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第1025話

作者: 落流蛍
哲郎は、修司が指差した書画を見つめ、表情をわずかに曇らせた。

「それは、俺の祖父のものだ」

修司の顔色が一変した。

「申し訳ありません、哲郎様」

哲郎は立ち上がり、その書画の方へ歩み寄った。

「構わない」

賀茂爺が亡くなってから、もう長い年月が経った。

それでも彼は、賀茂爺の願いを果たせずにいる。

哲郎の視線は自然と、華恋が贈った書画へと移った。

賀茂爺は本当に華恋を気に入っていた。

たとえ彼女が贈ったものが、この中で最も価値の低いものだったとしても、祖父はそれを丁寧に表装させた。

だが華恋は?

その名を思い浮かべた瞬間、哲郎の胸の内で怒りが沸き上がった。

彼は必ず華恋を追い詰める。

逃げ場をなくし、最後には自分の腕の中に飛び込むしかないように。

哲郎は華恋の書を凝視し、ほかの音は耳に入らなかった。

「哲郎様、ちょっと電話を取ってきます」

彼の返事がなかったので、修司は了承されたものと判断し、携帯を手にドアの方へ数歩進んだ。

通話ボタンを押し、声を潜めて言った。

「もしもし」

「こんにちは。渡辺家当主、渡辺修司様でいらっしゃいますか?」

「そうですが」

「あなたのお持ちの薬の処方を買いたいです」

修司は悪ふざけだと思い、冷たく笑った。

「もう賀茂家に売った」

「お待ちください」

電話の向こうで、小早川の声が響いた。

「渡辺社長、私の提示する金額を聞いてからでも遅くはないでしょう?」

「お前の提示額だと?」

修司はおかしそうに鼻で笑った。

「いいだろう、聞いてやる」

「賀茂家が提示した額の二倍で買い取ります」

修司は失笑した。

「二倍だと?大口を叩くのは簡単だ。賀茂家がいくら提示したか知っているのか?」

「60億、さらに年間売上の三十パーセントで間違いないでしょうか」

その言葉に、修司の目が一瞬大きく見開かれた。

視線の先には、まだ書画を眺めている哲郎。

彼はそっとドアの方へさらに数歩離れ、低声で言った。

「お前はいったい誰だ?」

この金額を知っているのは、ほんの数分前に交わした話の当事者だけ。

その場にいたのは、彼と哲郎、そして藤原執事だけだった。

まさか、藤原執事が漏らしたのか?

いや、藤原執事は二代にわたり仕えてきた忠実な人物。そんなことをするはずがない。

「どこでそれを聞いた
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