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第十六話:身を燃える炎

Author: 新城凪
last update publish date: 2026-04-22 12:00:35

炎の手は屋敷の外側から上がった。
侵入者《しんにゅうしゃ》がどこから、どのように入り込んだのか。誰にも分からない。
「そのもの」は、風のように、夜の闇のように、どこからでも現れるかのようだった。

ノックはなかった。客ではないことだけは確かだった。

――アスイェは家にいない。
侍女たちは彼にすぐ知らせる暇もなく、ただ手分けして守りに回った。

屋敷は広い。
セラフィナは屋敷の奥の部屋にいたが、濃い煙にむせて目を覚ます。
泣きはしなかった。ただ咳き込み続けた。
やがてその瞳は赤く染まっていく。

――煙のせいなのか、吸血鬼の本能なのか。

セラフィナは床に座り続けた。
アスイェが出かけるとき言い残した。

「良い子にして待て」という言葉は、彼女にとって唯一の指令だった。

一人の侍女が幼子を抱き上げる。
悪意はなく、幼子も抗わなかった。
その侍女はセラフィナを抱え、長い廊下を駆け抜け、燃え盛る庭園を駆け抜け、壊れた天窓《てんまど》を越えた先で、侍女の喉は矢に貫かれた。

だが、そこで矢が
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    炎はすでに消え、屋敷の中へと風が吹き込んでいた。
その風は灰と血の匂いをまとい、割れた窓から静かに部屋へ入り込む。 幼子はアスイェの腕の中に隠れたまま、顔を出さない。
アスイェはただその体を抱きとめ、離さずにいた。
やがて、彼の手が幼子の瞼にそっと触れる。
そのひとつの動きだけで、セラフィナの世界は静けさに包まれた。 ――眠っているように見えた。
だが、セラフィナの唇はわずかに動き、かすかな寝言をこぼしていた。 「……Sia……Sia……」 その声は軽く、夜の迷子になった雛が必死に羽を震わせるような響きだった。 「それは俺の名前じゃない。それは、ただの闇の中の音だ」 アスイェの声が部屋の奥に広がり、やがて闇の中へ溶けていく。 若い子供には意味など分からなくても、アスイェは静かに語りかけた。 セラフィナのまぶたがわずかに揺れ、目が開いた。
まだ夢の残滓を抱えたように、幼い瞳はぼんやりとアスイェを映している。 「お前は――自分の声で、俺を呼ぶんだ」 静かに告げられた言葉が、セラフィナの中に届いた。
彼女はゆっくりと口を開く。
最初に漏れたのは、ひとつの音。 「……ア……」 その発声は痛みを伴うようで、声の震えとともに涙が滲んだ。 「……ス……イェ……」 最後の音が出た瞬間、まるで幼い祝福のように、部屋の蝋燭の火が小さく揺れた。 セラフィナはようや

  • アスイェ•Asyeh   第十六話:身を燃える炎

    炎の手は屋敷の外側から上がった。
侵入者《しんにゅうしゃ》がどこから、どのように入り込んだのか。誰にも分からない。
「そのもの」は、風のように、夜の闇のように、どこからでも現れるかのようだった。 ノックはなかった。客ではないことだけは確かだった。 ――アスイェは家にいない。
侍女たちは彼にすぐ知らせる暇もなく、ただ手分けして守りに回った。 屋敷は広い。
セラフィナは屋敷の奥の部屋にいたが、濃い煙にむせて目を覚ます。
泣きはしなかった。ただ咳き込み続けた。
やがてその瞳は赤く染まっていく。 ――煙のせいなのか、吸血鬼の本能なのか。 セラフィナは床に座り続けた。
アスイェが出かけるとき言い残した。 「良い子にして待て」という言葉は、彼女にとって唯一の指令だった。 一人の侍女が幼子を抱き上げる。
悪意はなく、幼子も抗わなかった。
その侍女はセラフィナを抱え、長い廊下を駆け抜け、燃え盛る庭園を駆け抜け、壊れた天窓《てんまど》を越えた先で、侍女の喉は矢に貫かれた。 だが、そこで矢が喉を貫いた。
侍女は倒れ、血が飛び散り、幼子の身を静かに汚した。 幼子は転がり落ち、炎を見つめたまま、煉瓦と灰の中に崩れ落ちて動かない。
炎の光が夜を白昼《はくちゅう》のように照らし出していた。 そして、セラフィナは泣いた。
いつものように静かに涙をこぼすのではない。
体を震わせ、声を上げて泣いていた。セラフィナの瞳に赤が宿った。
それが涙によるものなのか、吸血鬼としての本能なのか――分からなかった。 幼い彼女は赤い目を開き、牙《きば》をのぞかせ、長い爪までもが伸びていた。
恐れを知らぬはずの幼子が、その名を叫んでいた。 「……Sia――!」 返事はない。
呼びかけに応える声は、どこにもなかった。 危機も、まだ去っていない。
足音が、近づいてくる。 泣いていたセラフィナは、顔を上げた。
視界の向こう、見知らぬ人影が現れる。
彼らは小声で何かを言い交わし、一人が手を伸ばした。
幼子を連れ去ろうとした、 その瞬間――幼子の瞳が鮮やかに赤く光った。
吸血鬼の本能だった。

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