でも、どうすれば十六夜に会えるだろう。あたしは棒を見ながら考えた。この棒に何かヒントがあるかも。って、ただの棒だった。跨いで見たけど光速で飛んだりもしなさそう。ファンタジーとリアルの関係。そうか、あそこにいたのは自己投影型アバターの十六夜で、いわばファンタジーだ。ならば本体がこちらの世界にいるはずだ。それを探せばよいのだった。
VRブースの火を落として戸締まりを確認し、十六夜の長棹を持って部室を出る。長さ約2m半。バスとか乗れるのか?〈夏波、悪事の首尾はどうだった?〉 生徒管理AIが話しかけて来た。「上々だよ」〈それはよかった。夏波、バイバイ ♪ゴリゴリーン〉「しばらく来ないかもだよ」 返事を待たずに部室を後にした。 校舎を出ると雨はすっかり上がって、夏の日差しが校庭に燦燦と降り注いでいた。さっきの雨水の流れた跡もかろうじて分かる程度になっていた。校門に向かって歩いていると側溝の近くにあたしが流したアジサイの葉っぱが落ちていた。そちらに近づこうと思ったら、突然一陣の風が吹いてその葉を遠くに連れて行ってしまった。それを見ているうち、これから行く先で本当に十六夜に会えるのか不安になってしまった。 十六夜の長棹を持っていたので辻バスでなく歩きで行くことにした。目的地はヤオマン宮殿。辻女からだと20分ほど歩く。高台を見上げればすぐそこに見えるけれど、それは建物が巨大だからで実際はけっこう遠いのだ。十六夜はあそこからロックインしたはずだから、本体もそこにあるはず。本体がある? 十六夜が物になってしまったようで、その言葉を頭の中から追い払った。 行きかう人が長棹を見て奇異な目を向けて来る。走り高跳びには短すぎ、野球のバットには長すぎるこの棒は、やはり部室に置いて来るべきだったろうか。なんかいりそうで持ってきたけれども。 道の両側が高い石垣や垣根になった。元廓のお屋敷街に入ったようだ。長いダラダラ坂を上る。見上げると坂の頂上辺りに陽炎が立っていた。そのさらに上にクレムリンを模したという白亜の御殿、ヤオマン宮殿が見えていた。棹を支えに坂を上っていると、急にお腹がしくしくとなった。疲れて足も前に出ない。暑さのせいかもしれない。日陰を探したが太陽は「長いダラダラ坂で急にお腹が減って歩けなくなることがるんだよ。それはヒダルって奴の仕業でね。そういう時どうすればいいか知ってる?」 ミユキ母さんが言ってたことがあった。「何か食べるの? おにぎりとか、水とか」「何も持ってなかったら?」 ミユキ母さん、あたしまさに今それなの。答えは? はやく。「そういう時はね、掌に『米』という字を書いて呑むといいよ。いっぺんで治るから」 掌に米と書いて呑んでみた。嘘のようにお腹のしくしくが直り、足に力が入って立つことが出来た。坂の上を見上げるとヤオマン宮殿の門はもうすぐそこだった。あそこまで行けばなんとかなる。そう思って、あたしは再び歩き出したのだった。 黒い鋼で出来た大きな門の隅に小扉があって、それだけを監視するかのように守衛室があった。そこのガラスの小窓から髭を生やした警備会社の制服のおじさんがあたしのことを見ていた。そこに近づくと小窓が開いたので、「前園十六夜さんに会いに来ました。同級生の藤野夏波と言います。取り次いでいただけませんか?」「どなたですか?」「藤野夏波です」「いえ。どなたに取り次げと?」「あ、前園十六夜さんです」「前園だれ?」「いざよい」 守衛のおじさんはあたしの顔をじっと見た後、十六夜の長棹を下から嘗めるように見上げて、「そんな人、このお宅にはいないよ。ひやかしなら帰りな」 と言うと小窓を閉じてしまった。あたしはもう一度、小窓を叩いて開けてもらった。「十六夜に取り次いでください。お嬢さんの十六夜に」 守衛さんの表情からうわべの笑みも消えて、「何を言ってるんだお前。前園家に娘さんなどいるものか。ふざけたこと言ってると警察呼ぶぞ」 小窓が勢いつけて閉められた。中から奥にいる誰かと話す声が聞こえた。「死んだ旦那は種無し。女怪一人で子供作ったってか?」 笑い声が聞こえた。 どういうこと? あたしは訳が分からず、ヤオマン宮殿を見上げた。その窓の一つに和服の女性が見えた。きっと高倉さんだろうと思ったところまで覚えている。その後は、意識が
