家に帰ると冬凪はお風呂に入っていた。バイトから先に帰ってきていたのだ。晩ご飯の支度をと思ったけれど、今日は色々ありすぎて作る気力がなかったので、異端のソーキ煮そばですますことにした。沖縄ソバではなく日本そばにソーキ煮を乗せるところが異端。ソバを茹でて作り置きのソーキ煮を乗せ、だし汁を掛けるだけで出来るから楽。しかも冬凪の大好物。
ソーキ煮の作り方は、豚の肉付軟骨をぶつ切りにして、ひたひたの水で一時間煮て油を抜く。沖縄ではそれを2回繰り返すらしくその油抜きの徹底ぶりには驚かされる。けれどあたしは一回だけでいいことにしている。ここも異端と言えば異端。ゆで汁を捨てて軟骨を水で洗い汚れを落としたら圧力鍋に入れて、ネギの青いところ、にんじんの捨てるところ、生姜一かけ、ニンニク一かけと一緒に中火の中火で煮る。シューシュー言い出したら中火の小火で残り45分タイマーを掛けて待つ。タイマーが鳴ったら軟骨をサラダ油をひいたフライパンに移し、少し炒めて焦げ目が付いたら、泡盛、黒砂糖、みりん、醤油、鰹だしの煮汁を入れて蓋をして煮汁がなくなってテリが出るまでひっくり返しながら焼く。軟骨が食べられるくらいトロトロになったら成功。難点は泡盛がすぐなくなること。隠して置いてもミユキ母さんが見付けて飲んじゃうから。「夏波帰ってきてたんだ。おお、いい匂い。異端のソーキ煮そばだね」 バスタオルで濡れた髪を拭きながら冬凪がキッチンを覗き込んで言った。「もっとがっつりしたものが食べたかった?」 一日炎天下で働いてヘトヘトになった後だから。「ううん。ソーキ煮そばが食べたかった。ガテンは肉好きって思われてるけど、あんがい麺類食べがち」 またガテンって言っちゃってるのはスルーして、タンパク質のパワーより炭水化物の瞬発力のほうが肉体労働には必須だからだそうだ。 冬凪はソーキ煮そばをすすりながら、今日の調査のことを話してくれた。レーザー調査の結果が出たんだけどと前置きして、「石が見当たらなかったんだよね」 日本庭園の遺跡なのに庭石が一個もなかったのだという。州浜などに蒔かれた小さな石はあるのだけれど、中島にあるはずの巨石やアクセントになる庭石の類いが一切ないのだそう。「何でだと思汗が滝のように流れ出し、目に汗が入って軍手で拭いたら土が目に入ってさらに面倒なことになった。目をこするわけにも行かず、一旦ハウスに戻って目を洗わせて貰おうか思案していると、「小休止しまーす」 と佐々木さんが言った。救われた気がした。穴から出てきた冬凪が、「どう、土いじると違うでしょ?」 たしかに今の時間、怒濤のように押し寄せる土のせいで他のことは何も考えていなかった。「うん。確かに。でも」「そうだよね。気になるよね。やっぱり昼まで待たずに早めに挨拶行こうか」 それであたしたちは更衣室のハウスへ戻って着替えをすることにしたのだった。ハウスに戻ってまずクーラーボックスから半分凍らしたスポドリを出して二人でがぶ飲みした。体に溜まった熱が一気に冷える感じがして汗が引いていくのが分かった。「今から出かけるの? 早退ってこと?」「違うよ。小休止開けに戻って来る」「小休止って15分じゃなかった?」「楽勝」 よく分からないけれど、冬凪に言われたので汗になったものを全部着替えてから辻女の制服を着た。着替えを先に済まし外に出て待っていると、後から出てきた冬凪は家から担いできた大荷物を背負っていた。「それ、持って行くの? あたしもクーラーボックス持ってた方がいい?」「いらないよ。必要なものは全部この中に入ってる」 そんな大荷物で挨拶って、それってやっぱり賂(まいない)の金子(きんす)か何にかなんじゃ?「外出してきます」 あたしたちの格好を見てポカンと口を開けたまんまの赤さんに冬凪が声を掛けた。