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last update Last Updated: 2025-08-23 11:34:57

 先日のパーティー以来、ペントハウスの空気は以前よりもずっと穏やかだった。翔吾は美月とダイニングで食事を共にするのが常となり、短いながらも言葉を交わすようになっている。

 その平穏は、一通の重厚な封書によって破られた。

 翔吾の父、恭一郎から届いた、「鳥羽・有栖川 両家懇親パーティー」への招待状。事実上の、翔吾と麗華の婚約披露パーティーだった。

「父が、俺と麗華さんの婚約披露パーティーを来週末に開くと通達してきた。俺の意思を完全に無視する気だ」

 翔吾の声は低く、怒りに満ちていた。

「婚約披露パーティー……」

 美月の心臓が冷たくなる。

(これで、私の『仕事』も終わりなのかな。翔吾さんは、結局……)

 彼との間に芽生えた温かい繋がりが、すべて消えてしまうような喪失感に襲われた。絶望的な状況に、苦々しい表情で黙り込む翔吾。美月は、彼の追い詰められた横顔を見て、自分の心を決めた。

(違う。ここで諦めてどうするの。私は、この人を支えるって決めたじゃない)

「……そのパーティーに、私も連れて行っていただけませんか」

「何を言う」

 翔吾が驚いて美月を見た。

「あそこは敵陣そのものだぞ。何を言われるかわかったものじゃない。君をこれ以上、矢面に立たせるわけにはいかないんだ」

「いいえ」

 美月は、静かだが強い意志を込めて言った。

「もう、これはただの『お仕事』ではありません。私も、翔吾さんのパートナーですから。……偽物ですけど」

 最後の言葉に、少しだけ寂しさを滲ませて微笑む。その覚悟に、翔吾は心を打たれた。彼はしばらく彼女を見つめた後、力強く頷いた。

 パーティー当日。会場であるホテルのホールは、前回以上に重苦しく、格式張った空気に満ちていた。翔吾は、美月をエスコートして堂々と会場に現れる。その登場に、会場全体がどよめいた。

 壇上の席
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