捨てられ薬師は騎士団長と偽りの婚約を結ぶ

捨てられ薬師は騎士団長と偽りの婚約を結ぶ

last updateآخر تحديث : 2025-08-23
بواسطة:  黒兎みかづきمكتمل
لغة: Japanese
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マリーは森で暮らす薬師。孤児で天涯孤独の身ながらも、村人に慕われながら穏やかに暮らしていた。 しかしその生活は、ある夜の訪問者によって一変してしまう。 マリーの元にやってきたのは、瀕死の騎士アラン。 死の呪いに侵された彼を救うため、マリーは「契約」を受け入れる。 形だけの婚約者として、王都に同行することとなる。 アランの本来の婚約者、公爵令嬢クラリッサの罠を跳ね返しながら、マリーとアランは思いを深めていく。 これは、偽りの関係から始まった二人が、困難を乗り越え真実の愛と幸せな未来を手に入れる物語。

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الفصل الأول

01

 木々の葉が擦れ合う音は、まるで穏やかな囁きのようだ。人々の暮らす村から少し歩いた先、森の入り口にその小屋はひっそりと佇んでいる。

 マリーがこの場所を選んだのは、一つには広々とした薬草畑を作る土地が必要だったから。そしてもう一つは、多種多様な恵みをもたらしてくれる深い森へ、すぐに入れるためだった。

 昼下がりの優しい光が、彼女の薬草畑に降り注いでいる。ラベンダーの優しい紫、カモミールの可憐な白、ミントの力強い緑。それらはすべて、マリーが丹精込めて育てた、彼女にとって宝物のような存在だった。

「よし、今日の分はこれくらいかな」

 籠に摘みたての薬草を入れながら、マリーは呟いた。太陽の光を浴びてキラキラと輝く茶色の髪は、作業の邪魔にならないように、きっちりとした三つ編みに結われていた。薬草を慈しむように見つめる瞳は、まるで雨上がりの森の葉のような深く澄んだ緑色。

 孤児院を出てこの森で暮らし始めてもう三年。魔法やその他の才能に恵まれなかった彼女にとって、この薬草の知識と調合の技術だけが、たった一つの拠り所だった。

 捨てられた孤児であるマリーは、他に生きるすべを持たない。天涯孤独で頼れる人もいない。

 だから精一杯生きて行こうと決意した。

 籠を手にマリーは慣れた小道を下って村へ向かった。彼女の姿を見つけると、井戸の近くで遊んでいた小さな女の子が駆け寄ってくる。

「マリー! この前の薬でママの咳が治ったよ、ありがとう!」

「よかった、アンナ。お母さんによろしく伝えてね」

 マリーがはにかんで答えると、アンナは嬉しそうに頷いて母親の元へ駆けていった。すれ違った老婆が、皺の刻まれた顔で優しく微笑む。

「やあ、マリー。いつもすまないねぇ。あんたは本当に、この村にとって森の天使様だよ」

「そんな、エルマさん。天使だなんて、とんでもないです」

 マリーは慌てて首を横に振った。

「私にできるのは、薬草の力を借りることだけですから」

 その言葉に嘘はない。けれど、心のどこかで、本物の奇跡を起こせる治癒魔法使いへの憧れと、そうなれない自分への小さな引け目があることも事実だった。

 +++

 夕暮れ時、マリーは自分の小屋に戻っていた。壁一面に並んだ薬草棚、古い薬学書が積まれた机、質素だが隅々まで掃き清められた室内。摘んできた薬草を種類ごとに仕分け、慣れた手つきで天井から吊るしていく。

 窓の外が茜色に染まるのを眺めながら、ことことと鍋でスープを煮込む。村でのアンナの笑顔や、エルマさんの優しい言葉を思い出し、胸が温かくなった。

(私にも、できることがある)

 そう思う一方で、ふとした寂しさが胸をよぎる。

 もし自分にもっと大きな力があれば。特別な治癒魔法が使えたなら、助けを求める人々の苦しみを一瞬で取り除いてあげられるのに。孤児院にいた頃から、ずっとそう願ってきた。