返事を待たずに出口に歩いて行く途中、冬凪はだれかに向かって手を振った。その先にいたのはユンボくんたちで、向こうは向こうで最初から冬凪を見ていたらしく、ブクロ親方と一緒に手を振り替えしてきた。 冬凪は調査区外に出ると、白い防護シートに沿った道を歩きそのまま竹林の中に入って行った。これは先週の土蔵コースと同じだ。挨拶ってもう一人の千福まゆまゆさんにするのかな。それなら前は作業着のまま挨拶したからこの格好は必要ないし。そうかあの先にまだ大御所が待ってる場所があってそっちに
朝礼が終わって皆さんと一緒に道具置き場に向かう。冬凪から、「あたしが掘るから、夏波は土揚げして」 と渡されたのは橙色をしたポリエチレン製の箕(み)だった。箕というのは竹かごを縦半分に割ったような形のもので、そこに土を入れて人が抱えて運ぶ。冬凪が大小二つのスコップといくつか作業用道具を入れた箕を持ち、あたしが棒の先に鉄製の平たいかまぼこがついた道具と箕を持って所定の穴へ向かった。冬凪は穴の縁に立つと、人差し指と親指でL字を作ってあごに充てるポーズになった。長い話になりそうだ。「まず道具の説明からするね。あたしが持っているのが?」「スコップ?」「でなくて、エンピとミニエンピでスコップって言わないのは、これがシャベルなのかスコップなのかで言い争いが起きるから。というのは半分冗談だけど半分はそうかも。で、夏波が持ってるのが?」「かまぼこ棒?」「でなく鋤簾(じょれん)で地面を平らにしたり土をかき集めるのに使う。箕の中に入ってるこれが?」「園芸用スコップ」「移植(いしょく)ゴテ。ここでは移植で通る。地面を削ったり遺構を掘ったりするのに使う。これが?」 短めの棒の先に三角の刃物が付いた道具を手にした。「三角棒? 棒三角かな」「両刃(りょうば)ね。三角の両面に刃がついてるからだけど、人によってそのまんま三角って言ったりキツネとかガリガリとか言う。地面や地層をガリガリ削って綺麗にする道具。で、これが」曲がった園芸用スコップを手にして、「曲り。遺構のへこんだ部分を掘ったり底に溜まった土を掻き出したりする。その代わりにお玉とかも使うことある」 お玉で土掘りって、まるで砂場遊びだな。 道具の説明が終わると、冬凪が腰の高さまで掘り下げた穴の中に下りた。 「じゃあ、縁の所に箕を並べて。そこにあたしが掘った土を入れるから、夏波はいっぱいになったらあそこの土山に捨てに行って」 あたしたちがいる穴からそこそこ距離があるところに土の山があったけれど、土を運ぶだけなら楽勝な気がした。 っていうのは甘かった。土の入った箕の重さといったら。冬凪は山盛りにならないようにほどほど
朝ごはんを食べた後、バイトへ行く支度をしながらどうして辻女の制服を持っていくのか冬凪に聞いた。「昼休みに挨拶に行くからだよ」 なんか近場みたい。高校に行くのではなさそうだ。他に制服着るのはテーマパークかお葬式かVIPに会う時だけだから今回はきっと、「えらい人?」「まあ、えらいと言えばえらいかな」「誰。あたしが知らない人?」「夏波も知ってると思うけども。まあ、会ってからのお楽しみ」 冬凪はそう言うと、先週よりもでっかいリュックを担いで玄関へ出て行った。それ何入れてる? 雪の中でビバーグでもする気? クーラーボックスを抱えて外に出ると、とんでもない暑さだった。予報では最高気温40度、最低気温25度で雨は降らないそう。リング端末を見るともう体感温度が32度と出ていた。太陽に対する遮蔽物の全くないあの現場で熱死しないことを祈るのみだ。 辻バスは涼しかったので辻沢駅までで掻いた汗は引いていたのに、バス停から現場までで大汗になった。