「そろそろお時間です。あちらのベッドにおもどりくださいませ」
部屋を出るときVRブースの十六夜をもういちど振り返って見た。そのときフラッシュバックのようにあの言葉がよみがえってきた。「鬼子は船であの世へ渡る」 鞠野文庫で見付けた『辻沢ノート』に書いてあった言葉。ミユキ母さんが補陀落渡海って言ってたのを思い出した。VRブースの中にがんじがらめになった十六夜が即身成仏の行者のように見えたせいかもしれない。 なんで他人のために命を賭けるの? じゃあ、だれが十六夜を助けるの?「あたしが十六夜をなんとかするから。待っててね」 あたしは高倉さんに促されるままVR部屋を出て、もとのベッドに横たわった。高倉さんがベッドの枕元の側に来た。あたしはその金色の瞳をみつめながら聞いてみた。「高倉さんは本当は何者なんです? ひょっとして」 十六夜のママが宮木野の亡霊って言ってたのが高倉さんのことだとすると、メイドさんではなくて本当は。「私は宮木野……」 やっぱりそうか。「……神社の宮司の妻です」 違った。残念。そもそも宮木野だって大昔の人だもの、生きてるはずないか。いや、ヴァンパイアっていうからありだけど。もうわけがわからない。「心配ないですよ。ちゃんともとの場所にお連れしますから」 高倉さんがあたしの額に冷たい掌を当てた。あたしは急に眠くなって目をつむったのだった。 目が覚めたのは園芸部の部室だった。あたしはVRブースの中で眠りこけていた。「夏波センパイ。心配になって来てみたらお昼寝ですか?」 鈴風がブースを覗き込んでいた。「外から見たらVRブースに火が入りっぱなしだったんで」モニターの時計を見ると17時だった。鈴風の家は宮木野線で辻沢から六駅先だ。一旦帰ってまた戻ってきたというのだろうか? それにしてはタイミングがよすぎやしないか。あそこで響先生を見てしまって、鈴風もどこかで十六夜のママとつながっているんじゃないかと勘ぐってしまう。家からロックインして確認したというのも用意された言い訳にしか聞こえなくなあたしは十六夜のことを冬凪に相談しようと考えてはいたけれど、今すぐのつもりではなかった。もうすこし気持ちを整理してからと思っていた。「なんで頼み事があるって?」「だって、ソーキ煮そば食べさせてくれる時はいつも何かお願いされるから。この前は、調由香里のこと教えてって頼まれた」 そうだった。それで鞠野文庫で見付けた『辻沢ノート』の著者の四宮浩太郎が調由香里の婿ということが分かったんだった。「そうだったね」「で、何?」 あたしは、鬼子のことは言わないようにして、十六夜の家であったことを冬凪に話して聞かせた。冬凪はその間ずっと右手の甲をさすりながら下を向いて肯いていたが、「わかった。その話、引き受けた」といって顔を上げると目から涙がこぼれ落ちたのだった。冬凪が十六夜のことをそこまで想ってくれてるとは考えていなかったので、その涙を見てあたしもついもらい泣きしてしまった。というか、十六夜のぬけがらを見てからずっと、泣きたい気持ちを抑えていたことに気がついて泣いた。 ひとしきり二人で泣いて、冬凪が、「ソーキ煮そば、まだある?」 と鼻をすすりながら言うので、「あるよ。そばを茹でればすぐ食べられる」「じゃあ、おかわり」 あたしは空の丼を冬凪から受け取ると、二杯目のソーキ煮そばを作るためキッチンに立ったのだった。 お皿の後片付けは冬凪がしてくれるというので、あたしはお風呂に入ることにした。湯船に浸かりながら十六夜が「ボクらは沈まない」 と言っていたのを思い出す。もしボクらというのが鬼子のことであたしも鬼子なら水に沈まないのかもしれない。現に六道園では水の中でも息が出来ていた。ゆっくりお湯の中に潜ってすこしずつ息を吸い込んでみる。グホグホ。グェーホッ! グェーホッ! グェーフォーイ!なわけねーだろ。あれはヴァーチャルだから水でも平気だったんだ。あたしが今まで何度水に落ちて溺れかけたと思ってんだよ。「夏波、平気? ちょっと暴れすぎじゃない?」 ドアの外から冬凪が心配して声を掛けてくれた。「ごめん。ちょっと滑った」
