LOGIN「ミモレ、こっちだよ、早く!」
「おばさん、お母さんは怪我してるの?! 助かるの?!」 「それが……ああ、ここだよ!──ちょいとどいとくれ、娘が来たんだよ!」 息を切らしながら駆けつけた町中の通りでは、豪奢な馬車が停まっていて、その前に人だかりが出来ていた。家族である私が来たと知った人たちは脇に退いて、狭いながらも母への通り道を作ってくれる。考えたくなかった恐ろしいありさまが垣間見え、心臓を搾られる思いで駆け寄り──血まみれになって倒れている母の姿を目の当たりにした。 「お母さん、お母さん! 私よ、ミモレよ!──お母さん!」 「救済院に運べば聖女様が癒して下さるはずだろ!」 「駄目だ、出血が酷くて町外れの救済院までもたねえよ!──それに脚や腕も折れてやがる、多分全身を打ってるんだ。下手に動かしたら……」 「だからって、娘も見てる前でむざむざと見殺しにすんのかよ!」 「──そうとは言ってねえだろ?!」 「お母さん!──お母さん、目を開けて! お母さん!」 繰り返し洗濯して色のくすんだ衣服を着ている母は、全身怪我だらけで頭からの出血が特に目立っているけれど、娘の私でさえ怯えるほどに腕や脚が折れて変な曲がり方をしている。目は白目を剥いていて、呼びかけにも反応しない。 「──まだ息はあるんだ! 聖女様にお越し頂ければ……」 「そうだ、聖女様をお呼び出来れば助かるだろ?!」 辺りがざわめく。──と、一喝する鋭い怒声が響いた。 「──この無礼者どもが! 国の宝である聖女様を、小僧の使いが如くに扱うつもりか! これだから卑しい者どもは厚かましく恥を知らんと言われるのだ!」 あまりにも酷い物言いに、辺りが殺気立って声のした方へと振り向く。馬車の傍らで警護を務めている騎士様が剣の柄に手をかけて、威嚇するように睨みつけてきている。声の主はこの人らしい。 「……お貴族様、卑しかろうが人間を轢いておきながら、だんまりで見物していると思えば……やっと口を開いたら身分のない者は死ねとでも言うんですかい?」 「その女は侯爵様の行く手を遮り妨害したのだろうが!」 「道を歩いてたってだけで罪人みたいな言い方じゃないですか、あたしゃ見たんですよ、その馬車の馬が暴れて……」 「この狼藉者が! 口を慎まねば斬り捨てる!」 いよいよ騎士様が剣を鞘から抜いた。他の護衛している人々もそれに倣う。こちらは全員丸腰だ。さっと恐怖が伝播して皆が青ざめた。 ──聖女様には頼れない? ならば、どうすれば母を救えるのか。たった一人の家族であり、私を育ててくれた大好きなお母さん。そのお母さんが、ぼろ雑巾みたいに──惨たらしい言い方だけれど、まさしくそう言うしかない扱いなのだ──地面にうっちゃられている。 「……お母さん……!」 嫌だ。大好きなお母さんを、こんなふうに死なせるだなんて、喪うだなんて絶対に嫌だ。 嗚咽を漏らす唇を、きゅっと噛みしめる。 ──その時、私に寄り添っていた精霊達が一斉に輝き始めた。私の傍らから母の元へと移動して、母を取り囲む。精霊達は目配せを交わして、にわかには信じがたい事を話しだした。 まず、水の精霊が「私が流れ出る血を止めるから、地の精霊は折れた骨を治して!」と地の精霊に呼びかけた。地の精霊は得たりや応と頷く。 「任せて。──光の精霊は、体内の損傷を癒して」 「任せなさい。──皆、ミモレヴィーテの母親は死なせない。そうでしょう?」 「もちろん!」 「闇の精霊は、ミモレヴィーテの母親が死の淵に立つのを追いやって! 現世に留めるの」 「分かった、任せろ!」 「えっ……精霊さん達……皆、──きゃあっ!」 母を囲む精霊達が一際強く輝きを放ち、発した色とりどりの光が母の中へ吸い込まれてゆく。母を中心にして突風が吹き、辺りは騒然とした。 「なんだ?!」 「分からねえよ、何が起こって……おい、ちょっと見ろよ!」 「嘘だろ、何で出血が止まってんだ……? それに折れてた手足が治ってるのか?」 騎士様の方を向いていた人達は、もはや皆が傷ついていた母の変貌を見て、驚きを隠せずに母と母に寄り添う私を見つめていた。 横たわる母は、出血が酷かったせいだろう、頬に血の気こそないものの、もはや白目を剥いてはいない。