***
燿は制服のままの蒼波を自宅へ連れ帰った。二人の様子を見た燿の母親はもう何も言わず、テーブルに食事を並べていく。燿が腹を空かせているため蒼波に着替えさせなかったのだと解っているのだろう。煌の姿がないことに気がついたが、すぐに今日は塾の日だと思い出した。
「さあ、二人ともたくさん食べてちょうだい」 温かい味噌汁に鶏ときのこの和風ソテー、サラダも添えられている。待望の肉の登場に燿は上機嫌で箸を手にした。「いただきます」「おいしそう。いただきまーす」 一心不乱に食べる燿をよそに、蒼波は燿の母親に昼間の出来事を話し始める。「燿ちゃん嬉しそう。お弁当のときに『塊の肉が食べたい』って言ってたから」「ハンバーグもお肉じゃないの」「ほらー。やっぱり肉だよ、燿ちゃん」 燿の口はあいにく咀嚼に忙しくて、返事ができなかった。仕方なく解った解ったとうなずいてみせる。「そういえば蒼波くん、今日は宝物見つかったの?」「今日のはビー玉とこれ」 ブレザーのポケットからテーブルへと置かれたのは、朝拾っていた水色のビー玉と淡い紫色のリボンだった。リボンはどこで見つけたのか知らない。燿は口の中のものを飲み込んでから蒼波に尋ねてみた。「そんなリボン、どこにあったんだ?」「隣のクラスの女子が、家庭科の授業で使った余りをくれたんだよ」「蒼波くん、リボンも集めてるものね」 母親の言葉に笑顔を向ける蒼波を見ながら、燿は自分の喉に魚の骨が刺さったような錯覚に陥る。今朝、蒼波と煌が話しているときにも抱いた奇妙な感覚だった。これは一体なんだろう。燿は一度落ち着こうと思ってグラスのお茶を一口飲んだ。一人残された燿はもう食事をする気も起きなかったので、食器を片づけて自分の部屋へと引き上げることにした。蒼波がなにに対して怒っているのかまったく見当がつかない。 「なんだってんだよ」 燿はベッドに転がり天井を見つめた。あらためて考えてみても、幼馴染み以外に自分たちがどういう関係にあるのかまったく解らない。 ふと昼休みに、クラスメイトの辻山が燿たちに向かって言ってきた台詞が思い出された。 『距離感おかしくね?』 辻山は燿が蒼波の面倒を見すぎているとも、蒼波が燿にくっつきすぎだとも言っていたような気がする。蒼波の不機嫌はそれと関連があるのだろうか。たとえば、実は燿に面倒を見られたくないと思っているとか、一人になりたい時間があるとか、そういうことがあるのかもしれない。 「それにしてはキレ方が不自然っつうか」 蒼波があんな風に声を荒らげるのは珍しい。そして、あんな風に真っ赤になって照れていたのもまた珍しい。いつも蒼波は柔らかく笑っているばかりで激昂することはないし、恋愛沙汰に疎いので照れた顔を見ることも少ないのだ。 あのとき、直前まで燿たちは幼い蒼波が燿に対して、しきりにプロポーズをしていたという話に花を咲かせていた。 小さいころなら誰でも一度はするような、将来の約束の真似事だ。かわいらしく微笑ましいとすら思える話だったのに、蒼波はどうしてあれほど顔を真っ赤にしていたのだろう。今思えば蒼波は泣くのをこらえ、少し震えていた気もする。 あれはまるで、これから好きな人に告白しますという感じだった。もしくは好きな相手に初めてアプローチするような雰囲気とも言える。 そこまで考えて、燿はあることに気づいた。 「まさかな」 もしも蒼波が今もあのころと変わらない気持ちを抱いているのだとしたら? 自分を好きなのだとしたら――……。 「いやいやいや」 燿は両手を目の上にのせて、その考えを打ち消そうとした。そんなことはあり得ない。思えば思うほど首まで赤くなった蒼波の姿が、燿の立てた仮説を肯定してしまう。 推測が当たっているのだとしたら、蒼波が『幼馴染み』と燿に自分たちの関係をまとめられたことに腹を立
「リボンと言えば!」 ぽんと両手を合わせて燿の母親が笑い出す。 「幼稚園のころ、蒼波くんは燿にリボンをたくさんくれてたわよね」 「わあ! やめてやめて!」 蒼波が箸を取り落とし、椅子を蹴る勢いで立ち上がった。慌てふためく蒼波とは対照的に、燿は目を瞬かせる。 「リボンがどうしたって?」 「燿ちゃんも、やめてってば!」 「あら、覚えてないの? 薄情ねぇ」 喚く蒼波の口にサラダのミニトマトを押し込みながら、燿は「それで?」と母親に続きをうながした。 「蒼波くんったら、何回もプロポーズしてたじゃないの! 燿の左手の薬指にリボンを結んで!」 「……そうだっけ?」 燿はそのことをほとんど覚えていない。たぶん、いやきっと大切な思い出だ。それ以前にとんでもない思い出ではないか。 