女子更衣室になっているハウスで作業用の服に着替えて、朝礼まで待機する。「あれ? ナミちゃん。今日来たの? 休みじゃなかった?」 ティリ姉さん、もとい江本さんに言われた。「はい。そうなんですけど、冬凪に強引に連れてこられました」「ナギちゃんってば、ナミちゃんとお仕事できるのがホントにうれしいのね。前々から言ってたのよ。うちの姉はとっても可愛くて、頑張り屋さんなんですって、いつか一緒にこのお仕事できたらいいなって」 そんなこと冬凪に言われたことなかったのでポカンとしていると、冬凪が走って戻ってきたかと思ったら、ものすごい力で腕をつかまれてハウスの陰に連れて行かれた。「ほら。あるじゃん。話のついでにあることないことをさ」 何を焦ってるんだ? ほっぺが真っ赤だぞ。あたしは冬凪の肩をポンとたたいて、「いいよ。その気持ち、受け取っとくよ」「な、なに言ってるの? そんなんじゃ」 あたしは冬凪をそこにおいてきぼりにして朝礼の輪に加わった。いつも教えて貰ってばかりの冬凪から一ポイント奪取した感じで悪い気はしなかった。 皆さん
服を着ながら洗面所の鏡で顔を見た。鬼子の表情をまねてみたけれど、灰色の皮膚に金色の瞳、口は裂け銀牙がむき出しになっている獣とはほど遠い気がした。目につくのは目の下に隈が出来ていることと頬もこけているような。鏡のせい? お風呂を出ると冬凪に言われた。「今日は早く寝ておきなね」 やはり冬凪から見ても憔悴しているのが分かったのだろう。「そのつもりだよ」「明日の準備もしてから寝るんだよ。着替えは辻女の制服を用意してね」 ん? 学校に行くって言ったかな。「明日は部活休むつもりだけど」「ううん。バイトのこと」「でも、バイトは水曜からだって」「大丈夫。行けば何か仕事あるから」 制服の意味がよくわからないけど、冬凪はあたしを現場に連れて行きたいようだった。「ヴァーチャルの悩みなんて、土をいじれば忘れる」 いつか、あたしがSNSでプチ炎上したしたとき、そういって現場に連れて行ってくれたことがあった。たしかに穴掘ってると炎上なんてどうでもいい気がしたのを覚えている。でも、今回は十六夜のことだ。簡単に忘れるわけにはいかないのだけれど。冬凪を見る。まっすぐな瞳であたしを見ていた。これは断れそうにないな。まずはリハビリか。大人しく冬凪に従うことにしようと思った。 寝る前、ベッドの上からVRギアで六道園プロジェクトにロックインした。また拒否られるかと思ったら、今度はすんなりとアクセスポイントの石橋の上に出た。見回すといつもの美しい庭園で変わった様子はなかった。天蓋を見上げると空のテクスチャーかと思ったら満天に星々が散らばり天の川が美しかった。「匠の御方。こんばんは」 声がした方を見ると、ゼンアミさんが州浜に立っていた。「ゼンアミさん。こんばんは。空、変わったんですね」 ゼンアミさんはシルエットの顔を上に向けて、「そのようですね。『元祖』六道園プロジェクトの消失が関係あるかもしれません」 消失のことを関心なさげにサラっと言った。「十六夜のことはご存じですか?」「病に伏せっておられるとか。お見舞いもうしあげます」口調
あたしは十六夜のことを冬凪に相談しようと考えてはいたけれど、今すぐのつもりではなかった。もうすこし気持ちを整理してからと思っていた。「なんで頼み事があるって?」「だって、ソーキ煮そば食べさせてくれる時はいつも何かお願いされるから。この前は、調由香里のこと教えてって頼まれた」 そうだった。それで鞠野文庫で見付けた『辻沢ノート』の著者の四宮浩太郎が調由香里の婿ということが分かったんだった。「そうだったね」「で、何?」 あたしは、鬼子のことは言わないようにして、十六夜の家であったことを冬凪に話して聞かせた。