Share

第3話 お屋敷へ、そして母の素性

last update Last Updated: 2025-10-10 16:48:20

馬車に揺られて連れて来られたお屋敷は、豪奢の一言に尽きた。侯爵様が言っていた別棟でさえも、真っ白な建物は日射しを受けて輝くようで、案内されたお部屋もまた、日当たりが良く内壁だけでなく置かれた家具や敷かれた絨毯までもが、見たこともない高級なもので私はひどく気後れした。町では煤けてくすんだ建物ばかりで、私達母娘も同様の家に住んでいたのだ。すきま風が吹き込む部屋で固い椅子とベッドに慣れていた身としては分不相応にも程がある。見たところ、このお部屋のソファーもベッドもゆったりと大きく、てっきり使用人の人達が休むようなお部屋に案内されると思っていた私には、まるでお嬢様扱いでもされているかのような待遇に恐ろしささえ感じられた。

「ミモレヴィーテ様には、本日よりこちらのお部屋で暮らして頂きます。何か必要なものがございましたらミモレヴィーテ様につくメイドのマルタにお申し付けくださいますよう」

メイド長だと紹介された、貫禄のある女性が──名前はビオラと言っていた──まだ年若く私より少し歳上くらいの女性を控えさせ、淡々と告げる。その女性は私に向かって深くお辞儀をして、「これからミモレヴィーテ様にお仕え致します、マルタと申します」と、なめらかに挨拶してきた。

「……は、はい……お世話になります……」

それにしても部屋が広すぎる。その上お付きのメイドまであてがわれるなんて、扱いの丁重さに萎縮するばかりだ。侯爵様は別棟で母を侍医に診させてくれると仰っていたけれど、所詮平民でしかない母娘なのだから一つのお部屋で母と過ごすことになるとばかり思っていた。

「……あの、お母さんは今……」

馬車から降りてすぐに母とは別にされ、今の部屋に案内された私にとって、それが何より心配だった。母はお屋敷までの道のりでも意識を戻さず、呼吸こそ落ち着いていたけれど血の気が引いた頬は、事故での出血がいかに多かったかを物語っていたし、いくら妖精達が癒してくれたと言っても流れ出た血は体内に戻せないようだった。侯爵様の侍医というお方が診て下さっても、足りなくなった血液はどうしようもないのではないか?──私はお医者にかかった事がないから、治療については何も分からないだけに不安だった。

しかし、ビオラは落ち着いた様子で「ミモレヴィーテ様の母君でしたら、ご心配には及びません。ゆっくりと療養出来るようミモレヴィーテ様とは別のお部屋で休まれておいでですが、看護の者も常に控えております。貧血を補えるように、きちんと薬も出されておりますので」と教えてくれた。

けれど、いくら事故を起こしたからといっても、平民の母娘をお屋敷に迎えて世話をして下さるだなんて不自然に思えて仕方ない。

「あの、せめてお母さんに会わせて頂けませんか?」

たとえまだ意識が戻っていなかったとしても、母が無事な姿を見られれば多少は気持ちも落ち着くはずだ。今は母の傍で母の手を握り、話しかけて寄り添いたかった。

けれど、それさえも「母君には、ただ今侯爵様が付き添われておいででございます。お二人きりにしておいて欲しいと侯爵様は仰せでしたので、侍医も看護の者も隣室に控えております状態ですので、何とぞ我慢なされてくださいますよう」と切り捨てられてしまった。

「侯爵様が……?」

明らかにおかしい。母にこれだけ人手をかけて下さる上に、わざわざ付き添いまでするだなんて高位貴族の旦那様がする事ではない。私にでさえ、こんなに過分なお部屋を用意して下さっているのだから、おそらく母には更に贅沢なお部屋を使わせて下さっているだろう。その予測は、次に続いた言葉で裏付けられた。

「──はい。侯爵様の、亡くなられた奥様が療養にお使いあそばされておいででしたお部屋にてお休み頂いております。お二方が到着なさる前に早馬で、何一つ不足のないように準備せよと侯爵様からのご命令を受けておりました」

