——四月上旬、ある日のお昼を過ぎようする頃。
(ふぅ、やっと一つ目の原稿が終わったぁ……)
私、夜鷹空は仕事部屋の中にいる。
今日は預かった原稿を校正したり、雑誌内の特集をゲラへ組み込む編集作業の日。
デスクトップの編集画面や、いくつも書かれている記事の原稿用紙と睨めっこをしていた。
その内、一件分の作業がようやく終えたところだった。
(それにしても、今回の仕事……かなり時間が掛かるなぁ……)
午前の早い時間から、いくつものの記事が書いてある原稿をチェックする。
そうでもしないと、最終締め切りに間に合わない。
赤ペンで修正と加筆しては文字数の調整したりと繰り返し行っていたからだ。
ここ最近、特に校正作業でスケジュールを詰めてたけどようやく落ち着いた。
(そういえば……)
私は、ふと思った。
四月といえば……という話のこと。
(この時期、新人社員は研修や入社式も終わって配属も決まったり、本格的に部署でお仕事を始めてる頃だなぁ)
私も新人社員の頃は真剣に取り組んでいた。
けれど、色々と覚えることが多いし時に先輩からお叱りも飛んで大変だった。
今となっては大変なこともあったけど、懐かしい思い出としみじみ思う。
「空さん、あんまり根を詰めすぎたらダメよ。私も手伝うし一緒にやろう!」
雪絵さんは昔勤めていた出版会社の同僚、桐島雪絵のことである。
雪絵さんと私は入社時の同期。
現在は、昇進して編集エグゼクティブディレクターという肩書を持っている。
云わば編集長に近い役職についているキャリアウーマンだ。
雑誌の特集企画などを立てて受け持っている。
(入社してから同じ部署について一緒に行動して……。あの時、初めて話しかけてくれた雪絵さんのお陰で、特に人付き合いのことで助けてもらってたなぁ)
私が出版社を退職しても、彼女からの校正の手伝いやアドバイスなどお互いに受けたりする。
距離が離れても仕事など苦楽を共にしてできるくらい信頼できる人だ。
もちろん、今受けている仕事も彼女からの依頼として数件入っている。
今後もどこかで彼女の話がちょこちょこ出てくるから、今回はこの辺にするとしよう。
(さて、外はどんな感じかな……?)
家の外の様子を見にデスクチェアから立ち上がる。
レースカーテンを捲り大きな窓から覗いてみた。
暖かい日差しが柔らかくてポカポカしてて気持ちいい。
寒暖差がまだ少し残るも、お昼間の気温はほぼ安定しているだろう。
(今日は良い天気だし、外に出たい!)
外にはほとんど出ず、ずっと家に篭りっぱなしだった。
そんな欲にものすごく駆られている。
(よし! こういう時こそ庭でキャンプをするのが一番!)
けれど、まずは決めないといけないことがある。
キャンプを楽しむために何をするのかということ。
肝心なことはここからの話だ。
庭キャンプでの順序として、食事のメニューを決めることから始まる。
(今日の庭キャンプのご飯は何にしようかなぁ? あっ……そうだった!)
悩み考えている時、最初に浮かぶのは冷蔵庫の中身。
つまり、何の食材が入っているのかを思い出している。
そして真っ先にピンっと来たのが……。
(記憶が正しかったらだけど、昨日お出かけの帰りに寄ったスーパーで、安売りしていた焼肉用の豚肉があったはず)
調理されていた豚肉についている味付けは、塩レモン味で香草の入ったタレの味だ。
これなら、そのまま手軽に焼けるからちょうどいい。
(よし、今日は一人バーベキューに決まり!)
手のひらをグッと力を握り込め、心のやる気が出てきた。
思い立った私はその場からすぐに行動へ移し、仕事部屋から出てキッチンにある冷蔵庫へ向かった。
(えーと、確か……あっ、あった! これだ!)
冷蔵庫の中から今日のメインになる食材・豚肉が入ったトレーを取り出す。
豚肉には、既にタレで混ぜ合わさった状態で味付けされている。
野菜は、私一人分の量で食べるからそんなにいらないと思いたい。
でも、健康面を考えるとお肉と一緒にバランスよく食べたいのもある。
いや、一人なんだから好きなものを選べばそれで充分だ。
今は自分の食べたいものを選ぶことへ優先することにした。
(焼肉と言ったらキャベツに玉ねぎ……とりあえず、この二つあれば食べる分には越したことないかな?)
冷蔵庫の野菜室から、ひとまず二種類の野菜を取り出した。
キャベツは買ったばかりだから、まだ切っていない丸々一玉の状態。
玉ねぎは大きすぎず小さすぎず。
一人で食べる分にはちょうどいいくらい大きさをしている。
(他に何かあったかなぁ……。まぁ、ひとまずこれだけでいっか。思い出したらまた取り出したらいい)
とはいえ、いつまでも悩んでいたらキリがない。
この食材の下ごしらえを今からしないといけないからだ。
(さて、今から野菜を切らないと!)