「……ううん、私にできることを頑張ろう」

 自分に言い聞かせるように呟き、マリーは前向きに気持ちを切り替えた。彼女は自分の無力さを知っている。それでも、決して諦めはしなかった。

 ――と。

 穏やかな森の空気が、ぴんと張り詰めた。それまで聞こえていた鳥たちの声が、ぴたりと止む。不自然な静寂。

 次の瞬間、森の奥から何かが強く地面に打ち付けられるような鈍い音と、バキバキと木々の枝が派手にへし折れる音が響き渡った。それは熊や猪のような、聞き慣れた森の獣の音ではなかった。

 スープをかき混ぜていたマリーの手が、止まる。

 彼女の穏やかな緑の瞳が、瞬時に鋭い警戒の色を帯びた。本能が危険を告げている。

 マリーは音を立てないように暖炉のそばに置いてあった護身用のすりこぎ棒を手に取ると、息を殺してゆっくりと扉に近づいた。

 扉の向こう側から、苦しげな、押し殺したような息遣いが聞こえる。

 マリーは固唾を飲んだ。

「……誰か、いるの?」

 彼女のかすかな声は、静まり返った森に吸い込まれていった。

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01
 木々の葉が擦れ合う音は、まるで穏やかな囁きのようだ。人々の暮らす村から少し歩いた先、森の入り口にその小屋はひっそりと佇んでいる。 マリーがこの場所を選んだのは、一つには広々とした薬草畑を作る土地が必要だったから。そしてもう一つは、多種多様な恵みをもたらしてくれる深い森へ、すぐに入れるためだった。 昼下がりの優しい光が、彼女の薬草畑に降り注いでいる。ラベンダーの優しい紫、カモミールの可憐な白、ミントの力強い緑。それらはすべて、マリーが丹精込めて育てた、彼女にとって宝物のような存在だった。「よし、今日の分はこれくらいかな」 籠に摘みたての薬草を入れながら、マリーは呟いた。太陽の光を浴びてキラキラと輝く茶色の髪は、作業の邪魔にならないように、きっちりとした三つ編みに結われていた。薬草を慈しむように見つめる瞳は、まるで雨上がりの森の葉のような深く澄んだ緑色。 孤児院を出てこの森で暮らし始めてもう三年。魔法やその他の才能に恵まれなかった彼女にとって、この薬草の知識と調合の技術だけが、たった一つの拠り所だった。 捨てられた孤児であるマリーは、他に生きるすべを持たない。天涯孤独で頼れる人もいない。 だから精一杯生きて行こうと決意した。 籠を手にマリーは慣れた小道を下って村へ向かった。彼女の姿を見つけると、井戸の近くで遊んでいた小さな女の子が駆け寄ってくる。「マリー! この前の薬でママの咳が治ったよ、ありがとう!」「よかった、アンナ。お母さんによろしく伝えてね」 マリーがはにかんで答えると、アンナは嬉しそうに頷いて母親の元へ駆けていった。すれ違った老婆が、皺の刻まれた顔で優しく微笑む。「やあ、マリー。いつもすまないねぇ。あんたは本当に、この村にとって森の天使様だよ」「そんな、エルマさん。天使だなんて、とんでもないです」 マリーは慌てて首を横に振った。「私にできるのは、薬草の力を借りることだけですから」 その言葉に嘘はない。けれど、心のどこかで、本物の奇跡を起こせる治癒魔法使いへの憧れと、そうなれない自分への小さな引け目があることも事実だった。 +++ 夕暮れ時、マリーは自分の小屋に戻っていた。壁一面に並んだ薬草棚、古い薬学書が積まれた机、質素だが隅々まで掃き清められた室内。摘んできた薬草を種類ごとに仕分け、慣れた手つきで天井から吊るしていく。
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02