「──」

私は言葉を失くして息を呑んだ。立ち尽くす私の周りを、精霊達が心配そうに飛んでまとわりつき顔を覗き込んでくる。

「ミモレヴィーテ、お母さんなら大丈夫」

「そう、私達が癒したもの。すぐに良くなるわ」

「それに、ミモレヴィーテには私達がついてる」

「……あ……皆……」

精霊の言葉で精一杯励ましてくれる皆の気持ちがありがたく、彼らを落胆させるような仕打ちなど出来ようはずもない私は精霊達に微笑みかけた。悩ましい事が多くて、ぎこちない微笑みになってしまったが、それでも私の想いは精霊達に通じたらしい。大丈夫、大丈夫と口々に囀って頬や手にくちづけてくれた。

「──皆、とは。ミモレヴィーテ様、精霊様達がそこにおられるのですか?」

「──! あ、それは、あの……」

落ち着いた様子だけれど、静かに問いかけてくるビオラの低めの声が何やら恐ろしい。幼い頃に母が精霊達について誰にも話さないようにと私に誓わせたのは、今なお私を守る為の事だったのだと雰囲気で感じる。私は返事に窮して俯いた。

「……ご安心を。ミモレヴィーテ様が精霊様達を使役した事は知らされております。まだ屋敷でも一部の者しか知り得ておりませんが……」

「……え……」

「ミモレヴィーテ様、恐れる事も恥じる事もございません。侯爵様はミモレヴィーテ様のお力をご理解の上で、あなた様方母娘を保護なされたのですから」

──保護?

不意と、精霊達が母を癒した時の町の人達が騒ぐ様子を思い出した。あの時の興奮と熱狂。あのままでは、私達母娘は町にはいられずに遅かれ早かれ逃げ出す事になっていただろう。しかし今、母は動ける状態ではないのだ。よしんば家に戻れても、癒しの力を求めて町の人達は押しかけてくるのが容易に想像出来た。正確には私の力で精霊達を使役したのではなく、精霊達が私の為に力を貸してくれただけだと言うのに。──そう、私は精霊達と心を通わせる事が出来ても、使役する方法など分かっていない。精霊達が人々にとって、どのような存在かも分からないのが実情なのだから。

──ぞっとした。

侯爵様は、それらを見抜いて私達母娘をお屋敷に連れて来て下さったのだろうか?

確かに、ここならば安全かもしれない。

「……ありがとうございます」

「お礼でしたら、侯爵様に。──マルタ、ミモレヴィーテ様のお着替えを手伝ってさしあげて。それから熱いお茶を。お疲れでしょうから、甘いお菓子と果物も用意して」

「かしこまりました、お任せください。──さ、ミモレヴィーテ様。湯浴みをお済ませになられて、楽なお召し物にお着替えしましょう。シュミーズドレスをご用意してあります」

「え、あの……」

「浴槽には疲れに効くハーブを浮かべてありますから、お心を落ち着かせられますわ。今日は色々ございましたでしょう、ゆっくりとお湯に浸かって寛いでくださいませ」

優しい口調だけれど、有無を言わせない。私は押し切られるようにバスルームへと連れて行かれた。

「ミモレヴィーテ、お菓子と果物が貰えるの?」

「クッキーはある?」

「町では約束のクッキーを食べられなかったわ、ミモレヴィーテ。でも、私達はミモレヴィーテのお母さんを助けられたから満足なのよ」

「そうそう、ミモレヴィーテはお母さんが大好きだから」

無邪気な精霊達の言葉は温かく、マルタが目の前にいる手前、返事を言葉に出す事は憚られたものの、マルタに気づかれないように精霊達をそっと撫でた。

──私は知らなかった。

その頃、まさに侯爵様が眠れる母の枕元で妖しい笑みを浮かべていた事に。

侯爵様は貪婪に母の寝顔を見つめて、「やっと見つけた」と呟いて──ゆっくりと手を伸ばし、母の白い頬に触れたのだ。

「アムース子爵の娘……サリエル、あの時は既に君の心はあの男のものだった。でも今は違う。私もまた変わった。見ている事しか出来ない無力な若造ではないんだ」

そして、口角をくいと上げる。細められた目は胡乱に光っている。

「サリエル……歳月が翳らせてもなお失われない、清らかな美貌だな。ミモレヴィーテと言ったか……あの娘は美しくなるだろうが……目元や瞳の色が君に似ていない。あの男の血のせいだ。──誰かいるか?」

