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第634話

Author: 木憐青
ふと、目の前にいるこの人が、少しだけ以前よりも遠い存在になったような気がした。

昼食のあと、延浩は午後に温泉へ行こうと提案した。

深雪は断らなかった。

頭を冷やし、考えを整理する時間が、どうしても必要だった。

温泉は白い湯気に包まれ、やわらかな熱気が空気に満ちている。

深雪は縁にもたれ、目を閉じ、湯の温もりを静かに味わった。

隣に腰を下ろした延浩が、そっと彼女の手を握った。

「どうした?なんだか元気がないように見えるけど」

その声には、変わらぬ優しさと気遣いがあった。

深雪は目を開け、延浩を見た。

複雑な眼差しで、唇をわずかに動かした。

問いかけたいことは山ほどある。

でも、どう切り出せばいいのかわからなかった。

結局、彼女は沈黙を選んだ。

今の穏やかな時間を壊したくなかったし、何より、自分の異変を彼に悟られたくなかった。

まだ、確かめる時間が必要だった。

「何でもないわ。ちょっと疲れてるだけ」

深雪は淡く微笑み、落ち着いた声で言った。

「温泉に浸かれば、よくなると思う」

延浩は疑う様子もなく、やさしくうなずいた。

「それなら、ゆっくり休もう」

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