LOGIN白薔薇宮廷には、席が三つしかない。
正室が一人。
側室が二人。それ以上は増えない。
ゼン王国では、婚姻は恋ではなく制度だった。
正室は王統と内政を担う。 側室は外交を担う。 海で成り立つ国だから、結婚はそのまま交易になる。港が増える。
船が通る。 金が動く。だから白薔薇宮廷は、半分くらい国家機関だった。
たぶん、恋愛する場所じゃない。
私は窓の外を見ながら、ぼんやりそんなことを考える。
港には朝の船が入ってきていた。
帆が白い。
海鳥がうるさい。
王都は海の音がする。
「ルカ様」
「ん」
リーネが紙束を持って立っていた。
「今日の予定です」
「多い」
「減らしました」
「これで?」
「かなり」
私は紙を見る。
昼食会。
外交使節との顔合わせ。 夜会。 謁見。 茶会。意味がわからない。
「彫刻は?」
「夜会のあとでしたら」
「死ぬなぁ」
「死にません」
リーネは即答した。
最近気づいたけれど、この子は私に妙に容赦がない。
「そもそもですね」
リーネが言う。
「側室という立場を、もう少し理解してください」
「してるよ」
「本当に?」
「外交のやつでしょ」
「雑」
「すみません」
リーネが頭を抱える。
最近みんなこれをやる。
「白薔薇宮廷は、この国の顔なんです」
「うん」
「ヴィオラ様は名門貴族出身。国内安定の象徴です」
正室。
綺麗な人。
姿勢がまっすぐで、歩くだけで床まで綺麗に見える。
「セリス様は大陸最大の商業国家の姫。交易同盟そのものです」
「商人っぽいよね」
「本人の前で言わないでください」
「なんで?」
「褒め言葉にならない可能性があります」
「でも本人、商売好きそう」
「そういう問題じゃありません」
怒られた。
「そしてルシア陛下はゼン王国の女王です」
「それは知ってる」
「なら、なぜ平然としてるんですか」
私は少し考える。
「静かだから?」
「は?」
「怒鳴らないし」
リーネが変な顔をした。
「普通、もっと怖がるんですよ」
「でもルシア様、そんな怖くない」
「怖いです」
「そう?」
「そうです」
私は窓の外を見る。
海が光っていた。 この宮廷に来てから、ずっと不思議だった。 みんな、ルシアを恐れている。でも私には、あの人が怒る姿があまり想像できない。
静かで。
重くて。 でも、押しつけてこない。ただ、見ている。
ずっと。
「……問題は、ルカ様なんですよ」
リーネが疲れた声で言う。
「私?」
「平民出身の彫刻家が、女王の意思だけで側室に入ったんです。宮廷中がひっくり返りました」
「へえ」
「へえじゃありません」
でも、実感がない。
私は石を削っていただけだ。
王都の端で。
粉だらけになりながら。そしたら、ある日ルシアが来た。
変な人だと思った。
女王なのに護衛を減らして、工房に一人で入ってきて、完成前の石をずっと見ていた。
『私をどう思う』
と聞かれたから、
『面白い人』
と答えた。
そのあと、なんか王宮にいた。
流れがおかしい。
「……ルカ様」
「ん」
「聞いてます?」
「聞いてる」
「何を」
「色々」
「雑」
また怒られた。
私は少し笑う。
リーネは本当に有能だ。
有能だけど、最近ずっと疲れている。
多分、私のせい。
「ちなみに」
リーネが言う。
「宮廷では今、“王を惑わせた職人”って呼ばれてます」
「ださ」
「そこですか?」
「もっと良い呼び方なかったのかな」
「問題そこじゃないんですよ……」
私は椅子に座ったまま、指先を見る。
石の粉がない。
最近ずっとこれが落ち着かない。
爪の間に白がないと、手が軽すぎる。
宮廷は綺麗だ。
綺麗すぎる。
服も。
床も。 人も。完成されすぎている。
だから時々、削りたくなる。「ルカ様」
「ん」
「今、絶対よくないこと考えましたよね」
「なんでわかるの」
「顔です」
私は少しだけ笑う。
窓の外では、港へまた新しい船が入ってきていた。
交易国家ゼン王国。
金と海と婚姻で動く国。 その中心にある白薔薇宮廷。正室一人。
側室二人。本来なら、均衡するはずの場所。
でも今、そこに平民の彫刻家がいる。 たぶん、それが全部おかしい。 私は机の上の紙束を閉じる。それより、石を触りたかった。