家に帰ると冬凪はお風呂に入っていた。バイトから先に帰ってきていたのだ。晩ご飯の支度をと思ったけれど、今日は色々ありすぎて作る気力がなかったので、異端のソーキ煮そばですますことにした。沖縄ソバではなく日本そばにソーキ煮を乗せるところが異端。ソバを茹でて作り置きのソーキ煮を乗せ、だし汁を掛けるだけで出来るから楽。しかも冬凪の大好物。 ソーキ煮の作り方は、豚の肉付軟骨をぶつ切りにして、ひたひたの水で一時間煮て油を抜く。沖縄ではそれを2回繰り返すらしくその油抜きの徹底ぶりには驚かされる。けれどあたしは一回だけでいいことにしている。ここも異端と言えば異端。ゆで汁を捨てて軟骨を水で洗い汚れを落としたら圧力鍋に入れて、ネギの青いところ、にんじんの捨てるところ、生姜一かけ、ニンニク一かけと一緒に中火の中火で煮る。シューシュー言い出したら中火の小火で残り45分タイマーを掛けて待つ。タイマーが鳴ったら軟骨をサラダ油をひいたフライパンに移し、少し炒めて焦げ目が付いたら、泡盛、黒砂糖、みりん、醤油、鰹だしの煮汁を入れて蓋をして煮汁がなくなってテリが出るまでひっくり返しながら焼く。軟骨が食べられるくらいトロトロになったら成功。難点は泡盛がすぐなくなること。隠して置いてもミユキ母さんが見付けて飲んじゃうから。「夏波帰ってきてたんだ。おお、いい匂い。異端のソーキ煮そばだね」 バスタオルで濡れた髪を拭きながら冬凪がキッチンを覗き込んで言った。「もっとがっつりしたものが食べたかった?」 一日炎天下で働いてヘトヘトになった後だから。「ううん。ソーキ煮そばが食べたかった。ガテンは肉好きって思われてるけど、あんがい麺類食べがち」 またガテンって言っちゃってるのはスルーして、タンパク質のパワーより炭水化物の瞬発力のほうが肉体労働には必須だからだそうだ。 冬凪はソーキ煮そばをすすりながら、今日の調査のことを話してくれた。レーザー調査の結果が出たんだけどと前置きして、「石が見当たらなかったんだよね」 日本庭園の遺跡なのに庭石が一個もなかったのだという。州浜などに蒔かれた小さな石はあるのだけれど、中島にあるはずの巨石やアクセントになる庭石の類いが一切ないのだそう。「何でだと思
「そろそろお時間です。あちらのベッドにおもどりくださいませ」 部屋を出るときVRブースの十六夜をもういちど振り返って見た。そのときフラッシュバックのようにあの言葉がよみがえってきた。「鬼子は船であの世へ渡る」 鞠野文庫で見付けた『辻沢ノート』に書いてあった言葉。ミユキ母さんが補陀落渡海って言ってたのを思い出した。VRブースの中にがんじがらめになった十六夜が即身成仏の行者のように見えたせいかもしれない。 なんで他人のために命を賭けるの? じゃあ、だれが十六夜を助けるの?「あたしが十六夜をなんとかするから。待っててね」 あたしは高倉さんに促されるままVR部屋を出て、もとのベッドに横たわった。高倉さんがベッドの枕元の側に来た。あたしはその金色の瞳をみつめながら聞いてみた。「高倉さんは本当は何者なんです? ひょっとして」 十六夜のママが宮木野の亡霊って言ってたのが高倉さんのことだとすると、メイドさんではなくて本当は。「私は宮木野……」 やっぱりそうか。「……神社の宮司の妻です」 違った。残念。そもそも宮木野だって大昔の人だもの、生きてるはずないか。