Se connecter「律……」
「あいつが、佐伯拓哉か」
律の声は、氷のように冷たかった。拓哉も律の存在に気づき、顔を上げる。
「神崎……律」
「これから、彼女のことは俺が守る」
律は私の前に立ち、拓哉を見下ろした。その姿は、まるで私を守る盾のように見えた。
「これ以上、寧々に近づくな。彼女を、これ以上困らせるな。もう二度と、寧々の前に現れるな、佐伯」
律の声に、有無を言わせない迫力があった。
「さもないと、俺が黙っていない」
拓哉は律の迫力に圧倒されたように、一歩後ずさりする。でも、まだ諦めていない様子だった。
「待てよ、神崎。お前と寧々って、どういう関係なんだ?まさか……」
拓哉の視線が、私と律を交互に見る。その眼差しには、疑念と嫉妬が混じっていた。
「それは、お前には関係ない話だ」
律がきっぱりと遮る。
「寧々は、お前なんかに渡さない」
その言葉に、私の胸が激しく高鳴った。律の、私への想いが込められた言葉。
拓哉は、しばらく私たちを見つめていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
「寧々……本当に、俺じゃダメなのか?」
「ダメ」
私は迷いなく答えた。
「私の答えは、変わらない」
拓哉は、もう一度私を見つめたあと、重い足取りでその場を去っていった。
その背中を見送りながら、私は深いため息をついた。これで、本当に終わりだ。拓哉との関係は、完全に過去のものになった。
「大丈夫か?」
律が優しく私の肩に手を置く。その温かい手のひらに、涙が込み上げてきそうになった。
「ありがとう、律」
「当たり前だ。寧々を守るのは、俺の役目だから」
律の言葉に、胸の奥が温かくなる。
でも同時に、拓哉の疑いの眼差しが頭から離れなかった。彼は、私と律の関係を不審に思っている。
もしかしたら、これ
【律side】成田空港に到着すると、小島さんが迎えに来ていた。彼女の表情は、電話のとき以上に深刻だった。「寧々は!?」俺は真っ先に、寧々の安否を尋ねた。「寧々はどうなんだ!?無事なのか!?」「まだ確認中だけど、かなり危険な状況だったと聞いているわ」小島さんの言葉に、俺の心臓が激しく鳴った。「寧々さん、命の危険に晒されていた可能性もあるから……」「……っ!」命の危険って、そんな……。俺は、拳を強く握りしめる。歯を食いしばり、こみ上げてくる感情を必死に抑え込んだ。「律……」小島さんは、一瞬言葉を失った。彼女の声が、わずかに震える。「律、あなたはそこまでして、彼女を選ぶのね……あなたの覚悟、しかと見届けさせてもらうわ。私にできる限りのサポートはする」俺は、小島さんの目をまっすぐ見つめて言った。「彼女を守るためなら、俺は何でもします。この命に代えても、彼女を守り抜く」それは、俺の心からの言葉だった。もう、自分の気持ちをごまかすことはできない。***空港から直行で、事務所に向かった。天野沙羅が待っているという連絡があった。事務所の会議室のドアを開けると、沙羅が椅子に座っていた。いつものような美しい装いだったが、その表情には何か追い詰められたような色があった。「律くん……」沙羅の顔を目にした途端、俺の怒りが頂点に達した。寧々が受けた苦しみ、恐怖、そして孤独。それらすべてが、沙羅の顔に重なって見えた。「沙羅、君がやったことは、もはや犯罪だ」俺の声は、自分でも驚くほど冷たく、鋭かった。握りしめた拳が、小刻みに震えているのがわかる。俺は単刀直入に切り出した。「俺の人生は、俺が決める。君に口出しされる筋合いはない」沙羅の顔が、さっと青ざめる。「寧々のことは、俺が守る。もう二度と、彼女に近づくな。彼女をこれ以上困らせないでくれ」俺の声に、怒りが込められている