「……誰か、いるの?」 マリーのかすかな声は、静まり返った森に吸い込まれていった。返事はない。 けれど扉の向こうから、押し殺したような息遣いが確かに聞こえる。誰かがいるのだ。 すりこぎ棒を握る手に、じっとりと汗が滲む。獣ならば、もっと荒々しい音を立てるはずだ。だとすれば、一体誰がこんな夜更けに森の奥の小屋を訪ねてくるというのだろう。 意を決し、マリーはゆっくりと扉の閂(かんぬき)を外した。ほんの少しだけ扉を開けて、外の様子を窺う。 その瞬間だった。 待ち構えていたかのように、扉に寄りかかっていた黒い人影が小屋の中へと倒れ込んできた。止める間はなかった。「きゃっ!」 小さな悲鳴を上げ、マリーは咄嗟にその体を受け止める。ずしりとした重さ。なんとか倒れ込む勢いを殺し、ゆっくりと床に横たえる。 ランプの光と窓から差し込む月明かりが来訪者の姿を照らし出した時、マリーは息を呑んだ。 そこにいたのは、森の猟師や村人ではなかった。 汗で額に張り付いた髪は、まるで職人が紡いだ金糸のように、月光を浴びてきらきらと輝いている。泥や葉に汚れ、ところどころが引き裂かれた上質な騎士服。 そして何より、その顔立ちはマリーがこれまで見たどんな人よりも整っていた。閉じられた瞼、すっと通った鼻筋、固く結ばれた唇。そのすべてが、神が精魂込めて作り上げた彫刻のようだった。「なんて、綺麗な人……」 思わず声が漏れた。心臓がどきりと大きく音を立てる。見たこともないほどの美しさに、マリーの頬はみるみるうちに熱くなった。 しかし次の瞬間、彼女の背筋をぞっとするような悪寒が駆け抜けた。 容態を診るために、彼の額にそっと触れる。熱い。ひどい熱だ。 それだけではない。肌を通してびりびりと刺すような、冷たく邪悪な気配が伝わってくる。それは、彼の神々しいまでの美しさとはあまりにも不釣り合いな、禍々しい気配だった。 薬師としての責任感が、個人的な動揺を無理やり押さえつける。マリーは彼の呼吸を確かめ、騎士服の胸元を慎重に緩めた。 そして、そこに浮かび上がったものを目にして、彼女は息を止めた。 騎士服の下に隠されていたのは、無駄なく鍛え上げられた均整の取れた体だった。その完璧な肉体の中心に、およそ似つかわしくない不気味な黒い痣が、まるで生き物のように蠢いていた。それは彼の生命力を根こそぎ
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03
 意識が浮上した時、アランはすぐに己の体の変化に気づいた。 昨夜、全身を苛んでいた死ぬほどの苦痛が嘘のように和らいでいる。体内に巣食う呪いの気配はまだ残っているが、その活動は明らかに抑制され、薄い膜に覆われたかのように静まっていた。 昨夜は森の魔獣討伐に出かけた。呪いに侵された体を鞭打って標的を仕留めたまではいいが、部下たちとはぐれてしまった。 戦いの熱と負傷で呪いが悪化し、夢の中をさまようようにこの小屋にたどり着いたのだった。 ゆっくりと瞼を開け、状況を把握しようと視線を巡らせる。見知らぬ質素な小屋の風景が視界に入る。そして、ベッドの脇に置かれた粗末な椅子の上で、昨夜の少女が疲れ果てたように眠っているのが見えた。 薬草の匂いが染み付いた素朴なワンピース。そばかすの散ったあどけない寝顔。自分の世界とはあまりにもかけ離れたその光景に、アランは警戒を解かないまま、冷静に思考を巡らせた。 一体、この女は何者だ。私に何を飲ませた? と。マリーが身じろぎし、ぱちりと目を覚ました。ベッドの上で半身を起こしているアランの姿を見て、緑色の瞳を驚きに見開く。「あっ……!?」 アランはその隙を見逃さなかった。弱ってはいるが、騎士団長としての威厳を声に滲ませて問いかける。「君は何者だ」 彼のサファイアのような青い瞳が、鋭くマリーを射抜いた。そのあまりの美しさと有無を言わさぬ威圧感に、マリーの心臓が跳ねる。けれど何よりも彼の体調を気遣う気持ちが勝った。「薬師です」 マリーは臆せずに、まっすぐに彼を見つめ返した。「あなたの体にあるのは、高位の魔獣による『死の呪い』です。魔力の循環を阻害し、生命力を徐々に結晶化させていくもの。昨夜の薬は症状を抑制したに過ぎず、根本的な治療にはなっていません」 淀みなく紡がれる言葉に、今度はアランが衝撃を受ける番だった。宮廷のどの薬師も神官も、ここまで正確に呪いの正体を見抜くことはできなかった。目の前の森で暮らす素朴な少女が、ただ者ではないことを悟る。 自分の状況が絶望的であることを再認識して、アランはしばし沈黙した。そして観念したように、自らの身分を明かした。「私は、アラン・フェルディナンド。王国騎士団の団長だ」 続けて、彼が最も頭を悩ませている問題を語る。「父や家臣たちは、私が呪われているとは知らず、一刻も早く侯爵家の