いや、ヴァンパイアっていうからありだけど。もうわけがわからない。「心配ないですよ。ちゃんともとの場所にお連れしますから」 高倉さんがあたしの額に冷たい掌を当てた。あたしは急に眠くなって目をつむったのだった。 目が覚めたのは園芸部の部室だった。あたしはVRブースの中で眠りこけていた。「夏波センパイ。心配になって来てみたらお昼寝ですか?」 鈴風がブースを覗き込んでいた。「外から見たらVRブースに火が入りっぱなしだったんで」モニターの時計を見ると17時だった。鈴風の家は宮木野線で辻沢から六駅先だ。一旦帰ってまた戻ってきたというのだろうか? それにしてはタイミングがよすぎやしないか。あそこで響先生を見てしまって、鈴風もどこかで十六夜のママとつながっているんじゃないかと勘ぐってしまう。家からロックインして確認したというのも用意された言い訳にしか聞こえなくな
ため息をついた後の十六夜はこれまで見たこともない必死な表情で、「あたしがこうやって血を供給し続けている間はママも今以上のことはしないだろう。でももしあたしが死んだりして血が採れなくなったら他の鬼子を犠牲にするようになる。それは夕霧太夫が阻止するから、そうなるとママはきっと辻沢最凶の存在と共謀して倒そうとする。そうなったら辻沢どころか世界の破滅だ。夏波。お願い。この悪しき流れを止めて欲しい。どうすればいいか、あたしも考えたけれど方法がみつからなかった。でも夏波なら出来る。夏波は庭師AIを完成させられたんだから。もし一人で大変だったら、あの子、冬凪の助けを借りたらいいと思う。冬凪なら何でも知ってるから。それで、きっと辻沢を正しい流れに戻してママの悪事を質してあげて。切に願います」 そこで映像が止まってもとの銀河の映像に戻った。あたしは大きく息を吸い込んだ。息をするのをわすれて見入っていたことに気が付いたから。そして、VRブースの中の十六夜に近づこうとしたら、またモニターに反応があって映像が再生された。「一番大事なこと言い忘れるところだった。さようなら、大好きだよ。夏波」 その後はいくら待っても、十六夜の姿を見ることは出来なかった。 十六夜。他の鬼子に危害が及ばないためにこんな無残な姿になってるなんて、それじゃあまるきり人柱だよ。なんで十六夜は自分のことを助けてって言ってくれないの? あたしには鬼子とか辻沢とか世界とかどうでもいい。また園芸部の部室で10円アイスを食べながら、十六夜といっぱいお話がしたい。それだけなんだよ。 ブースの中の十六夜をよく見てみた。腕は力なく下がり足は投げ出されたままで床を踏んではいなかった。VRゴーグルと酸素マスクを外してみる。やはりそれは「元祖」六道園で見た獣で、目をつぶったままなところと、口元が弛緩している所だけが違った。「これが鬼子の姿なんですね」 VRブースの向こうから見ていた高倉さんに聞いた。「そうです。本来、潮時という、月の満ち欠けのピーク時だけ現わす姿なのですが、ずっとこのままなのです。恐らくは死と復活とを繰り返すにはこの姿でいるしかないのでしょう。鬼子にはヴァンパイア並みの再生力があるからです。とはいえ、その間隔も
大型モニターに映し出された十六夜はいつもの明るい顔をしていた。「夏波。久しぶり、かな? 夏休みになってどれくらいたった? バイトは順調? 相変わらず暑いのだろうね」 そこまで言うと、十六夜は言葉を切った。そして改まった顔になって、「実は夏波に隠していたことがあってね。それをこの映像で言っておきたいと思って高倉さんに夏波が訪ねて来たら見せてもらうように頼んで置いたんだ。それからきっとボクの姿、おっと、あたしの姿を見て怖がらせてしまったかもしれないけど、それはゴメンね。