――ジャラッ
金属がぶつかる音が部屋に響き渡る。 その音がした空間に、一人の少女がボロを纏い天井に吊るされるように鎖につながれている。 その少女の背中には無数の打ち痕が残り、痕の中には赤い液が滲んでいる箇所がある。「夢…か…」
少女は誰に聞かせるでもなく呟いた。確かにあった母の温もり。
もう忘れて久しい記憶。「これを人は走馬灯というのかな…」
私は知っていた。
母の温もりを。 感情を。 人の好意を。だけどそれは母と死に分かれた時に全てが壊れた。
リリス・ルキニア。
これが母の名前。 母は銀色の髪と青い瞳を持ち、子の私からみてもとても美しいと思えるほどの人だった。 母は隣国、アルトア帝国の第三皇女として生をうけた。 そしてこの国、トリス国と友好を深める為、当時トリス国の公爵子息である父、オリバー・ルキニア公爵子息と政略結婚したと聞いた。しかし父は男爵家令嬢、現在私の義母にあたるミレニアと恋仲であった。
一度は駆け落ちまで考えたみたいだが、国王の勅命によりその計画はあっけなく頓挫した。貴族の義務を果たせ…
この世で唯一父が反抗できないであろう叔父、父の兄に言われたそうだ。
叔父は傾きかけていたルキニア公爵家を立ち上げ直したその腕を見込まれ、現在は宰相の地位にいる。
本来であれば叔父がルキニア公爵家の当主となるはずだったのだが、宰相の仕事に専念したいとの事で父に当主の座を明け渡したそうだ。 しかし実質権限をもっているのは叔父に他ならない。 この公爵家では叔父に逆らう事はできない。そんな叔父からの命で母と結婚した父は、ミレニアを愛人として囲い、別邸に住まわせた。
母はその事実を知っているみたいだったが、特に怒りもせず現実を受け入れていたようだった。父は月に数度、義務を果たすために母のいる本邸に帰ってきていたが、基本的には別邸に帰宅し、そして私が生まれてから父は一度も本邸に戻ってきた事がない。
母は私をとても愛してくれていたと思う…。
そんな母が亡くなり、喪があけたと同時に父は別邸に住まわせていたミレニアと私とは異母妹弟となる二人の連れ子を本邸に連れて戻ってきた。この時私は初めてミレニアと対面した。
ミレニアはいかにも貴族らしい金髪、金瞳をしており、私を見た時のあの威圧的な瞳…
口元は笑っていたが、激しい恨みを映したあの瞳は今も忘れられない。 妹となる少女はミリーゼという。 容姿は母であるミレニアとそっくりであった。 彼女はミレニアから何か聞いていたのか、私と出会った時、値踏みされているかのような視線を向けてきた。 最後に弟、オルカという。 この少年はルキニア公爵家、唯一の男児で家督を継ぐ事になっている。 オルカの髪は薄い水色をしており、瞳は金色と、まぁ父と義母の特徴を見事に半分ずつ受け継いだようだ。三人を私に紹介した父はその日以降、私と関わらないようにしている。
私も今更関わる気はないのだけど… 使用人の噂話が真実であれば、少なからず母の死に心を痛めているとかなんとか…私はどちらかと言えば母に似ている容姿をもっている。
髪は銀色に近く、薄い水色も混ざっているような髪。 瞳は右が青色、左は銀色を左右の色が異なる。 これだけの容姿だけならば特に母とそっくりか?と問われれば、否である。 ただ顔の作りなのか、はたまた光の加減により髪の色が銀色に見える為か、理由はわからないが、私を見ていると母がそこにいると錯覚するらしい…一度だけ唯一無二の友達に聞いてみた事があるが、その友人曰く…
『生き方というか…瞳というか…なんか面影?があるのよね…立ち姿とかかしら?』 なんとも曖昧な回答であった。そんなこんなでなんとも歪な家族が集結したこの屋敷は私にとってまさに地獄そのものだった。
最初は可愛いものだった。
ご飯抜きや旅行などの仲間外れ、洋服などは全てミリーゼのお下がりで、私には物を一切与えない。 ミリーゼはたまに部屋にきて、部屋をめちゃくちゃにしてくる程度。 オルカはよくわからない。 たまに私の部屋にノックをせず入ってくるくらいで、特段何かされるわけではない。 ただ顏は笑っているけど、瞳が硝子のように何も写しておらず、正直気持ち悪いとしか思わなかった。ただこの行為を私専属メイドであるミリーナが注意した所、しなくなった。
だけどオルカと一緒にいると必ずジッと見てくる。ミレニアは食事抜きや父の前で私を罵倒するくらいで決して耐えられないほどではなかった。
父はというと…特になにもしない。
注意もしなければ、私を庇う事もせず、私をいないものと扱っているのか、一切視線があわない。だけど私が社交界デビューをし、学園に通う年になった頃、義母の態度が急変した。