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04
 契約を結んだ翌朝、アランはマリーに「王都へ行く。準備をしろ」と、簡潔に告げた。彼の体調はまだ万全ではないはずなのに、その声には騎士団長としての威厳が戻りつつある。 マリーはこくりと頷くと、最低限必要な薬草、古びた薬学書だけを小さな鞄に詰めた。長年暮らした愛着のある小屋を振り返れば、胸に寂しさが込み上げる。けれど、すぐに首を振ってその感傷を振り払った。(あの人を、救うんだ) 彼女の緑色の瞳に、新たな決意の光が宿る。 その様子をアランは黙って見ていた。彼女の穏やかな生活を奪ってしまったことに対し、わずかな罪悪感を覚える。だが、表情に出すことはしない。できない。 森を抜けた先で待っていたのは、マリーが見たこともないほど豪華な馬車だった。フェルディナンド家の紋章が入っている。「アラン様! ご無事で!」「心配をかけた。この通り無事でいる。この女性に助けられた」「なんと、そうでしたか」 御者に恭しく扉を開かれ、促されるままに中へ入る。ふかふかとしたビロードの座席。自分の粗末な服と豪奢な内装とのあまりの差に、マリーは居心地の悪さを感じて身を縮こまらせた。アランとの世界の隔たりを、改めて突きつけられた気がした。 馬車が静かに走り出す。向かいに座るアランとの間に、気まずい沈黙が流れた。 しばらくして、アランがぶっきらぼうに上質なブランケットを差し出した。「体を冷やすな。君が倒れたら、私の治療に差し支える」 素直ではない物言いだったが、不器用な優しさが感じられる。マリーは驚き、少しだけ心が温かくなった。 しばらく馬車に揺られていると、街道の合流地点で一騎の馬が追いついてきた。「団長! ご無事で何よりです!」 快活な声と共に馬車の窓を覗き込んだのは、茶色の髪を無造作に伸ばした、人懐っこい笑顔の青年騎士だった。「リオネルか」「団長こそ、お一人で先行されるなんて心配したんですよ。……それで、こちらの可憐なご令嬢は?」 好奇心に満ちた目がマリーに向けられる。アランは面倒くさそうに、しかしはっきりと告げた。「私の婚約者、マリーだ」「こ、婚約者!?」 リオネルが驚きの声を上げるのと、マリーの心臓が大きく跳ねたのは、ほぼ同時だった。契約だとわかっていても、「婚約者」という言葉の響きに頬が熱くなる。 リオネルは目を見開いたが、すぐにいつもの人懐っこい笑
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05
 王都の心臓部に位置する王国騎士団の詰所は、石造りの重厚な建物。マリーが想像していた以上に厳格で威圧的な空気に満ちていた。鍛錬を終えた騎士たちが行き交い、武具がぶつかり合う硬質な音と、規律正しい命令の声が響き渡る。 質素なワンピース姿のマリーは、明らかに異質な存在だった。 好奇と驚き、あからさまな猜疑の視線が容赦なく突き刺さる。「あの娘は誰だ?」「団長が連れてこられたらしいが、平民じゃないか?」 ひそひそと交わされる囁き声が、マリーの耳に届いた。怯えて身を縮こませる彼女の様子に前を歩いていたアランが気づき、ぴたりと足を止めた。「紹介する。こちらはマリー。私の婚約者だ。今日から私と共にここで暮らす。未来の団長夫人として、敬意をもって接するように」 彼の威厳に満ちた声に、あれほど騒がしかった囁き声が嘘のようにぴたりと止んだ。騎士たちは驚きに目を見開きながらも、慌てて背筋を伸ばして一斉に敬礼する。その光景に、マリーは自分がとんでもない場所に来てしまったのだと、改めて実感した。 彼がマリーに与えたのは、清潔だが冷たい雰囲気の客間だった。「ここを君の部屋として使え。私かリオネルの許可なく、詰所内を勝手に歩き回るのを禁ずる。