会議室は、今日も静かだった。 静かなまま、話だけが鋭い。「西方港の関税を一部緩和すれば、香料船の入港数は増えるでしょう」セリスが言う。「国内商会が反発します」ヴィオラが返す。「反発は出ます。でも入港が増えれば、港そのものの利益も上がります」「利益が出ることと、通してよいことは別です」「ええ。だから調整するんです」 二人とも声は穏やかだった。 でも、どちらも退いていない。 私は資料を見る。 言っていることはわかる。 下げれば船が来る。 船が来れば金が動く。 でも、元から商売している人たちは面白くない。 面白くない人が増えると、たぶん宮廷が面倒になる。「ルカ」 名前を呼ばれた。「はい」 顔を上げる。 ルシアがこちらを見ていた。「聞いていたか」「聞いてました」「どう思う」 私は少し考える。「下げたいけど、下げると怒る人がいる話ですよね」「そうだ」「怒る人を放っておくと、あとで面倒になる」「そうだ」「大変そうです」 ヴィオラが目を閉じた。「感想ではありません」「すみません」 セリスが少し笑っていた。「でも、聞いてはいますね」「聞いてます」「半分くらい?」「大体は」「何割ですか?」「七割」「残り三割は?」 私は少し黙る。 資料の白い余白が目に入った。 そこから昨日の石を思い出す。 白いけど、少し灰色。 表面は素直そうで、変な筋も少なかった。 鼻筋を細くしても割れなさそうだった。「石です」 会議室が静かになった。 またやったな、と思った。「石」 ルシアが言う。「はい」「会議中だ」「知ってます」「知っていて石か」「三割くらいです」「割合の問題ではありません」ヴィオラが言った。「すみません」 リーネが後ろで小さく息を吐いた。 たぶん、今日もだめだと思っている。「何を考えていたんです?」 セリスが聞く。「顔です」「顔?」「彫る顔」 セリスの目が少し動いた。 笑っているけど、ちゃんと見ている顔だった。「決まったんですか」「まだです」「決まっていないんですね」「そこだけ」 私は机の端に指を置く。 木の角を親指でなぞる。 鼻。 首。 肩。 目元。 別に見えているわけじゃない。 でも、削った後の形が少しだけある。「誰の顔ですか
リーネは有能だ。 朝、私が目を開ける前には部屋にいる。 予定表はもう整っている。 服も、髪紐も、お茶も、なぜか私が探す前に出てくる。「ルカ様、起きてください」「起きてる」「目が閉じています」「心は起きてる」「体も起こしてください」 厳しい。 私は布団の中で少しだけ丸くなる。「今日、何ある?」「午前は衣装合わせ、昼にヴィオラ様との茶会、午後はセリス様から贈答品の確認、夕方は陛下へのご挨拶です」「多い」「減らしました」「これで?」「はい」 リーネは何も悪くない顔で言った。 私は起き上がる。 髪が少し顔にかかった。 リーネがすぐ櫛を取る。 早い。「小童、有能」「誰が小童ですか」 指を指す。「あなた」「……」 リーネは私の後ろに回って、髪を梳かし始めた。 手つきは丁寧だった。 でも時々、櫛が少し強い。「痛い」「寝癖です」「寝癖に罪はない」「あります」 あるらしい。 鏡の中で、リーネの顔を見る。 従者の顔をしていた。 背筋が伸びていて、目がちゃんとしていて、声も崩れない。 王宮の廊下で見る時のリーネだ。 でも私の髪を結ぶ時だけ、少し雑になる。「リーネ」「はい」「眠い?」「眠くありません」「私は眠い」「何言っているんですか」「朝だから眠いの当たり前じゃん。嘘っぽい」「職務中です」「それ答えになってない」 リーネの手が止まった。「……少しだけです」「やっぱり」「ルカ様のせいです」「なんで」「昨日、石を運び込んだあと、深夜に工房でアイデアスケッチしてたじゃないですか」「あれは仕方ない」「仕方なくありません」 怒られた。 でも、リーネの声は王宮の時と違った。 少しだけ尖っていて、少しだけ年相応だった。 私はそれを見るのが嫌いじゃない。「リーネって、商家の子なんだっけ」「はい」「だから段取りうまいの?」「関係あるかもしれません」 リーネは髪紐を結びながら答えた。「うちは小さな商家でしたけど、人の顔色を見るのは早くなります。誰が急いでいるか、誰が怒っているか、誰が払う気がないか」「払う気がない人もわかるの?」「わかります」「すご」「感心するところですか」「有能」「軽いですね」 リーネはため息をつく。 でも少し嬉しそうだった。 私は鏡を見