いま、ボクとあたしの統合が起こってて……。そっかそんなこと言ってもわからないか。とにかく、ボクは『辻沢の鬼子』と言われる存在で姿は見たままの獣なんだ。と言ってもあたしも最近になって分かったんだけどね。それが隠していたことなんだけど。何がそうさせたか。そうだな。まず、あたしのママとママの親友の話からするよ」 十六夜は前園日香里と調由香里の話を始めた。それは、以前あたしが高倉さんに聞いた話と同じだった。ただ、最後のところが違った。「調由香里は首を切られて死んだけれど、ママはそれを生き返らそうとしたんだ。ヤオマンには屍人からホムンクルスを生成する技術があって、それを応用すれば可能だと思ったみたいなんだ。でもね、結局屍人は屍人だった。いくらやっても元のように生き返らせることはできなかった。それで何度も出来たホムンクルスを滅殺しては試行錯誤を繰り返し15年という歳月が流れた。そして3年前、ホムンクルス生成技術にイノベーションが起きた。それは、若い女の血を使うという方法だったんだ」 そこで十六夜は言葉を切って下を向いた。むせ返っているかと思ったら、顔を上げると笑っていた。「笑っちゃうだろ。若い女の血を使うだって。それ、おっさんの発想だよ」 めっちゃハゲドー(死語構文)。「けれど、それでずいぶんと人らしいホムンクルスが誕生するようになったからママの暴走に拍車がかかってね。瀉血や浄血騒ぎに紛れて女子高生の血を集め出した。経営に興味がある子を屋敷に呼んで眠らせ血を採ったりって、犯罪だよね」 経済界の大立者がいったい何をしていたのか。これってばれたら大スキャンダルになる。
「十六夜?」 あたしが中の人をよく見ようと近づいたら、突然ブースを揺らすほど上下に動き出した。それは大きく跳ねるような痙攣だった。心電図の波形が激しくなった。そして痙攣がピタリと止まると、〈ピーーーーーーーーーーーー〉 とすべての波形がフラットになった。心肺停止状態。「これって?」 高倉さんを見たが、まったくの無表情だった。 なんでそんなに冷静なの? 蘇生しなきゃじゃないの? 放っとけないでしょ? お医者さんを呼ばないの? あたしがパニックになりかけていると、中の人は両手足が真っ直ぐに伸びて硬直状態になったと思ったら、すぐにだらりと弛緩し、〈ピーーーーピ、ピ、ピ、ピ、ピ〉 と心電図が再び波形を刻み始めたのだった。それでようやく高倉さんが言った。「一度死んで再び生き返る。ずっと、この繰り返しなのです」 そしてVRブースの前に回ると、「どうぞ。こちらからご覧ください」 高倉さんに促されたままブースの前から中の人のことを覗いた。 その人はVRゴーグルをしていた。下の顔半分は酸素マスクを付けていて息で曇って口周りはよく見えなかったけれど、銀色の牙が生えていることは分かった。顔色がひどく悪い。青白いを通り越して灰色をしていた。「元祖」六道園で見た獣と同じだった。チューブやコードを付けるためにはだけた胸は引きつった乳房の下に肋骨が浮き出ていた。手足は筋肉が落ちて痩せ細っていた。これではまるで人のぬけがらだと思った。「これが十六夜なの?」あたしは心が張り裂けそうになった。「そうです」 高倉さんが言った。あたしはもう一度変わり果てた十六夜を見てみた。そしてとてつもなく異常なところに気が付いた。その十六夜は金属の管で二の腕を拘束されていて、そこから正面の機器に向かって真っ赤なチューブが伸びていたのだ。チューブで十六夜の玉の緒が吸い取られている。「浄血! なんでこんなことを。早く! 早く外してあげてください。お願い!」 あたしは半べそをかきながら懇願したけれど、高倉さんは首を横に振った。「これは十六夜様が望まれてしていることです。外