君の存在は、まだ外部には極秘だ」 アランは事務的な口調で告げた。広い部屋でポツンと佇むマリーの小さな背中を見て、彼の胸にわずかな罪悪感がよぎる。だがそれを顔に出すことはなかった。 マリーは寂しさと不安を感じながらも、ここが彼の呪いを解くための最前線なのだと決意を新たにしていた。アランに向き直り、尋ねる。「あの……薬を調合するための場所をお借りすることはできますか?」 彼女の頭の中は、すでに治療のことでいっぱいだった。 +++ 翌日の昼、リオネルが昼食を運んできてくれた。「いやあ、団内は大騒ぎですよ。団長のお相手は、誰もがクラリッサ様だと信じてましたから」 気さくな口調で言いながら、彼はマリーの反応を探っていた。ふと真剣な表情になると、声を潜める。「マリー様、クラリッサ嬢は、侯爵家が誇る大変プライドの高いお方です。どうか、お気をつけください」「クラリッサ」という名前に、マリーの心臓が小さく跳ねる。自分がその人の立場を奪ってしまった。何も起こらないはずがない。 その夜、マリーはアランが用意してくれた物置部屋を一心不乱に掃
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06
「夜会ですって!? 無理です! 着ていくドレスもありませんし、作法もダンスも何一つ分かりません!」 アランの突然の宣告に、マリーはパニックに陥った。森の薬師である自分がきらびやかな王城の夜会に出るなど、想像しただけで目眩がする。 彼女の必死の訴えに、アランは表情一つ変えない。「そんなものは、今から用意すればいいだけのことだ」「そんな……!」「明日、すぐにリオネルに言いつけて手配をしよう。私の婚約者として、誰にも侮られぬように、完璧に仕上げるんだ」 有無を言わせぬ命令に、マリーは顔色を悪くした。婚約者という立場を甘く見ていたと実感してしまった。 その命令の裏には、マリーに恥をかかせたくないという彼なりの不器用な配慮が隠れていることを、マリーはまだ知る由もない。 +++ その日からマリーの悪戦苦闘の日々が始まった。 リオネルが手配したのは、王家御用達だという見るからに厳格そうな女性家庭教師。慣れないヒールで足を踏み外し、フォークとナイフの順番を間違えては叱られる。カーテシーの角度に至っては、ミリ単位で注意された。「マリー様! 背筋が曲がっておりますわ! もっとぴんと伸ばして!」「まあ! そのような歩き方では、皆の笑いものになりますことよ!」 厳しい声が飛ぶたびに、マリーは泣きそうになった。何度もくじけそうになる心を、「これはアラン様の治療を続けるために必要なこと」と自分に言い聞かせ、必死に食らいついていくしかなかった。 どれほど昼間のレッスンで疲れ果てていても、彼女は夜の研究に手を抜かない。 ランプの灯りを頼りに、薬学書を読みふける。今までの手が出なかった高価で貴重な書物も、アランは惜しみなく買い与えてくれた。おかげでマリーの薬師としての腕はめきめきと成長している。 マリーが今作っているのは、ただの薬ではない。長時間にわたる夜会で、アランの呪いの発作を確実に抑え込み、彼の体力を維持するための「特別な薬草茶」だ。(私のドレスやダンスよりも、こちらの方がずっと大事。アラン様が、あんな場所で苦しむことがありませんように……) 最優先事項は常にアランの治療にある。それは決して揺るがないのだ。 +++ そして、運命の夜会当日。 リオネルが手配したドレスが部屋に届けられた。派手さはないが、深い森の緑色のドレス。マリーの瞳の色を引き立てる上
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07