でも、どうすれば十六夜に会えるだろう。あたしは棒を見ながら考えた。この棒に何かヒントがあるかも。って、ただの棒だった。跨いで見たけど光速で飛んだりもしなさそう。ファンタジーとリアルの関係。そうか、あそこにいたのは自己投影型アバターの十六夜で、いわばファンタジーだ。ならば本体がこちらの世界にいるはずだ。それを探せばよいのだった。 VRブースの火を落として戸締まりを確認し、十六夜の長棹を持って部室を出る。長さ約2m半。バスとか乗れるのか?〈夏波、悪事の首尾はどうだった?〉 生徒管理AIが話しかけて来た。「上々だよ」〈それはよかった。夏波、バイバイ ♪ゴリゴリーン〉「しばらく来ないかもだよ」 返事を待たずに部室を後にした。 校舎を出ると雨はすっかり上がって、夏の日差しが校庭に燦燦と降り注いでいた。さっきの雨水の流れた跡もかろうじて分かる程度になっていた。校門に向かって歩いていると側溝の近くにあたしが流したアジサイの葉っぱが落ちていた。そちらに近づこうと思ったら、突然一陣の風が吹いてその葉を遠くに連れて行ってしまった。それを見ているうち、これから行く先で本当に十六夜に会えるのか不安になってしまった。 十六夜の長棹を持っていたので辻バスでなく歩きで行くことにした。目的地はヤオマン宮殿。辻女からだと20分ほど歩く。高台を見上げればすぐそこに見えるけれど、それは建物が巨大だからで実際はけっこう遠いのだ。十六夜はあそこからロックインしたはずだから、本体もそこにあるはず。本体がある? 十六夜が物になってしまったようで、その言葉を頭の中から追い払った。 行きかう人が長棹を見て奇異な目を向けて来る。走り高跳びには短すぎ、野球のバットには長すぎるこの棒は、やはり部室に置いて来るべきだったろうか。なんかいりそうで持ってきたけれども。 道の両側が高い石垣や垣根になった。元廓のお屋敷街に入ったようだ。長いダラダラ坂を上る。見上げると坂の頂上辺りに陽炎が立っていた。そのさらに上にクレムリンを模したという白亜の御殿、ヤオマン宮殿が見えていた。棹を支えに坂を上っていると、急にお腹がしくしくとなった。疲れて足も前に出ない。暑さのせいかもしれない。日陰を探したが太陽は
「元祖」六道園では、十六夜が中島の向こうに消えてすぐ池水に大きな渦ができはじめた。それは徐々に大きくなり、池の水ばかりでなくここに存在する全てのものを吸い込み始めていた。植栽は根こそぎ、庭石はまるごと、芝生は引き剥がされ、玉石は飛礫と化し、すべての物体が中島に開いた真っ黒い穴に引き込まれて行く。それはまるで「元祖」六道園が一点に収縮しているかようだった。あたしはその渦に呑まれまいとアクセスポイントの石橋に急いだが、それすらが目の前を飛んで行ってしまう始末。あたし自身、いよいよ引き寄せる力に耐えられなくなって転んでしまい、でんぐり返しが止まらなくなった。目が回ってもう何が何だか分からなくなった時、背中に何かがぶつかって動きが止まった。後ろに手を回して触ると、それは一本の棒のようだった。あたしはそれにしがみつき渦の引力に耐えた。力を緩めないよう必死だった。ところが辺りを見て気がついた。何故だかその棒だけ渦の力から自由で引きずり込まれていかないのだ。