ここが路面でなければ、穏やかに眠っているかとも思える程だ。ところどころ裂けて血の染みが出来ている衣服は酷いものだけれど、衣服の裂け目から見える肌に傷は見えなかった。 「……お母さん……?」 傷が消えた母の手を、恐る恐る握る。──すると、母の冷えた指がぴくりと動いて、次いで瞼が微かに動いた。慌てて母の手首を取ってみると、とくとくと脈打っているのが、きちんと伝わってきた。 「おい、これ……何なんだ?!」 「知らねえよ、風で土煙が上がって目の前が見えなくなったと思ったら……それがおさまったら、もう……」 辺りはざわめいているけれど、私は構わず母にすがりついた。正常な呼吸に上下する胸は温かくて、本当にちゃんと生きている。 「……ありがとう……ありがとう、精霊さん、皆が助けてくれたのね……ありがとう……お母さん、お母さん助かったんだよ、精霊さん達が助けてくれたの」 私と母を囲む精霊達は皆が誇らしげに胸を張り、泣いて「ありがとう」を繰り返す私に、撫でるようなくちづけを代わる代わる与えてくれる。 ──この時、私は確かに心から母の命が救われた事を喜んでいた。それだけで胸がいっぱいだった。 だから、精霊さん、と精霊の存在を口にしてしまっていたのだ。今にも息絶えそうだった者が、刹那全ての傷を癒される──そんな奇跡としか言いようのない出来事に直面した人達が周りに大勢いるというのに。 「……今、精霊って言わなかったか?」 「ああ、聞こえたけどよ……でも、あれだろ? 精霊って言やあ聖女様にしか扱えねえ特別なもんだろ?……この子はただの町娘じゃないか」 「でも、ご覧よ。この子の母親の傷は全部治っちまってるじゃないか。──精霊様のお力だよ!」 「そうだよ、あたしたちゃ精霊様の奇跡を見たんだよ! あの土煙も精霊様が起こしたんだ、この子が母親を精霊様で癒すところを見せないようにさ」 「道理でおかしかったわけだよ、あたしゃ母親が馬車に轢かれたって、あの子の家に知らせに行こうと走ってたら何でか町なかの橋に行っちまったんだ! 精霊様のお導きだよ!」 辺りのざわめきに、自分が口走った事の中身の大きさを悟っても手遅れだった。集まっている人達は皆、馬車が人を轢いた事故の衝撃よりも大きな衝撃を受けて興奮している。私は母にしがみついて母の胸もとに顔をうずめながら、母を喪うかもしれない恐怖とは違った焦りに冷たい汗を流した。 ──精霊さん達の事は、口にしないと約束していたのに。こんな人前で破ってしまった。 お母さんを助けてもらえたのに。精霊さん達は私のために頑張ってくれたのに。常に私の味方でいてくれた精霊さん達にとっても、悪い事をしてしまったのだろうか? 分からない。 だって、そもそも母がなぜ精霊達と通じ合える事を秘密にしろと言ったのか、誓わせたのか、その理由も意味も知らないままに守ってきただけなのだから。 ──ぎゅっと目をつぶった時、背後の気配が変わった。 「そこを退け、侯爵様がお通りになられる!──娘、侯爵様直々に訊ねられたいとの事だ、正直にお答えしろ!」 厳しい声に身をすくませて顔を僅かに上げる。人垣が騎士様達によって半ば強引に割られて、声を上げて騒いでいた人達も黙らせられ目配せしながら口を噤むのが見えた。 ややあって、黒い重厚な召し物を着た壮年の男性が馬車から降りて、こちらに歩み寄って来た。この人を乗せた馬車がお母さんを轢いた、そう思いながらも心はどこか呆然としている。私の周りを飛ぶ精霊達は侯爵様を見て、あからさまに顔をしかめた。だが、相手には精霊達の反応は見えてはいない。ついには私の目の前に立ち、無遠慮に見下ろしてくる。まるで売り物を品定めするような目つきだった。 「──お前、そこの婦人の娘で間違いはないのか?」 「……え……」 「髪の色は良く似ているな。肌の白さも。──答えられぬか?」 「おい、娘! きちんと侯爵様にお答えせぬか!」 凄まれて身体を竦ませる。母は傷こそ癒されたものの、出血が多かったせいだろう、意識まではまだ、はっきりとは戻っていない様子だった。怖くても私が自らお答えするしかない。 「……はい、私はお母さんが産んでくれた娘です……」 「そうか、父親は?」 