呼び鈴を鳴らし、人を呼ぶ。侯爵様に仕えて長い執事が現れ、頭を垂れた。

「お呼びでしょうか、旦那様」

「すぐにアムース子爵家へ書簡を送る。サリエルをアムース子爵家の娘として私の後添いに迎え、妻とすると」

「ですが……確か、アムース子爵家はサリエル令嬢をかつて勘当されていたかと」

「勘当か、そのようなものは取り消させる。アムース子爵家は領地の不作で運営が苦しいと聞くが、それを援助しよう。サリエルと引き換えにな」

「──は、かしこまりました」

アムース子爵家。

私ミモレヴィーテは生まれた時から平民だった。それが当たり前に与えられた生だと信じて疑わなかった。父がいなくとも、母がいて満たされていた。

知らなかった。母がアムース子爵家の娘であった事を。

私は、母の事を何も知らなかった。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第10話 精霊との正式な契約、神々しい御方

    ──それは、真っ白に輝く嵐だった。どんな銀細工よりもまばゆい光の嵐。なのに風は感じない。私は光のただ中で目を開けているのも難しいほど輝く空間に包まれて立ち尽くしていた。だが、やがて嵐が収まってゆき、光は優しく私を取り巻く。光の向こうに、誰かが見えた。金色の髪は艶やかに光を反射し、同じく金色の瞳が叡智をたたえて明るい色なのに、とても深い。向こうに誰かいる、──そう見えた次の瞬間には、そのひとは目の前に立っていた。身にまとう白い衣は見たこともない生地と作りで、その容貌を引き立てている。──こんなにも美しいひとは、見た事がない。中性的なような、どことなく男性的な風貌と容姿。神々しい程なのに威圧感はない。そのひとの私を見据える眼差しには、慈しみさえ伺えた。白銀に僅かな金色が溶け込んだような不思議な空間で、そのひとと私は相対する。相手の深い瞳は、感情を伺わせないのに温かく優しく、どこか懐かしい。「……そなたか。精霊との契約なしに、それも二度も精霊を使役した癒しを成したのは」「契約……?」声までも濁りなく美しいひとには、いつしか私と親しんでくれている精霊達が幸せそうにまとわりついていた。「王様、ミモレヴィーテは私達のお友達なのです」「精霊王様、ミモレヴィーテは私達と通じ合える事を内緒にしなくちゃいけなかったんです。契約したら、ミモレヴィーテ以外のひとにも私達が見えてしまうから」「精霊……王様?」「そうよ、ミモレヴィーテ。この方は創造神と唯一対等にお話し出来るお方。精霊の頂点に立たれるお方」これは幻だろうか?──しかし、夢幻にしては鮮やかすぎる。精霊王と呼ばれた方は、私を責める色もなく真っ直ぐに見つめてきていた。急に畏怖がやってくる。創造神とさえ対等に話せる程の方が、なぜ目の前に現れたのか。「大丈夫だ、咎め立てるつもりはないよ。ただ、本来ならば精霊の癒しは、精霊達と契約を結ばなければ十分な力を発揮出来ない。にも関わらず──ミモレヴィーテ、君は瀕死の重傷を負った母さえも癒した。それから様子を見ていたが……君につらく当たる娘さえも精霊達の力を用いて癒しただろう。精霊達と愛し子は一心同体、愛し子の心次第では悪意ある者を癒すなど出来ない。君は本当に変わっている……精霊達との親和性があまりにも強い」「それは……いけない事なのですか?」「悪くはない。しか

