朝礼が終わって皆さんと一緒に道具置き場に向かう。冬凪から、
「あたしが掘るから、夏波は土揚げして」 と渡されたのは橙色をしたポリエチレン製の箕(み)だった。箕というのは竹かごを縦半分に割ったような形のもので、そこに土を入れて人が抱えて運ぶ。冬凪が大小二つのスコップといくつか作業用道具を入れた箕を持ち、あたしが棒の先に鉄製の平たいかまぼこがついた道具と箕を持って所定の穴へ向かった。冬凪は穴の縁に立つと、人差し指と親指でL字を作ってあごに充てるポーズになった。長い話になりそうだ。「まず道具の説明からするね。あたしが持っているのが?」「スコップ?」「でなくて、エンピとミニエンピでスコップって言わないのは、これがシャベルなのかスコップなのかで言い争いが起きるから。というのは半分冗談だけど半分はそうかも。で、夏波が持ってるのが?」「かまぼこ棒?」「でなく鋤簾(じょれん)で地面を平らにしたり土をかき集めるのに使う。箕の中に入ってるこれが?」「園芸用スコップ」「移植(いしょく)ゴテ。ここでは移植で通る。地面を削ったり遺構を掘ったりするのに使う。これが?」 短めの棒の先に三角の刃物が付いた道具を手にした。「三角棒? 棒三角かな」「両刃(りょうば)ね。三角の両面に刃がついてるからだけど、人によってそのまんま三角って言ったりキツネとかガリガリとか言う。地面や地層をガリガリ削って綺麗にする道具。で、これが」曲がった園芸用スコップを手にして、「曲り。遺構のへこんだ部分を掘ったり底に溜まった土を掻き出したりする。その代わりにお玉とかも使うことある」 お玉で土掘りって、まるで砂場遊びだな。 道具の説明が終わると、冬凪が腰の高さまで掘り下げた穴の中に下りた。「じゃあ、縁の所に箕を並べて。そこにあたしが掘った土を入れるから、夏波はいっぱいになったらあそこの土山に捨てに行って」 あたしたちがいる穴からそこそこ距離があるところに土の山があったけれど、土を運ぶだけなら楽勝な気がした。 っていうのは甘かった。土の入った箕の重さといったら。冬凪は山盛りにならないようにほどほど冬凪はそんなあたしの体のところどころに触れて、「夏波、無事でなにより」 危険なことさせたってこと? そりゃ、何の説明もないわけだ。段々腹が立ってきたぞ。「千福まゆまゆ様、ありがとうございました。それではまた帰りの時はよろしくお願いいたします。さ、夏波、行くよ」 と冬凪はあたしの手を取った。あたしは君に激オコぷんぷん丸なんだけどと死語構文でにらみつける。「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。無事のお帰りを」」「ありがとうございます。それでは三日後に」 冬凪とあたしが出口まで来て振り返ると、黒いまゆまゆさんはこちらに手を振ってから黒い市松人形の中に消えたのだった。 土蔵の格子戸から見えた漆喰扉は黒かった。それを二人で押し開けて出ると左手に白い漆喰壁の土蔵があった。さっき入ったのはあっちだったはず。ということは……。こちら側はやはり黒い漆喰壁の土蔵で、あたしは左側から出てきたのだった。右から入って左から出る。あのウォータースライダーは土蔵を移るためのものだった? いったい何の意味が。外は日が暮れていて竹林の上に月が掛かっていた。「これどういうこと?」 空を指さして聞いた。「時間までの精度は期待できないんだよ」 そういうことではなく。「時間経ち過ぎじゃない? もうバイト終わってるよね」 「まあ、そうなんだけど」 と何かを言いかけて冬凪はあたしの手を取って土蔵の裏手に引き込んだ。「どうしたの?」「しっ! 一番見つかりたくないヤツいる」 と土蔵の角から竹林の中を伺っている。あたしも冬凪の後ろから竹林を見てみると、そこに女学生らしき人影が見えた。その女学生は竹林の中から土蔵前の広場に出てきた。月明かりの下で見る制服は宮木野線沿線唯一のお嬢様高校、清州(せいしゅう)女学館のものに似ていた。夜の散歩している様子だったが、何かに気がついて立ち止まりこちらに顔を向けた。月光に照らされたその顔は恐ろしいほど美しかった。女学生の金色の瞳があたしを捉えた瞬間、甘い香りに包まれるのを感じた。あたしは魅了され息を呑んだ。「懐かしいお