「……分かりません……お母さんが私を育ててくれました」 「……ふむ」 侯爵様は、そこで言葉を止め、少し考え込む様子を見せた。そして私と母を交互に眺め──くっと口角を上げた。 「お前の母親には悪い事をした。傷は癒えているようだが……大分出血したようだ。事故で精神的にも衝撃を受けているだろう。そこでだが、私の屋敷の別棟に運んで養生させようと思う。もちろんお前も一緒に来なさい。母娘が離れては不憫だからな」 「……それは──」 「ああ、心配する必要はない。医者にもきちんと診せよう。町医者では駄目だ、我が家の侍医に診させて適切な治療を受けさせる」 どうやら、口角を上げているのは微笑みのつもりらしい。ぼんやりと気づいたものの、どうしていいか分からない。母と二人、見た事もない貴族のお屋敷で一時でもお世話になるなど、そんな事は想像だにした事もない。縁もゆかりもない身分の方──それが貴族の方々への印象だった。 だが、侯爵様にとっては相談ではなく通告だったらしい。私の返事も待たずに、侯爵様にお仕えしている者達へ「この婦人を馬車へ丁寧に運べ、視察は延期だ。すぐに屋敷へ戻る事にする」と指示を出した。そして、私に向かって「お前も馬車に乗りなさい」と告げ、近くに控えていた騎士様に「あの娘が馬車に乗り込むのを助けてやれ」と命じた。 「……え……そんな……」 「──娘、立ち上がれるか?」 自分が話すだけ話すと、もう用は済んだと言わんばかりに背を向けて馬車に戻ってゆく侯爵様の背中を眺めていると、立派な体躯の騎士様が手を差し出してきた。自力で立てなければ掴まれという事らしい。狼狽えると、他の騎士様達は早々に母を運ぼうとしていた。 「待ってください、お母さんと私は……」 「──ぐずぐずするな」 強引に腕を引かれて立たされる。抵抗しようにも、幼さを残す私では突然の出来事に対処しきれない。精霊達は不満そうな顔つきをしつつも、彼らをどうこうする気はないようだった。 ──ならば、従うべきなのだろうか? 判断する為の材料が少なすぎる。しかし、貴族に対して下手に抗うのは、子ども心にも得策ではないと分かる。 精霊達の態度。身分。それが為に私は抵抗らしい事も出来ないまま、馬車へと連れて行かれた。侯爵様が乗る馬車に控えている、お付きの人が乗る為の馬車へ母娘で乗せられ、ひそひそと何かを言い交わしながら私達を助けようとせずに見送る町の人達を背に、運命の方舟によってか──産まれ育った町から遠ざかっていったのだった──。 ……虹を見た後、クッキーを買って……皆で食べようって言ったのに……。 現実逃避だろうか、不意に思った。遠い過去になってしまった、ささやかだけれど幸せだった約束を反芻せずにはいられなかった。双子に対するお父様の溺愛は半端なものではなかった。乳母の他に赤ちゃんに慣れた専属メイドを雇い入れ、本邸のお父様とお母さんの部屋の隣に赤ちゃん専用のお部屋まで整えさせた。名前はお父様が考え、男の子にはガレスと、女の子には二二アンと名づけられた。早産だったにもかかわらず二人の生育は順調で、お父様が喜ばれるのでお屋敷では使用人にさえ笑顔が増えた。ガネーシャ様もブリジット様も、私相手になら皮肉や嫌味も言えようが、まだ何も分からない非力な赤ちゃんには手の出しようもない。表向きには赤ちゃんを新たな弟妹として歓迎し、お父様の意向に従っていた。そこで溜まる鬱憤は私へと向かうのも仕方ないかもしれない。我が子を生んでくれたお母さんを、お父様が殊更大事にするようになった事も相まって、ガネーシャ様もブリジット様も私にちくちくと尖った言葉を放ってくるのがエスカレートしていた。しかし、お父様にとって私は利用価値ある、次の代の聖女候補として揺るがないものを持っている。それは、ある夜の晩餐でも明らかにされた。お父様が、回復してきたお母さんを交えて久しぶりに全員揃った晩餐で私に言ったのだ。「ミモレヴィーテ、当代の聖女様もお年を召してお力の衰えが見えてきた。お前を次の代の聖女として陛下もお認めの意向を示されておられる。そこで、貴族向けの新聞にお前が紹介される事となった。広く知れ渡る事になるのだから、心を新たに一層励みなさい」精霊達との得がたい契約を交わしているとはいえ、私は17歳のデビュタントもまだ先の、14歳にしかならない子供だ。