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第2話

Auteur: 天野琴
音は、彼が昨夜どこへ行っていたのかを尋ねなかった。

そして宗也も、自ら口を開くことはなかった。

まるで新聞の一面を賑わせている彼と美咲のスキャンダルなど、藤堂家の妻である自分とは一切関係がないかのように。

宗也は、いつも通り上品に食事をとっていた。

だが、音の口の中は、まるで蝋を噛むように味気なかった。

何口か無理に飲み込み、彼女は彼を見つめて問いかける。

「藤堂さん、今日の昼休み、時間ある?

一緒に悠人の誕生日ケーキを選びに行かない?」

彼女はいつものように、彼を「藤堂さん」と呼ぶ。

結婚してからずっとそうだったし、彼もそれを一度も訂正しなかった。

宗也は顔を上げずに言った。

「昼は取引先と会食だ。

空いてない」

「じゃあ、午後は?」

手にしたスプーンが一瞬止まり、ようやく視線を上げる。

その美しい瞳には、いつものように冷ややかな静けさが漂っていた。

「誕生日ケーキは手配しておく。

お前が気にすることはない」

「でも......自分で選びたいの」

音はいつだって従順で、彼の言葉に逆らうことなどなかった。

しかし、息子の誕生日だけは、自分の手で祝いたかった。

だが、宗也はそのわずかな願いすら許してくれなかった。

彼は眉をわずかにひそめ、冷たく言い放つ。

「音、余計なことはするな」

「藤堂さん、私は悠人の母親よ」

結婚して三年、音が初めて自分の意思をはっきりと示した瞬間だった。

案の定、宗也の表情が険しくなり、食事の続きを取る気も失せたようだった。

彼はスプーンを置き、ゆっくりとナプキンで口元を拭うと、淡々とした声で言った。

「暇なら買い物にでも映画を観にでも行ってくればいい」

そして背を向け、そのまま部屋を出ていった。

去っていく背中を見送りながら、音の胸の奥がきゅっと締めつけられた。

――痛いほどに。

宗也が一緒に行ってくれないので、彼女はひとりで悠人の誕生日ケーキを選びに行った。

ケーキだけではなく、プレゼントも前もって用意していた。

ただ、息子と過ごす時間が少なすぎて、どんな贈り物を喜ぶのか分からなかった。

そこで小百合が教えてくれた。

「悠人くん、最近ぬいぐるみにはまってるんですよ」

それを聞いた音は、柔らかく肌触りのいい布を自分で選び、一ヶ月かけて手縫いの毛糸のぬいぐるみを作った。

せめてこのぬいぐるみが、夜眠るときに傍にいてくれたら。

そんな思いを込めて。

午後、彼女が贈り物を手に藤堂宅を訪ねると、邸の中からピアノの音と楽しげな歌声が聞こえてきた。

近づくと、リビングのソファには大勢の姿があった。

美咲がピアノの前で「ハッピーバースデー」を弾き、雅代が悠人を抱きながら、小さな手を叩いて一緒に歌っている。

宗也はソファに座り、いつもの冷ややかな表情とは違い、穏やかに微笑んでいた。

曲が終わると、美咲が悠人のそばにしゃがみ、宗也に手を振った。

「宗也、早く来て。

一緒にロウソクを吹き消しましょう」

悠人も真似して、嬉しそうに手を振る。

「パパ、いっしょ......」

宗也は穏やかに笑い、二人のもとへ歩み寄った。

三人並んで、ケーキのロウソクを吹き消す。

柔らかな光の中で、二人は悠人の両側に寄り添い、まるで本当の家族のように親しげに見えた。

音は、手にしたケーキとぬいぐるみを強く握りしめた。

胸の奥が、息もできないほど痛んだ。

――本当は、自分こそが悠人の母親なのに。

――息子の誕生日を一緒に祝うのは、自分であるべきなのに。

なのに美咲は、あっさりとその場所を奪った。

「音さんがいらしたわよ」と誰かが声を上げた。

藤堂家の面々が一斉にこちらを振り向く。

雅代の顔がたちまち険しくなり、冷たい声が飛んだ。

「あなた、何しに来たの?」

音は屈辱を飲み込み、それでも息子の姿だけを見つめながら一歩ずつ応接間へと進む。

「お義母さま、今日は悠人の誕生日です。

少しだけ一緒にいさせてください」

「悠人には夏川先生がついているわ。

あなたの出る幕じゃない」

――夏川先生?