 王城の大広間は、マリーが見たこともない豪奢さで彩られていた。  豪華絢爛なシャンデリアが星のように煌めき、宮廷楽団が奏でる優雅な音楽が満ちている。きらびやかなドレスを纏った貴族たちが、扇を片手に上品に談笑している。  全てマリーがこれまで生きてきた世界とはあまりにもかけ離れていて、隣に立つアランの存在だけがかろうじて彼女をこの場につなぎとめている。 やがて、朗々とした声で二人の名前が呼ばれた。「アラン・フェルディナンド騎士団長、並びに婚約者のマリー様!」 その瞬間、会場が水を打ったように静かになった。すべての視線が二人へと注がれる。「あれが団長を射止めたという平民か」 「クラリッサ様はどうなったのだ?」 好奇と侮蔑が入り混じった囁き声が、さざ波のようにマリーの耳に届いた。彼女の緊張に気づき、アランがその腰に添えた手を力強く支え、耳元で囁く。「気にするな。私のそばを離れなければいい」 その声に少しだけ勇気づけられたマリーだったが、運命の対面はすぐに訪れた。  人の輪からすっと現れた一人の女性に、マリーは息を呑んだ。夜のように艶やかな黒髪は、複雑に結い上げられ宝石のように輝いている。そして、その瞳はまるで溶かした黄金のように、見る者を射抜く強い光を放っていた。真紅のドレスを纏い、完璧な笑みを浮かべたその姿は、この世の美をすべて集めて作り上げたかのよう。彼女こそが、クラリッサ侯爵令嬢だった。「アラン様、ごきげんよう。そして、こちらが噂の……新しいお相手ですの?」 クラリッサの声は甘く美しい。けれど表面の美しさと裏腹に、マリーを頭のてっぺんからつま先まで品定めするように見下していた。「クラリッサ嬢。紹介しよう。私の婚約者のマリーだ」 アランの冷たい声に、クラリッサはわざとらしく驚いてみせる。「まあ、婚約者! いつの間に……。教えてくださらない? マリーさん。一体どんな魔法を使って、私たちの騎士団長をたぶらかしたのかしら?」 その言葉には、隠す気もない悪意と侮辱の棘が込められていた。「クラリッサ嬢。あなたとの
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08
 アランは、まだ驚きが残るマリーをダンスの輪へとエスコートしていく。曲は優雅でゆったりとしたワルツ。周囲の囁き声は続いているが、その内容は嘲笑から驚きと好奇心へと変わっていた。「足が動かない……」 マリーは緊張と恐怖で俯いてしまう。一週間しか練習していないのだ。失敗したらどうしよう。 そんな彼女の耳元で、アランが囁いた。「足元ではなく、私を見ろ。信じろ」 その声は穏やで、安心感を与えてくれた。マリーがおそるおそる顔を上げると、彼のサファイアのような青い瞳が、まっすぐに自分だけを見つめていた。 アランのリードに身を任せるうちに、不思議と体から力が抜けていく。最初はぎこちなかったステップが、次第に彼の導きに合っていく。周りの世界が遠ざかり、音楽と、二人だけの空間になる。 見つめてくる青い瞳の強さに、恐怖とは違う理由で心臓が高鳴った。 アランもまた、驚いていた。マリーは思った以上に上手くついてくる。彼女を腕の中に抱いていると、不思議としっくりくる感覚があった。髪から香る、微かな薬草の匂い。マリー自身の匂いと交じって、心が落ち着いていく香りだ。いつの間にか、婚約者の「役」を演じているのではなく、心からこの瞬間を楽しんでいる自分に気づいた。 ふと回りを見渡せば、他の男たちがマリーを見ていた。先ほどまでの侮蔑の目ではなく、好奇と興味の視線だ。 ――マリーが男の目を引いている。 そう思った瞬間、アランの胸に鋭い痛みが走った。嫉妬心だと気づいたのは、少ししてからのこと。今まで覚えたことのない感情だった。 無意識に、マリーを抱く腕に力がこもる。 やがて曲が終わる。誰かが声をかける前に、アランは素早くマリーを人混みから連れ出して、月明かりが差し込む静かなバルコニーへと向かった。蒸し暑い舞踏会場から一転、涼しい夜風が心地よい。「す、すみません。もう少しで、足を踏み外すところでした」 息を切らしながら言うマリーに、アランはいつもより柔らかな声で答えた。「いや、見事だった。……よく、頑張った
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09