【律side】ニューヨークの撮影スタジオで、俺は最後のカットを撮り終えたところだった。6月の蒸し暑さが、窓の外から漂ってくる。疲労は感じていたが、充実感もあった。寧々に早く会いたい気持ちを抑えながら、予定通り来月の帰国を心待ちにしていた。そのとき、俺のスマホが鳴った。小島マネージャーからの着信。時差を考えると、向こうは深夜のはずだ。緊急でなければ、こんな時間にはかけてこないだろう。「はい……?」「律、大変よ!」電話の向こうの小島さんの声は、明らかに動揺していた。その声を聞いただけで、ただ事ではないと悟った。「どうしたんですか?」「寧々さんの身に、危険が迫っているわ」「え……?」俺の血の気が一気に引いた。心臓がドクンと大きく鳴り、耳の奥で自分の心音が響く。「危険って……寧々に、何があったんですか!?」「天野沙羅が、寧々さんのバイト先や大学にまで現れて……嫌がらせをしているみたいなの。それだけでなく、あなたのマンションの郵便受けに寧々さん宛ての不審な手紙が投函されたり、寧々さんのSNSに自宅で撮影されたかのような私物の画像が送られてきたりしているの」小島さんの説明を聞きながら、俺の手が震え始めた。手のひらには、嫌な汗が滲む。俺が想像していたよりも、事態ははるかに深刻だった。「明らかに、寧々さんの行動が監視されている証拠よ。元カレの佐伯拓哉も、再び彼女に接近している。寧々さんの命の危険もあるかもしれないの!」「今すぐ帰ります」俺は即座に答えた。「律、でも、お仕事が……」俺がこの日のためにどれだけ努力してきたか、小島さんが一番よく知っているはずだ。だけど、そんなもの、寧々の命と天秤にかける価値もない。俺が欲しかったのは、世界的な評価なんかじゃない。ただ、愛する人の隣にいることだけだ。「
「寧々、声が震えてるぞ。無理してないか?何かあったら、すぐに俺に話せ」彼の鋭い観察眼は、画面越しでも私の異変を見抜いてしまう。「ううん、大丈夫だよ」私は必死に笑顔を作る。「律こそ、ちゃんとご飯食べてる?疲れてない?」私は話題を逸らそうとしたが、律は納得していない表情だった。「俺のことはいい。寧々のことが心配なんだ」律の声に、いつも以上の優しさが込められていた。「最近、様子がおかしい。電話の声も、メッセージの文面も……寧々、俺に何か隠してないか?」私は言葉に詰まりそうになった。律に心配をかけたくない。でも、嘘をつき続けるのも辛い。「寧々」律が画面越しに、私の名前を呼ぶ。「一人で抱え込むな。俺は、いつだって君の味方だ」その言葉に、涙がこみ上げてきた。「どんなことでも、俺に話してほしい。君が苦しんでいるのを見ると、俺は何も手につかないんだ」律の優しい声に、思わず涙があふれそうになった。でも、カメラに映らないよう、必死に涙を拭った。「本当に大丈夫?」「うん……卒論の準備で、ちょっと疲れているだけ」私はかろうじて、そう答えた。「無理せず、いつでも頼ってくれよ。どんな時でも、俺がそばにいるから」「ありがとう、律」私は、精一杯の笑顔を見せた。「律の声を聞いたら、元気が出たよ。本当にありがとう」それは、嘘偽りない気持ちだった。律の声を聞いているだけで、不思議と安心できた。通話が終わったあと、私は一人でソファに崩れ込んだ。律の優しさに触れて一瞬安堵したが、同時に彼に本当のことを話せないもどかしさが襲ってきた。本当のことを話せない辛さ。一人でこの困難を乗り越えなければならない孤独感に、胸が張り裂けそうになった。でも、律に心配をかけるわけにはいかなかった。遠い異国で、夢に向かって必死に頑張っている彼に、
それから数日後、大学から突然連絡があった。「一条さん、学生課まで来てもらえますか」電話の向こうの事務員さんの声は、いつもより重々しかった。翌日、学生課を訪れると、課長が深刻な表情で私を迎えた。「一条さん、実はあなたについて告発文が届いているんです」「告発文?」私は驚いて聞き返した。「内容は……」課長が読み上げた告発文の内容に、私は愕然とした。「文学部の一条寧々氏は、A大学の品位を著しく損なう行為を行っている可能性があります。特定の著名人との親密な関係を、SNS上で不適切に示唆する行動が見受けられ……」私はSNSで、律との関係を公にしたことなど一度もない。むしろ、細心の注意を払って秘密にしてきた。「これは、事実ではありません」「そうですね……実際、調べてみましたが、あなたのSNSにそのような投稿は見当たりませんでした」課長も困惑している様子だった。「ただ、こうした告発がある以上、形式的にでも調査せざるを得ないのです」「そんな……」「卒業論文の提出も控えていることですし、今後の動向によっては単位取得に影響する可能性もあります」頭が真っ白になった。もし単位が取れなかったら、卒業できない。大学を出ると、足元がふらついた。これも、きっと沙羅さんの仕業だ。私を大学から、律から、すべてから引き離そうとしている。***嫌がらせは、日に日にエスカレートしていった。ある夜。大学からの帰り道、人通りの少ない住宅街を一人で歩いていると、後ろから車のエンジン音が近づいてきた。最初は、単なる車の走行音だと思っていた。でも、その音は私の背後にぴたりと寄り添い、決して追い越さない。嫌な予感がして、歩くペースを速めた。すると、車も同じように速度を上げた。心臓がドクンと大きく鳴る。今度、私は立ち止まってみた。すると、車もエンジンを静かに響かせながら、ぴったりと止まった。「……っ」私は息を