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第9話 初めてのお茶会で、そして

    ──そして、初めてのお茶会に参加する日の朝が訪れた。装いの選び方はミステラ夫人直伝だ。自分に何が似合うかをミステラ夫人は基本から教えて下さっていた。装いは十分なはずだ。目立ちすぎず、地味にもならず、清楚で可憐な新参者の令嬢としては完璧に近い。けれど、問題は他の貴族令嬢との交流をした事がなかった点だった。下町で育った私には、当然の事ながら貴族の方々とはまったく面識がない。そのため、お茶会では集まった数人の令嬢達とガネーシャ様が会話に花を咲かせているのを、ただ眺めているしかなかった。焦りをおもてに出してはいけない、退屈そうな素振りなど見せてはいけないと気を張り詰めて、置いてきぼりにされながら微笑みをたたえる。それにしても、昨夜から続く風の中でよく屋外のお茶会を楽しめるものだとも思う。羽織るものも膝掛けもなしにでは、暖まるのはお喋りで動かしている口だけだ。「ガネーシャ様、こちらのお茶は何て華やかな水色に爽やかな香りでしょう。とても美味しいですわ」「ありがとうございます。今日の為に東方から取り寄せた茶葉を使用しておりますのよ。よろしければカスタードのタルトも作らせましたのでお召し上がりになられてくださいませ。このお茶に良く合いますのよ」「まあ、素敵ですわ。そう言えば前回のお茶会に添えられていたミルクジャムも本当に美味しくて。お恥ずかしながら帰宅してから我が家の職人に再現させようと致しましたのですけれど、どうしてもあのお味になりませんでしたのよ。ガネーシャ様のお宅では腕の良い職人をお雇いになられておいでですのね」「お気に召されて下さったのでしたら何よりでしたわ。でしたら、今日の記念として皆様にミルクジャムの瓶詰めをご用意させて頂きますので、ぜひお持ち帰りくださいませ」「まあ、嬉しいですわ。ありがとうございます」「大した事でもございませんわ。お喜び頂けるのでしたら、それが何よりですのよ。──そうそう、アイナ様。先日は私どもをお誕生日のパーティーにご招待下さり感謝致しますわ。楽しく心踊るひと時でしたのよ。アイナ様のご婚約者様、フィヨルド様もお見かけ致しましたわ。変わることなく睦まじいご様子で憧れますの」「まあ、お恥ずかしいですわ。フィヨルド様は私を大切になさって下さいますけれど、私には甘すぎますの。実は、お誕生日の時に頂いたブローチを本日着けてまいりました

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第8話 新たに宿ったもの

    ……幼い頃、一度だけお母さんが話してくれた。人生には、自分が確かに一人の生身の人間として生きていると味わえる出逢いが必ずあると。それが幸か不幸かは分からない。でも、生きている悲しみも喜びも確かに実感出来る出逢い。お母さんは何と出逢い、それを知り人生を変えたのか?私には、まだ分からない。流されるがままに毎日をこなして、今の自分に出来うる許された事をするのみだった。「──お父様、今宵はお酒が随分と進みますのね。少々お召し上がりになりすぎではないですか?」晩餐の時、ガネーシャ様が気遣わしげに口を開いた。お父様は既にワインのボトルを一本空けてしまっておいでだった。けれど、お父様は珍しく上機嫌に快活な笑みをたたえた。「なに、祝いの盃だ。今日は大変喜ばしい事が分かったからな。お前達にも話しておかねばなるまい──サリエルが私との子を妊娠したのだ」私のみならず、ガネーシャ様もブリジット様も咄嗟に言葉が出なかった。カトラリーを扱う手が止まり、お父様とお母さんを交互に見つめて──三者三様に信じられないといった思いを瞳に浮かべる。最初に気を取り直したのはガネーシャ様だった。「まあ、それは本当に喜ばしい事ですわね。お父様、……お母様、おめでとうございます。お祝いを考えなければなりませんわ」次いで、ブリジット様がことさらに朗らかな声を発する。「まさか、この歳になって弟か妹を迎えられるとは思っていませんでした。本当におめでたく、今から生まれてくるのが楽しみですね。父上、誠におめでとうございます」いっそ白々しいほどに、二人とも貴族然として新たな家族を祝福する。ブリジット様がこちらを見やって「ミモレヴィーテも嬉しいだろう、お二人の間の子はお前にとって本当の家族としての架け橋になる」と声をかけてきた。声音こそ明るいものの、言葉の端々に棘が隠されているのに気づかないほど、私も無邪気ではなくなっていた。それでも笑顔を取り繕い、鷹揚に従順に頷いてみせる。「はい、本当に驚きましたけれど……お父様、お母様、おめでとうございます。生まれてくる赤ちゃんの為にも、お母様はお身体をお大事にしてくださいね。でも、お父様がお母様をとても大切にして下さっておいでですので、きっと大丈夫と信じております」子供達の祝いの言葉を満足げに聞いていたお父様は、私の言葉が何よりお気に召したらしい。相好を