それが、貴族に向けて──ひいては国に次の聖女として認識されるようになる?私は臆したが、聖女様からの教えも受けている身だ。いずれ避けられない道でもあったのだろう。「……はい、お父様。聖女様からも努めて学ぶように致します」従順に答える私に、お父様は満足げに頷いた。ガネーシャ様とブリジット様はにこやかに祝う素振りで私の出自を元に嫌味を言うのを忘れない。「ミモレヴィーテは、既に貴族により統治される事で生きられた平民ではないからな。より貴族らしく、気高く民に分け与える事も覚えるべきだろう」「そうですわね、ミモレヴィーテお姉様もガラント侯爵家の令嬢として恥ずかしくない振る舞いを更に身につけるべきですわ。いまだに己の専属メイドへ丁寧語でお話しだとか。上に立つ者とし
──月日が経つのは早いもので、聖女様がお住まいになられる皇城内部の神聖宮で、お茶会にお呼ばれしてお話しするようになって、もう数か月が経った。初めのうちこそ縮こまって聖女様のお話しする事を聞き、忘れる事のないようにとばかり考えて余裕もなかったけれど、聖女様がとても柔和に接して下さるので、緊張は堅苦しさを解いてゆくようになった。お茶会の場は神聖宮のお庭か応接室で、今日はお天気が良いからとお庭で開かれている。応接室はどことなく閉塞感があるので、開放的なお庭でのお茶会はありがたかった。芝生は青々として艶があり、植栽も様々な草木や花が調和を成すように計算されていて上品でありながら落ち着く空気を醸し出している。「ミモレヴィーテ様、聖女という者は求められれば、どこにでも赴きます。──たとえ戦地であっても」「戦地にも……危険な場所ですよね?」私はそこを想像してみた。飛び交う怒号、流れる血、生命の奪い合い──戦争を知らない私にとって、それは漠然としていて、ただ戦争というものは恐ろしくて多くの犠牲を伴うとしか分からなかった。「私は精霊様達によって護られますので護衛は必要ございませんのよ。野戦病院にて運ばれてくる方々の癒しに集中するのみでしたわ……あれは、まだミモレヴィーテ様がお生まれになる前の戦でしたわね。今でこそ平定されて、国は平和を享受しておりますが」「そうなのですね……」「例えば上級精霊様達ならば、空間を丸ごと固定して、その場にいる全ての人を癒せますわ。それ程のお力をお持ちなのですよ」「……凄いです……」聖女様とお話ししていると、常に自分が精霊達によって恵まれていると思わせられる。そこに押しつけがましさはなく、むしろ聖女様からの憧憬を感じていた。「──さて、本日はここまでに致しましょうか。日が暮れるまでにご帰宅なされないとミモレヴィーテ様の父君様がご心配されますもの。父君様には、血の繋がりこそございませんけれど……大切にして頂けておりますか?」「……はい、それは……不思議な程大切にされております。私が精霊さん達と自由に集えるようにお庭まで整えて下さって……その上お部屋も別棟で一番広いお部屋を使えるように調度を揃えて下さったのです」「それは良かったですわ。そう言えば、母君様もそろそろ産み月でしたわね。お身体は健やかに保てておられますか?」「はい、初めは悪
しばらく馬車に乗っていると、見える景色が街並みから一転して、そびえ立つ城壁の続く道になった。これ程高さのある頑丈そうな壁を、どうやって建てたのだろうと思っているうちに、城門へと向かい検閲を受けて許可がおり、内部へと進められる。皇城はあまりにも広大で、侯爵家のお屋敷を初めて見た時でさえ大きさに驚いたものだったが、その比ではない。しかも舗装された道の石畳、両脇に植えられた色とりどりの植物、全てが入念に手入れされていると素人目にも分かる。そこを進むと、宮殿の入り口付近に馬車は止まった。ここからは降りて歩いてゆく事になるらしい。宮殿もまた見事に磨き上げられていて、例えば侯爵家のお屋敷が豪奢と言うならば、お城はまさに荘厳と言うにふさわしい。何気なく飾られている装飾品ひとつをとっても重々しく歴史を感じさせる。華美に走らずして、ここまで美しく仕上げられる皇城の差配に私は半ばぽかんとしながら案内の者に従って歩を進めた。もっとも、かしこまりはしても圧倒されて恐れるような事はなかった。