絶叫すると思っていた蒼波の様子をうかがうと、耳はもちろん、首までを真っ赤にしてうつむいていた。 なんとも言えない空気の中、燿の母親は時計を見て「あっ」と短く声を上げる。 「煌の迎えの時間だわ。ちょっと行ってくるわね」 「あ、うん」 燿は半ば呆けたまま母親がリビングから出ていくのを見送った。とりあえず食事の続きをしようと気を取り直す。 「台風みたいだったな」 何も話さないのも気まずいと思って、そう蒼波に声をかけると、突っ立ったままの蒼波が椅子へと崩れるように座った。突然のことに燿は驚き、箸を落としそうになる。 「あー、蒼波? まあ食おうぜ」 「覚えてないんだ」 「ん? ああ。だってチビのころだし、お前とは」 ほかにたくさん遊んだことが楽しすぎたから、と続くはずの燿の言葉を蒼波がさえぎった。 「燿ちゃんにとって、俺ってなに?」 「は?」 蒼波の質問の意図が解らず、燿はすぐに答えることができない。そんな燿を蒼波はまだ赤みの残る顔で見つめてきた。 「ねえ、俺ってなに?」 「なにって、幼馴染み、だろ?」 しどろもどろになりながらも、燿は自分たちの関係についてこれ以上はない最上級の答えを提示する。だが、その答えは間違
*** 燿は制服のままの蒼波を自宅へ連れ帰った。二人の様子を見た燿の母親はもう何も言わず、テーブルに食事を並べていく。燿が腹を空かせているため蒼波に着替えさせなかったのだと解っているのだろう。煌の姿がないことに気がついたが、すぐに今日は塾の日だと思い出した。「さあ、二人ともたくさん食べてちょうだい」 温かい味噌汁に鶏ときのこの和風ソテー、サラダも添えられている。待望の肉の登場に燿は上機嫌で箸を手にした。「いただきます」「おいしそう。いただきまーす」 一心不乱に食べる燿をよそに、蒼波は燿の母親に昼間の出来事を話し始める。「燿ちゃん嬉しそう。お弁当のときに『塊の肉が食べたい』って言ってたから」「ハンバーグもお肉じゃないの」「ほらー。やっぱり肉だよ、燿ちゃん」 燿の口はあいにく咀嚼に忙しくて、返事ができなかった。仕方なく解った解ったとうなずいてみせる。「そういえば蒼波くん、今日は宝物見つかったの?」「今日のはビー玉とこれ」 ブレザーのポケットからテーブルへと置かれたのは、朝拾っていた水色のビー玉と淡い紫色のリボンだった。リボンはどこで見つけたのか知らない。燿は口の中のものを飲み込んでから蒼波に尋ねてみた。「そんなリボン、どこにあったんだ?」「隣のクラスの女子が、家庭科の授業で使った余りをくれたんだよ」「蒼波くん、リボンも集めてるものね」 母親の言葉に笑顔を向ける蒼波を見ながら、燿は自分の喉に魚の骨が刺さったような錯覚に陥る。今朝、蒼波と煌が話しているときにも抱いた奇妙な感覚だった。これは一体なんだろう。燿は一度落ち着こうと思ってグラスのお茶を一口飲んだ。
帰宅した燿は鞄を部屋に投げ込むと、制服のままリビングへ向かう。母親が呆れたと言わんばかりの声を出した。「燿、着替えてきなさい」「腹減ってんだよ」「でも、蒼波くんがまだよ?」「はあ!? あいつまたか!」 燿はがっくりとうなだれる。時計を見ると午後七時半を少し過ぎたところだ。委員会などとうに終わっている時刻である。 このように蒼波が遅くなるのは、決まって燿と別々に帰る日だった。「俺、ちょっとその辺見てくるわ」「だから着替えなさいって」「わーったよ」 部屋へと戻ってTシャツと黒のデニムパンツに着替えた燿は、スマートフォンをポケットにつっこみ、蒼波を迎えに行くため家を出る。「今日はどこにいるんだか」 スマートフォンを耳に当てながら近所を歩いてみるが、コール音は聞こえているものの蒼波が出る気配はなかった。別に蒼波は迷子になっているわけではない。その点は心配する必要はなかった。ただ、例の宝物探しに夢中になってしまうのだ。 ふいに今朝、蒼波がどのコースを走っているのかと訊いてきたことを思い出した。「あいつ、もしかして」 蒼波は恐らく朝に燿が立ち寄った公園にいる。燿はそう直感した。公園まで行くには時間的なことを考えると走らなければならない。部活を終えてくたくたの燿は気が重かった。それでも足は不思議と軽やかに動く。 日が落ちて薄暗くなった住宅街を走り抜け公園まで行くと、やはりそこに蒼波はいた。何かを見つけたのかビー玉を拾ったときのように茂みの前にかがみこんでいる。「蒼波! あーおーば!」「燿ちゃん」 驚く蒼波のそばまで行くと、かがんでいる蒼波の前になにやら光るものが落ちているのが見えた。「どうした? それ、持って帰らないのか?」「うん……迷ってて」 燿は手を伸ばして光るそれを拾い上げる。おもちゃの指輪だった。こんなに蒼波が喜びそうなものはない。それなのに何を迷うのかと燿は首を傾げた。「なんで? 持って帰ればいいだろ」「だって、これは誰かの大事なものかもしれないから」