中はたしかに狭かった。背丈が足りるかと思ったら、あたしが足を踏み入れるとちょうどいい具合に床が沈み込んで入れた。これっていったいなんなの? 宿泊者用の身体検査のなにかかな。と考えているうちに両側から扉が閉まって真っ暗になった。「最初は窮屈に感じるけど、すぐ楽になるから」「これは何なの? VRブース?」「そんな感じのもの」 と外から冬凪の声が聞こえた。VRブースだと聞いて少しだけ気持ちが落ち着いた。開発元やロックイン先のメタバースによって様々なブースがあるのは知っているから、こういう変な外観のものがあっても驚かない。でも操作盤とかVRギアとかが全くなく扉を閉めたら真っ暗闇って、これじゃ拷問器具だよ。鉄の処女とかいうのあったじゃん。あれ的なやつ?「ねえ、冬凪、聞こえてる? これどうやって操作するの?」「「それでは行ってらっしゃいませ」」 という声が聞こえたと思ったら、床が抜けた。ストンと落下した感覚があったのだ。視界が真っ暗なので確かなことは言えないけれど、スタートで床が抜けるタイプのウォータースライダーで落とされた感覚と一緒だった。どこまでも落ちてゆく。スピードも段々速くなってるんじゃないか? 上を見たけど何も見えなかった。下も同じ。ただ、周りはいつか見た光の筋でいっぱいで「元祖」六道園を脱出したあの星間飛行の時のようだった。しばらくしてその光の筋が消えて徐々に落下感がなくなり再び真っ暗闇の中で制止した。今度はその暗闇の正面に光の筋が入った。そして光の幅が広がると、その光の中から白い手がさしのべられた。その小さくか細い手は、まゆまゆさんのものに違いなかった。あたしはあまり引っ張りすぎないように、その手にすがって市松人形の中から外に出た。そこはもとの蔵の中で、目の前にまゆまゆさんが立っていた。でも、そのまゆまゆさんには驚いた。いつの間にか黒地に銀糸で五弁の花をあしらった和服に着替えていたからだ。冬凪は? 見当たらなかった。「「ようこそいらっしゃいました」」 黒いまゆまゆさんはそう言って微笑むと、突っ立ったままのあたしに、「「少しばかり横にいてくださいませ。妹様がおいでになります故」」 と言って手を引いて、あたしのことを市松人形の横に
冬凪は右手にある白漆喰壁の土蔵の扉の前に歩み寄った。そして先週と同じく鏝絵が描かれた漆喰扉に手を掛ける。あたしもそれを手伝いながら、「あっちは開かないの?」 と聞いてみた。すると冬凪はそちらにチラリと目を向けた後、「黒い方は外から開かないから」 と言ったのだった。ならどうやって入るの? 格子扉を開けて中に入ると前と同じくヒヤッとした。現場からここまでで掻いた汗がスッと引いた。相変わらず古くさい物たちの匂いと微かな甘い香りがしている。土間で靴を脱いで上がり、床板が滑るので気をつけて進む。冬凪について土蔵の奥へと進んで行くと、前と同じ所に白地に五弁の花が金彩された市松人形が置いてあった。その前まで来て冬凪は正座した。あたしもそれに倣(なら)って正座する。板床に手を突くと、とても冷たくて心地よかった。横になって火照ったほっぺを付けたら気持ちよさそう。「藤野冬凪と藤野夏波がまいりました。ご機嫌麗しう」 と冬凪が挨拶すると、最初は無言だった市松人形から声がした。