精霊達が傍にいてくれているのが気配から伝わってくるので、私はそれを心強く思いながら毅然と歩けていた。ほんの数か月前までは荒ら屋ばかりの下町に馴染んでいたのに、まさか皇城の中を歩く日が来るとは、本当に人の運命は分からない。長い廊下を歩み、重厚な扉の前に立つ。案内の者が「こちらで国王陛下と皇后陛下がお待ちです」と告げた。騎士なのか衛兵なのか、四人がかりで扉が開かれる。広間の先に階段があり、その頂に玉座が見えた。「──そなたが話に聞いた者か。近う来るがよい」「……はい」国王陛下が厳かにお言葉を下さる。促されて私は頷き、静々と足音をたてないように歩いて広間に入って、玉座に向かって練習を重ねたカーテシーをし、口上を述べる。相手は王様とお后様だ、緊張するなという方が無理だが、それでも今まで練習でしてきたどんなお辞儀よりも無理なく出来たカーテシーに勢いを貰えた。「この国の輝ける太陽である国王陛下と、寄り添う満月である皇后陛下に、初めてお目にかかりご挨拶申し上げます。ガラント侯爵家が長女、ガラント・ミモレヴィーテと申します」「よろしい、面を上げよ」「はい」「……ふむ」そっと顔を上げると、国王陛下と皇后陛下が私の何かを意味深な眼差しで見つめてきた。気がつけば、皇后陛下の斜め後ろには下町でお声をか
……そして、深く沈む夜の眠りの果てに、私の世界は急にひらけた。温度のないクリームのような世界に立ち尽くし、辺りを見渡す。私は眠りに就いた時のまま、シュミーズドレスを着ていて、胸許にはショーターから貰ったペンダントが輝いていた。そのペンダントが熱い。波及するかの如く、全身を巡る血が熱くなる。私は自身を放熱させ、遠くから誰かが呼ばうのを感じてとり、熱に浮かされながら叫んだ。「──私を呼ばう者よ、来たれ。私はここにいる!」普段からは考えられない自分の言葉遣いだった。なのに、するりと口をついて飛び出した。声は波を起こし、不可思議な世界の向こうに何かを見た──次の瞬間には、目の前に「彼ら」が立っていた。彼らは六人の異形だった。アポロデス様の至高の美しさにこそ及ばないものの、六人の誰もがはっと息を呑む程に神々しい美しさで、羽の色や形から天使ではなく精霊達だと分かる。圧倒される存在感があり、だけど私は心の奥で昂陽していた。一人が「精霊王様のお導きにより、アーティファクトとミモレヴィーテ様のお力が馴染んだ今宵に馳せ参じました」と告げた。「アーティファクト……?」「そちらのペンダントでございます。贈り主はそれと気づいてはおりませんでしたが……これは、精霊との親和力が抜きん出て優れた方にしか有効には使えない品でございます。──申し遅れました、私は光の上級精霊、白銀の光と申します」名前の通り銀色に輝く光の粒子をまとう、白銀の光と名乗った精霊の言葉を皮切りに、他の精霊達も続けて名乗り始めた。「私は闇の上級精霊、漆黒の夜と申します」漆黒の夜は、新月の夜のような闇色の髪に瞳、まとう粒子も鈍色に光っている。状況が把握出来ないままに、精霊達が次々と口を開いてゆく。「私は風の上級精霊、空を護る者でございます」澄んだ青空を思わせる清々しいような美貌の精霊が、淡い雲みたいな粒子を、己の身に寄り添う風に任せながら、そう名乗った。「私は地の上級精霊、大地を統べる者でございます」空想上の精霊樹を連想させる雰囲気の、新緑色に光る粒子を放つ精霊が低めの重く落ち着いた声で名乗る。その声は重くとも心地よい。「私は水の上級精霊、生命を繋ぐ者でございます」透き通るような肌に、静かな湖を思わせる色が乗った精霊は名乗ると同時に、熱を帯びている私の頬をついと撫でてきた。ふっと、それまで暴れそうだ