今はグレー色のルームウェア姿で、仕事終わってからもそのままの状態だ。
服装もこのまま外に出るわけにはいかないから、下ごしらえしてから着替える。
それは、毎度のお決まりである。
この後は、タープを立てたりキャンプ用品を出す作業が待っているのだから……。
緩やかな坂道を登りきった後、ショッピング施設の入口の反対側にある裏手へ行く。そのまま真っ直ぐ行くと、カフェレストランの入口へ着いた。営業時間帯はまだカフェタイム……と言っても、あと一時間ぐらいで終わってしまう。メニューを確認してると、私たちを見かけた店員さんが扉を開け声をかけてくれた。「本日のカフェタイムで提供できるデザートメニューは、残りのドライフルーツのパウンドケーキのみになりますが……いかがでしょうか?」「あぁ、まぁ……とりあえず入ろうか」私はコクっと深く頷いた。恭弥さんは入りますとゴーサインを出し、カフェレストランコーナーへ入ることにした。「お席は空いてる所へどうぞ」(どこにしようかな……あ、ここにしよう)店員さんがそういうと良さそうな席を選ぶように、私は周りを見回す。景色も眺められそうな窓側の席へ指定した。「おっ、外の景色も見えるんだな」「うん、だからここにした」「いいじゃない?」そして店員さんが水を持ってきて早速、注文を取ろうとする。「ご注文はお決まりですか?」「デザートはパウンドケーキのみでしたっけ?」恭弥さんは、その店員さんに質問をかける。「そうですね、他の二つは生憎既に完売してしまいまして……」そう言って、店員さんは申し訳ございませんと頭を下げた。ちなみに完売した他の二つのデザートは、ガトーショコラとベイクドチーズケーキだった。
今日は恭弥さんとドライブも兼ねてのお出かけ。だけど……。「え~……今この辺だけどさぁ~……コレ、どこへ行こうとしてるんだ?」彼と、行きたい目的地の専用駐車場へ向かおうとしているはずだった。しかし、今はそこと別の駐車場付近に居る。コレはつまり、完全に迷ってしまった。車に搭載しているカーナビとスマホのマップアプリで検索したものを照らし合わせている最中だ。(曲がる場所が複雑すぎる……ナビでも難しいなんて)どうやら高速道路のジャンクションらしい所を通ると、すぐ目の前が目的地の駐車場。だが、そこへ辿り着くまで少々ややこしい……。というのも、曲がる場所を間違えてしまうと高速道路に向かう方向へ入ってしまうそうだ。「とりあえず、私も地図見ながら案内のサポートするからゆっくり前へ進んでみよう?」「ん……わかった」そんな訳で、少々不機嫌で難しそうな顔の恭弥さんは運転を再開。私も慎重にフォローをしないといけない。(とりあえず、道の曲がる場所を正しく誘導出来るのを頑張ろう)「恭弥さん、ここを左に……」「ん? ここ?」「そう、ここ」私は曲がるタイミングを伝えながらサポートをしていく。今日は前から行ってみたかった、隣の市にある大きな公園内のフィールドパーク。昨年九月頃にオープンしたものの、予定がなかなか合わなくて行けずじまいだった。(あぁ、やっと恭弥さんと予定の合う日が出来
——タイマーの待ち時間、彼は私たちの出会いを語ろうと提案してくれた。「俺らって、初めて会ったのは何年前だっけ?」「確か……」そう、あれは出版社の創立記念パーティーのこと。「乾杯!」私は当時、編集社員としてまだ一年か二年目くらいの頃だった。重要な事情がない限り、全社員はそのパーティーへ出席していた。(うぅ……。コミュ障の私にとって雪絵さんがいないと心細いなぁ)しかし、当の本人は別の事情あってどうしても出られないという理由で欠席。彼女以外の仲の良い人は一人も居なくて困っていた。乾杯の挨拶など進行通りに進めた後、歓談会へとフリータイムになった。(どうしよう……。私から話しかけるのも……怖い)その時のことだった。一人の男性から、私が一人でいるのを見かけて声を掛けてきた。「ねぇ。君、一人?」「は、はい……」黒のスーツ姿に紅色のネクタイで締めていて、まるでバーテンダーの佇まい。そして彼の手には、ネックホルダー付きの立派な一眼レフのカメラも持っていた。彼の顔から、優しそうな目の眼差しと柔らかい微笑みを見せる。それが、後の夫・恭弥さんだった。当時の彼は、パーティーの出席者兼写真撮影の担当として呼ばれていた。私はふと、その当時のことで一つ疑問に思っていた。「そういえば、あの時、なんで声を掛けてくれたの?」「ん? あぁ、一人だったからのもあるけど……」「けど?」恭弥さんの顔を少し覗き込むと、なぜか少し頬が赤い。「
