斗は私の肩をそっとつかんで振り向かせ、指先で涙を拭ってくれた。けれど彼が優しくすればするほど、私はますます激しく泣いてしまった。最後には、悠斗は私を腕の中に抱き込み、思いきり泣かせてくれた。その夜、私は書いておいた退職届を玲司の秘書経由で会社に送り、正式に退職を申し出た。退職届を送って数分もしないうちに、玲司から電話がかかってきた。私は切った。彼はまたかけてきた。私はまた切った。それでも彼はかけてくる。最後に、私は彼の番号を着信拒否にした。彼は続けてメッセージを送ってきた。【琴音、俺が悪かった。頼むから、もう一度だけチャンスをくれ。退職しないでくれ】【琴音、よく分かったんだ。お前が他の男と結婚したことなんて気にしない。お前が子どもを産めるかどうかも気にしない。俺に必要なのはお前だけだ】【お前も離婚すれば、これでおあいこだろ。もう一度やり直そう】私は返事をせず、メッセージアプリでも彼をブロックした。彼は、私が子どもを産めなくても構わないと言った。そのくせ、紗良のお腹の子だけは何が何でも守ろうとしていた。後悔したくない、とまで言って。彼は、私が他の男と結婚しても構わないと言った。そのくせ、私の過去を持ち出して一番痛いところをえぐり、傷物だと罵った。軽い謝罪の言葉をいくつか並べれば、私の傷が癒えて、許してもらえると本気で思っているのだ。あまりにも甘い。玲司はどこで新居の住所を聞きつけたのか、新居の前で私を待ち伏せしていた。私を見るなり、彼は泣いた。「琴音、どうすれば許してくれる?お前の退職なんて認めない。俺たちは五年も一緒にいたんだぞ。何もなかった俺がここまで来られたのは、お前がずっとそばにいてくれたからだ。俺にはお前が必要なんだ」彼は一歩踏み出し、私の手首をつかんだ。その目には、もう愛情ではなく執着が宿っていた。「お前だって、まだ俺のことを愛してるんだろ。今は意地を張ってるだけだ。殴ってもいい、罵ってもいい。お前が俺のそばに戻ってきてくれるなら、それでいい」そう言うなり、彼は私の手をつかんだまま、自分の
結婚式が終わると、悠斗は私を新居へ連れて行った。私の芝居に付き合うために、彼はわざわざ邸宅まで用意し、そこを「新居」にしてくれていた。邸宅の内装はとても洗練されていて、私の好きな雰囲気だった。リビングには赤いバラの花束が飾られていて、一枚のカードが添えられていた。カードを開くと、見覚えのある字が並んでいた。【ごめん。迎えに来るのが遅くなった――悠斗】彼は、十九歳だったあの頃の自分として謝っていた。目にたまっていた涙が、もうこらえきれず、ぽろぽろとこぼれ落ちた。悲しいわけでも、悔しいわけでもない。ただ、言葉にできない胸の痛みがあった。私の元恋人は、ほかでもない悠斗だった。十九歳のあの頃、私たちは周りが見えなくなるほど恋に落ちていた。彼は生まれながらにすべてを持つ御曹司で、私はごく普通の会社員の家庭に育った娘だった。彼は私の初恋で、私も彼の初恋だった。彼と過ごした日々は、私の人生で一番幸せな時間だった。悠斗は毎日、授業が終わる時間に合わせて教室の外で待っていてくれた。図書館へ行くたび、彼はいつも先に二人分の席を取っておき、そのくせ一晩中本も読まず、向かい側に座って私を見つめ、ばかみたいに笑っていた。一日中授業をさぼって、私の通院に付き添ってくれたこともあれば、真夜中の二時に起きて、私をドライブへ連れ出してくれたこともある。彼は私と一緒にたくさんの無茶をして、私のくだらないわがままを全部かなえてくれた。私はよく、私たちは最後まで一緒にいられないのではないかと不安になった。けれど彼は言った。