音は思わず宗也の方を見た。

彼もまた彼女を見返していた。

その整った顔立ちは、光の中でまるで彫像のように冷ややかだった。

彼が口を開く。

それが説明なのか、ただの知らせなのか、判別がつかなかった。

「美咲は複数の言語が堪能だし、育児も勉強している。

ちょうど悠人が言葉を覚え始める頃だから、母さんが彼女を悠人の語学教育の先生として雇ったんだ」

音の体がわずかに揺れ、頭の中で鈍い音が響いた。

美咲は音楽を専攻していたはずなのに、育児を学んでまで藤堂家に入り込むなんて――

そんなこと、誰にでも目的が分かる。

彼女が宗也を奪うかもしれないとは思っていた。

しかし、息子まで......そこを狙ってくるとは。

美咲は宗也の隣に立ち、にこやかに手を差し出した。

「雅代さん、ご安心ください。

悠人くんのことは、私が責任をもってお世話します」

その笑顔は、テレビで見るよりもはるかに整っていて、どこか艶めいていた。

宗也の隣に立つ二人は、誰が見ても釣り合いが取れていた。

――まるで絵に描いたような、美男美女の並びだった。

音は唇をかみ、真剣なまなざしで宗也を見つめる。

「断ることは、できますか?

私も六カ国語を話せますし、育児の勉強もしました。

私が悠人の面倒を見ることだってできます」

その言葉に、雅代が勢いよく立ち上がった。

「あなたに何の資格があるの?」

冷ややかな声が、部屋の空気を凍らせた。

「音、忘れないで。

あなたがどんなに優秀でも、音の聞こえないろう者なのよ。

藤堂家の後継ぎを、あなたに任せるわけにはいかない」

音は、義母が自分を嫌っていることなどとうに知っていた。

だから争うつもりもなかった。

ただ、宗也だけを見つめた。

わずかな期待を込めて――

その視線に、宗也のまなざしが一瞬だけ揺れた。

しかしすぐに、また冷たい声が返ってくる。

「悠人に聞いてみればいい。

彼がお前といたいかどうか」

音は、美咲の後ろから半分だけ顔をのぞかせた小さな息子に目を向けた。

彼女は袋から毛糸のぬいぐるみを取り出し、しゃがんで呼びかける。

「悠人、ママだよ。

これはママが作った誕生日プレゼントなの」

だが、悠人は美咲のスカートをぎゅっと握り、小さな頭を激しく振った。

「ママ、いらない......美咲ママがいい......」

――美咲ママ?

その言葉の意味に、音の心が凍りついた。

美咲には、もう一つの立場があったのだ。

美咲はやさしく身をかがめ、悠人を抱き寄せて微笑んだ。

「悠人くん、私もあなたのこと大好きよ。

ママを嫌いになっちゃだめだよ。

ほら、これはママが作ったぬいぐるみ。

かわいいでしょ?」

そう言って、音の手からぬいぐるみを取ると、悠人の前に差し出した。

悠人はちらりと見ただけで、それを床に放り投げた。

「いらない......可愛くない......」

そして、ソファに駆け戻り、新しいぬいぐるみを抱きしめながら言った。

「美咲ママの......すき!」

幼い舌足らずな言葉だったが、音にははっきりと意味が分かった。

――息子は、美咲ママの贈り物を選んだのだ。

それを見た雅代が、皮肉な声で続ける。

「さすがはうちの悠人。

夏川先生の選んだぬいぐるみはオーダーメイドで、価値があるもの。

見る目があるわ」

音の顔から血の気が引いた。

美咲は、そんな彼女の震える手をそっと握り、柔らかく言った。

「音さん、どうか落ち込まないでください。

子どもはまだ善悪の区別もつきません。

そのうち本当のママの意味が分かるようになりますから」

――そう、二歳の子どもに善悪なんて分かるはずがない。

けれど、身の回りの大人たちがどう教えるかで、簡単に影響を受けてしまう。

そしてこの家の人たちは、まるで示し合わせたように、彼女を母親の座から遠ざけていた。
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