冬凪はその間ずっと右手の甲をさすりながら下を向いて肯いていたが、「わかった。その話、引き受けた」といって顔を上げると目から涙がこぼれ落ちたのだった。冬凪が十六夜のことをそこまで想ってくれてるとは考えていなかったので、その涙を見てあたしもついもらい泣きしてしまった。というか、十六夜のぬけがらを見てからずっと、泣きたい気持ちを抑えていたことに気がついて泣いた。 ひとしきり二人で泣いて、冬凪が、「ソーキ煮そば、まだある?」 と鼻をすすりながら言うので、「あるよ。そばを茹でればすぐ食べられる」「じゃあ、おかわり」 あたしは空の丼を冬凪から受け取ると、二杯目のソーキ煮そばを作るためキッチンに立ったのだった。 お皿の後片付けは冬凪がしてくれるというので、あたしはお風呂に入ることにした。湯船に浸かりながら十六夜が「ボクらは沈まない」 と言っていたのを思い出す。もしボクらというのが鬼子のことであたしも鬼子なら水に沈まないのかもしれない。現に六道園では水の中でも息が出来ていた。ゆっくりお湯の中に潜ってすこしずつ息を吸い込んでみる。グホグホ。グェーホッ! グェーホッ! グェーフォーイ!なわけねーだろ。あれはヴァーチャルだから水でも平気だったんだ。あたしが今まで何度水に落ちて溺れかけたと思ってんだよ。「夏波、平気? ちょっと暴れすぎじゃない?」 ドアの外から冬凪が心配して声を掛けてくれた。「ごめん。ちょっと滑った」
家に帰ると冬凪はお風呂に入っていた。バイトから先に帰ってきていたのだ。晩ご飯の支度をと思ったけれど、今日は色々ありすぎて作る気力がなかったので、異端のソーキ煮そばですますことにした。沖縄ソバではなく日本そばにソーキ煮を乗せるところが異端。ソバを茹でて作り置きのソーキ煮を乗せ、だし汁を掛けるだけで出来るから楽。しかも冬凪の大好物。 ソーキ煮の作り方は、豚の肉付軟骨をぶつ切りにして、ひたひたの水で一時間煮て油を抜く。沖縄ではそれを2回繰り返すらしくその油抜きの徹底ぶりには驚かされる。けれどあたしは一回だけでいいことにしている。ここも異端と言えば異端。ゆで汁を捨てて軟骨を水で洗い汚れを落としたら圧力鍋に入れて、ネギの青いところ、にんじんの捨てるところ、生姜一かけ、ニンニク一かけと一緒に中火の中火で煮る。シューシュー言い出したら中火の小火で残り45分タイマーを掛けて待つ。タイマーが鳴ったら軟骨をサラダ油をひいたフライパンに移し、少し炒めて焦げ目が付いたら、泡盛、黒砂糖、みりん、醤油、鰹だしの煮汁を入れて蓋をして煮汁がなくなってテリが出るまでひっくり返しながら焼く。軟骨が食べられるくらいトロトロになったら成功。難点は泡盛がすぐなくなること。隠して置いてもミユキ母さんが見付けて飲んじゃうから。「夏波帰ってきてたんだ。おお、いい匂い。異端のソーキ煮そばだね」 バスタオルで濡れた髪を拭きながら冬凪がキッチンを覗き込んで言った。「もっとがっつりしたものが食べたかった?」 一日炎天下で働いてヘトヘトになった後だから。「ううん。ソーキ煮そばが食べたかった。ガテンは肉好きって思われてるけど、あんがい麺類食べがち」 またガテンって言っちゃってるのはスルーして、タンパク質のパワーより炭水化物の瞬発力のほうが肉体労働には必須だからだそうだ。 冬凪はソーキ煮そばをすすりながら、今日の調査のことを話してくれた。レーザー調査の結果が出たんだけどと前置きして、「石が見当たらなかったんだよね」 日本庭園の遺跡なのに庭石が一個もなかったのだという。州浜などに蒔かれた小さな石はあるのだけれど、中島にあるはずの巨石やアクセントになる庭石の類いが一切ないのだそう。「何でだと思