それはある王族の舞踏会に出席した時の事。
デビューはしたが、お茶会などもあまり出席しない私もさすがに王族の舞踏会の欠席は外聞がよろしくないのか、はたまた叔父に恐怖しているのかわからないが、珍しく出席した。その時ふと耳に入った言葉…
『あの子があの白薔薇の君の子か…なんと美しいのでしょう。これは将来楽しみですね』
『お母君に似てとても美しい…リリス様を思い出す…』顏も知らない貴族に母や私の事を褒めてもらった事は正直嬉しかった。
しかしこの時、義母が鬼の形相を扇子の下に隠しずっと私を見ていたことをこの時の私は知らなかった…。「フィル!ちょっとよろしいですか?」 ある日の放課後、私は意を決してフィルを呼び止めた。 「どうしたの、セレナ?」 「フィルに確認したい事がありますの。これから私の家に来ていただけますか?」 フィルエットは少し考えてから、承諾の意を伝えた。 「じゃぁ…帰るのが遅くなる旨を伝えないと…」 「いいえ。私から伝えますわ。私の急な誘いなのですから…」 「ありがとう。」 私はこの日、決めていた。 例えフィルに嫌われようと、もう友人ではないと言われようと真実を確かめると。 これが今、私にできる精一杯の事だから。 こうして私とフィルは私の家、ウィルソン家に到着した。 ◆◆◆◆ ウィルソン家に着き、私の部屋にお茶を持ってきてもらうようにメイドにお願いした後、フィルを連れて自分の部屋に入り、ソファに腰かける。 「フィル。こちらへ…」 「……なんか今日のセレナ変だよ?」 私の雰囲気がいつもと異なると感じたのか、フィルは怪しみながら私の隣に腰かけた。 「えぇ…そうでしょうね。私、今日は覚悟を決めてますの。」 「覚悟?」 私はフィルの目を真っ直ぐに見つめて、意を決して話した。 「フィル…今…どうなのですか?」 一瞬フィルの肩がビクッと揺れたが、その顔に笑顔が浮べられていた。 「何の事?」 「とぼけないでくださいまし!」 「セレナ?」 「フィル。私達は友達ですわよね?」 「うん…」 「では、あなたは…あなたは今…」 ーーコンコンッ 「お嬢様、お茶
それからというもの、私の日常は慌ただしくなった。まずは社交界デビュー。これは滞りなく終わった。昔リリス様から貴族社会は腹の探り合い、騙し騙され、弱者は淘汰される最悪な所だと聞かされていた。だからこそ、私は私の価値を周りに示し続けた。本当はこんな所にいたくなかったし、こんなくだらない所でどうでもいい人達と笑顔を貼りつけたこんな顔でくだらない事を話して、笑いたくもないのに笑っていたくなかった。こんな事している時間があるのならば今すぐフィルの元に行って、ずっと側にいたかった。あの公爵が喪が明けたと同時に愛人とその子供達を本邸に住まわせ、散々フィルの事を放っておいたくせに今更フィルに新しい家族に慣れるように努力しろとか言ったと報告がきた時は、本気で腹立たしくて仕方がなかった。でも私はこの社交界で少しでもフィルを傷つけないようにするにはどうしたらいいかずっと考えて、私自身が力をつける事が一番良いと結論に至った。フィルがデビューを果たした時、きっと良くも悪くも好奇の目に晒されるのは目に見えている。あのリリス様の子供でもあり、そのリリス様を気にもせず、愛人に溺れた公爵の娘。それを少しでも軽減できるよう、悪い虫が寄り付かないように私自身を盾にする必要があった。そしてあともう一つ…王太子殿下の婚約者候補のトップになる事。家格は悪くないのでそれ自体はうまく行くが、王太子に本気で迫られては困るのでそこは悩んだ。他の令嬢達は自分が王妃にふさわしいと思っているのか、たんにあの整った顔に群がっているのか…私にはあの笑顔は貼りつけているだけで、この場にいる誰よりも腹に何か抱えている…そんな気がした。そもそも王太子妃に興味がなかったし、あの王子とはどうもそりが合わなそうだったので遠慮願いたいと思っている。だがここで、下手に変な令嬢を婚約者にされてしまったら、もしその令嬢や取り巻き達がフィルを嫌ってしまったら…最悪の事態となる。どうするか悩んでいたのだが、割と早く解決することができた。王太子と婚約者候補達の面談。そこで私は王太子と契約を結んだ。王太子は意外にも女性が嫌いなのだそうだ。結婚は義務であるのは理解しているが、今はまだ決めたくないそうだ。ただ、へたにご令嬢を選んでしまうとその先が決まってしまうので、王太子は王太子で悩んでいたそうだ。だから私は
