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さよならを手紙にかえて
さよならを手紙にかえて
作者: リンゴ

第1話

作者: リンゴ
ただ神宮寺楓(じんぐうじ かえで)(旧姓:桜庭)がSNSに投稿した写真に、たまたま月城美波(つきしろ みなみ)のペットの犬が発情している様子が映っていただけで、楓はAIで誰でも抱ける女のように加工された画像をネット中にばらまかれた。

楓は警察に通報し、相手のデマを訴えたが、「現在対応中です」と何度も返されるだけだった。

絶望した楓は、三年間結婚している夫・神宮寺律(じんぐうじ りつ)に電話をかけた。「それ、AIだろ。お前じゃないなら何を焦ってる」律の声は冷たかった。

だがその後、律はわざわざ記者会見を開き、美波の犬についてだけはしっかりと弁解した。

同じ頃、義兄の桜庭悠真(さくらば ゆうま)からメッセージが届いた。【あと一ヶ月で、俺たちの約束は終わる。一ヶ月後、どうするか自分で決めてくれ】

【出ていく】今回、楓は一切迷わずそう返した。

【三年も結婚して、本当に律に少しも感情がないのか?】悠真は驚きながらも、どこかほっとしたようだった。

みんなは楓が律に底なしに尽くしていると思っていた。

【うん、彼を愛していない】……悠真、あなたのことも、もう愛していない。その後半の言葉は口に出さなかった。

空には渡り鳥の群れが南へ飛んでいく。楓は顔を上げて、ほっとしたように笑った。

やっと離れられる。律からも、悠真からも。

三年前、桜庭家の資金繰りが行き詰まり、破産寸前だった。唯一の打開策は、星ヶ丘市で一番の名家・神宮寺家と縁談を結ぶことだった。

悠真が楓のもとにやってきて、片膝をついた。「楓、頼む、今回だけでいい。桜庭家を助けてくれ。兄として頼む」

楓は心が痛んだ。「でも、悠真、私が好きなのはあなただって知ってるのに、どうして他の男に嫁げって言うの?」

悠真は目をそらした。「俺たちは兄妹だ。無理なんだ。律は金も権力もある。楓なら幸せになれるよ」

楓は冷たく笑いながら、どうしようもなく涙が頬を伝った。

そう、律は金も権力もある。しかもまるで人を惑わすような美しい顔をしている。けれど、誰もが知っている。律の心には、ずっと「初恋の人」がいる。

律と美波は幼なじみで、誰もが二人は結婚すると思っていた。だが美波の家は一晩で破産し、【私は、ただの籠の鳥にはなりたくない】それだけを置き手紙に残して、彼女は彼の世界から消えた。

美波がいなくなってから、律は毎日酒浸りになった。神宮寺家はそんな律を心配し、楓との縁談を決めた。

だが、結婚してからも律は美波の「替え玉」を探し続け、楓を見ようともしなかった。新婚初夜ですら、律は彼女を無視して、替え玉の女を寝室に連れ込んだ。

律が楓を見てくれなければ、桜庭家が立ち直るはずもなかった。

悠真は何度も楓の前に来ては頼み込んだ。楓はプライドを捨て、必死に美波の真似をして律の好みに合わせた。

美波が好きなスカイダイビング――楓は高所恐怖症を押して飛んだ。

美波が好きな酒――酒アレルギーなのに、体中に抗アレルギー薬を注射して律に付き合った。

美波が好きな料理――フランスまで修行に行った。

努力の甲斐あって、律はようやく他の「替え玉」を全て切り捨て、楓のそばにいるようになった。

一度だけ、律は楓の唇にキスして言った。「お前はお前のままでいいんだ」

周囲は「律もようやく過去を乗り越えた、二人はきっと幸せになる」と思った。

だが、美波が戻ってきた。

律は楓をやたらと連れ回し、周囲には「夫婦仲がいい」と思わせていたが、実際は美波に焼きもちを焼かせるためだった。

楓を会員制クラブに一人で残し、律は美波とトイレで抱き合っていた。新作のドレスを全部買い与え、試着室では美波と関係を持っていた。楓の誕生日会ですら、律にとっては美波に会う口実でしかなかった。

楓はすぐに「ただの道具」になった。でも、気にしていない。

なぜなら、楓は最初から律を愛したことがなかったからだ。

十年前、母が再婚し楓は桜庭家に来たが、母はすぐに病で亡くなった。桜庭家は楓を厄介者として見ていた。唯一優しくしてくれたのは、義兄の悠真だけだった。

悠真はまるで父であり、母であり、兄でもあり……初めて生理が来た日も、顔を赤くして教えてくれ、濡れた下着も洗ってくれた。

タブーに苦しみながらも、どうしても悠真を好きになってしまった。

悠真のためなら、何でも捨てる覚悟だった。

つらい970日間、悠真の優しさだけが楓の支えだった。

あの日、楓は悠真の大好きなおにぎりを握って、家の外から様子をうかがっていた。

「みんな楓が律に夢中だと思ってるけど、本当に好きなのはお前だろ」

悠真の声は、いつもの優しさとはまるで違って軽薄だった。「ちょっと優しくしただけなのに、ここまで執着されるとは思わなかった」

「もうすぐ千日の約束が終わるけど、もし楓が本気で離婚したら、悠真、お前が引き取るのか?どうせあいつがこんなにボロボロになったのは全部お前のせいだろ」

「ありえないよ。あんなふうに使い古された女、欲しいならくれてやる」

手の中の温かいおにぎりが、ぽろりと落ちた。楓は全身の血の気が引いた。

――全部、ただの茶番だったんだ。

「じゃあ、なんでずっと誰とも付き合ってないの?」

その場がしんとなる。楓は呼吸を止めて様子をうかがった。

しばらくして、悠真はぽつりと言った。「……いい人がいなかっただけ」

楓はまるで死刑宣告された囚人みたいに、肩で大きく息をしていた。

その時、電話が鳴った。

「もしもし、楓さんでいらっしゃいますか?実のお父さまが、今ちょっと危険な状態でして……ほかにご家族がいらっしゃらないので、相続人は楓さんだけです。遺産はおよそ四千億円になります。ただ、条件として戸籍とお名前を元に戻していただく必要があるんです」
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