「琴音ちゃん、俺たちは絶対に結婚する」でも有栖川家が、一人息子と家柄の釣り合わない娘との結婚を認めるはずがなかった。悠斗の母は一度ならず私に会いに来て、まとまった金額を提示し、自分から悠斗と別れるよう迫った。私はそのたびに断った。私たちなら、最後まで乗り越えられると思っていた。大学二年のとき、悠斗が強引に海外へ送られるまでは。彼はパスポートを取り上げられ、スマホも没収され、私に別れを告げる機会すら与えられなかった。私たちは完全に連絡を絶たれた。その頃の私はつらくて、毎日のように泣いていた。悠斗の母は再び私に連絡してきて、釘を刺した。私では悠斗に釣り合わないこと、彼に
悠斗に唇を重ねられた瞬間、私は彼を拒まなかった。キスが終わると、私はゆっくり顔を上げ、客席へ視線を向けた。参列者たちの人垣の向こう、ホールの入口に立ち尽くす玲司が見えた。ウェディングマーチだけが、何事もなかったかのように会場に流れ続けていた。私と玲司は人波を挟んだまま、赤くなった目で互いを見つめ合った。どれほど時間が経ったのか分からない。玲司がようやく足を踏み出した。彼は人混みをかき分けて祭壇の前まで来ると、信じられないという目で私を見た。「琴音、正気か?お前の夫は俺だろ。なのに、どうして他の男と結婚なんかできるんだ!」悠斗は私を背中にかばい、玲司を冷ややかに見据えた。「夫?別の女と籍を入れておいて、よくそんなことが言えるな。お前に琴音ちゃんの夫を名乗る資格なんてない」玲司は駆け寄って私の手首をつかみ、かすれた声で言った。「琴音、もう少しだけ待ってくれ。子どもが生まれたら、紗良とは離婚するから……」悠斗がすかさず彼の手首をつかむと、玲司は痛みに顔をゆがめた。「離せ。琴音ちゃんに触れる資格はない」悠斗は玲司の顔に拳を叩き込むと、続けて襟をつかみ上げ、何度も殴りつけた。二人はあっという間にもみ合いになった。けれど最後には、玲司が床に叩きつけられるように倒れ込んだ。彼は荒い息を吐きながら、それでも何度も私の名前を呼んだ。「琴音、お前は俺の婚約者だ。俺のものなんだ!」私は悠斗の背後から出て、彼を見下ろした。五年の恋。二年分の嘘。そして、愛のために飛び続けた百枚以上の航空券。そのすべてが、今この一言に変わった。「玲司、私たちはもう別れたの。今の私の夫は有栖川悠斗よ」玲司は目を大きく見開いた。唇を震わせ、かすれた声で言った。「琴音、前に言ったことは全部、腹立ちまぎれだったんだ。婚約を破棄するつもりなんて、本当になかった」私は冷たく返した。「でも、もう無理。あなたとは結婚できない。私に隠れて、二年も紗良と関係を続けていたんでしょう。子どもまで作って、籍まで入れて。それだけじゃない。私が一番触れられたくない過去を持ち出して傷物だって罵って、あなた以外には誰にも相手にされないとまで言った。五年間、私は本気であなたを愛してた。その結果がこれなら、あなたみたいな男と結婚する理由
数十台のマイバッハが、道路脇に一斉に停まった。車のドアが開き、長身の男が私へ駆け寄って、私を腕の中に抱き込んだ。「琴音ちゃん、ごめん。迎えに来るのが遅くなった」……十数分後、玲司は病院に駆け込んできた。彼は血相を変えて救急外来へ飛び込んだ。けれどそこで見たのは、廊下の椅子に座っている無傷の紗良だった。玲司はほっと息をつき、彼女に尋ねた。「事故に遭ったって言ってなかったか?」紗良は両手を伸ばして彼にしがみつき、視線を泳がせた。「私……怖くてたまらなかったの。あなたにそばにいてほしくて。車を少し擦られただけで、大したことはないの」玲司は固まった。ふいに、琴音の顔を伝っていた血を思い出した。車から飛び降りたときの、あの決然とした後ろ姿を思い出した。地面に叩きつけられた瞬間、きっとひどく痛かったはずだ。