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第7話 愛し子として求められるもの

    「──はい、よろしいですわ。テーブルマナーもきちんとマスターなさいましたね」「ありがとうございます!」ガラント侯爵家に迎えられて、まず付けられた指南役のミステラ夫人から頷かれて、私は声を弾ませた。貴族社会のルールやマナー、教養をミステラ夫人は事細かに教えて下さった。「下町訛りも元より耳障りな程ではございませんでしたし、きっとお母様がミモレヴィーテお嬢様を大切にお育てになられたのでしょう。明日からは刺繍をお教え致しましょうね」「はい、よろしくお願い致します」お母さんの事を褒められるのは、自分の努力を褒められるより嬉しい。侯爵様との結婚がお母さんにとって幸せか、それが分からないからなおさらだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、お勉強はお済みでしょうか?」ドアをノックする音が軽く響き、ビオラの声が聞こえる。私は「はい、大丈夫です」とミステラ夫人が許可の目配せをして下さったのを見てから返事をした。静かにドアが開き、ビオラが深々とお辞儀をする。普段はマルタが傍に付いていてくれるので、ビオラが訪れることは珍しい。「ミモレヴィーテお嬢様、今宵の晩餐は御一家揃って食堂にてお召し上がりになられますよう、侯爵様よりお言葉がございました」「侯爵様……お父様が?」父を知らない平民だった私には、まだ言い慣れない呼び方だけれど、お父様と呼ぶように侯爵様から言われている。いずれは慣れるのだろうか。それよりも、お屋敷に迎えられてからずっと、食事は与えられた部屋へと運ばれてきてマルタの世話を受けながら一人で頂いていた。それも仕方のない事で、貴族のテーブルマナーも知らないうちから侯爵家の方々とご一緒しても恥ずかしい思いをするのは私のみならず、私を育ててくれたお母さんもなのだ。侯爵家の皆様を不快にさせるおそれもあり、私はその処遇を受け容れていた。ご一緒するのは緊張してしまいそうで怖かったというのもある。それが、お母さんの結婚から一か月経とうとしている今許された。新しい家族──義理の兄妹となった方々も含めて、疎遠というべきか滅多に顔を合わせた事もない。私がまず教わるべき事が多くて関わるいとまもなかったせいもあるものの、兄妹のお二人が私の部屋を訪れて来て下さった事は一度もなかった。「ミモレヴィーテお嬢様、ちょうどよろしいですわ。学んだ事を皆様にご覧頂く良い機会です」「はい……ですが、