燿は午後の授業でも食後の眠気と戦っていたが、放課後になればその眠気は驚きの速さでどこかへ飛んでいく。 「燿ちゃん、今日は部活だよね?」 「おう。お前は? 手芸部行くのか?」 「今日は委員会の方に出なきゃならないんだ」 蒼波は小さいころから花が好きだったこともあって、中学生の時も高校に入ってからも園芸委員をしている。校内の花壇の管理が主な仕事だと聞いた。季節の変わり目なので、花がらを摘んだり肥料をまいたりと仕事はたくさんあるのだろう。 「なら終わったら帰ってろ」 「そうする。じゃあ、行くね」 それでも恐らく燿の所属する陸上部の練習よりは、園芸委員会の集まりの方が早く終わると判断してそう告げる。蒼波は少し残念そうな表情を浮かべながら教室から出て行った。蒼波を見送った燿も部室に行くために、急いで鞄に教科書とノートを詰め込む。 部室で競技用ウェアに着替えた燿は、グラウンドに出るとひとつ伸びをした。蝉の声がずいぶん小さくなってきたように思えるけれど、太陽はまだ眩しく肌を刺すように照っている。 着替えているときに今日は各自が決めている練習メニューをこなすようにと指示された。短距離を専門としている燿は、スタートダッシュと加速走に重点を置いたメニューの日だったので、頭の中でイメージしながらまずは入念にストレッチを行う。 前屈をしたのち上体を大きく反らせると、空が見えた。ふと、今朝蒼波が拾っていた水色のビー玉のことを思い出す。 蒼波ははたから見ればガラクタのようなものでも、きれい、かわいいと言って集めるのが好きだ。それは小石やどんぐり、落ち葉だったり、コンビニエンスストアで売られているお菓子のオマケだったり、ボルトやナットだったりすることもある。すべて丁寧に汚れを落として空き瓶に入れて部屋に飾られているので、蒼波の部屋はガラス瓶だらけだ。さらにそこへ蒼波の両親がお土産としてガラス細工をはじめとする海外の工芸品を与えるので、とにかく蒼波の部屋にはものが多い。そして学校の行き帰りに歩いている間が、蒼波にとっては宝物探しの時間なのだ。 燿には蒼波の美の基準はよく解らなかったが、否定する気持ちは一切ない。むしろそんな風にものをいつくしむことができる蒼波
*** 午前の授業の終わりを告げるチャイムが燿の意識を浮上させる。購買に向かう生徒もいるせいか、教室の中は一気に騒がしくなった。 燿がぼんやりとしたまま弁当の包みを取り出していると、後方の席の蒼波が弁当を抱えて小走りに寄ってくる。 「お腹空いたね」 「ん」 「燿ちゃん、今の授業寝てた?」 「まあ、ちょっとな。あとでノート写させてくれ」 教師の声を子守唄代わりに眠り込んでいた燿に蒼波は気づいていたようだ。百八十センチを超える身長の持ち主である蒼波は自然と後ろの席に配置されてしまうため、燿の姿が見えていたのかもしれない。別に知られたからといって困る相手でもないので、ノートを借りる約束を取りつける。蒼波はうんうんとうなずいて燿の向かいに腰かけると弁当を広げ始めた。 弁当は燿の母親のお手製で二人とも中身は同じである。中学生のときにはこの弁当が原因となり、付き合っているのかとか同棲しているのかとか、くだらないからかい方をされたものだ。高校に入りたてだった去年の春にもクラスメイトたちがどよめいたが、燿の方に相手をする気がなかったこともあってすぐに騒動は収まった。気の弱いところのある蒼波はあわあわしていたけれども。 「今日は肉がいいっつったのに」 「ハンバーグも肉じゃない?」 「塊の肉が食いたかったんだよ」 「ハンバーグも塊だけど?」 他愛のない会話を交わしながら弁当を食べる。購買から戻って来たクラスメイトの辻山が燿たちの会話を聞きつけたらしく、笑いながら「確かにハンバーグは肉の塊」と蒼波の髪の毛をかき混ぜ通り過ぎて行った。 「なにするんだよ、もう」 乱れた髪を整えようとしてさらにひどい状態にしている蒼波に、燿は仕方なく向かいから身を乗り出す。 「やってやるから」 緩く髪をすいてやると心地よかったようだ。燿には目を細めている蒼波がまるで大きな猫みたいに思えた。 すると蒼波の頭をぐしゃぐしゃにした辻山が、少し離れた席から声をかけてきた。 「お前らほんっと仲いいよな」 「まあ、十七年の付き合いだし」 燿が簡潔に答えると、蒼波が突然顔を上げる。そして大