——次の日の午後。いよいよパーティーの当日がやってきた。恭弥さんは外の収納庫で、キャンプの道具を取り出してメッシュタープなど設営に勤しんでいる。私はキッチンでの作業として、二品のメニューを庭で料理できるように材料の下準備をする。(恭弥さんの料理は楽しみ! だけど、私の作る料理は……大丈夫かな?)緊張も相まって手が少し震えるけど、ひとまず調理から始めなきゃだ。まずは、ローストチキンの下ごしらえから。(えーと、鶏肉に使う調味料はコレだけかな?)……というのもチキンをスパイスやオリーブオイルにつけて、ある程度寝かさないといけないからだ。私は手袋をはめ、鶏肉をフォークで何箇所か突いてからポリ袋の中に入れる。その中にオリーブオイルやハーブソルト、胡椒、ローズマリーを加えて揉みこんでしばらく置いておく。次は、野菜を切る作業に入る。(昨日買った野菜だけど、皮も食べられる新じゃがを選んだんだね)新じゃがをしっかり水で土落としをして、食べられる一口ぐらいのサイズに切っていった。人参はジャガイモよりも少し小さく乱切りにし、ブロッコリーは軸から切り落として小分けに切っていった。野菜も、ジップ付きの袋にまとめて入れた。(ローストチキンに使う食材の準備は完了。次は、パエリアの下ごしらえ……)量の少ないものを作るのは、意外と容易ではなかったりする。玉ねぎをみじん切りにしておいてから、パプリカを切る。(パプリカは四分の一以下ぐらいしか使わないから残りは冷凍しておこう)
——ある記念日の前日。私と恭弥さんは、今スーパーで食材を買いに行っている。なぜなら、夫婦にとって重要なイベントの準備をしている最中だ。それは……次の日に行う私達の結婚記念日。いつもならレストランで予約を取ったりしている。けれど、今年はちょっとした事情があった。 ◇ ◆ ◇ ——遡ることある日、私が晩御飯を食べている時間。この日のおかずは、人参やジャガイモの入った煮込みハンバーグ。リビングでテレビを見ながら、のんびりと頬張っていた。その最中にピコンっと、スマホから通知音が鳴った。(あっ、恭弥さんからだ)恭弥さん「空、今LIMEしても大丈夫?」私「うん、大丈夫だけど……どうしたの?」何となくだけど、彼がちょっと焦っているような気がした。そして、次のメッセージを見て腑に落ちた。恭弥さん「いつも予約しているレストランなんだけど、今年は臨時休業で予約取れなくなったんだ」私「え? そうなの?」恭弥さん「なんか、オーナーシェフが言うにはお店の設備点検らしい」恭弥さんが予約をしようとしているレストラン。その店は仕事関係も含め、私達が懇意しているイタリア料理のカジュアルレストランだ。夫婦で営む一軒家の小さなお店を構え、コース料理を売りにしている。味は一級品なのに、値段が手の届く範囲のリーズナブル。なんでもオーナーシェフは、下積み時代にホテルや有名料理店で修行を積んでいたらしい。オーナーの奥様も、パティシエのスタッフとして店を手伝っている優しい方である
——カシャッ、タンッ、タンタン。(うん、この写真がいいからこれにして……送信っと!)私はスマートフォンのカメラで、出来上がったカレーライスの写真を数枚撮る。写りのいいいものを選択して、恭弥さんにLIMEで送った。もちろん、メッセージも添えて……。(あとは返事が来るまで待つ……その間冷めないうちに食べてしまおう)彼からの返信を待ちながら、カレーライスを食べることにする。「いただきます」手を合わせて食事の挨拶をした後、カレーの皿に添えた木製のスプーンを手に取る。カレーとご飯の狭間の部分をひと口分すくって口へ運ぶ。(おぉ! ガラムマサラをかけたことで、ピリッとしたスパイシーさが増してる)でもそんなに嫌な辛さはなく、大人なら誰でも食べられる辛味が良い。それも加え奥にある甘みや酸味、旨味といったコクのハーモニーが上手く調和されている。(くぅぅ~、やっぱりカレーは美味しいから最高!)一口食べるごとに、どんどん食欲が増していく。時折、カレーに添えた甘めの福神漬けで食感を変えるととまらない。これを食べて、今年も夏バテから乗り越えられたらいいなぁと思っている。——カレーライスを半分くらい食べた頃……。ピコンッ!スマホからメッセージの通知がきた。(あっ、恭弥さんからだ! どんな返事が来たかなぁ?)