そして「元祖」六道園のほとんどが渦の中に呑み込まれようとする中、その棒がゆっくりと天に向かって上昇し始め、みるみる「元祖」六道園の渦を下方に置いてきぼりにした。再び宇宙の中に放り出されたかと思ったが、その棒はさらにスピードを増し星間を飛翔しだした。そしてついには全ての星を光の筋に変えると、次の瞬間、よく見る青い星の上にいた。地球だった。そして突然暗転。緊急ロックアウトのブザー音が聞こえて来たかと思うと、あたしは園芸部のVRブースの中に戻っていたのだった。 VRブースのスイッチ盤で緊急解除処置をしてブザー音と警戒ランプを消した後、操作パネルを表示させる。「元祖」六道園プロジェクトはどうなったか。開発用モニタにプロジェクト一覧を表示させたがロックインする時のプロジェクトリストには見当たらなかった。試しに六道園で検索をかけたけれど結果一覧に出て来たのはもとの六道園プロジェクトだけだった。もし「元祖」六道園が消失したとしたなら、十六夜はどこへ行ってしまったのだろう。まてまて、あたしが戻れたのなら十六夜だって戻れているはず。リング端末で十六夜に連絡してみた。ダメだった。これまで通りに反応なし。 VRゴーグルを取ってブースの外に出ようとしたら何かにつっかえて転びそうになった。見ると、あの棒がブースの間口で通
暗転。移動の体感。斜面を滑って行く感覚。一瞬またあの原始の地球に彷徨い込むかと不安になったけれど、数秒経った後アクセスポイントの石橋の上にいた。美しく刈りそろえられた植栽。アンジュレーションがf値に調整された青い芝生。さざ波立つ池。中島と須弥山を模した庭石。そこは、さっきロックインした六道園とほとんど変わらぬ景色だった。ただ、州浜だけが違っていた。それは黒白で波紋が描かれ高い波頭が波間に寄せる激しい様を表していた。美しかった。知らぬうちに十六夜は一人でこんなものを仕上げていたのだ。あたしは十六夜を探した。池の上には見当たらなかった。十六夜は水の中であたしを助けてくれた。もしやと思い池の中を覗いてみた。それを見てあたしは怖くなって身を引いてしまった。あたしが目にしたのは果てない底なしの空間だったからだ。空を見上げた。青空のテクスチャーがあるはずの天空は、銀河が流れ幾千万の星が光り輝いていた。それはまさに宇宙だった。池の水はその宇宙を映していたのだった。天と地の銀河と星空。この「元祖」六道園は宇宙の中に存在していた。その時、池の中程から浮き上がってきたものがあった。それはあの水底の石舟でそこにこちらを背にして十六夜が立っていた。池水に棹さしてゆっくりと中島へ漕いでゆく。「十六夜!」 あたしは叫んだ。呼び止めなければ二度と十六夜に会えないような気がしたからだ。けれど十六夜は聞こえなかったらしく、どんどん中島に近づいていった。「十六夜、行かないで! そっちに行っちゃダメだよ」 中島の向こうからまがまがしい気を感じたのだった。思わずあたしは池の中に飛び込んだ。しまったと思ったけれど遅かった。泳ぐ方法を知らなかったのだ。だから藻掻くこともできず星々の間を降下していくしかなかった。太陽系を通り過ぎ、オールトの雲を抜け、超新星爆発やクエイサーの乱舞を横目に見て、オリオン腕に沿って天の川銀河の中心に向かい、巨大ブラックホールに吸い込まれそうになった時、「夏波、手を貸せ」 無意識に伸ばした腕を何かが掴んだ。そしてそのままあたしは水の上に引きずり上げられたのだった。「どうしてここに来られた? 夏波には来られないはずなのに」 石舟の上からそう言ったのは十六夜の声だった。でも、