石工が少しだけ笑った。「いい顔するじゃねえか」 私は白い石へもう一度触れる。 硬いし、冷たい。 でも嫌じゃない。 むしろ安心する。「そんな好きか」「好きだよ」「何がだ?」 私は少し考える。「完成した時」「完成?」「思った形になった時です」「ほう」 私は石を見る。 白いけど、少し灰色。 表面は素直そうだった。 変な筋も少ない。 鼻筋を細くしても割れなさそうだし、首も少し長めに取れる気がする。 まだ何にもなってない。 でも、削った後の形は少し見える。「遠くから見ても変じゃなくて」「うん」「横から見ても崩れてなくて」「うん」「ここを削ったとか、ここを残したとか、そういうのを忘れるくらい自然な時」 石工が黙る。 ちゃんと聞いてる顔だった。「いいじゃねえか」「そうですか?」「職人だな」 私は石へ指を置く。 完成した像は、削った跡が勝つとだめだ。 ここを見てください。 頑張って彫りました。 そういう顔になる。 そういう作風もあるけど、私はあまり好きじゃない。 ちゃんと立ってるものは、最初からそこに居たみたいに見える。 でも、そう見せるために削る。 そこが面白い。「石って嘘つかないので」「ほう」「重心がおかしいと、おかしいままですし」「そうだな」「顔も、少し削りすぎたら戻らないし」「戻らねえな」「だから、完成した時にちゃんと立ってると嬉しいです」 石工が頷いた。 なんか嬉しい。 通じてる感じがする。「王宮は違うのか」 腕を組んで唸る。「うーん…違います」 石工が吹き出した。「素直だな」「すごく違います」 私は少し考える。 ヴィオラ様。 セリス様。 陛下。 三人とも完成して見える。 ヴィオラ様は整っている。 セリス様は崩れない。 陛下は静かだ。 でも本当は、最初からそうだったわけじゃないと思う。 多分、何年もかけてそうなったし、色々あっただろう。 彫刻と少し似ている。 でも人は自分で動く。 石は動かないし、笑わないし、泣かない。だから機嫌も変わらない。「みんな色々考えてるので」「そりゃそうだろ」「石は考えないです」「考えねぇな」 二人で笑う。 風が通った。 石粉が少し舞う。「だから好きなのかも」「何がだ」「石」 石工が腕を
王都の石工通りは、白かった。 道の端にも粉が積もっている。 運ばれる石材。削り音。荷車。 王宮より、こっちの方が落ち着くなと思う。「ルカ様、目立ちますので」 後ろでリーネが小声を出した。「そう?」「そうです」 私は石材店の前で立ち止まる。 大きな白石が並んでいた。 灰色混じり。少し青いのもある。 私はしゃがみこんで、一つへ触れる。 粒が細かい。 ノミが滑らなさそうだった。 横から軽く叩けば、多分素直に割れる。 あ、これ好きかも。「嬢ちゃん、石見る目あるな」店の奥から声がした。 髭のある石工だった。 腕が太い。粉だらけ。 なんか安心する。「触っていいですか」「割らなきゃな」 私は石工の腕を触る。「えぇ…」石工が困惑した。私は少し笑う。「硬そうなので」「石じゃねえのかよ!」 石工が吹き出した。 石工の腕は硬かった。 変な筋肉のつき方してる。 毎日ハンマー振ってる腕だ。「嬢ちゃん変わってんなぁ」「ルカ様、言葉と行動」後ろでリーネが頭を抱えていた。「ん?」「もう少し王宮側室らしく」「石屋じゃん」「だからです」 よくわからない。 私は石へ触れる。 冷たい。 でも中は詰まってる感じがした。 軽く削っても逃げなさそう。「何に使う気だ」「まだ決めてません」「決めてねえのに買うのか?」「決まってない時の方が、石ちゃんと見れるので」 石工が笑った。「変な嬢ちゃんだな」 私は別の石へ移る。 少し筋が入ってた。 でも悪くない。 このくらいなら、鼻筋削る時も逃げない。 首も細くできそうだった。「嬢ちゃん、石やってんのか」「彫ってます」「へえ」 石工が少し近づく。 私の手を取った。「……ああ、なるほど」「?」「その手、ちゃんと削ってる手だ」 石工の指が、私の指先を軽く押す。「指の腹、潰れてる」 親指の横。 人差し指の付け根。 ノミを押さえる場所だった。「ここも硬ぇな」「そこ、ずっと押さえるので」「はは、わかる」石工が笑う。 私は自分の手を見る。 前より少し薄いかも。 王宮に来てから、前みたいに一日中削れてない。「石は正直だからなぁ」石工が私の手を離す。「触ってねえと、すぐ戻る」 私は少しだけ指を握る。 なんか、見抜かれた感じがした