「ミモレヴィーテ様、お身体が傾いていますわ、もう一度やり直してください」「は、はい……」カーテシーは、目上の相手に対して行なうお辞儀で、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、何より背筋は伸ばしたまま挨拶をするのが身体のバランスを取りにくい。 両手でスカートの裾を軽くつまんで持ち上げながらともなると、履き慣れないヒールのある靴では重心が傾いてしまう。それでも言われた通りに何とかこなそうとすると、今度はミステラ夫人が「先ほどよりはよろしくなりましたし、ういういしいと思えば愛らしいですけれど、表情が必死すぎて固いですわ。もっと堂々と柔らかく」と注意してきた。「はい……」明日は国王陛下に謁見する。残された時間は僅かだ。これを会得しなければ、国王陛下に対して失礼にあたるし、何より子連れの後妻という微妙な立場のお母さんが陰口を言われてしまう。私はここ数日、ミステラ夫人のレッスンとガネーシャ様からのレッスンの後にも自室で練習するようにしていた。「そうですわよ、優雅に、たおやかに。──そろそろガネーシャお嬢様からの指南のお時間ですわね。少しだけ休憩なされて、ガネーシャお嬢様からも学ばれますよう」「はい、ありがとうございました」正直、疲れてはいる。それでも弱音は吐けない。 「ミモレヴィーテ様も、長い間下町で暮らしておいででしたのに習得がお早いですわ。よく頑張りましたわね」私の気持ちを察したらしいミステラ夫人が優しく言葉をかけて下さる。少し癒される思いだ。「ミモレヴィーテ様、お茶をお運び致しました。こちらを頂いて休まれてからガネーシャお嬢様の元へ行かれますよう。お紅茶にはお砂糖を多めに入れて下さいませ、ミモレヴィーテ様お好きでございますわよね?」マルタがお茶の道具等を運んで来てくれる。軽いお菓子まで一緒に用意してくれていた。「──さ、私は退室致しますので、おくつろぎ下さい。長い時間立ったままでお疲れでしょう」「いえ、ミステラ夫人様には本当にありがとうございました」ミステラ夫人が部屋から出てゆき、私はようやくソファーに腰をおろして足をさする。その間にも、マルタが手際よくカップに鮮やかな色味の紅茶をそそいでくれて、「こちらは精霊様達とお召し上がりくださいませ」と言いながらお菓子もテーブルに並べてくれた。軽くつまめるように、どれも一口サイズの
* * *ガラント侯爵が、自分の娘は全ての属性の精霊と契約を結ぶ事を成しえたと陛下に奏上した──それは、陛下に仕える貴族達の間に波紋を呼んだ。しかも、その娘は契約を結ぶ前に精霊による治癒を二度も行なったという。陛下も今の聖女が四十路半ばという高齢からか、いたくご興味を示され、その娘は陛下との謁見を許された。血筋から言えば、ありえない。ウィルダム公爵はガラント侯爵が知らぬ聖女の血筋についても分かっていた。だからこそ、家臣にガラント侯爵が突如迎えた後妻とガラント侯爵の娘達について調べるよう命じたのだ。都の街では祭りが開催されており、ウィルダム公爵の息子もお忍びで街に出てしまった。息子本人は秘密のつもりだろうが、家長に知らされない訳はない。これが街に出る最後だと話していたそうだから、仕方ないものだと思いながらも許す事にする。息子が最後と決めたのは、ウィルダム公爵を正式に継ぐ為の証を渡したからだと理解してやれない程には狭量ではない。──さて、息子の帰宅が先か、それとも報告書が上がってくるのが先か。執務室でコーヒーを一口含み、息をつく。今日片付けるべき書類は既に目を通し終えている。と、ドアをノックする音が来たるべき知らせを告げた。この音の出し方は執事長のホールズだろう。ウィルダム公爵は「入りなさい」と許しを与えた。静かにドアが開き、すっと洗練された挙措でホールズが入室して来た。手には纏められた紙の束が抱えられていた。厚みはなく、おそらくは数枚の束だろう。「公爵様、お命じになられました調査につきまして、ご報告致します。──こちらをご覧下さいますよう」「ああ、ご苦労だった」丁重に差し出されたそれを受け取り、目を文字に走らせる。ああ、とウィルダム公爵は思った。──サリエル……。君は。報告書には、かつてアムース子爵家の令嬢だったサリエルがディマルテ男爵家との縁談を破棄されて子爵家から勘当され、その後に下町で私生児を生んで、その子供と二人で暮らしていたと記されていた。子供は女児で、幼い頃から時に不思議な様子を見せていたらしい。サリエルはガラント侯爵に見初められるまで下町の公衆食堂で酌婦として働いていたそうだったが、女児が13歳になった時にガラント侯爵の使う馬車がサリエルを轢いてしまい、結果サリエルは瀕死の重傷を負い、女児─