「ねぇフィルエット…」「なぁに?」最初に沈黙を破ったのは私だった。「もし…もし貴方が…お母さまの本当の子供ではなく…もし…他の人の子で…」「……」「何か理由があって、引き取られて…でもその理由ももう意味がなくなって…」私はフィルエットに自身の事を例え話としてぽつぽつと話しながら、いつの間にか目には涙を溜めていた。多分最後の方は聞き取りにくかっただろう。だけどフィルエットは目を逸らさずに真剣な瞳で私が話すのを聞いてくれている。話終わる頃の私は、もう涙で顔がぐちゃぐちゃになっており、声を上げて泣いていないのを心の中で自分を褒めるありさまだった。少しの沈黙の後、フィルエットが話はじめた。「そっか…でもさ…その子は今までお母さまと思っていた人が嫌いになったの?」「それともそのお母さまは、その理由の意味がなくなったからって、今まで大切に育ててくれたのにいきなり突き放したりしたの?」「他の人の子だって言って愛してくれなくなったの?」フィルエットが次々と質問をしてくるが、泣きすぎて言葉を発する事が難しい私は全てに首を振り、否定する事しかできなかった。「じゃぁその子は何が悲しいんだろう…」「な…に…が…??」フィルエットはその瞳に涙でぐちゃぐちゃになった私を映して問いかけてきた。――私は…何が…。「あっ!お母さま!」私が思考を巡らせていると、フィルエットは自身の母親を見つけ、嬉しそうに駆け寄り、そんなフィルエットを母親が抱き上げた。そしてフィルエットの母親の隣には私の母が立っていた。「お…かあさま…」「セレナ…」――にげ…なきゃ…私…さっき…弟に…ひどいことを…私の頭の中では母から逃げなくては…と警告してきているが、体はその場に立ち尽くすのみで、足が全く動かなくなっていた。そんな風に立ち尽くしていた私の元へ、母が駆け寄り、強く…息が詰まりそうなほど強く抱きしめてくれた。「ごめんなさい…あなたがそんなに悩んでいるなんて…あなたはまだ小さいからと本当の事を言わなかった為にこんなにも苦しめてしまったなんて…」「おかあ…さま…」「えぇ…えぇ…私はあなたのお母さまよ。例え私自身と血が繋がっていなくても、あなたは私と旦那様との子。愛しい我が子なのですよ…」「わ…たし…」「あなたは立派なウィルソン公爵家の子供です。誰がなんと言おうと
私は、人通りの少ない所のベンチに膝を抱えて座っていた。 「はぁ…逃げちゃった…」 母が到着する前に、幼い弟を気に掛けることもなくその場を走り去ってしまった。 自分で精一杯だったとはいえ、弟にあたるなんて最低だ… 「はぁ……」 何度目かわからないため息をついた時、ふと隣に人の気配がして顔を上げてみると、そこには左右で瞳の色が違う少女が私の顔を覗くようにして近づいていた。 「あなた大丈夫?」 「……」 「どこか痛いの?」 「………」 「どこか怪我しちゃったの?」 「…………」 「……」 「……………」 「はっ!!もしかして…お漏らししちゃったの?」 「違うわよ!!!!」 その少女は内緒話でもするかのように耳元に近づいてきたと思ったら、小さな声でそんな事を言ってきた。 無視を決め込んでいた私だが、思わず返答してしまった。 これは仕方ない…矜持に関わる事だ…。 「じゃぁなんで?」 少女はジッと私の顔を覗き込んできた。 「なんで貴方なんかに言わないといけないのよ…」 「えぇ~お母さまが言ってたよ。もやもや~とかいらいら~ってした時は人に話して少しでもスッキリした方が楽だって!」 「いや…だからなんで…」 「で?っで??なんで???」 「話聞きなさいよ…」 この子なんなの… …しかも人の話全然聞かないし…。 「はぁ…」 私はさっきとは違う意味で大きなため息をついた。 その間、目の前にいた少女は私が言うのを待つためか、隣に座りこちらをジッと見てくる。 ――本当になんなの…。 私はうずくまる形をとりながら、少女を覗き見した。 ――左右で違う色…なんか綺麗だな…。 左右で瞳の色が異なるのは珍しい。 それにその瞳で見られると、なんだか全てを見透かされたような感覚に陥る。 「ねぇ…」 私は意を決してその少女に語りかけた。 少女は私が言葉を発すると、立ち上がり、また目の前にきた。 私も蹲っている体勢から、きちんと椅子に座る形に戻し、少女を見つめた。 「私はセレナ。あなたは?」 何を言うにしてもまずは自己紹介からだろう。 それにここに来ているという事は、貴族であり身元ははっきりしているから名乗っても問題はない。 「私はねフィルエット!フィルエット・ルキニア!7歳です