足元からぞっとするような寒気がせり上がり、全身の血の気が引いていった。紗良は玲司の様子がおかしいことに気づき、彼の腕にすがってすすり泣いた。「玲司、ごめんなさい。私のせいで、今日の結婚式まで台なしにしてしまって……」「結婚式」という言葉を聞いた瞬間、玲司は彼女の手を振り払った。彼はスマホを取り出し、すぐに琴音へ電話をかけた。けれど聞こえてきたのは、「おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため、かかりません」という案内だけだった。彼は十数回続けてかけたが、どれも電源が切れていた。そのときになってようやく気づいた。琴音は今回、本気なのだ。ただ拗ねているわけではない。彼が言ったあの言葉は、結局彼女を深く傷つけてしまったのだ。玲司はもうじっとしていられなかった。踵を返し、病院を飛び出そうとした。紗良が慌てて彼をつかんだ。「玲司、私、まだ怖いの。そばにいてくれない?琴音ちゃんは今、怒っているだけよ。彼女の気が済んだら、一緒に謝りに行けばいいじゃない」玲司は彼女の手を引きはがした。その目は赤くなっていた。「紗良、俺はお前のところへ行くために、琴音を追い詰めた。あいつは車から飛び降りて、大怪我をしたんだ。そのうえ、別の男に連れていかれた。今すぐ探しに行かないと、本当に取り返しがつかなくなる」紗良はゆっくりと手を離した。その声は、ひどく小さかった。
その夜、私はすぐに帰国した。飛行機を降りるとすぐ、私はあの人にメッセージを送った。【帰ってきた。明日、婚姻届を出そう】相手からはすぐに返事が来た。【わかった】当初、玲司は結婚式に関するすべてを私に丸投げしていた。仕事が忙しいから、全部私が決めていいと言っていた。だから私は勝手に、新郎を替えた。結婚式当日。ウェディングドレスを着て階下へ降りると、黒いブライダルカーが家の前に停まっていた。なんと玲司が、いつの間にか戻ってきていた。手には赤いバラの花束を抱えている。その表情はあの日より柔らかく、どこか緊張すらしていた。「琴音、この前のことは俺が悪かった。今日は何でもお前の言うとおりにする。式が無事に終わるように俺も合わせる。それでいいだろ?」私が答える前に、彼は勝手に話を続けた。「でも約束してほしい。これから紗良を困らせないって。紗良は今でも、お前のことを親友だと思っているんだ」その言い方は、まるで譲ってやっているとでも言いたげだった。結局のところ、何より紗良のためなのだ。私はただ静かに首を横に振った。「必要ない」玲司は私がまだ意地を張っていると思ったのか、眉をひそめ、私の手首をつかんで車へ引きずっていった。「行くぞ」「玲司、離して……」彼は聞く耳を持たず、強引な動きで私を車に押し込んだ。私は必死に窓を叩いた。「玲司、早く降ろして!」「琴音、今日は俺たちの結婚式だろ。そこまでみっともない騒ぎにするつもりか?」「玲司、あなたは勘違いしてる。新郎は……」私が言いかけたそのとき、玲司のスマホが鳴った。紗良の泣き声が、私の声をかき消した。「玲司、車をぶつけられたの。怖いよ。赤ちゃん、大丈夫かな……」玲司の顔色が一瞬で変わった。「すぐ行く!」彼は勢いよくハンドルを切り、車は急旋回して、そのまま猛スピードで走り出した。悲しみと怒りが、一気に胸の奥から込み上げてきた。私は力いっぱい窓を叩き、手のひらが赤くなるほど叩き続けた。「玲司、降ろして。私は式場に行くの!」玲司は眉間に深いしわを寄せ、私に怒鳴った。「紗良が事故に遭ったんだぞ。それでもまだ式なんか挙げるつもりか?今日の結婚式は中止だ。親友が事故に遭ったのに、心配の一つもしないのか。そ