「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。こんにちは」」 と安定の二重音声だ。そして前回のように排気音がして市松人形が縦に二つに割れた。「「狭いので出ますね」」 と言って市松人形とまったく同じ柄の和服を着た、小学少女の千福まゆまゆさんが出てきて市松人形の開きの横に正座した。そして冬凪に向かって笑顔を作ると、「「今回の滞在のご予定は?」」 とまるでホテルのフロント係のようなことを言った。冬凪は冬凪で、「3日です」 とこれまた宿泊客のような返事をしたのだった。どういうこと? その大荷物は宿泊用ってこと? 今週はここに泊まってバイトするの? あたしは冬凪の袖をつまんで状況説明を求めたけれど無視。そんな冬凪は背負ったリュックを開けて中から紙袋を取り出してまゆまゆさんの前に置いた。「これは気持ちの品です」 やっぱり賂の品だったんだ。「「ありがとうございます。こちら先にお渡ししておきますね」」 とまゆまゆさんが袖の中から取りだしたのは画面がバッキバキに割れたスマフォだった。まだ年配の先生とか使ってる人いるけど
汗が滝のように流れ出し、目に汗が入って軍手で拭いたら土が目に入ってさらに面倒なことになった。目をこするわけにも行かず、一旦ハウスに戻って目を洗わせて貰おうか思案していると、「小休止しまーす」 と佐々木さんが言った。救われた気がした。穴から出てきた冬凪が、「どう、土いじると違うでしょ?」 たしかに今の時間、怒濤のように押し寄せる土のせいで他のことは何も考えていなかった。「うん。確かに。でも」「そうだよね。気になるよね。やっぱり昼まで待たずに早めに挨拶行こうか」 それであたしたちは更衣室のハウスへ戻って着替えをすることにしたのだった。ハウスに戻ってまずクーラーボックスから半分凍らしたスポドリを出して二人でがぶ飲みした。体に溜まった熱が一気に冷える感じがして汗が引いていくのが分かった。「今から出かけるの? 早退ってこと?」「違うよ。小休止開けに戻って来る」「小休止って15分じゃなかった?」「楽勝」 よく分からないけれど、冬凪に言われたので汗になったものを全部着替えてから辻女の制服を着た。着替えを先に済まし外に出て待っていると、後から出てきた冬凪は家から担いできた大荷物を背負っていた。「それ、持って行くの? あたしもクーラーボックス持ってた方がいい?」「いらないよ。必要なものは全部この中に入ってる」 そんな大荷物で挨拶って、それってやっぱり賂(まいない)の金子(きんす)か何にかなんじゃ?「外出してきます」 あたしたちの格好を見てポカンと口を開けたまんまの赤さんに冬凪が声を掛けた。返事を待たずに出口に歩いて行く途中、冬凪はだれかに向かって手を振った。その先にいたのはユンボくんたちで、向こうは向こうで最初から冬凪を見ていたらしく、ブクロ親方と一緒に手を振り替えしてきた。 冬凪は調査区外に出ると、白い防護シートに沿った道を歩きそのまま竹林の中に入って行った。これは先週の土蔵コースと同じだ。挨拶ってもう一人の千福まゆまゆさんにするのかな。それなら前は作業着のまま挨拶したからこの格好は必要ないし。そうかあの先にまだ大御所が待ってる場所があってそっちに