「濡れますよ」 鈴風が傘を差し掛けてくれた。「やっぱりもう少しやって帰る」「じゃあ、わたしも何かお手伝いを」 と言ってくれたのを、「ううん。先に帰ってて」 と断ってあたしは鈴風にバイバイした。玄関で上靴に履き替えながら雨の降る外を見ると、傘を差した鈴風がキョトンとした表情でこっちを見ていた。〈♪ゴリゴリーン 夏波、また来たんかーい〉 はいはい。「ロックは厳重にお願いね。他の人が来ても入れないで。鈴風もだよ」〈夏波、何かよからぬこと企んでる?〉「そうだね。悪事を働こうと思ってるよ」〈それはワクワクだね〉「だから、少し黙ってて」〈わかりました。ご武運を〉 いつもよりよくしゃべる生徒管理AIだった。 部室に入るとすぐに左側のVRブースに火を入れた。十六夜が使っている右側のVRブースの不具合を心配したというより、いつもあたしが使っているほうからロックインしないと目的が果たせない気がしたからだ。吸気音の後、ドコドコいう起動音が鳴り始める。ロックイン・OKのサインが点くまでの時間がまどろっこしい。その間に管理用のモニターでここ数日の六道園プロジェクトへのロックイン履歴を確認する。やはり十六夜の記録はなかった。それは織り込み済み。肝心なのはもう一つの六道園、「元祖」六道園プロジェクトの履歴だ。あった。ここ数日、律儀に1時間ずつ。そしてたった今、十六夜はロックインしていた。 「なんとでも偽装できるからな」 伊礼社長のロックイン履歴を見て十六夜が言った言葉を思い出した。もしかしたらこれも偽装かもしれない。ロックイン・OKのサインが点いた。左のVRブースに入り、VRゴーグルをつける。ロックイン先を「元祖」六道園プロジェクトに設定して、操作モニター上のROCK・INアイコンをタップする。「ロックイン!」別に言わなくてもいいのだけれど、なんか出た。
アクセスポイントがずれた件については、伊礼社長が早急に原因調査させると約束してくれた。ゴリゴリバースの障害報告がないので、おそらくVRブース単体の不具合だろうとも言っていた。家から六道園プロジェクトにロックインできなかったことや原始地球のような別世界に迷い込んだことは、十六夜に影響がある気がして言わなかった。 その後、VR酔いのような眩暈の症状が出て気持ちが悪くなったので、あたし的には時間はあったけれど鈴風のロックイン制限に合わせて一時間でロックアウトさせてもらった。VRゴーグルを取ると、不思議と眩暈はなくなっていた。 VRブースをスリープさせて帰り支度をしながら鈴風に聞いてみた。「今週末、家から六道園プロジェクトにロックインした?」「いいえ。さっきの子とずっとゲームしてて」 と申し訳なさそうに答えた。さっきの子って、〈訪問者様。さようなら ♪ゴリゴリーン〉 生徒管理AIのセリフとチャイムがよみがえった。どこかで見た瞳。〈佐倉鈴風様、さようなら。夏波、じゃあね ♪ゴリゴリーン〉 もう諦めたよ。 鈴風と二人で廊下を歩いていると開け放たれた窓から風が吹き込んで来た。空は今にも降り出しそうな雲行きだった。生徒用玄関まで来ると、すでに大粒の雨が校庭をぬらし始めていた。「傘、持ってこなかった」 予報は夕方から降ると言っていたので午前中は大丈夫と思ったのだ。「わたし、教室に置き傘あるから取ってきます」「あ、すぐ止むからいいよ」 と言いかけたけど鈴風はもう一年生の教室のある廊下へ走り出していた。 あたしは鈴風を待つ間、玄関の軒下に出て雨が校庭を濡らしてゆくのを眺めることにした。「万物流転」 頭に浮かんだ言葉を口に出してみた。あの時、十六夜はあたしの隣に傘も差さずに立っていた。あたしは玄関先のあじさいの葉っぱを一枚取って土砂降りの雨の中に踏み出した。校庭にはすでに雨水の流れが幾筋かできはじめていた。その一つの流れの側に行き、あじさいの葉っぱを浮かべてみる。浮かべた途端その葉は鮮やかな緑色に変わって、万物流転の小川をゆっくりと流れ出したと思ったら強い流