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第6話 侯爵家の息子と娘

    * * *「お父様が再婚なされるお相手は、この侯爵家には相応しくない人なの?」ガラント侯爵家の令嬢として何不自由なく育てられたガネーシャは、小瓶を持って私室にやって来た専属メイドのショーンに問いかけた。13歳の誕生日を迎えたばかりのガネーシャは、何の苦労もなくメイド達によって指先までもが美しく手入れされており、高位貴族の令嬢らしく淑やかに高貴に振る舞う事のみを求められ応えてきていた。「まあ、ガネーシャお嬢様。メイド達の噂話でもお聞きになられましたか?」「屋敷中がこの話でもちきりよ、耳に入れるなという方が難しいわ。……アムース子爵家の方と聞いたけれど……」「ガネーシャお嬢様のお耳に触れるのは致し方ない事と存じますが……取るに足らない身分の女性ですわ。形の上では新しい母君様となりますが、亡くなられた奥様の足許にも及ばぬ者でございますので無理に親しむ必要などございませんのよ。──こちら、本日の美容水でございます」言葉の端々から、ショーンが再婚相手を蔑んでいるのが伝わる。そう、ガネーシャを産んだ本当の母親には到底敵う女性のはずがないのだ。ガネーシャは少し溜飲をおろし、ショーンから美容水の小瓶を受け取った。迷わず蓋を開け、すっと中身を飲み下す。背後に立ってガネーシャの髪を梳き始めたショーンは、その様子を心配そうに見ていた。「ガネーシャお嬢様、こちらの美容水は侯爵様からも禁じられておりますものでございます。お嬢様たってのお願いですのでお運び致しておりますけれど……」「大丈夫よ、ショーン。もう一年以上飲んできているものだわ。ほら、私を見てちょうだい──この肌の色は美容水無くしては手に入れられなかったものだわ。けれど、まだね。もう少し真珠のように……」鏡越しにショーンを見て話していると、美容水を飲んだ直後に話しすぎたのか悪心がガネーシャを襲う。口にしてしまえば美容水は二度と服用出来なくなるため、決して言えない不調をガネーシャは慣れた態度でやり過ごした。ショーンも分かっている。だから、それ以上は諌める事も不調をあからさまに気遣う事も出来ずに「本当にお美しい御髪ですこと、香油を評判の商会の物に変えてから更に艶やかになられましたわ」と話題を逸らして髪を梳く。──と、ガネーシャとショーンの二人きりだった部屋のドアが無遠慮に開かれた

  • たとえ母国が滅んでも〜神に寵愛されし乙女は神に背く〜   第5話 侯爵家の生活とお母さんの婚姻

    ──夜明けを迎える頃、ようやく眠りが浅くなってきたところで、私は夢を見た。シャンデリアが煌めく広いホールに、華々しいドレスを纏ったお嬢様達がエスコートされながら優雅に舞う。そんな光景は平民の私が見た事などないはずなのに、見下ろせば自分も艶やかなドレスを着ている事にも違和感を覚えなかった。淡いピンクのドレスは脇に白いフリルとレースをふんわりと広がるように使われていて、金糸で薔薇が蕾から花開いてゆくさまを刺繍されている。どうやら、夢の中の私は現実よりもいくつか歳上らしい。身体つきが身に覚えのない美しさだった。様々な貴族の令息らしき人達が私に声をかけ、ダンスに誘ってくる。私はひらりと断り、ホールの隅にある椅子へと向かって飲み物をとり、疲労の息をついていた。そこに、お会いした事もないのに不思議とどこか懐かしさを感じさせる令息がやって来て私に向かって穏やかに話しかけた。「ミモレヴィーテお嬢様、デビュタントのパーティーは楽しめておられますか?」「はい、皆様お美しくて蝶か妖精のようです」「このパーティーで最もお美しいお嬢様ですのに、謙虚でおられますね」彼は手入れの行き届いた黒髪に深い緑の瞳が、僅かな影を落としていて私などより遥かに美しく見える。返答に困っていると、すっと手を差し出してきた。「ミモレヴィーテお嬢様、私とダンスを楽しむ栄誉をお与えくださいませんか?」私がファーストダンスは既に他の人──パートナーと済ませていたと、夢の中の私はなぜか認識している。目の前の令息はご令嬢達から注目されていたらしい。羨む声に溜め息が、さざ波のように聞こえてくる。「──はい、よろしくお願い致します」恭しく出された手に自らの手を重ね、私は立ち上がった。あれだけ令息達からの誘いを断ってきていたのに、どうしてか目の前の彼と踊ることは自然に受け容れられた。ホールの中央に歩んでゆくと、ゆったりとした曲に変わる。手を重ね、吐息さえ感じそうな距離で二人踊り始めた。リードが上手いというだけでは納得出来ないほどに踊りやすい。身体が軽くて、まるで広大な空に踊っているかのようだ。「──ミモレヴィーテお嬢様、私は……」熱を帯びた声音で彼が囁きかけてくる。どきりと心臓が脈打ち、私は彼を見つめた。互いの眼差しが絡み合う。──そこで、夢は唐突に途切れた。「……あ……」目を覚ますと、大き

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status