ルシアは、静かな人だ。 怒鳴らない。慌てない。笑わない。 でも、いるだけで空気が締まる。 私はその日、彫刻室の床に座って石を削っていた。 白石だった。 少し灰色が混ざってる。 硬すぎない。でも脆くもない。 削ると、細かい粉が静かに落ちる。 好きな石だった。 床には石粉が散っている。 王宮の部屋なのに、ここだけ少し工房っぽい。 落ち着くなと思う。 削りかけの石像が壁際に並んでいた。 腕だけのやつ。 顔の途中で止まってるやつ。 何かわからなくなった塊。 完成しないものばかりだった。 でも私は、完成前も好きだ。 途中の形って、その時しか見れないので。 コン、と小さく音を鳴らしながら削っていると、後ろで扉が開いた。「また床に座っているのか」 ルシアだった。 黒い服に長い髪。 今日も装飾が少ない。 でも、この人が来ると部屋の空気だけ変わる。「落ち着くので」「椅子があるだろう」「床の方が石近いです」 ルシアが近くまで来る。 この人、足音ほとんどしない。 どんな風に歩いているんだろう。 女王として、習得させられたのか。 いや、違う。多分癖。「何を彫る」「まだ決めてません」「決めていないのに削るのか」「決まる前も楽しいので」 私はまた石へ刃を入れる。 白い粉が落ちる。 ルシアは、その手元をずっと見ていた。 人じゃなく、ちゃんと石を見る。 そこ好きだなと思う。 ヴィオラは人を見る。 セリスは空気を見る。 でもルシアは、ちゃんと対象を見る。 途中で止まった像でも、削りかけの石でも、“未完成”として扱わない。「陛下」「なんだ」「普通、女王ってこんな来ます?」「こんな、とは」「工房とか」「あなたが居るからな」 さらっと言う。 たまに、この人こういうこと言う。 ルシアが、壁際の彫刻へ近づく。 顔の途中で止まった像だった。 片目しか彫ってない。「これは」「失敗です」「そうは見えないな」「鼻が気に入らなかったので」「壊さないのか」「途中も好きなので」 ルシアが像を見る。 長い。 本当に、この人よく見る。「……面白いな」「石ですか?」「あなたがだ」 私は少し考える。「陛下も面白い人ですよね」 静かになる。 外で風が鳴っていた。 窓の白布が揺れる。
セリスは、笑うのがうまい。 私は中庭のテーブルで紅茶を飲みながら、向かい側を見る。 風が少し強かった。 白い布が揺れる。花が揺れる。 でもセリスの笑顔は揺れない。 すごいなと思う。「そんなに見ます?」 セリスが笑った。「見てました?」「かなり」「ルカ、時々すごいことしますよね」「そうですか?」「ええ。人をじっと見るのは、なかなか失礼ですよ」「すみません」「素直ですねぇ」 よくわからない。 でもセリスは楽しそうだった。 この人、いつも空気をやわらかくする。 ヴィオラは空気を整える。 ルシアは空気を止める。 でもセリスは、流れを変える。「今日は石のこと考えてないんですか?」「考えてます」「考えてるんだ」「半分くらい」「残り半分は?」 私は少し考える。「お茶」「平和ですねぇ」 セリスが笑う。 本当に、笑うのうまいなと思う。 笑顔が完成してる。 でも、時々途中で少し止まる。 なんか、計算してるみたいに。「……どうしました?」 セリスがこちらを見る。「いえ」「また見てましたよね」「はい」「隠さないんですね」「隠すんですか?」「普通は」 宮廷、普通が多いな。 私はカップを置く。 紅茶の匂いがした。 少し甘い。 セリスっぽい。「セリス様って、人によって喋り方変えますよね」 セリスが少し瞬いた。「急ですねぇ」「さっきの侍女と話してる時と、今と、違ったので」「見てたんですか」「はい」 セリスが少し笑う。「商人は、相手が欲しい空気を先に読むんです」「空気を?」「ええ。急いでいる人には早く。怖がっている人にはやわらかく。得をしたい人には、得をした気分を」「難しそう」「難しいですよ」 セリスが笑う。 でも今のは、少しだけ本音っぽかった。「外交も同じですか?」「同じです。相手の国が欲しい顔を、先に見せるんです」「顔」「安心したいなら穏やかに。強く出たいなら少し引いて。譲ったと思わせたいなら、少しだけ譲らせる」「怖」「商売ですよ」 セリスは楽しそうに笑った。 でも、今の笑い方は少しだけ違った。 やわらかいのに、どこか硬い。「ルカは違いますね」「何がです?」「人へ合わせない」「人並みには合わせます」「それで?」「はい」 セリスが少しだけ黙った