朝礼が終わって皆さんと一緒に道具置き場に向かう。冬凪から、「あたしが掘るから、夏波は土揚げして」 と渡されたのは橙色をしたポリエチレン製の箕(み)だった。箕というのは竹かごを縦半分に割ったような形のもので、そこに土を入れて人が抱えて運ぶ。冬凪が大小二つのスコップといくつか作業用道具を入れた箕を持ち、あたしが棒の先に鉄製の平たいかまぼこがついた道具と箕を持って所定の穴へ向かった。冬凪は穴の縁に立つと、人差し指と親指でL字を作ってあごに充てるポーズになった。長い話になりそうだ。「まず道具の説明からするね。あたしが持っているのが?」「スコップ?」「でなくて、エンピとミニエンピでスコップって言わないのは、これがシャベルなのかスコップなのかで言い争いが起きるから。というのは半分冗談だけど半分はそうかも。で、夏波が持ってるのが?」「かまぼこ棒?」「でなく鋤簾(じょれん)で地面を平らにしたり土をかき集めるのに使う。箕の中に入ってるこれが?」「園芸用スコップ」「移植(いしょく)ゴテ。ここでは移植で通る。地面を削ったり遺構を掘ったりするのに使う。これが?」 短めの棒の先に三角の刃物が付いた道具を手にした。「三角棒? 棒三角かな」「両刃(りょうば)ね。三角の両面に刃がついてるからだけど、人によってそのまんま三角って言ったりキツネとかガリガリとか言う。地面や地層をガリガリ削って綺麗にする道具。で、これが」曲がった園芸用スコップを手にして、「曲り。遺構のへこんだ部分を掘ったり底に溜まった土を掻き出したりする。その代わりにお玉とかも使うことある」 お玉で土掘りって、まるで砂場遊びだな。 道具の説明が終わると、冬凪が腰の高さまで掘り下げた穴の中に下りた。 「じゃあ、縁の所に箕を並べて。そこにあたしが掘った土を入れるから、夏波はいっぱいになったらあそこの土山に捨てに行って」 あたしたちがいる穴からそこそこ距離があるところに土の山があったけれど、土を運ぶだけなら楽勝な気がした。 っていうのは甘かった。土の入った箕の重さといったら。冬凪は山盛りにならないようにほどほど
朝ごはんを食べた後、バイトへ行く支度をしながらどうして辻女の制服を持っていくのか冬凪に聞いた。「昼休みに挨拶に行くからだよ」 なんか近場みたい。高校に行くのではなさそうだ。他に制服着るのはテーマパークかお葬式かVIPに会う時だけだから今回はきっと、「えらい人?」「まあ、えらいと言えばえらいかな」「誰。あたしが知らない人?」「夏波も知ってると思うけども。まあ、会ってからのお楽しみ」 冬凪はそう言うと、先週よりもでっかいリュックを担いで玄関へ出て行った。それ何入れてる? 雪の中でビバーグでもする気? クーラーボックスを抱えて外に出ると、とんでもない暑さだった。予報では最高気温40度、最低気温25度で雨は降らないそう。リング端末を見るともう体感温度が32度と出ていた。太陽に対する遮蔽物の全くないあの現場で熱死しないことを祈るのみだ。 辻バスは涼しかったので辻沢駅までで掻いた汗は引いていたのに、バス停から現場までで大汗になった。女子更衣室になっているハウスで作業用の服に着替えて、朝礼まで待機する。「あれ? ナミちゃん。今日来たの? 休みじゃなかった?」 ティリ姉さん、もとい江本さんに言われた。「はい。そうなんですけど、冬凪に強引に連れてこられました」「ナギちゃんってば、ナミちゃんとお仕事できるのがホントにうれしいのね。前々から言ってたのよ。うちの姉はとっても可愛くて、頑張り屋さんなんですって、いつか一緒にこのお仕事できたらいいなって」 そんなこと冬凪に言われたことなかったのでポカンとしていると、冬凪が走って戻ってきたかと思ったら、ものすごい力で腕をつかまれてハウスの陰に連れて行かれた。「ほら。あるじゃん。話のついでにあることないことをさ」 何を焦ってるんだ? ほっぺが真っ赤だぞ。あたしは冬凪の肩をポンとたたいて、「いいよ。その気持ち、受け取っとくよ」「な、なに言ってるの? そんなんじゃ」 あたしは冬凪をそこにおいてきぼりにして朝礼の輪に加わった。いつも教えて貰ってばかりの冬凪から一ポイント奪取した感じで悪い気はしなかった。 皆さん