弟を産み、安静にしている母。 そんな母を心配して、仕事から帰ると母の側にいる父。 生まれたばかりの跡継ぎとなる弟に掛かりきりの使用人達。 あの時ほど家にいても誰にも会わない日が続く日はそうそうない。 だからだと思う…乳母は私を家から連れ出した…。 あれは多分誘拐なんだと思う。 家に私と乳母がいない事に気づいたのは執事長だった。 ちょうど乳母に仕事の申し送りをしようとした所、屋敷内に姿が見えず、部屋から私もいなくなっており不審に思ったのだろう。 執事長はすぐに主である父に報告した。 父はすぐに私達を見つけ、乳母が泣いて父に謝っていたのを私は執事長の腕の中に抱かれながら見つめ続けた。 そしてその日を境に乳母は屋敷からいなくなった。 ◆◆◆ 私はどうやって弟のいる庭に戻ったのか、記憶がない。 とにかくその場から離れないとと思い、体が勝手に動いたんだと思う。 だけど私の心は、思考は、今までにないぐらいぐちゃぐちゃで、幼い私はうまく整理ができずそのまま庭で倒れてしまった。 あの日以降、元気がなくなっていくのを心配した両親は、私の為に近い歳の子達を集めた小さなお茶会を開いてくれた。 本音を言えば、今はそんなことではなく真実を知りたかった。 でも母達が私の為に開催してくれたお茶会だったので、欠席することもできずに参加した。 だけど私はもう限界だったんだと思う。 「おねーえしゃまー!」 弟は笑顔で私の為に持ってきた皿を、中身がこぼれないようにゆっくりと運んでくる。 「はい!どうじょ!おねえしゃまのしゅきなものたくしゃんよしょってもらったでしゅ!」 言葉は覚えたてなのに、かなり話せている…この歳にしては早いのではないかと、どうでもいい事が頭をよぎる。 「私はいいわ…あなたが食べなさい。」 せっかく弟が一生懸命運んできた皿を受け取らず、そのまま弟に背中をむけた。 「おねえしゃま、げんきがにゃいので、これたべてげんきだしてほしいれす」 弟が食べて食べてと皿を押し付けてくる。 ――鬱陶しい… ――私なんか放っておいてよ…なんでかまうの?私はもう用済みなんじゃないの?なんでまだ心配してくれてるの? ――ねぇなんで… “私に弟なんてできたの?” この弟がいなければ乳母はまだいたかもしれないし、私が母の本当の子ではないと知らずに済んだ
セレナ・ウィルソン。 それが私の名前だ。 ウィルソン公爵はトリス国四代公爵家の一つとなり、二番目に歴史が古い家だ。 そんな家に私は生をうけた。 容姿は父に似て赤い瞳を持ち、髪は目の色より赤みが少し薄く、癖毛な所がよく似ている。 しかし反対に母には似ているところがないと感じる。 昔は【娘は父に似るのだから気にするな】と両親に言われた。 しかし3歳年下の弟は、母によく似ているが、父にも似ているところがあると私は思っている。 私にとって両親は尊敬の対象だ。 父は王宮で仕事をしつつ、広い領地を管理している。 夜遅くまで仕事をしているなんてよくある事だった。 そんな父を母は精神面でずっと支えていた。 休憩を取らずに働く父に無理矢理休憩を取らせるのが母の役割で、父は母の言う事は比較的聞く。 私は二人が大好きだった……いや…今でも大好きですわ…。 でも私にはそれを思う事も、ましてや言う事なんておこがましい… だって… だって私は… …… 母の本当の子供ではないのですから…。 だけどそんな私を母は本当に大切に育ててくれた。 弟を身籠り自身の体調が優れない時でも、私が熱を出して寝込んでいる隣にいつもいてくれた。 眠れない時によく歌を聞かせてくれた… ――私にはそんな資格がないのに… 母は私を愛してくれた。 ◆◆◆ ある日私は弟と庭でお菓子を一緒に食べようと、厨房に自ら足を運んだ。 ただ、厨房にまさか私がくるとは思わなかったのか、使用人達が数名で話し込んでいた。 そこで私が声をかければ今でも知らなかったことだと思う… だけど私は自身の名前が聞こえてしまい、好奇心からその場に止まってしまった。 その内容は、幼い私に衝撃を与えるほどだった…なにせ自分の出自についてだったのだから。 母は長年子供ができずにいた。 貴族にとって跡継ぎを産み育てるというのは義務である。 もちろん生粋の貴族である母もそれは認識していた。 だからだろう…中々子供ができない母は少しずつ自責の念に押しつぶされていった…。 周りからも子供の事を急かす者もいれば、失礼な事に不仲説を社交界に流した者もいた。 もちろんその者に関しては父は早急に対処し、噂はすぐに消えたのだが… しかし母はだんだん塞ぎ込むように