 バルコニーから大広間へ戻ると、明らかに空気が変わっていた。 囁き声は続いているが、その内容は侮蔑的な嘲笑から、「あの娘は何者なのだ?」という強い好奇心と、ある種の畏敬へと変化している。二人が歩くと、さざ波が引くように人々が自然と道を開けた。 まだ緊張は解けないものの、アランのたくましい腕に支えられ、マリーは先ほどよりも少しだけ背筋を伸ばして前を向くことができた。彼の隣に立つ、ということの重みを実感する。 その時、人垣を割って、白髪の老紳士が二人の元へ歩み寄ってきた。王国の重鎮であり、誰の派閥にも属さないことで知られるローゼンタール公爵その人だった。周囲の貴族たちが、固唾をのんでその様子を見守っている。「フェルディナンド卿の心を射止めたご令嬢は、随分と芯の強いお方のようだ」 公爵の鋭いが、どこか温かみのある目がマリーに向けられる。「マリー殿とやら、あなたの趣味は何かな?」 突然の問いにマリーは一瞬戸惑ったが、正直に答えた。「趣味、と呼べるほどのものではございませんが……。薬草を育て、その効能を調べるのが好きです」 その答えに、公爵は満足そうに深く頷いた。周囲に聞こえるように言う。「ほう、薬草とな。見かけの美しさよりも、人を癒す実践的な知識の方が、よほど価値がある。フェルディナンド卿は、実に良いお相手を見つけられたな」 この一言が、マリーに対する評価を決定づけた。大物貴族からの「お墨付き」を得たことで、もはや誰も彼女を公然と侮辱できなくなる。アランの青い瞳に、安堵とマリーへの誇らしさが浮かんだ。 公爵は続ける。「若者たちよ。只々人を貶めるだけでなく、自らの力を役立てるよう、心しなさい。このお嬢さんは平民だが、よい心構えをしている」 公爵はクラリッサの行いを見て、貴族にあるまじきことと眉をひそめていた。とはいえこの貴族社会で、少々の嫌がらせ程度で折れるような者は必要ない。 クラリッサのいじめを跳ね返したアランとマリーを、公爵は気に入ったのだった。 その光景を、クラリッサが遠くから苦々しく見つめていた。
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10
 夜会の翌朝、騎士団詰所の空気は明らかに変わっていた。 マリーに向けられていた猜疑の眼差しは、好奇心と、一部には尊敬の色すら混じったものになっている。すれ違う騎士たちが、ぎこちないながらも「マリー様、おはようございます」と挨拶をしてくるようになった。 その変化をアランも感じていた。彼はリオネルを呼ぶと、団内に響く声で命じた。「マリー嬢が行う治療に必要な薬草や器具について、予算は問わない。国内で手に入る最高のものを用意しろ。彼女の研究は、私の体調に直結する重要任務だ」 彼女の薬師としての価値を、アランが公に認めさせた瞬間だった。 昼下がり、アランは「治療の経過報告」という名目で、マリーの小さな研究室を訪れた。熱心に薬学書を読み解き、薬草を調合する姿を、興味深そうに眺める。「君はいつも、これほど集中しているのか」「あなたの呪いを解くためには、一刻も無駄にはできませんから」 騎士と薬師。立場は違うものの、真剣に仕事に取り組むさまはアランの心に響いた。「……頼りにしている」 マリーは思わず手を止めた。初めて告げられた、信頼の言葉。 心に温かいものがこみ上げる。「私、もっと頑張りますね」 必ず呪いを解かなければ。マリーは決意を新たにして、調合に取り組んだ。   穏やかな日々は長くは続かなかった。 数日後、王家主催のより格式高い「ガーデンパーティー」への招待状が届いたのである。時を同じくして、リオネルが憂鬱な顔で報告に来る。「団長、妙な噂が流れています。『騎士団長の婚約者は、得体のしれない薬草で団長の体を無理やり回復させている。あれは本当に薬なのか?』と……」 アランは眉をひそめた。真っ先に思い当たったのは、クラリッサ。嫌がらせに反撃され、プライドを傷つけられた彼女が噂を流しているのでは? しかしすぐに首を振った。アランの敵、政敵は他にもいる。決めつけは危険だ。 ガーデンパーティ
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