翌週、私がバイトをしている大学近くのカフェで、奇妙なことが起こり始めた。その日は平日の午後、比較的忙しい時間帯だった。私がレジでオーダーを取っていると、ひとりの女性客が入店してきた。地味なベージュのカーディガン、黒縁の眼鏡、深くかぶった帽子、大きなマスク。完全に変装した格好で、顔はほとんど見えない。でも、その立ち振る舞いには、なぜか気品を感じた。「いらっしゃいませ」私が笑顔で迎えると、その女性は私の前に立った。「メニューを見せて」声は低めで、意図的に声質を変えているようにも聞こえた。私がメニューを差し出すと、彼女は異常なほど時間をかけて見始めた。「このブレンドのコーヒー豆の産地は?焙煎日は?」「エスプレッソの濃さは調整できる?」「このケーキの甘さはどの程度?」「アレルギー対応は、どこまでできるの?」質問が延々と続く。他のお客様が後ろに並んでいるのに、彼女は一向に注文を決めない。「少々お待ちください。確認してまいります」私が厨房に確認に行くと、戻ってきた時にはさらに追加の質問が待っていた。「やっぱり、さっきのとは違うものにするわ」ようやく決まったと思った矢先、彼女は注文を変更した。「アイスラテをホットに。いや、アイスカフェオレに変更で。いえ、やっぱり最初のラテで」後ろに並んでいたお客様たちの視線が、だんだん厳しくなってくるのがわかった。注文をお渡しすると、今度は商品に対するクレームが始まった。「このラテアート、崩れてるじゃない」確かに泡が少し崩れていたが、通常なら気にならない程度だった。「申し訳ありません。作り直しいたします」作り直したラテをお持ちすると、今度は別のクレームだった。「注文したケーキと、違うものが来てるんだけど?」私は確認したが、注文通りのケーキだった。でも、彼女は納得しない。「プロ意識が低いわね」「こんなに時間がかかって、
梅雨入りした東京は、どんよりとした雲に覆われていた。6月に入り、律がニューヨークに発ってから既に4か月が過ぎている。私は相変わらず律のマンションで一人暮らしを続けていたが、最近になって妙な違和感を覚えることが多くなっていた。最初は気のせいだと思っていた。でも、大学からの帰り道、コンビニで買い物をしている時、カフェでバイトをしている時──いつも、誰かに見られているような感覚が拭えなかった。そんなある日。スマートフォンでSNSを見ていると、見覚えのあるアカウントが目に止まった。人気モデル・天野沙羅さんの投稿だった。『彼の隣は、私だけの場所。邪魔な存在は、容赦なく排除する。』私の心臓が激しく鼓動した。これって、私への当てつけ……?もしかして、沙羅さんが私のことを……。震える指を動かしながら、さらに遡って沙羅さんの投稿を見た。『本物の愛は、試練を乗り越えてこそ証明される。偽物は、すぐに馬脚を現す。』『運命の人は、必ず私のもとに戻ってくる。雑音に惑わされることはない。』どの投稿も、まるで私に向けられているかのような内容だった。考えすぎかもしれない。でも、律と私の関係を知っているのは、限られた人だけのはず。それなのに、まるで私の存在を知っているかのような投稿内容に寒気がして、スマートフォンを置いた。***ある日の夕方、友達の彩乃から電話がかかってきた。「寧々?ちょっと変な話なんだけど……」彩乃の声は、いつもの明るさとは違っていた。「どうしたの?」「さっき、知らない人から電話があって……寧々と律くんの関係について聞かれたの」私の心臓がどくんと跳ね上がった。「え?」「女の人で、すごく上品な話し方だったんだけど、『一条寧々さんと神崎律さんの関係について、詳しいことを教えていただけませんか?』って。私、気持ち悪くて切っちゃったんだけど……」スマホを持つ手が震えた。「美郷にも、同じような連絡があったって聞いたよ」「うそ、美郷にも!?」