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口紅②

Author: 雫石しま
last update Last Updated: 2025-07-06 15:52:36

 湊はテーブルの上に置かれた白い小包を手に取り、伝票をじっと見つめた。瞬間、彼の顔色がさっと変わった。伝票には、送り主として「如月倫子」の名前と、「きさらぎ広告代理店」の住所がはっきりと印刷されていた。湊の胸の内で、怒りと不信感が渦を巻いた。如月倫子――賢治の不倫相手とされる女性の名前が、こんな形で目の前に現れるとは。

 

「菜月、如月倫子からのプレゼントだよ」

 

 湊は低く、抑えた声で言った。

 

「えっ!」

 

 菜月がソファから身を起こし、目を大きく見開いた。彼女の声には驚きと恐怖が混じっていた。湊は菜月の肩をそっと押さえ、ソファに座らせた。

 

「落ち着いて。刃物でも入っていたら大変だからね」

 

 湊は努めて冷静を装いながら、キッチンからカッターナイフを持ってきた。小包の表面は無機質な白で、まるで何かを隠しているかのように無言の威圧感を放っていた。湊は慎重にテープを切り、箱を開けた。中には、発泡スチロールの梱包材に包まれた小さな物体が入っていた。湊がそれを手に取ると、菜月が身を乗り出して尋ねた。

 

「それ、なに?」

「口紅だよ」

 

 湊は金色のスティックを手に持ち、ゆっくりと回転させた。深紅の口紅が顔を覗かせ、その先端には唇の形を模したカーブがくっきりと残っていた。明らかに使用済みだった。

 

「や、やだっ!」

 

 菜月が叫び、思わずソファの背もたれに身を押し付けた。彼女の顔は青ざめ、目には恐怖と嫌悪が浮かんでいた。湊もまた、胸の内で沸き立つ怒りを抑えるのに必死だった。この口紅は、ただの贈り物ではない。如月倫子からの挑発――いや、菜月に対する明確な侮辱だった。

 

 湊は伝票をもう一度確認した。そこには、送り主の名前と住所に加え、電話番号が記されていた。菜月が震える声で言った。

 

「湊、この電話番号…賢治さんの携帯電話番号だわ」

 

 湊の眉がピクリと動いた。

 

「それにしても、なんでここの住所がわかったんだろう」

 

 彼は冷静に考えを巡らせた。如月倫子が菜月の自宅を知っているのは、偶然とは思えなかった。

 

「賢治さんが教えたのかも」

 

 菜月が小さな声でつぶやいた。彼女の目は、どこか遠くを見つめているようだった。「まさか、わざわざ不倫相手に自宅の住所を教えるとは思えないな」湊は首を振った。賢治は愚かかもしれないが、そこまで無謀だとは思えなかった。湊の頭の中で、さまざまな可能性が駆け巡った。倫子が独自に調べたのか、それとも別の誰かが関与しているのか。

 

 菜月が突然「あっ!」と声を上げ、ソファから飛び上がった。彼女は部屋の隅にあるチェストに駆け寄り、引き出しをガタガタと開けた。手元が震え、慌てているのが明らかだった。

 

「み、湊これ!」

 

 菜月が取り出したのは、桜色の往復はがきの片割れだった。表には「高等学校同窓会」と書かれ、開催日が3ヶ月前と記されていた。湊ははがきを受け取り、じっと見た。

 

「賢治さん、最初は興味なかったみたいだったのに、裏返した時、表情が変わったの!」

 

 菜月の声には、思い出がよみがえるような切なさが混じっていた。湊がはがきを裏返すと、そこには「幹事 如月倫子」と書かれていた。湊の目が鋭く光った。

 

「倫子は同窓会の幹事だったのか・・・」

 

 湊はつぶやいた。如月倫子がこの同窓会を通じて、卒業生名簿から菜月の住所を入手した可能性が高い。賢治と倫子の関係は、この同窓会をきっかけに始まったのかもしれない。

 

3ヶ月前――あの頃から、賢治の態度は微妙に変わっていた。菜月が気づかなかった小さな変化が、湊の記憶にも浮かんでいた。遅く帰る日が増え、電話に出ない時間帯が増えたこと。菜月には見ず知らずの幹事だったはずの倫子が、賢治にとっては再会した「特別な誰か」だったのだ。

 

 湊は菜月の顔を見た。彼女の目は涙で潤んでいたが、どこか決意のようなものが宿っているようにも見えた。

 

「菜月、残念だけれど、賢治さんは不倫をしている」

 

 湊は静かに、しかしはっきりと告げた。

 

「そうみたいね」

 

 菜月の声は小さかったが、驚くほど落ち着いていた。彼女は口紅の入った箱を見つめ、唇を噛んだ。

 

「こんなもの送ってくるなんて・・・私をバカにしてるのね」

 

 湊は菜月の手をそっと握った。

 

「この後どうするかは菜月が決めるんだよ。決まったら連絡して。いつでも力になるから」

「分かった、湊、ありがとう」

 

 菜月は湊を見上げ、かすかに微笑んだ。その目には涙の跡が残っていたが、どこか乾いたような強さが感じられた。彼女の心の中で、何かが動き始めているようだった。

 

 部屋は再び静寂に包まれた。テーブルの上の口紅は、まるで賢治と倫子の関係を象徴するかのように、そこに不気味に存在していた。湊の頭の中では、次の行動がすでに形になりつつあった。賢治にこの裏切りを水(みず)に流させるつもりはなかった。

 

 倫子の挑発も、ただの悪意ではないかもしれない。この小包には、何かもっと大きな意図が隠されている可能性があった。湊は菜月に言った。

 

「父さんにもこのことを話すべきだ。倫子の動きが気になる。もしかしたら、賢治だけじゃなく、もっと複雑なことが絡んでるかもしれない」

 

 菜月はしばらく考え込むと、湊に向き直った。

 

「湊、お父さんには黙っていて」

「どうして?」

「心配はかけたくないの。賢治さんと話し合ってみる」

「そうか、分かったよ」

 

 湊は窓の外を見やった。夕暮れが近づき、街はオレンジ色の光に染まり始めていた。だが、湊の心は冷たく、鋭い決意に満ちていた。如月倫子が何を企んでいるのか、賢治がどこまで関与しているのか――すべてを明らかにする。そして、菜月を守る。それが湊の決めたことだった。

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